第十六章 アジアの片隅
――一九九九年八月。シンガポール。高層ビルが立ち並ぶマリーナベイ。
《『The hawk of Asia』The movie completion celebration party》
《『亜洲的鷹』電影完成慶祝会》
《『アジアの鷹』映画完成祝賀会》
高級ホテルの最上階にある華やかなパーティー会場の入口には、英語と中国語と日本語で書かれた大きな宴会案内板が掲げてあり、会場内はアジアの映画関係者で埋め尽くされている。
映画撮影の打ち上げパーティーが終わると、裕二は高速エレベーターで一階に下りてホテルのエントランスに向かった。
監督や有名映画俳優がホテルのエントランスで芸能記者のフラッシュライトを浴びながら、次々と送迎用の高級リムジン車で夜の街に消えて行く。
裕二はホテルのエントランスを出て、宿泊先の安ホテルに戻ると、軽装に着替えて一人でチャイナタウンに向かって歩き始めた。
真藤裕二。二十七歳。
彼は映画俳優養成所に入所して一年目の新人俳優である。
当然ながら、映画の配役は“ちょい役”程度で、まともな出演料は貰っていない。
「チャイナタウンまで歩いて行くか……」
裕二はポケットに手を突っ込んで手持ちのシンガポール札を数えた。
高層ビル街を抜けて、シンガポールリバーサイドを歩くと、水上レストランや洒落たカフェバーがあり、リバーサイドの夜景を楽しむ若いカップルや家族連れの観光客で賑わっていた。
通りには、中華料理、マレー料理、インド料理はもちろん、日本料理や本格的なイタリアン、フレンチのレストランが立ち並び、右手に見えるシンガポールリバーの水面にはナイトクルーズの観光客を乗せたリバーボートが派手な照明を点灯させて往来している。
「いかがですか?」
レストランの客引きがカタコトの日本語でメニューを差し出すと、裕二は微笑みながら右手を軽く上げて誘いを断った。
シンガポールリバーサイドを逆上って、セントラルの手前で左に曲がると、彼はニュー・ブリッジ・ロードを真っ直ぐに歩いてチャイナタウンを目指した。
――ニュー・ブリッジ・ロードを十分程歩くと、目前にチャイナタウンが見えて来た。
「パゴタ・ストリート……この通りを曲がってみるか……」
裕二が複雑に入り組んだチャイナタウンの街中に入る。
「不思議な街だな、夏祭りの夜店みたいだ。なぜチャイナタウンにヒンドゥー教の寺院やイスラム教のモスクがあるんだろう……?」
裕二は物珍しげに街の風景を眺めた。
通りには摩訶不思議な品物を売っている露店や雑貨店がひしめき、世界中から訪れた観光客やローカルの人々で賑わっている。そして、薄黄色く光る照明に照れされた街は活気に溢れ、アジアの底知れぬエネルギーで満たされている。
細い裏路地を横切って隣の通りに出ると屋台街があった。通りの真ん中にはテーブルがずらりと並んでいて、屋台の客達がテーブルに座って食事を楽しんでいる。
「スミス・ストリート……XXX番地……」
裕二がメモに書かれた住所を確認しながら通りを進む。
しばらく歩くと、今にも潰れそうな古臭い建屋の一階に《占》と書かれた看板が掛かっている店があった。
「あった、これだ! この建屋の二階だ!」
裕二が建屋の薄暗い階段を上って二階に向かう。
二階のドアには《Astrology Shop》《占》とペンキで塗装してあった。
裕二がメモをポケットに入れ、ドアをノックしようとして右手を上げると、ドアが勝手に開いた。ドアの向こう側には、幼年の男の子が立っている。
「いらしゃいませ、リズ先生がお待ちですよ」
男の子は丁重に頭を下げると、裕二の顔を見て嬉しそうにニコッと笑った。そして、裕二が玄関の中に入ると、彼はくるりと後ろを向いて、廊下の奥に向かって歩き出した。




