ボクはみんなとおなじになりたい
「じゃあね。また明日」
そう言って千沙は身を翻し、元来た道を戻っていった。彼女の身体が夜の闇の中へ溶け込んでいくのを確認した後、さっきから感じていた気配に声をかける。
「千沙なら行ったぞ。ボクに用があるなら今のうちにしろ。こっちも暇じゃない」
千沙が完全に見えなくってからそいつは現れた。――――この世界に千沙が来てから、ずっと寄り添っていた男、レト。実家は滅亡したとはいえ、ここの傍系の血を引くから、こいつはセレティスの当主を狙えるかもしれない。実家が無いのは、むしろ母みたいな人間からすれば都合がいいだろう。突然降ってわいた女子に連れられいつの間にか世界の王? そう考えると胸がむかむかして気分が悪かった。もしかしなくても、ボクはあいつに嫌悪を感じているのか? ……これが嫉妬。
「何を考えている?」
やつは敵意剥き出しなのを隠そうともしない。世渡り下手だな。
「何も」
「……! 馬鹿にしているのか!」
「企んでいるように見えたのか? 酷いな」
悲しげな表情をすれば、レトは一瞬怯んだがすぐ元の緊張した顔つきになった。似たようなお人好しとはいっても、千沙ならケイトを持ち出せば容易いが、こいつは動かしにくそうだ。弱点が手元にある千沙とは違う。まあ、その千沙本人がこっち寄りになったからな。どうにでもなる。
「千沙は信頼してくれたというのに。約束だってしてくれた」
「彼女の最も弱い部分を付けこんだ約束なんか卑怯だ」
「ケイト姉様のことは、ボクだって悩んでいるんだ。千沙とボクは同じ立場なんだよ」
「信用できない。お前、自分が正統な血筋でないと知っているのか。ケイトに何かしてやる義理なんてないだろうが。むしろ真実を知る彼女が戻ったら不都合しかない」
ケイトのこととなると二歳児並みな千沙とはさすがに違うか。
「不都合? そんなことないよ。母と姉は対立していたみたいだけど。……ボクの血筋についてね。これについては、ずっと姉様にご教授願いたかった。どうすべきだったのか」
「……」
「疑うなとは言わないよ。ボクは産まれた時から普通じゃないから。でも君が優先すべきなのは千沙だろう? 戻った時に君がいなかったら驚くだろうね。すれ違いになる前に帰ったら?」
「……少しでも妙なことをしたら容赦しない」
そう捨て台詞を吐いて奴は海の洞窟のほうへ向かった。
誰よりも先にあいつを殺したい。去っていく奴の背を見て何故かそんな思いが込み上げる。
……千沙に会ってから何か変だ。
したい事は既に決まっている。なのに、もう少しだけこの時間を延ばしたいような。
殺したいリストは出来ている。しかし順番を入れ替えたくて仕方ない。
「おとうさん……」
培養機に入れられていた頃、夢という形でこの世の全てを見ていた。母の不倫――――にあたるのか知らないが――――の現場。召還された実の父ユウト。やがて追い出されて、山の中で千沙と会った父。ケイトの加護を受けた千沙と、何も持たない自分の差に絶望していた。自分が惨めで居た堪れなくて、夜の山道を闇雲に走っていたら勝手に足を滑らせて死んだ。
もう少し馬鹿で暢気だったら、千沙に媚びて生きることが出来ただろうに。父は恵まれた千沙に憎悪しかなかった。……ああはなるまい。
それでも『父』 を二度殺し、自分を道具としか見ていないメアリーよりは、彼は親近感を覚える人間だった。だからこそ、意図せずとも差を見せ付けて暴走に追い込んだ千沙は許しがたい。息子として。だからこの手で葬らないといけない。必ず……。
「信用できません」
そう言ったのはエリーゼだった。続いてララリアも微妙、といった顔をする。
「何か企みがあってのことではないでしょうか? ユーシャ、でしたね。その男が私達に良くする必要なんてありません」
会話は平行線だ。この通り、エリーゼはユーシャを疑ってかかっている。ララリアはエリーゼほどでないにしても信用できない側。アドルとレトは沈黙を保っている。
「だから、ケイトを助けたいって」
「その後、彼はどうするつもりなんでしょう? 中途半端に生かしておくのが嫌なだけかもしれません。彼らは、私達を皆殺しにしようと思えばいつでも出来るのですよ。ここは彼の領域ですから」
「……そもそも、敵地であまりにも迂闊すぎる。チサ。お前は私達が死んでも構わないと思っているのか? お前のやっていることはそういう事だ」
黙っていたアドルの援護射撃に思わず涙目になる。そんなつもりなかった。だって、葉っぱがあんなに飛んでいくとは思わなかったんだもん。それにケイトが見つかって結果オーライなんだし、そんなきつい言い方しなくたって。
「もういい。お前には期待しない。自分の身は自分で守る。最初からそれだけの事だった」
黙っている私に溜息をついてアドルは言った。その見限ったともとれる発言に、唇を噛んで涙をこらえる。帰った途端に集中砲火なんて、私が何をしたっていうの。
「そこまで言わなくてもいいでしょうアドル! チサ様、私達はただ、チサ様が心配なのです」
「……ごめんねチサ。責めすぎたよね。でも、チサに万が一の事があったら……私達、生きてられないよ」
ララリアは恩人らしいからいいとして、エリーゼは何でこんなに良くしてくれるんだろう? アドルは容赦ない言い方したけど、間違った事は言っていない。下手したらパーティー全滅の危険があったんだよ。だから二人に軽蔑されても仕方ないんだけど。
「でもアドルもことも一理ありますわね」
……ほら。
「チサはケイトの事となると自分の事まで考えられないから……なら、私達が勝手に守ればいい!」
んん?
