第17話:特等席からの拍手と、新たな脅威の覚醒
「くくっ……あははははっ! 傑作だな!」
学園校舎の最上階。分厚い防音の結界が張られた学園長室に、クラウス・レンドルフの腹を抱えた高笑いが響き渡った。
彼の執務机の上には、遠く離れた実習用ダンジョン前広場の光景を映し出す通信用の魔道具が展開されている。現場に飛ばした小型の浮遊球が拾った映像と音声を、リアルタイムで出力しているのだ。
そして手元には、その映像の戦局と連動し、カタカタと自動で位置を変える『兵棋』の盤面が置かれていた。
クラウスは笑いを堪えきれない様子で、盤面の端に置かれたひと際小さなポーンの駒を指先で摘み上げた。
「ほう……あのヴァルターが、自分の魔法を完璧に上書きされて硬直しているぞ」
モニター越しに見えるのは、広場を埋め尽くしていた数千の魔物が塵となって消え去った光景。
そして、杖を持ったまま微動だにせずワナワナと震え続ける死神教官ヴァルターと、その足元でなぜか青ざめて膝をついている魔力値「2」の落ちこぼれ、リオ・アスターの姿だ。
「魔力値『2』のガキが、ほんの微小な魔力を乗せた小石一つで、戦場の気流をズラした。そして、ヴァルターの必勝戦術をより残酷に最適化してしまった……。あれは、化け物だな。一流の魔導師も裸足で逃げ出す戦術眼だ」
術式発動の絶妙なタイミング、気流の抵抗、展開される魔法の起点。
そのすべてを瞬き一つ分の間に読み切らなければ絶対に不可能な、常軌を逸した所業だ。
「お前が何年もかけて構築した理論が、入学間もない生徒の小石一つに敗北した気分はどうだ?」
震え続けるヴァルターの背中を見て、クラウスは再び笑い声を上げる。
広場にいるエリート生徒や他の教師たちは、「教官が自らの魔法を進化させた」と勘違いしてどよめいているようだ。
魔法を改変した当の少年すら、「勝手に手を出して激怒されている」と理不尽な恐怖に膝をついているのが、特等席からなら手に取るように分かる。
だが、長年の付き合いであるクラウスには痛いほど分かっていた。
あれは怒りなどではない。自らの想定を遥かに超える規格外の才能を見出した、指導者としての純粋な歓喜と驚愕の震えだ。
過去のトラウマから決して生徒を褒めなくなった不器用な男が、隠しきれない興奮に打ち震えている。
これほど面白い見世物は、王宮のどんな演劇を探しても見つかりはしない。
「くくっ……最高に愉快な喜劇だ。ヴァルター、お前はとんでもない逸材を拾い上げたな」
クラウスは手元のポーンを盤上の中心へと置き直すと、ひとしきり笑った目尻の涙を拭い、重厚な革張りのソファから立ち上がった。
「さて、あいつが立ち直るまで少し時間がかかりそうだしな。結界の修復と、事後処理に向かうとするか」
クラウスが映像を消そうと、モニターに手を伸ばした、その時だった。
空中でピタリと、彼の指先が硬直する。
「……ん?」
モニターの映像が、唐突にノイズ混じりに揺れたのだ。
先ほどの極大の風刃によって、細かな塵や肉片と化したはずの魔物の残骸。
その散らばった大地から、黒々とした粘着質のような魔力が、ねっとりと糸を引くように立ち上り始めていた。
最初は、ただの残留魔力に見えた。
だが、違う。
それらは風に流されることもなく、泥のように地面を這い回り、互いに喰らい合い、絡みつきながら広場の中央へと結集していく。
「なんだ、あれは……?」
ぞくり、と。背筋の産毛を逆立てるような悪寒が走り、クラウスは弾かれたように窓際へと歩み寄った。
それは、モニターの映像越しに感じたものではない。
幾重にも張られた分厚い防音結界に守られたこの学園長室にまで、物理的な重圧として直接這い上がってきた異様なプレッシャーだった。
遠く離れた実習用ダンジョンの入り口広場の方角を、鋭く睨みつける。
ドクン、ドクンと。
悍ましい心音のような脈動が、空気を震わせて伝わってくる。
