第24話:五重の必殺陣と、飛んだ本のしおり
「ならば、その神とやらの化けの皮を、俺が直々に剥いでやる!」
長兄が顔を引きつらせながら絶叫し、高く手を掲げた。
逃げ腰になっていたはずの彼が、弟の狂気への恐怖を無理やり塗り潰すように凄まじい殺気を放つ。
直後、彼の背後に控えていた5人の精鋭たちが、一斉に俺を取り囲むように動いた。
「セドリック様たちは下がっていてください!」
男の一人が短く杖を振るうと、土煙を上げて地面から半透明の壁がせり出した。
分厚い魔力の障壁は、セドリックやアリアたちFクラスの面々を問答無用で後方へと押し流していく。
(おい、待て! 閉じ込める気か!?)
俺の心の叫びも虚しく、致死トラップだらけの演習場の真ん中で、俺は完全に孤立してしまった。
「展開しろ! あの無表情ごと粉々に吹き飛ばしてしまえ!」
長兄の金切り声のような号令と共に、5人の精鋭の足元にそれぞれ巨大な魔法陣が浮かび上がる。
赤、青、黄、緑、橙。
5色の光が俺を中心にゆっくりと回転を始めた。
『色とりどり♪ キラキラ綺麗ですね♪ 坊っちゃん専用スポットライト♪』
マリアの能天気な声が脳内に響くが、ツッコミを入れる余裕すら俺にはない。
S級査察官が連れ歩くエリートたちによる、逃げ場のない5重の必殺魔法だ。
魔力値2の貧弱な俺の身体など、あんなものが掠っただけでも一瞬で消し炭になってしまう。
恐怖のあまり胃壁が完全に崩壊し、俺の顔の筋肉は氷のように硬直してピクリとも動かなくなった。
なんで俺がこんな目に遭わなきゃならないんだ。
心の中で盛大に悲鳴を上げながらも、表情筋が死滅しているせいで、ただ無機質に虚空を見つめて立ち尽くすことしかできない。
5つの魔法陣から凄まじい熱量と魔力が立ち昇り、周囲の空気がぐにゃりと歪む。
肌を激しく焼くような熱風が吹き付けた、その時だった。
一陣の冷たい風が、不意に俺の制服の懐を掠めた。
あ。
懐に入れていた本から、1枚の古いしおりがするりと滑り落ちる。
ひらひらと宙を舞い、殺気立つ精鋭たちの足元へ向かって転がっていった。
それを見て、俺の心臓が別の意味で激しく跳ね上がった。
あれは昨日、学園の図書館で借りた魔導書に挟まっていた備品のしおりだ。
紛失すれば、弁償代として銀貨1枚を請求されるという恐ろしい規則がある。
商人である母さんから損得勘定を骨の髄まで叩き込まれた俺にとって、無駄な罰金で銀貨1枚を失うなど死ぬより嫌な大赤字だ。
しの先生のタダのパンどころの話ではない。
俺に向かって容赦なく放たれようとしている、5重の必殺魔法。
そして、無情にも風に乗って飛んでいく、銀貨1枚の価値があるしおり。
迫り来る命の危機よりも、目先の銀貨が俺の心を激しく揺さぶる。
真っ白になった頭のまま、俺の両足は無意識に1歩を前へと踏み出していた。
『坊っちゃん、キラキラが増してますよ♪ 綺麗です! 見てください♪』
見ない。見たら足が止まる。
足が止まったら、銀貨が……いや、しおりが死ぬ。
5重の必殺魔法の展開など完全に視界から消し去り、俺は風に流されるしおりだけを見つめて無心で数歩を踏み出した。
背後で、精鋭たちの詠唱が重なり合っている。
地鳴りのような低い響きが足の裏から骨を震わせるが、俺の耳には一切入ってこない。
頭に浮かぶのは、図書館の借金取り……いや、受付で目を光らせる司書の顔だけだ。
「無駄だ! 歩いて魔法陣から出られるものではない!」
精鋭の一人が血走った目でこちらを睨みつけて叫ぶが、知ったことではない。こっちは銀貨が懸かっていて必死なんだ。
しおりが魔法陣の縁すれすれを、ふわりふわりと漂う。
ひときわ高く舞い上がり、また低く落ちてくるそれを追いかけた瞬間、俺のつま先が石畳の浅い段差に引っかかった。
「うわっ」
俺は咄嗟に足の指へ力を込め、体勢を立て直した。
転ばないよう、無意識に足先へ込めたほんの僅かな魔力が小石へと移り、ぽんと前へ蹴り飛ばしてしまう。
『ナイスキック♪ しっかり魔力も乗せて♪ 素晴らしい相乗効果♪』
(何の話だ!? しおりに集中させてくれ!)