「……なんでそうなるの? 守るって……私別に」
守られなくてもいいよ。その謎理屈は一体。
「申し訳ありませんが、返答は聞きません」
「チサは黙ってケイトの事だけ考えてればいいんだよ。私達、ついていくって決めた時点で覚悟は出来てるもん」
「アドルはもともと、チサ様のためではなくシノア殿の命令だから仕方ありませんから……三人でサポートさせてもらいます。ねえお兄様?」
エリーゼが兄に振る。さっきから黙っていたのが気になっていたのかもしれない。
「もちろん」
「まあそんな簡単に……でも不言実行ですものね。お兄様は」
エリーゼとララリアって可愛い、というか優しい。レトもなんだかんだでついてきてくれてるし。……ケイトから見た私もこうならいいんだけどな。何で私はケイトと違って、誰かを巻き込まずに居られないんだろう。
「……結局行くのか」
「行くよ。私の目的は、最初から最後までケイトだもん」
太陽が最も高く昇った時、あの墓場に行く事に決定した。唯一アドルのみ「私は行かない。全滅に巻き込まれるのはごめんだ」 と同行を拒否。……ごめんなさい。
危ないと分かっているのに、ケイトに会いたくてしょうがない。それだけで、ただ生きてきた。彼女だけが、私の支えだった。
「行こう。ケイトを助けよう」
そのレトの声で、心臓に水をかけられたみたいになった。ケイトが心の支えなら、旅の間ずっと身体の支えになってくれてたのはレトになるんだろうか。ケイトを選んでレトを捨てるのは、本当に正しい選択なのか?
駄目だ。二兎追う物は一兎も得ず。贅沢を望んで滅んだ例なんていくらでもある。傲慢になってはいけない。どっちも捨てたくないなんて、ただの我侭だ。尻軽だ。
後で罵られても、ケイトとだけ居られればいい。
「こんにちは、千沙」
墓場で彼を見たエリーゼの顔が引きつる。ララリアは顔いっぱいに『?』 を浮かべている。レトはさすがの無表情。レトは分かるけど、エリーゼとララリアは何だろう?
