第三十四章 市民美術展覧会
――新潟上越地方の海岸線。
奉生はジーンズのポケットからジッポのオイルライターを取り出すと、日本海から吹き込む浜風に背を向けて煙草に火をつけた。そして、鉄筋コンクリートの白い建屋を見上げた。
《市民美術展覧会》
《期間:XX月XX日~XX月XX日》
《開館時間:午前九時~午後五時 入館は閉館の三十分前まで》
建屋の正面玄関には《市民美術展覧会》と書かれた木の看板が掲げてあり、展覧会の受付スタッフが座っている。
美姫が建屋の前に立って施設を眺める。
「この建屋の敷地は結構広いわね」
「そうだろう、ここはホテルだからね」
「ホテル?」
「そこに昔の建屋の名前が書いてあるから見てごらん」
「旧陸軍保養施設高山館跡……」
奉生が玄関前の芝生に埋め込まれた小さな杭を指差すと、美姫はしゃがんで杭に刻んである文字を指でなぞった。
「この場所に昔は木造二階建ての洒落た洋風ホテルが立っていたんだ。木造の建屋はXXXX年に火事で焼失して、今は鉄筋コンクリートの建屋になっているけどね」
「そうなの、今の建屋は近代建築だから、そんな面影は全くないわね」
奉生が美姫の背後から声を掛けると、美姫は立ち上がって白い建屋を眺めた。
――午前八時五十分。
龍星は市道の交差点で車のハンドルを切ると、狭い路地を通り抜けて港町の旧街道をゆっくりと走った。旧街道は緩やかな坂道になっていて、道路の左右には寂れた町家が立ち並んでいる。
「この街は寂れているけれど、とてもいい感じね。雁木のある町家とか、土蔵造りの寺院とか、まるで江戸時代にタイムスリップしたみたい。あの建屋なんて昔の武家屋敷よね」
優海は助手席の窓を開けると、古い建屋を指差して物珍しそうに街の風景を眺めた。
「俺はこの辺りの生まれだから、この風景が当たり前なんだけど、優海ちゃんには斬新に映るのかも知れないね」
「ええ、私にはこの古風な街並みがとても斬新に映るわ」
(でも、何だか懐かしい風景の様な気もするわね……なぜかしら……)
優海が振り向いて後部座席の小雪に視線を向ける。
「彼女、爆睡してるだろ」
「そうね、小雪さん、お疲れみたい。ホステスって大変な仕事よね……」
「そうだな、でも、ホステスは日給がいいからね」
「日給って、どれ位貰えるの?」
「まあ、この辺りの人気ホステスなら日給三万円ってところかな」
「えっ、三万円も貰えるの? じゃあ、私もホステスのバイトやろうかしら」
「おいおい、冗談だろう? 優海ちゃんがホステスなら俺は給料を全部注ぎ込んじゃうよ」
「ふふっ、冗談よ、私、接客業は向いてないから」
優海は振り向いて微笑むと、右手を小さく振って龍星に答えた。
車が寂れた街を通り抜けて旧街道の緩やかな坂道を上りきると、視界が急に開けて窓の外に日本海が見えた。
龍星が車のハンドルを右に切る。
旧街道から細い小道に入ると、龍星は次の交差点でもう一度ハンドルを右に切って、港に続く海岸線を走り始めた。しばらくすると、右手に鉄筋コンクリートの白い建屋が見えた。
「あっ、いたいた、美姫ちゃんだ」
龍星が車を徐行して建屋の前で車を停車する。
「美姫ちゃん、おはよう」
「龍星さん、おはようございます」
龍星が車の窓を開けて美姫に挨拶をすると、美姫は建屋の正面玄関で龍星に手を振った。
「俺は駐車場に車を停めてくるから、優海ちゃんは先に降りていいよ」
「OK、じゃあ、私、先に降りるわね」
優海が助手席のドアを開けて車を降りると、龍星はシートベルトを外して後部座席の方に振り向いた。
「小雪ちゃん、着いたよ、起きて、起きて」
「ん……んんっ? 着いた? 何処に?」
「高山リゾート」
「高山リゾート? 何それ?」
「自衛隊の保養施設さ」
「…………?」
小雪が眠そうにまぶたを擦りながら大きく伸びをして、ふわぁ~とあくびをする。
「奉生君は?」
「あっち、建屋の中よ」
優海が美姫に奉生の居所を尋ねると、美姫は右手を上げて市民美術展覧会の会場を指差した。
奉生は先に会場の中に入っている様だ。
しばらくして、龍星が正面玄関にやって来ると、四人は受付スタッフからパンフレットをもらって建屋の中に入った。一階のエントランスに小さなエスカレーターがあり、四人はそれに乗って二階に上がった。二階に上がると、右手に《第一会場》と書かれた大きなドアが見えた。
「うわっ、何これ! 凄く広くて豪華じゃん!」
小雪が胸の前で小さく両手を上げて会場を見回す。
美術展覧会の会場は建屋の二階にある大小宴会用のホールを全て貸し切りで使用している様だ。ホールの天井には豪華なシャンデリアが設置されていて、壁には中世ヨーロッパの城をイメージさせる西洋風の見事な彫刻が施してある。
「この保養施設は明治時代に陸軍将校や皇族の宿泊用として建設されたんだよ、そして、第二次世界大戦以降に、この建物は自衛隊の管理物件になったんだ。建屋は一度焼失して立て直したんだけど、使用目的は今も同じで、自衛隊の上級士官や皇族のリゾート施設になっているのさ」
「そうなんだ、でも、なぜ、ここで美術展覧会なんかやっているわけ?」
「美術展覧会は自衛隊の宣伝活動の一環で、この施設を一般開放して地域貢献しているんだよ」
「へぇー、そう言うことか」
小雪が龍星の話しに感心して、目をパチパチとさせる。
「しかし、それにしても、この建屋は豪華よね、片田舎のこんな場所に国が税金をかけているなんて信じられないわ」
「これは内緒の話しなんだけれど、ここは日本軍の重要拠点なんだよ」
「はっ、日本軍の重要拠点? ここは保養施設なんでしょう?」
優海が龍星の顔を見てきょとんとする。
「それは表向きの話しで、その昔、この建屋はロシア方面の攻略作戦司令室だったんだ。そして、今は自衛隊の秘密防衛司令室なんだよ」
「ええっ!」
三人が同時に声を出して驚く。
「と、まあ、そんな話しはどうでもいい事なんだけど……奉生君は何処に行ったのかな」
龍星は中途半端に話しを切り上げると、会場の中に入って展覧会の作品を眺め始めた。




