■一〇月八~九日 鹿鳴館學園平民女子寮
ボクね、儚内薄荷だよ。
目が覚めた。
はっとして、上半身を起こし、辺りを見回す。
ベッドの上だった。
皇立鹿鳴館學園の平民女子寮、地下一階にある自室だ。
床が抜けたりは……していない。
枕元のゼンマイ時計を見たら、夜中の一時過ぎだ。
まるで、なにもかもが、夢の中の出来事みたいだ。
でも、『真の最終決戦』の第一ラウンドが終わったという自分の記憶に、間違いはないと確信できた。
となれば、第一ラウンドは昨日の出来事だ。
つまり、今日は、一〇月七日ではなく、八日だ。
一〇月七日にあったことへ意識が向きかけて……北斗拳斗に接吻されたときの感触が蘇ってきた。
気色悪い舌の動きや、ニンニクっぽい口臭まで蘇ってくる。
口を押えて、洗面所に駆け込み、激しく嘔吐いた。
呼吸もままならない。
まずい。
この状態は、トラウマイニシエーション直後の自分と、一緒だ。
あの時は、口腔を穢されたどころか、全身ズタボロだった。
母と、妹と、それから幼馴染みの女の子が、懸命に介抱してくれた。
それでも、立ち直るまでに一カ月かかった。
就労実習先の落下傘工場も、長期欠勤せざるを得なかった。
『ダイジョウブ、ダイジョウブ』と、自分に言いきかせる。
深呼吸をして、過呼吸を回避する。
今回は、たかだか不良男子一名に、接吻を強要されただけだ。
ボクだって、いろいろ経験して、強くなっている。
それに、もはやイジイジと自己憐憫していられる状況じゃないし……。
洗面器を抱えてベッドに戻ろうとしたら、「リリン、リリン、リリン……」と、學生寮の内線である白電話が鳴った。
内線だから、學生寮内か、一階フロント来客からの電話だと、分かる。
だけど、ベルの音だけじゃ、誰が掛けてきているのかは、分からない。
それでも、ボクが、學園が決めた7474号室ではなく、平民女子寮地下にある従業員用のこの部屋で寝起きしていることを知っている者は、限られる。
ホントは、電話に出られるような心境じゃない。
でも、重要な連絡かもしれない。
目をギュッと瞑って、意を決し、受話器を取った。
「もしもし、ピンクちゃん……良かった……やっと、電話が繋がった。ピンクちゃん、生きてるよね。平民女子寮の床、抜けてないよね」
科學戦隊レオタン『旋風グリーン』の西戎広目さんの声だ。
「あっ、グリーンさん。科學戦隊レオタンの正隊員四人は、みなさん無事ですよね? まさか、最終決戦の第一ラウンドが終わったところで、一週間後の第二ラウンドまで、あの地下空間で、時間凍結されてたり、なんてことないですよね」
「四人とも、元気だよ。気がついたら、科學戦隊基地の地下施設に戻されてた。あの地下施設は、最終決戦開始と同時に倒壊したはずなのに……不思議なことに、なにひとつ破壊されていなかった。ただ、五台の戦闘車両だけが、どこかに掻き消えてる。白桃撓和大佐によれば、『変革』による物語分岐だから、一〇月一四日になって第二ラウンドが始まれば、ピンクちゃんを含む全員が、戦闘車両に乗った状態で、皇都トリス地下迷宮に舞い戻っているはず、だってさ」
「なんというか、週一の連続テレビ番組か、ゲームのセーブポイントみたいですよね」
電話越しに、グリーンさんと二人、力なく笑いあった。
「あれっ、科學戦隊レオタンのみなさんが、科學戦隊基地に戻されたんだとしたら、グリーンさん、この部屋に、どうして電話できてるんですか? これって、學生寮の内線電話ですよね」
「実は、ピンクちゃんのことが、心配で、心配で、僕だけ、鹿鳴館學園へ一時的に戻らせてもらった。真っ先に、薄荷ちゃんがいる平民女子寮に押しかけて、入れてくれって粘ったんだけど、男子禁制だって突っぱねられてさぁ」
ボクは。平民女子寮に入れる男子は、名誉女子である『セーラー服魔法少女』のボクと、學園の女生徒用プリーツスカートを履いた『見習い魔女』である喇叭拉太だけだと説明した。
「どんなに粘っても、平民女子寮に入れてもらえなくて、仕方ないから、貴族男子寮の自室から、薄荷ちゃんの部屋へ、時間をおいて、何度も電話し続けてた」
う~ん、心配してくれたのは嬉しい。
だけど、うまく言えないんだけど、その執拗さが、ちょっとだけ、気色悪い。
ボク、これまで何度か、グリーンさんから交際を申し込まれてる。
その度に、キッパリ断わり続けているけど、グリーンさんは、きっと、まだ、諦めていない。
グリーンさんの声が、ちょっとだけ改まる。
「ピンクちゃん、よかったら、僕と一緒に、文化祭を巡ろうよ。あのね、『カード占いの館』っていうのがあってね、『占い』と言いながら、『縁結び』までやってるんだって、どうかな」
いくら鈍いボクだって、ちゃんと分かる。
これは、デートのお誘いだ。
ボクは、激しい目眩に囚われて、目を瞑った。
目を瞑っているのに、自分自身を含む空間が、グニャグニャに折れ曲がっていく。
平衡感覚が、おかしくなってるみたい。
ボクは、一〇月になってから、やっと、『科學戦隊レオタン』番組の再放送を、視聴した。
