第8話:傲慢なる上位クラスと、残酷な実力差
「おい、そこの落ちこぼれ共」
ボロボロの装束を纏った男が、俺たちの紅茶の香る机に影を落とした。
整った顔立ちが、屈辱と怒りで憎々しげに歪んでいる。
「運よく雑魚にしか出くわさなかったんだろう。それを安全圏からコソコソ狩って……それのどこが実力だ」
周囲を取り囲むように、他の上位クラスの生徒たちも次々と集まってくる。
泥と血にまみれた彼らは、殺気立った様子で俺たちを睨みつけていた。
「俺たちが命懸けで戦っている裏で、のんびりお茶会とはいい身分だな」
「大方、魔法陣にでもズルをして、記録を誤魔化したんだろう」
事実無根の憶測が、次から次へと積み上げられていく。
俺は言葉を返す気力もなく、ただ紅茶のカップを見つめた。
危険な魔物を避けただけだ。戦わなくて済むなら、そのほうがいいに決まっている。なのに、なぜ根も葉もないことまで言われなきゃならないんだ。
「リオ様への侮辱、看過できないな!」
セドリックが椅子を蹴倒して立ち上がる。アリアも青ざめた顔でノートを握りしめ、鋭い視線を男たちに向けていた。
反論しようと口を開きかけた、その時だった。
「グルルル……」
安全地帯へと続く通路の奥から、低いうなり声が響いた。
空気が変わる。鼻を刺す強烈な獣の臭いが、一瞬で紅茶の香りを掻き消した。
「ッ……なんでここまで追ってくるんだよ!」
上位陣の顔から一瞬で血の気が引く。
暗闇から姿を現したのは、血の匂いを嗅ぎつけたブラックウルフの群れだった。
黄色い瞳をギラつかせ、鋭い牙から涎を垂らしながら、十数体の魔物が俺たちを囲い込むようにジリジリと距離を詰めてくる。
「退け! ここは安全地帯のはずだろ!」
「くそっ、戦える魔力は残っていない……! このままじゃ全滅だ!」
悲鳴が上がり、上位クラスの生徒たちが我先にと一斉に後ずさる。
パニックに陥った上位陣のリーダーが、狂乱した瞳で周囲を見渡し、そして俺を視界に捉えた。
「悪く思うな! お前なら魔力もないし、囮くらいにはなるだろ!」
叫び声と同時に、彼の泥だらけの手が俺の胸ぐらを掴み、容赦なく魔物の群れのど真ん中へ向かって突き飛ばした。
「うわっ!」
体勢を崩し、冷たい石畳の上に無様に転がる。
眼前には、涎を垂らしたブラックウルフの巨大な顎。生臭い息が肌に当たるほどの近さに、頭の中が真っ白になる。
「リオ君!」
「リオ様!」
背後で2人が俺の名を叫ぶ声が聞こえたが、もう振り返った瞬間に襲いかかってくるだろう。
魔力値2。剣もない。防御魔法も使えない。
俺は凍りつくような死の恐怖に全身の粟を立たせ、本気で死を覚悟して固く目を閉じた。
◆ ◆ ◆
『あらあら。お友達を突き飛ばす悪い子には、おしりペンペンですよ♪』
迫り来るブラックウルフの群れを前に、俺が死を覚悟した瞬間。
脳内に響いたのは、またしても場違いなほど呑気なマリアの声だった。
(今はそれどころじゃ……!)
『あそこの光の目印に、ほんの少しだけ魔力でパチッと火花を飛ばしてください♪』
(ん? それだけで大丈夫なのか?)
『大丈夫ですよ♪ ママを信じなさい』
(わかった……信じるぞ! 全知のオカン、マリアシステム)
『全知の聖母ですよ! せ・い・ぼ』
最後のノイズはスルーして、視界の端で魔物たちの足元の一部が淡くハイライトされる箇所を確認する。
俺は震える手を伸ばし、藁にもすがる思いで指先に意識を集中した。
絞り出したのは、限界まで薄めた一滴にも満たない魔力だ。魔力値2の俺にとっても、ほとんど誤差みたいな量である。
「……えいっ」
ヤケクソ気味に放たれたそれは、炎と呼ぶのもためらうほどの頼りない火種だった。
だが、その小さな火の粉がハイライトされた空間に触れた瞬間。
ゴォォォォォォォォォォォォッ!!!
「……は?」
視界が、真っ白な炎に染まった。
鼓膜が破れるかと思うほどの轟音が地下迷宮を揺るがし、凄まじい熱波が俺の髪を激しく揺らす。
極小の火種だったはずのそれは、迷宮の天井を舐めるような大爆炎となって、ブラックウルフの群れごと通路を丸ごと焼き払ってしまった。
熱気と焦げ臭い匂いが蔓延する中、俺は尻もちをついたまま固まる。
いや、待て。今、俺は何をした?