「……まさか。ただの魔力残滓じゃない。あれは魔物たちの、凝縮された怨念そのものか」
元・王宮魔術師団の総隊長として、幾つもの死線や常識外れの魔法災害を潜り抜けてきたクラウスでさえ、鳥肌が立つほどの禍々しさだ。
浄化される暇すらなく散った数千の死の残滓が、行き場を失い、死骸そのものを器として一つの場所に注ぎ込まれようとしている。
結集した黒々とした魔力は、さらにその質量を増し、巨大な泥の柱へと成長していく。
物理的な重みを持った腐臭のような瘴気が、学園を覆う強固な防衛結界さえも内側から軋ませていた。
「……おい、冗談だろ」
クラウスの顔から、先ほどまでの強者の余裕と愉快な笑みが、一瞬にして完全に消え去った。
額にじっとりと冷や汗を滲ませ、彼はミシリと音を立てるほど監視塔の窓枠を強く握りしめる。
眼下で渦巻いているのは、決して生まれ落ちてはならない規格外の脅威。
圧倒的な絶望の塊が、今まさに産声を上げようとしていた。
◆ ◆ ◆
「……なんだ、この臭いは」
教官の理不尽な怒りに怯え、両膝をついて絶望していた俺は、ひどい吐き気に襲われて顔を上げた。
周囲の空気が、異常な速さで淀んでいく。
ヴァルター教官の殺気とは次元の違う、凍りつくような悪寒が肌にへばりついてきた。
腐敗した肉と、錆びた鉄が混ざったような重い悪臭が鼻腔を突く。
俺は震える視線を、ダンジョンの入り口付近へと向けた。
大魔法で塵と化したはずの魔物の残骸から、どす黒い粘液のようなものが無数に立ち上っていた。
焼け焦げた骨。砕けた牙。引き裂かれた肉片。
それらが泥のような魔力に呑まれ、ぐちゃり、ぐちゃりと嫌な音を立てて絡み合い、広場の中央で一つの巨大な塊へと変わっていく。
「……なんだ、あれは……!」
「牽制しろ! 完全に形成させるな!」
この場に残っていた教師陣や上級生の精鋭たちが叫び、複数の魔法を一斉に放った。
高密度の炎と雷が広場を照らし出し、立ち上がりかけた異形の巨体に殺到する。
ズンッ!
鈍い音が響いたが、直撃した瞬間に泥のような表面がわずかに揺れただけだった。
炎は触れた途端に消え去り、雷は薄紙に当たったかのようにあっさりと弾かれて霧散する。
「効いてない……?」
絶望の声が広場に落ちた。
見上げても頂点が分からないほど膨れ上がったそれは、純粋な『怨念の集合体』と呼ぶべき歪な異形だった。
勝手に魔法を変えて教官に消し炭にされる。
そんな恐怖とは、根本的に違う。
ただそこにいるだけで、生き物としての本能が逃げろと叫ぶような、純粋で圧倒的な死の気配だった。
早く帰ってふかふかのベッドに倒れ込みたい。
あれほど切実だった願いすら、絶対的な恐怖の前に真っ白に吹き飛んでいる。
俺の膝がガタガタと震え出した、その時だった。
『ピィィィッ! ピィィィッ!』
脳の奥で、鼓膜を突き破るような耳障りな音が鳴り響いた。
「マリア……?」
多少の危険な状況であれば、能天気にほのぼのと指示を出してくれるマリアが、狂ったように警報だけを鳴らしている。
うごめく異形の塊の前に、これまで一度も見たことのない、血のように濃い【赤色の警告アラート】が激しく点滅して浮かび上がったのだ。
マリアの能天気な声は聞こえない。
その異常な沈黙が、今の状況の絶望的なヤバさを何よりも物語っていた。
★★★ 全知の聖母あとがきシステム ★★★
ここまで読んでいただき、ありがとうございます♪
ちょっぴりシリアス展開になりました。空気の読める私はしばらくおふざけを控えます!
(※本編はある意味空気を読んでるんですよ♪)
「作者の手抜き定型文だろ!」と思いつつも……楽しんでいただけましたら、坊っちゃんと作者の【やる気:限界突破】になるよう、
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