第五十五話
以外なことに若者は警察署まで着いてきた。
「私、ここお家だから。」
鈿音は若者の顔を楽しみに見ていたが、様子がおかしい。
「うーんとね、あの、実際ねw俺は真面目にあんたん家に泊めて貰いたいのよ。月をこの目で見たらヤバいの。昨日は夜に日傘をしたんだよねw」
男の被っていたキャップから耳のようなものが生えてきた。
「分かる?俺は、この世界の人間からね、外れた存在なんよw責任とれよ!」
薄暗い空にはまだぼやけた月が出ていた。ただのバレーボールのようだった。
「駄目だ。せめてここから離れないと。めちゃくちゃやな奴に会った!」
鈿音は若者の変身スピードが遅いことに気がついた。普通のスピードの10分の1くらいだ。
若者の顔が前に突き出る。ひょっとこのようだ。
男のズボン、尾てい骨の辺りから尻尾が出ていた。瞳孔は月の代わりに黄色い光を放ち、男は少しずつ逆ダーウィンの進化論のように歩き始める。
「つまりね、俺は野犬になる。このまま。笑えないw」
鈿音は興味なく警察署を眺めていた。この中に行けば、1人くらい自分のターゲットがいるんじゃないかと。
若者は2本足で体を支えられなくなり、四つん這いになった。
正直、キツネのウンヌンカンヌンに飽きてきた。今や戦いの意味もない。自分に対しての興味もない。
作り物だって過去があるのに変わりはない!
鈿音は思う。
(悟りって、もしかして開き直り?)
若者は、警察署の前で随分とゆっくりとハイイロオオカミになった。
「ハア。首輪とリード買ってやるわ。服と、その腕時計も持ってあげる。ペットショップってこの時間に開いてるの?」
鈿音は仮装した人間に絡まれる地獄に耐えて、ペットショップに到着した。
買い物中、オオカミは昨日会ったヤバい奴にこの日も会ったらしく小便をかけようとしていた。
「はい、とりあえずこれつけるわね。」
鈿音は『なんくるなくもないさー』の絵の入った可愛い首輪とハブ柄のリードをオオカミにつけた。
めちゃくちゃ抵抗された。
「それで?あんたは何で踊っているの?」
鈿音はオオカミの小便をまんまと引っかけられた男に声をかける。
「わたくし!ここでオオナマズさんを起こしてやりたいんです。この惨状を無に帰すことこそ、真の妖怪たちの楽園に…」
「下水道からの方が効果あるわよ。」
「わたくし!そう思います。」
男はマンホールを剥がそうと躍起になり始めた。ガリガリの体が無様に揺れるもマンホールはびくともしない。
「行きましょう。あれ?」
鈿音は違和感を感じた。オオカミに首輪をつけたところを撮影しようとするもぷるウォがない。
ハロウィンでオオカミをハスキー犬だと言って説得していた時に、誰かに取られたらしい。
「あんた。リード着けるときも抵抗しなかったし、いい子よね。」
鈿音は警察犬より、いや、目の前にいるのは世界で1番賢い犬だということに気づいた。
「私と取引しない?あなたの能力を変える力があるのよ。私は。」
オオカミの瞳孔が広がる。ダサいリードを着ける時に、殺すつもりで引っ掻いても、喉に噛み付いても変にニコニコしているこの女の謎が解けた。
と同時に怖くなった。この状況で相手にぷるウォを取られている。しかも、この女は明らかに変な形のぷるウォを持っていた!
でも、その相手も今はぷるウォを失っている。やることは1つ、コイツより先に見つけて、コイツのぷるウォをコッチの物にする!
オオカミは従順なフリをする嘘をついた。
頷くように首を動かす。
「よし!名前は。」
オオカミは鈿音からスマホを奪い、鈿音の顔認証をした後、肉球を使ってメモに名前を書いた。
"糸月 輝々 {いとつき てるてる}"
「じゃあ、あんたの名前、"穀潰し"にするわ。私の犬を飼う時につけたかった名前なの。」
オオカミは、何でコイツに限って俺と同じ拉致された存在なのか、と神を呪った。
絶対に戦って、コイツを噛み殺すと決意を固めた。
「でさ?犯人は外国人かな。鳥居とか好きそうじゃない?」
オオカミは差別はいけないと首を振った。水を払う動きにしか見えなかったが。
「とりあえず、私の匂いを覚えて。それが早いわよね。」
オオカミは匂いを覚えた。米ぬかの匂いがした。
梅干しの匂いも。
「じゃあいい?スリハントよ。最悪死刑よ。」
この人間の臭気の渦で1人を捜せるのだから、犬はスゴイ。
「順調じゃない。穀潰し!いいわよ。穀潰し!」
そのままオオカミは一直線で渋谷の繁華街のさらに奥にたどり着いた。
"SMプレイ専門店 『YOU LUCK』"
その前に立つ冴えない男小太りだった。全身が黒いガムテープで縛られているような格好だ。
「このプレゼントで彼女のお気に入りになるぞ。こういうのは働き始めのタイミングがいいんだ。昼も気分で切り上げられたし、今度こそ全てを消化し切ってやる。んふんふんふん。」
男は店に入っていった。
「フー。うん。死刑ね。」
鈿音の目は無慈悲のようで、ドライアイより乾いていた。オオカミも一切の反論なく頷いた。
1人と一匹狼は扉を開ける。
「あの!さ…スァ…サディスティック御前をお願いします。」
「今はね、休憩中なのです。もうちょっと待ってくださいね。」
受付にはシャツに蝶ネクタイの老人がほとんど開いていない目で応対していた。
「うん?オオカミの匂い。困りますね。ペット同伴は。」
老人がしかめたような気もする顔でこちらを覗く。
1人と一匹狼はピクリとした。まだ扉を開いて入るか入らないかの距離だ。
「不躾ながら、横の方いいですか?私ここに戻って来た者なんです。通らせて頂きます。」
ラブホテルで会ったおかしな格好をしていた美人が後ろに立っていた。
ちゃんとした格好なのでより一層美しかった。
オオカミは地面に腰を擦り付けていた。




