第18話:最適解なしの絶望と、ピタゴラスイッチの仕込み
ズゴゴゴォォォッ、と。
耳をつんざくような低い地鳴りが響き、広場の空気が悲鳴を上げた。
広場の中央でうごめく巨大な異形が、ズルリと重心を沈める。
周囲の空気が一気に吸い込まれ、真空のような圧迫感が肺を潰しにかかってきた。
目を焼くほどに濃密でどす黒い魔力が、怨念の集合体の中心部で渦を巻きながら圧縮されていく。
魔法の知識が皆無に等しい魔力値2の俺にすら、生き物としての本能で理解できた。
あれが放たれれば、この広場も、学園も、俺たちも跡形もなく消し飛ぶ。
上位陣のエリートたちも、他の教師陣も、完全に絶望して足がすくみ、迫り来る死の塊を呆然と見つめることしかできていない。
誰もが死を覚悟した、その時だった。
『……坊っちゃん』
脳内の異常な沈黙が、唐突に破られた。
『先生たちの魔法じゃ、倒せません』
一切の感情も装飾もない、酷く冷たくて機械的な音声だった。
俺の心臓が、嫌な音を立てて跳ねる。
多少の危機ならふざけ倒すマリアが、冗談抜きで断言するということは。
ああ、本当に終わりなんだ。
ふかふかのベッドで眠ることも、保健室の美味い飯を食うことも、二度と叶わない。
(母さん、親孝行できなくてごめん……)
俺が完全に死を覚悟して目を閉じた、直後のことだった。
『あ、そうだ坊っちゃん♪』
……ん?
『あそこの崩れかけた柱の下に逃げてください。そこが唯一の絶対安全圏です♪』
突然、いつもの能天気で緊張感の欠片もない声が脳内に響き渡った。
同時に、真っ赤に染まっていた視界のアラートがスッと消える。
代わりに、いつもの光のガイドラインが、俺の足元から地面を這うように長く伸びた。
その光が指し示しているのは、広場の端にぽつんと残されている、今にも倒れそうなボロボロの古い石柱だった。
(いやいやいや、ちょっと待て!)
どう見てもただの廃材だろ。
あんな障害物にもならない場所に逃げ込んだって、あの極大魔力の爆発に巻き込まれてミンチになるだけだ。
なんでこんな絶望的な状況で、お前はいつも通り呑気なんだよ。
心の中で激しくツッコミを入れる。
それに、たとえそこが安全だとしても、他のみんなはどうなる。
俺だけ助かればいいってもんじゃないだろ!
『大丈夫♪ 大丈夫♪ ママにどんと任せなさい!』
信憑性に欠ける言い回しだ。
だが、緊迫感ゼロのその光の輪郭だけが、今の俺に残された唯一の命綱だった。
考えるより先に、俺は痛む胃を押さえたまま、強引に両足へ力を込めていた。
「うおおおおおおおおっ!」
喉から飛び出したのは、自分でも呆れるほど無様で、必死な絶叫だった。
地面を強く蹴り飛ばし、俺は迷うことなく踵を返した。
視界に引かれた淡い金色のガイドラインだけを頼りに、ひび割れた大地を一目散に駆け抜ける。
背後では、怨念の集合体が放つ極大魔力がいよいよ臨界点に達しようとしており、空気が悲鳴のような音を立てていた。
息を吸うことすら困難なほどの重圧。
広場にいる上位クラスのエリートも、上級生の精鋭たちも、他の教師陣も、あまりの恐怖と絶望に完全に足がすくみ、一歩も動けずに立ち尽くしている。
そんな硬直状態の戦場で、ただ一人。
俺だけが完全に戦線を離脱し、敵に背を向けて全力疾走しているのだ。
誰がどう見ても、極限の恐怖に耐えきれず、仲間を見捨てて無様に逃げ出した腰抜けの姿だった。
背中に突き刺さる視線が、痛い。
だが、あんな怪物と正面から殴り合う選択肢なんて、魔力値「2」の落ちこぼれには最初から一ミリも存在しない。
それに、マリアの「ママに任せなさい」という言葉を信じるなら、俺がここで立ち止まる意味はないはずだ。
体面や矜持なんかより、今は生き残ることが最優先だ。
ここで死んだら、保健室の美味い飯も食えない。
何より、この地獄のような一日を耐え抜いたご褒美である、『ふかふかの布団に飛び込む至福』を味わえずに死ぬなんて絶対に御免だ。
(絶対に死なない……! 俺は生きて帰るんだ!)