そして、八月の『エイチの塔』事件の最後、『蟲の皇』に襲われて、自分が気を失っている間に、何があったのかを知った。
あの時、女体化したまま形而上の存在へと抽象化しつつあったボクを、形而下の卑近な物語の中に堕としめるため、グリーンさんは緊急救命措置を行った。
具体的に言おう。
グリーンさんは、意識のないボクに、接吻したんだ。
それも、思いっきり、ブチューッと……。
分かってる。
あれは、ボクを救うための行動だ。
だけど、それは、一昨日、拳斗がボクにやったことと、全く同じ行為だ。
そこに、トラウマイニシエーション時の、逃れようのない記憶が重なってくる。
ボクは、片手に受話器を握ったまま、ベッドに突っ伏し、手にしていた洗面器に向って、嘔吐いた。
ボクは、言葉を紡ぐ余裕もなく、受話器を、電話機本体に、ガチャリと落とした。
やってしまった。
それは、いつもボクのことを心配し、勇気づけてくれるグリーンさんに対し、とんでもなく失礼な行為だ。
もはや、合わせる顔がない。
そして、吐き気が止まらない。
もう、胃の中には、吐けるものが残ってなくて、胃液だけが絞りだされる。
☆
午後になって、女子寮への特別立ち入りが認められている喇叭拉太が、ボクの部屋の前までやってきた。
新水泳部の男子部員十数名を引き連れて、ボクの様子を見に来てくれたのだ。
拉太が、ボクの部屋のドアをノックして、声を掛けてくる。
「おーい、薄荷、生きてるか? 『旋風グリーン』さんが、なんか、すっごく、取り乱してて、心配だから様子見てきて欲しいって、オレに電話してきたぞ」
ボクは、ドアを開けずに、返事する。
「拉太、ゴメン。今はムリ。ちょっと、男の人は、ムリ。」
ドアの向こうに、オトコがいると思うだけで、震えてしまう。
「オレとオマエは、スカート仲間だろ。それでもダメか?」
「ス、スカート仲間……。ゴメン……やっぱり、ムリ」
一瞬、女装を強要されている者同士ならって、考えた。
だけど、拉太って、スカートの下は赤フンで、猛々しい男なんだよ。
だから、やっぱり、ムリ。
☆
「薄荷ちゃん、入るんよ」
翌、九日の朝、そんな声がして、部屋のドアが、ガチャリと解錠された。
ボク以外で、この部屋の鍵を持っているのは、金平糖菓ちゃんだけだ。
実は、ボクと糖菓ちゃんは本来相部屋で、この平民女子寮の、7474号室を割り当てられている。
そのため、7474号室については、糖菓ちゃんだけでなく、ボクも、ドアに生徒徽章を翳しさえすれば、入室できる。
一方、ボクが居住している、地下にあるこの部屋は、職員用のもので、鍵で施錠する。
で、ボクは、この部屋の鍵を、糖菓ちゃんにだけ、渡している。
理屈になってないけど、互いに入室可能な状態にすることで、ボクなりに、公正であろうとしているからだ。
糖菓ちゃんは、いきなりドアを開け、ボクの部屋に押し入ってきた。
ボクは、「キャッ」と声をあげて、掛布団の中に隠れようとした。
糖菓ちゃんは、そんなボクを、布団の中から、強引に引っ張り出す。
カクカクと震えて、意識を手放しそうになっているボクを、ギュッと抱きしめた。
糖菓ちゃんが、優しく、ボクの頭や、背中を、摩ってくれる。
やっと、ちゃんと呼吸ができるようになって、安心感に包まれる。
男の人に触れられるのは恐怖でしかないのに、どうして女の人に触れられると、こんなにも安らげるんだろう。
この安心感は、まるで薄明母さんに抱きしめられたときみたいだ。
糖菓ちゃんって、ホント強くなったなって思う。
それに比べて、ボクなんて、どこまでいってもダメダメだ。
「薄荷ちゃん、明星様も、レンゲさんも、綾女ちゃんも、みんな心配してるん。実際、『真の最終決戦』第一ラウンドの生放送で、薄荷ちゃんが拳斗に襲われて、地下迷宮に落とされたときは、レンゲさんに転移してもらって、四人で地下迷宮へ乗り込もうとしたん。でも、一度もいったことのない場所だしムリだったん。レンゲさんが言うには、どうやら、あそこは、行ったことがあったとしても、転移できない場所らしいんよ」
「そんで、今日だって、ホントは、みんなが来たがってたんよ。けど、うちがムリ言って、うちが代表として、一人でここに来ることに、させてもらったん」
糖菓ちゃんが、じっと、ボクの目を見つめてくる。
「薄荷ちゃん、誰にも知られたくないことは、秘めてていいん。ただ、いまの状態とか、話せることだけでも、とにかく聞かせて欲しいん。うちなんかでは、役に立てないけど、それでも、話すと楽になれるんよ」
☆
糖菓ちゃん、ボク、吐いても吐いても、お腹の中に染みついた拳斗の穢らわしい唾液が取れないの。
どうしてって、思ったら、トラウマイニシエーションの記憶が、フラッシュバックして――。
ああ、ボクって、とっくに、たくさんの男に穢されてて、穢れきった生ゴミなんだって、自覚して――。
ボクが徴兵検査で、癸種『廃棄』だったのって、当然のことだよねって、納得した。
こんな、ばっちいもの、捨てるしかないんだよ。
ボク、どうして、こんな成長不良の、不良品に生まれてきたんだろうって、自分を殴りたくなった。
そしたら、ね、思い出しちゃったんだよ!