「万が一、自分で気づいてない可能性を考えていましたけど、なさそうですね。セレティスの一族は基本的に赤毛か桃毛、目の色もそれに同じ。それが黒目黒髪なんて……メアリー妃は神をも恐れぬお方です」
エリーゼは小声で袖を引っ張りながら言ってきた。ああ確かにケイトは可愛い桃色の髪だものね。ユーシャは……まあ見た目が和風美人だもん。赤とかピンクとかはむしろ合わないし、いいんじゃないかな。
ん? ってことは、実の姉弟じゃないってことに。お姉さんって呼んでるけど、あれは世間的には姉弟で通ってるからって意味? そういえば正式な血統ではないユーシャと女だけど血筋のケイト。反発が無いほうがおかしいような……。いやでも仮死状態な人に、ねえ。毎日お墓参りしていたって言うし、それなりに家族だと思ってるんだろうし。
ケイトとユーシャの関係に思いを馳せていたいら、ユーシャが近寄ってきた。
「夜は魔力が強まる。昨晩は母の魔力に阻害されてどうにもならなかっただろうけど、昼の今なら解けるかもしれない」
お母さんの呪いを解こうとしているんだから、悪い人ではないよね。私にとっては。
「ケイト、ケイト!」
棺を揺らして呼びかける。
「ねえ、異世界の日本に来てくれたよね。それで私に会ったよね。私だよ、佐倉千沙。覚えてる? ねえ」
過去の記憶を語りかけても、彼女は無反応だった。私のすぐ側でユーシャは困ったような顔をしている。エリーゼとララリアは厳しい顔つきだ。レトはエリーゼを庇うような姿勢をとりつつ、ケイトをユーシャを交互に見ている。そんな中で一心不乱にどれだけ呼びかけても、ケイトはぴくりともしなかった。
「……棺ごしだから駄目なのかも。ねえユーシャ、開けてもらってもいい?」
「どうぞ」
彼がそう言うと、棺の蓋はスプリングでもついてるのかってくらいにパカッと開いた。魔法すごい。そして開いた先には、生身のケイトがいた。呼吸はしている。本当にただ眠っているだけに見えるのに、何で起きてくれないんだろう。
「ケイト、ねえケイト! ケイトったら!」
昔、親戚の葬式に出た時を思い出した。『いつものように病室へ入った。いつものように今日も暑いねと呼びかけた。返事が来ないのを怠けているのかと思って何度も返事を促した。もう死んでいたのに、本当に馬鹿みたいだった。周りの看護士も固まっていた』 と奥さんが、泣きはらした目を隠そうともせずに、乾いた笑顔で言っていたのを。心に不安が募る。神様、私はまだ経験したくないそんなの。
「してよ返事を! 私ここまで来たんだよ!? ケイトに会いたくてここまで!」
チサの後ろではユーシャが冷めた目つきをしていた。エリーゼとララリアはその目に憐れみを浮かべていた。レトはしばらく考えていたようだが、急にハッとした顔になりチサに言った。
「チサ、その……前、僕の呪いを解いた時を覚えている? 同じことをやってみたら?」
涙でぐしゃぐしゃになった顔をレトに向けて「呪いを解いた時?」 とぼやくチサ。次の瞬間「あっ」 と短い驚きの声を発する。
そうだ、あの時、気まぐれに石になったレトに……。でもあれはシノアさんがそういう解け方にしておいたって話じゃ。
「それってどんな方法?」
空気を読まずにユーシャが疑問をぶつけてくる。答えづらいが無視するわけにもいかない。仕方なく前後の状況をぼかしつつ事実だけを話す。トラブルメーカー体質なんて知れたら「大事な姉に近寄らないでくれる? とうかこの状況もお前に関わったせいなんじゃ……」 となるかもしれないし。
「ふむ……同じ方法で解けるかもしれないな。魔力を接触により元の人物に戻すと考えれば。まあ人工呼吸みたいなものだよ」
いいのか? 目の前で姉(血は繋がってないけど)が昨日あったばかりの知人とキスしてもいいんだな? 私だったら超複雑だけど。でもこれ以外に適当な方法がありそうにないし……ユニコーンの角も何であんなところで使っちゃったんだろう……。いやでも結局飲ませるのに口移しとかになったかもしれない。
これは人助け、治療行為……。
そう念じながら、そっとガラスの棺で眠るケイトにキスしてみる。
実際やってみると、御伽噺の王子様ってこんな感じかなあとか思って、そんな嫌ではなかった。余りにも現実感がなかったからかもしれない。そりゃあそうだろうけど。ここ異世界だし。それにケイトが余りに綺麗で、そのくせ生気が感じられなくて、人形に遊びでキスしてるみたいだった。
「…………」
終わったあと、じっとケイトを見つめる。
起きない?
いやまだだ。まだ早計だ。
これで駄目ならどうすればいい?
まだ目を覚まさない?
失敗?