涙が出そうなほど切実で、どうしようもなく小さなエゴ。
それだけを燃料にして、恐怖と疲労で鉛のように重くなった足を無理やり前へ前へと運ばせた。
『そのまま真っ直ぐ♪ いいペースですよ、坊っちゃん!』
緊迫感ゼロのナビゲートに従い、転がった瓦礫をギリギリで飛び越える。
限界を超えた心臓が、内側から肋骨を激しく殴りつけてきた。
ダンジョンの入り口に程近い、広場の端。
光のルートの終着点である、今にも倒れそうなボロボロの古い石柱が目の前に迫る。
その瞬間、背後から爆発的な熱風が吹き荒れ、制服の布が焦げる嫌な匂いが鼻を突いた。
もう振り返る猶予すら残されていない。
「ぐ、ぅ……おおおおッ!」
俺は最後の力を振り絞って大きく踏み込み、激しい土煙を上げながら、崩れかけた柱の陰へと頭から強引に滑り込んだ。
「あの落ちこぼれが真っ先に逃げたぞ!」
激しい土煙が晴れぬ中、俺の耳に上位クラスの引きつった叫び声が突き刺さった。
「はっ、所詮は魔力値2の腰抜けか!」
「一人だけ逃げて助かるわけがないだろうが!」
死を前にした自暴自棄な八つ当たりと、絶望の裏返しのような嘲笑が、広場のあちこちから飛んでくる。
(……オカン、信じてるぞ)
俺は柱の陰で荒い息を吐き出しながら、内心で深く頷いていた。
誰がどう見ても、恐怖に耐えきれず無様に背を向けた腰抜けの姿だ。彼らの非難は完全に正しいし、反論の余地なんて微塵もない。
あんな化け物を前にして突っ立っている方が、どうかしている。
笑いたければ笑えばいい。俺はどんなに無様でも、絶対に生きて帰るんだ。
そう自分に言い聞かせた、その時だった。
ゾワリ、と。
俺の背筋に、極大魔力のプレッシャーとも、エリートたちの嘲笑とも違う、得体の知れない視線がへばりついた。
嫌な予感に突き動かされ、恐る恐る広場の中央へ視線を向ける。
上位クラスの連中が絶望の声を上げ、あるいは逃げた俺を指差して喚いている中。
未だ微動だにせず立っている二つの人影があった。
死神教官であるヴァルターと、その隣にいるアリアだ。
(えっ……なに、あの目)
二人は、逃げ出した俺を軽蔑して笑うわけでもなく、怨念の集合体が放とうとしている致死攻撃に絶望するわけでもなく。
ただじっと、俺が逃げ込んだこのボロボロの柱を、穴が開くほど凝視していた。
銀縁眼鏡の奥で、ヴァルター教官の双眸が、獲物を見つけた鷹のように鋭く見開かれている。
アリアに至っては、両手で口元を覆い、信じられないものを見るような戦慄の眼差しを俺の頭上へと向けていた。
「……ッ、まずい、戦線離脱がバレてキレられてる!」
俺はヒッと小さく息を呑み、慌てて柱の陰へと顔を引っ込めた。
終わった。完全にバレている。
教官の顔には「貴様、この状況で……逃亡とは何事だ」と書いてあった。
しかも隣のアリアまで、あんなに目を見開いて俺の逃亡先を確認して。あれは絶対、逃亡者を「信じられない」と軽蔑している顔だ。
ただでさえ激痛が走っている俺の胃が、内側から力一杯に握り潰される。
さっきの魔法改変の件で震えるほど激怒されているのに、この上、逃亡認定まで追加されたら、俺の明日の学園生活は確実に終わる。
俺は絶対安全圏で膝を抱えながら、迫り来る怨念の極大攻撃よりも、教官の後腐れのないお説教という名の物理制裁に激しく怯えていた。
★★★ 全知の聖母あとがきシステム ★★★
ここまで読んでいただき、ありがとうございます♪
ちょっぴりシリアス展開になりました。空気の読める私はしばらくおふざけを控えます!
(※本編はある意味空気を読んでるんですよ♪)
「作者の手抜き定型文だろ!」と思いつつも……楽しんでいただけましたら、坊っちゃんと作者の【やる気:限界突破】になるよう、
ページ下部の【ブックマークに追加】と、
その下の【☆☆☆☆☆】を【★★★★★】になるようポチッとしていただけると、私もルンルン気分になれます♪
次回は【明日20:20】に更新です♪