自分が『この世界』に転生してくる前の、『あの世界』での記憶を――。
ボクって、そもそも、『あの世界』でも、不良品だった。
ほんとうに、ぼんやりとした、自意識の薄い、オンナノコだった。
そうなの、ボク、『あの世界』ではオンナノコだったの。
でね、『あの世界』のボクを、凌辱して、完全に壊して殺したのが、召喚前の拳斗だったの。
ボクって、転生前から、拳斗に、穢された汚物だったの。
転生者でありながら、転生前のことを、なにも思い出せないわけだよね。
自分自身で、必死に、穢れきった臭い自分に蓋してたんだから――。
☆
糖菓ちゃんが、更に強く、ボクのことを抱きしめてきた。
今頃気がついたんだけど、糖菓ちゃんって、スク水一枚しか着てないから、まるで裸で抱きしめられているみたいに、肌の体温とが伝わってくる。
「薄荷ちゃん、聞いて。召喚と転生は違うんよ。召喚者は、その肉体とともに、『あの世界』の善行も悪行も抱えて、『この世界』にやってくるん。だけど、転生者は、肉体ごと、『あの世界』とは別人なん。『この世界』で生まれた人間の脳内に、別人の記憶があるってだけなん。だから、薄荷ちゃんが、前世の自分を、今世に引き摺ることなんてないんよ」
「それから、薄荷ちゃんは、汚れてなんていないん。だって、なにひとつ、自分に恥じるようなことはしてないん。だから、自分を曝け出して、正々堂々生きればいいんよ。そもそも、うちら『服飾に呪われた魔法少女』はね、恥ずかしい恰好の自分を曝け出して生きるしかないんよ」
その言葉は、『スクール水着魔女っ子』である糖菓ちゃんに言われると、圧倒的な説得力があった。
だって、糖菓ちゃんの恰好は、『服飾に呪われた魔法少女』のなかでも、飛び抜けて恥ずかしいものだから――。
「嫌いなヤツから強要された仕打ちなんて、ノーカウントなん。だから、薄荷ちゃんのファーストキスの相手は、誰もが羨むスイレンレンゲさんなんよ」
いや、あれって、『聖女親衛隊』に汚れた下着でぐるぐる巻きにされて、魔力枯渇と呼吸困難で死にかけたときの、人工呼吸だよ。
ボク、あのときだって、意識もなかったし、人工呼吸だって、キスとしてはノーカンだよね。
……と、ここまで、考えて、ボクは、自分の心が、ずいぶん軽くなっていることに気がついた。
「だったら、うちが、薄荷ちゃんが、かつて強要され奪われた『はじめて』を、すべて、能動的で望ましい『はじめて』に塗り替えてあげるん」
糖菓ちゃんが、そう言って、ボクの上に、のしかかってきた。
「うちら、魔女は、百年に渡って、迫害され虐殺たれてきたん。うちらだけでなく、虐げられている民の先頭に立つ義賊や、貶められた者たちの受け皿である魔族も同じなん。この夏、うちは、仲間の協力で、一族の仇である河童水軍を討ち果たしたん。そして、そのときに、これからは、みんなの先頭に立って、仲間を救うって誓ったん」
「うちにとっての河童水軍が、薄荷ちゃんにとっての北斗拳斗なん。だから、薄荷ちゃん、一〇月一四日の『真の最終決戦 第二ラウンド』では、必ず自らの手で、拳斗を討ち果たすんよ。それを約束してくれるなら、うち、うちの『はじめて』を、きょう、ここで、薄荷ちゃん」にあげるん」
ボクは、この時になってやっと、ボクの部屋に来ることを、明星様と、レンゲさんと、綾女ちゃんが辞退し、糖菓ちゃんに譲った本当の理由に思い至った。
~~~ 薄荷ちゃんの、ひとこと次回予告 ~~~
■一〇月一〇日 糖菓ちゃんとデート
ダメだからね。
昨夜何があったかなんて、ゼッタイ、教えないからね。
でも、ボク、糖菓ちゃんのお陰で、立ち直ることができた。
しかも、今日は、糖菓ちゃんとデート!
ボク、生まれて初めて、生きてて良かったって思えたよ。




