第27話 幼少期⑤
「輝虎」
「姉上、かようなところまで……どうかされましたか?」
ある日、仙洞院は弟・輝虎のいる書斎へ訪れていた。
「虎のことで相談したいのだけれど……」
「虎のことで……?」
「ええ。人払いを頼みたいのです」
「わかりました」
輝虎は近くにいた小姓に人払いをさせながら、姉の言葉を頭の中で反芻した。自身の娘の虎のことで相談したいとは一体なんの話しをつもりなのだろうか、と。しかし、思い当たる節しかなく、考えることは放棄した。恐らく、仙洞院と輝虎の2人は同じことを考えているはずだ。人払いが完了したと見るやいなや仙洞院は口を開いた。
「あなたは虎の今の状況知っているかしら?」
父である輝虎は忙しく娘の虎が生まれた直後にも関わらず、ずっと戦に出ていた。しかし、彼は静かに頷く。
「ええ。姉上からの文と帰ってきた時に少しだけ虎のことを見たので」
輝虎が虎から目を離したのはたかが半年程度だが、気がついた時にはまだまだ拙いが、歩けて喋れていた。ある程度の距離ならば歩くことができるし、短い文書ならばスラスラと話せる。赤子を育てたことは無いが、そういうものだと認識していたが、重臣たちにそんなことは無いと言われ、考えを改めていた。
「そうですか。ならば話は早いです」
「やはり、あの子は異様ですか」
「ええ。何らかの生まれ変わりだろうとはやし立てるものもいます」
「ふーむ……」
何らかの生まれ変わりというのは父・輝虎にあやかっての事だろう。これはいい噂かもしれないが、しかし、いい噂もあれば悪い噂もある。
「もちろん、そんな彼女の立場を利用とするものがいるでしょうね。あなたには虎以外お子がおりませぬ。後継争いの傀儡にされるかもしれないわ」
「……承知しております」
虎は特殊な立場の人間だ。輝虎唯一の子供であり、跡継ぎ候補の1人だ。
「一応聞いておくけれど、跡継ぎはどうするつもりなのかしら?」
「虎かその婿に任せようかとは考えております」
「その婿はもうお決めに?」
「いいえ。まだ、それは……。ただ、いずれはだれか重臣の息子から取ろうかと考えております」
いかに聡明と言えど虎はまだ産まれたての赤子だ。婿を決めるのはまだ早すぎる。しかし、仙洞院は首を横に振った。
「それではあまりよくないわ」
「へ?」
「いかに忠義に厚い重臣かもしれないけど、婿として迎えれば、いずれ家中の権威が奪われ、上杉家が乗っ取られる形になりかねないわ」
忠臣であっても、その家の子が大名家に入り婿となれば、勢力が逆転することなど歴史の中では幾度となく起こってきた。決してあり得ぬ話ではない。
「では、誰を……?」
「その婿なのだけど、顕景に出来ないかしら?」
「顕景に?」
顕景――姉・仙洞院の実子であり、虎にとっては従兄にあたる青年。つい先日元服したばかりの少年だ。年齢的には少し離れているが、信頼という点では、これ以上の者はいない。しかも、顕景の父は、長尾政景。これが意味するのは、上田長尾家との絆の強化である。政略上も、十分に理にかなった話であった。
「しかし、虎はまだ……」
「ええ。だからこそなのです」
仙洞院の言葉には、母としての憂いが滲む。
「彼女はこの先、命を狙われるかもしれません。ならばいっそ、最初から縁を結ばせてしまった方が、よほど安全なのです。顕景なら、虎を守るでしょう」
輝虎はしばらく黙していた。虎を守るため上杉家を守るための政略。それは父として当然の選択であると同時に、まだまだ幼い娘を政の渦中に置く非情でもあった。
……だが、それが戦国という時代なのだ。
「……承知しました」
重々しくうなずき、輝虎は立ち上がる。
「虎と顕景に伝えるのは、姉上にお任せしましょう。私は、しかるべき時に表向きの発表をいたします」
仙洞院は静かに頷いた。二人の姉弟は、娘と息子の未来を守るために、静かにその一手を打とうとしていた。