マリアの能天気な声に心の中で全力のツッコミを入れた、その直後。
蹴り飛ばした小石が乾いた音を立てて跳ね、赤く輝く魔法陣の縁へ転がっていった。
そして、淡く脈打つ光の線の起点を、こりっと数センチだけ削り取った。
俺は、それを見てもいない。
伸ばした指先が、しおりの端にあと少しで届きそうだった。
「な、なんだこの異常な魔力は!? 制御が効か……ぐああっ!」
背後から、鼓膜を突き破るような精鋭たちの絶叫が響き渡った。
カチリ、と。
目に見えない巨大な歯車が噛み合うような、ひどく嫌な音が鳴る。
振り返る余裕などない。
俺は地面に転がり込みながら、なんとか指先に触れたしおりを反射的にしっかり握りしめた。
よかった。
折れてもいないし、破れてもいない。俺の大事な銀貨1枚は死守された。
胸の奥から、ようやく長い安堵の息が抜けていく。
『坊っちゃん、魔法陣が最適化されて益々キラッキラですね♪』
マリアの楽しげな実況が脳内に響く。
(魔法陣がキラッキラ? ん? 最適化って!?)
握りしめたしおりしか把握できていない俺の混乱をよそに、背後で凄まじい熱風が吹き抜け、足元の地面がぐらりと大きく揺さぶられた。
「制御できない!」
「なぜだ! 術式が勝手に――!」
俺は地面に這いつくばったまま、首だけをゆっくりと後ろへ向けた。
さっきまで俺を囲んでいた5つの魔法陣が、まるで別物になっている。
赤、青、黄、緑、橙。
5色の光が互いの魔力を食い合うように激しく絡み合い、一つの巨大な魔力の渦へと膨れ上がっていた。
『あら〜出力、元の何倍でしょう? ……10倍突破です♪』
(何が起こったんだ!?)
俺の悲鳴じみた心の叫びを完全に掻き消すように、暴走した閃光が演習場を真っ白に染め上げた。
ドゴォォォォンッ!
轟音。
そして、すべてを吹き飛ばす凄まじい爆風。
俺は間一髪で地面にへばりつき、両手で頭を抱えて必死にやり過ごす。
熱風が髪を焦がし、細かい砂利が全身にバラバラと降り注いだが、なんとか直撃だけは免れたようだ。
やがて耳鳴りだけを残して煙が晴れていくと、そこには信じられない光景が広がっていた。
「……あ、あ、ああ……」
さっきまで俺を取り囲み、殺意を放っていた5人の精鋭たちが、全員黒焦げになってそこかしこに転がっている。
全員気絶しているだけのようだが、術者である彼ら自身が、暴走進化した魔力の奔流に容赦なく飲み込まれたのだ。
そして、爆心地から少し離れた場所。
奇跡的に直撃を免れた長兄だけが、両足の力を完全に失い、無様に地面へへたり込んでいた。
「ありえない……俺たちの完成された魔法陣が、暴走して、さらに強化されただと……?」
男の顔面は蒼白に染まり、ガチガチと歯を鳴らしている。
そして、這いつくばったまま信じられないものを見る目で、俺を見上げた。
「俺たちの魔法が、未完成と一瞬で見抜き……無言で修正して、自滅までさせたというのか……!」
腰を抜かした男の顔には、完全な戦慄と絶望が張り付いていた。
俺はゆっくりと立ち上がり、手に握りしめたしおりの土埃を丁寧に払う。
(何を言っているんだ、この人は。俺は何もしていないぞ。そっちの連携ミスで勝手に自爆しただけじゃないのか?)
そんな得体の知れないバケモノを見るような目で、こっちを睨まないでくれ。俺はただ、大切な銀貨1枚を守り抜いて安堵しているだけなんだから。
内心ビビり散らして心の中で全力の言い訳を叫ぶ俺だったが、恐怖で顔面が完全に麻痺しているため、結果的に氷のように冷徹な無表情のまま目の前の男を静かに見下ろす形になってしまった。
「ば、馬鹿な……認めないぞ。こんな平民のガキが、俺たち王都の精鋭を超えるなど……っ!」
へたり込む長兄が、エリートとしてのちっぽけなプライドにしがみつくように、震える声で吠えた。
★★★ 全知の聖母あとがきシステム ★★★
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