第五十六話
「あなたは……いいわ。私を提供します。奥の部屋に入ってて。」
昼に会った女性はオオカミを避けて中に入る。鈿音も続く。
「フー?ちょっとぉ俺の方が先なんよぉ」
スリは鈿音に慣れていない様子で掴みかかろうとした。
オオカミは一直線にスリからぷるウォをかじり取ると、腕をかじってスリを引きずって店の外に出た。
老人はほとんど開いていない目を閉じて、部屋の鍵を鈿音に渡した。
「そう。その部屋。開けて。」
鈿音は階段の先の1番奥の部屋のドアを開けた。
「何ここ。アパートのまんまこういう店にしてるの。」
「そうよ。営業もするし、気に入ったお客さんは自室に案内するの。ここはね、設備が違うわ。」
女性はビニール袋から酒を取り出して、部屋の冷蔵庫に入れた。
「で。あなたは?私に用があって来たんでしょ。どう?」
女性は部屋で明らかに仕事着ではない格好のままベッドに座った。
「ハハ。いいえ。私はSでもMでもないわ。私はLです。」
「昼に会ったから、当たっていると思ったのに。超恥ずかしいわ。」
「でも、興味はあるわよ。あなた職についているのよね。この世界で。」
女性は警戒し始める。〔この世界で?〕
「当たり前じゃない?もう長いことこの店にいるわよ。」
「そうなの。でも、受付の写真とか最近の加工をしてもらっている感じだけど。」
「先月に盗まれたの。だから新しい写真を撮ったの。」
鈿音はこの女性を試すために、この問答を続けることにした。
昼に会ったときの女性の言葉と、スリの発言で、目の前の女性が拉致されたことは確定している。
あとはこの女性の警戒心や、判断力を知り、自分の代わりに警察官をこの世界から追い出してもらおうと考えていた。
「あなた。今までの自分の人生が、全て嘘だったと知ったらどうする?しかも、誰かが作ったものかもしれないの。」
「急ね。そうね。考えても仕方ないと思うわ。だって、それって災害で全てを失うことと同じな気がするもの。」
「うんうん。あなたは、香水をつけているのね。いい香り。どんなの使っているの。見せて。」
「ああ。これ。ごめんなさい。使い終わって空き瓶は捨てたわ。名前だけ。『ラフロレーシア』」
女性は適当にありそうな香水の名前を言った。
「あら?その香水なら私も使ったことあるわ。この匂いじゃないわ。」
「私。間違えたわ。これは前の前の香水の名前だったわね。今日使ったのは……」
「あら!あれを見て!私の犬がさっきの入り口にいた人を襲ってる!倒れているわ!」
鈿音は窓のカーテンをわざとらしくめくってオオカミがスリにストレスをぶつける様を眺めていた。
「ホントじゃない!大変だわ。」
「警察を呼ばないと。緊急連絡をしなきゃ。私はあの子をなだめなきゃ。電話しながら一緒に来て!AEDの場所分かる?」
「うん……分かったわ……待ってね」
緊急連絡に必要な要素。それは住所だ。この建物の性質上、女性が周辺の地理を知らないのはおかしい。
しかし、拉致されたのだとしたら、2日しか経っていない状況で緊急時の対応は難しい。
鈿音は女性の動きをじっくり見ようとした。
「どうしたの。早く教えて。」
「うん。あのね。近くにあるAED……いや。違うわ。これよ!」
女性はSM用の蝋燭を万が一の時に正規の使い方をするとき用の燭台と、スタンガン、それからSMプレイ用の体を縛る器具を持った。
「患部はこれで止血。この2つでAEDの代替になるはず!とりあえずこれで……」
AEDの再現など、ほとんど急ごしらえで実際には使いものにならないだろう。
女性のどうにか自分がぷるウォを持っていることを隠すための苦肉の策だった。
鈿音は強引なこの策に感心した。
(AEDの場所を検索しそうになった時、私の考えを読んだのか、冷静に発言を変えてきた。しかもこの子は諦めなかった。)
「いいわ。とりあえず。ぷるウォがあるなら、私の話を聞いてちょうだい。ここからが本題よ。座ってね。あなた、ここで働いているってことは、大した能力じゃなかったわね。」
女性は心配と不安で青くなりつつ、ベッドに倒れ込んだ。
「言ってることが……分からないわ」
「あっそ。私は、あなたの言ってること以上のことが分かるから。続けさせてもらうわ。私のぷるウォにね、能力を変更させる力があるの。あなたの役に立つと思うわ。」
「信用すると思う?」
「はいこれ。担保ね。」
鈿音は、オオカミになっている若者のぷるウォを女性に渡す。
「これ。私の連れのぷるウォよ。あなたが持ってていいわ。」
「連れってあのハスキー!人なの!」
「あんたも能力あんでしょ。この世界で起きてる不思議は例外なく能力だと思うわ。」
「ループしてるハロウィンも?この状況も?」
「うん。多分ね。で、あなたの能力が役に立ちそうなら、協力してほしいの。私は、この世界に拉致されてした警察官を送り返す役割に選ばれたの。何故かは分からないわ。」
「あなたの能力が役に立ちそうにないなら、この話は無しでいいわ。でも、考えてみなさい。あなたはこの世界がこのまま安全な場所である保証はないわ。早く強い能力を得て脱出すべきよ。」
「……とりあえず。私はあなたの話に一枚かめばいいの?」
「その気になった?」
「正直、このお店は気に入ったわ。現実に戻ってもここで働きたいかも。」
「名前、教えてくれる。」
「海豚 薔薇{いるか ばら}よ。」
「薔薇ちゃんね。行きましょう。」
鈿音は頭の中で豚バラ肉について考えていた。
店を出ると、スリが道に引きズリ回されてずたぶくろになっていた。
「返しなさい。」
オオカミは鈿音のぷるウォを咥えて離そうとしない。
「何よ。あ!そうか。あなたのぷるウォね。この人が持ってるから。」
オオカミは自分の大切なぷるウォを、鈿音があっさりと他人に渡したことに対する衝撃で開いた口が塞がらなかった。
「隙あり!」
鈿音がよだれのついたぷるウォを取り、ズボンで拭いている。
オオカミは必死に薔薇に体をこすりつけて甘えた。
内心では鈿音のこれまでの所業に涙だった。
「じゃあ、約束通り。」
鈿音はオオカミとの約束の前に薔薇のぷるウォと自分のぷるウォを重ね合わせた。
鳥居から金色のエナメルボンテージ姿で、身につけている羽衣を従者に振るいながら、神輿に乗ったホログラムが出てきた。