一秒が数年にも感じられた。不気味な静寂の中、誰もが失敗かと思った時だった。
ぴくり、と彼女の睫毛が動いた。
「――――!」
呼吸を忘れて見つめる。次に瞼がゆるゆると開いていった。完全に目を開けたあと、数度瞬きをして、瞳が左右上下に忙しなく動く。そして目の前の人物をじっと見つめて、口から声が漏れた。
「チサ」
千沙の涙腺は崩壊したかのようにとめどなく水を流していた。ケイトの目が開いた時から。
ずっとこの瞬間を待ち望んでいた。私が生きているのは、貴女のため。生きてこられたのは、貴女のため。
「ケイトッ……!」
名前を呼んで抱きつこうとした。その寸前、ケイトが驚愕の表情を浮かべた。なんだろう? やっぱりここまで追ってきたとかストーカーっぽいって引かれた? と戸惑っている時間も与えられなかった。ケイトはチサを突き飛ばした。
「!?」
突然すぎて何が何だか分からなかった。だがそれも一瞬。すぐに気がついた。ユーシャが剣でケイトを刺している光景が、目の前にあったのだから。剣は魔法で出したのだろうか? 長い長い剣が、ケイトの胸を貫通していた。
「…………何してるのユーシャ!? ケイト、ケイト大丈夫!?」
「起きたばかりでいい反射神経だな、姉さん。どうせなら二人仲良く、絶頂の中で殺してやろうと思ったのに。助けたところで千沙の苦しみが延びるだけだよ」
もしかしたら裏があるかもとは思っていた。想像以上に憎まれていたらしい。でも今はそんなこと考えてる場合じゃない。ケイトを助けようと駆け寄ろうとして……エリーゼに止められレトに進路を塞がれる。
「どいて、離して!」
「いけません! 危険です!」
「やはり信用すべきじゃなかった……チサ、ごめんなさい。今はあいつに近付けさせられない」
離して、離して、ケイトが死んじゃう。ケイトは身体を異物が貫いて、苦しそうに喘いでいる。剣を、剣を抜かなきゃ……駄目だ、急に抜いたらかえって危険……どうしようどうすれば。私がもたもたしている間、ケイトとユーシャは何かを話し合っていた。
「ユーシャ、な……ぜ」
「何故って? 自分が恨まれないとでも思ってたの? 四面楚歌の可哀相な自分とか思ってた? 馬鹿じゃないか。ボクなんか、産まれる前から呪われていた。この不幸と比べたらお前なんか悲劇のヒロインぶるうざい女だよ」
「……私が、死んだら、皇位を、継承できない……!」
「それは困るね。でもまた生き返ればいいじゃない。生命の葉、チサが取ってきてくれたってさ。ほら遠慮なく死になよ」
何の躊躇もなく、彼は剣を抜いた。ケイトはその場に倒れた。辺りに咲き乱れる桃色の花が、紅く紅く染まっていった。
「ケイ、ト?」
エリーゼとララリアが二人がかりできつくきつく抱きしめている。その場から動けない。でも声は届くと思って呼びかける。……返事がない。
「絶命してるよ。千沙、葉っぱ寄越しなよ。それで生き返るんだろう? ああ、横の二人が邪魔? ……ほら」
ユーシャがそう言うと、エリーゼとララリアがふわっと浮き、吹き飛ぶ。エリーゼは木と激突、ララリアは墓石に衝突した。この男の、この軽さは何?
「チサ、言う事を聞いてはいけない。あいつは悪だ。この世界の全てを支配したいんだろう、そのために僕達が邪魔なんだ」
レトが止める。申し訳なく思いつつ、目で行かせてくれと懇願する。レトは本当に忠実な男だ。
「いくらチサが運のいい人間だからって……あいつは駄目だよ」
「でも行かなきゃ。因縁もあるし。それに私ケイトを……」
どの道このままにはしておけない。レトは止められないと分かると道を開けた。逆らってユーシャにより再起不能になるよりは、と思ったのかもしれない。
ユーシャの前まで歩く。距離がほとんどないところまで来た時、右手を上げて勢い良く平手打ちを食らわした。いい音がした。
「……!? なにをする!」
「いくらいい薬があるからって、進んで怪我したい人間なんていない、生き返れるからって、死にたい人間なんていない! 何で簡単に人を傷つけるのよ!」
「……人間全員が幸せになれるのは難しいけど、人間全員が不幸になるのは案外簡単だと思わない?」
ユーシャは、何を言っているのだろう。
「ボクは、平等にしてあげようと思うんだ。支配者として生まれたからにはね……」
「……目的は何なの?」
そう聞いた時、彼の目は暗く澱んでいた。それにどこか見覚えがある気がした。
「目的? 崇高で生命力溢れる言葉だね。素晴らしい。反吐が出る」
「……???」
「そんなものないんだよ。ボクは別に王にもなりたくない。何かしたいなんてない。呼吸だってやめてしまいたい」
私、同じ気持ちになったことが、ある。
「強いて言うなら、こんなくだらない世界とともに死んでしまいたいだけさ」
死にたがり、それが彼の正体だった。地球に居た頃の私のことでもある。