俺の全魔力の1%にも満たない魔力だったはずだ。マッチに火をつけられるかも怪しいほどの……。
俺が呆然としている横で、セドリックが膝を震わせていた。
「環境マナを完全に支配して、自分の魔法に組み込んだのですか……!? まるで、迷宮そのものを自分の杖のように……!」
アリアも言葉を失い、翠の瞳を限界まで見開いている。
「た、たった全魔力の1%にも満たない極小の魔力で、あれほどの絶大火力を……!? あり得ない、どれほどの魔力効率なの!」
「信じられない……自分の魔力を極限まで圧縮して、一切の損失なく出力へ変換したっていうの……!?」
「いや、そこまで考えてない」
「つまり……考える必要すらないほど、リオ様の身体に染みついていると……!」
「違うって」
セドリックが両膝をつき、感極まったように天を仰いだ。
「1%にも満たない魔力で、私の全力を上回る威力……! リオ様の底知れなさ、身をもって痛感いたしました!」
「だから、そうじゃないって……!」
違う。俺は本当に、頼りない火種を投げただけだ。
(どういうことなんだ? オカン)
『オカン? 私ですか? 可愛くママ呼びがいいのに……まあ、いいでしょう』
『光の目印の場所に、可燃性ガスが溜まっていて引火させたんですよ♪』
(この迷宮の環境を利用したってことか)
だが、驚愕に震える2人の目には、俺が意図して迷宮を丸ごと焼き払う極大魔法を放ったようにしか見えていない。
自分の放った魔法の威力に一番驚いているのは俺なのに、またしても勝手な神業認定が始まっている。
『坊っちゃん。よっぽど驚いたのか、2人とも【崇拝:100】ですよ♪』
(……崇拝?)
もはや訂正する言葉すら見つからず、俺はくすぶる炎の残り火をただ呆然と見つめ続けた。
◆ ◆ ◆
「……ひ、ひぃぃっ!」
背後から、上位クラスのリーダーが情けない悲鳴を上げた。
もうもうと立ち込める爆炎の煙が晴れた先で、十数体のブラックウルフが完全に硬直していた。
魔物たちの視線は、尻もちをついている俺に釘付けになっている。
黄色い瞳は極限まで見開かれ、全身の毛を逆立ててガタガタと震えていた。
『あら♪ わんちゃんたち、坊っちゃんを怖がってますね』
(え、なんで?)
俺はただ、マリアに言われて小さな火種を投げただけだ。
だが、あの凄まじい大爆炎を俺の魔法だと誤認した魔物たちの生存本能が、激しい警鐘を鳴らしているらしかった。
「クゥン……」
鋭い牙を剥き出しにしていた凶悪な獣たちが、哀れな声を上げて尾を巻く。
目の前にいる俺を、絶対に手を出してはいけない規格外のバケモノだと認識したのだ。
背後から、上位クラスの生徒の声が響いた。
「こっちだ! 今のうちに逃げるぞ!」
その瞬間、ブラックウルフたちの耳が、一斉に動いた。
彼らの敵意は、俺の背後で腰を抜かしているエリートたちへと一点集中した。
恐怖のあまり無駄な魔力を垂れ流し、慌てて背を向けた彼らは、今の魔物たちにとって格好のエサに見えるのだろう。
「グォォォォッ!」
「な、なんで俺たちの方に!?」
ブラックウルフの群れが、俺を無視して横をすり抜けていく。
そして、俺を囮にして逃げようとした上位陣に向かって、一直線に大暴走を始めた。
「ひぃぃっ! 待ってくれ、俺は関係ない!」
「なんでこっちに!? あっちに行けよ!」
牙を剥いて殺到する群れと、無様に逃げ惑うエリートたちの絶叫が地下迷宮にこだまする。
自らを囮にしようとした報いを、彼らは身をもって味わうことになった。
ほどなくして、迷宮の暗がりから監視役の教官陣が飛び出してきた。
彼らは魔物の群れを瞬時に制圧し、涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにした上位陣へ無慈悲に強制リタイアを宣告する。
俺はふらつく足で立ち上がると、安全地帯の机に戻った。
「お見事です、リオ様……! 魔物の恐怖本能すら支配し、標的を完全に誘導してみせるとは……」
「あんなに鮮やかに魔物の矛先を変えるなんて……私、ノートにしっかり記録しちゃった!」
また勝手な深読みで目を輝かせる2人を急かし、俺はテーブルに残っていた冷めた紅茶のカップを手に取り、一気に飲み干す。
渋みの増した苦い液体が、喉を通り過ぎていった。
自分の放った火種が一番恐ろしかったのは俺なのに、なぜか魔物にスルーされ、俺を突き飛ばした張本人たちが襲撃される理不尽だが、どこか清々しい光景だった。
「……自業自得だな。俺たちはさっさと実習を終わらせよう」
遠くで響く上位陣の悲鳴を聞き流しながら、俺は深く長い溜息をついた。
燃えカスとなった平穏への願いに思いを馳せながら、俺はキリキリと痛む胃を押さえて歩き出した。
★★★ 全知の聖母あとがきシステム ★★★
読んでいただき、ありがとうございます♪
拳で語らず犬っころの乱入でしたね!? 坊っちゃんの火加減も最高でした♪
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