第16話:絶対的な教官の戦術と、それを破壊する一矢
精鋭たちが取りこぼしを処理する中、ヴァルター教官は杖を下ろし、無数の魔物の残骸の方を見つめていた。
想定以上の威力だったから、それを分析しているのだろう。
俺が蹴った一粒の小石。それが氷結の起点をわずか数センチだけズラした結果、凍りついた大地に一点だけ氷の途切れた隙間が生まれた。
そこが完璧な気流の抜け道となり、極限まで圧縮された風刃は、本来の威力の数倍へと跳ね上がっていたのだ。
視界を覆い尽くしていた魔物の大群の大半は、先ほどのヴァルターの魔法によって処理された。
残党も悲鳴を上げる暇すらなく、精鋭たちによって一瞬にしてキラキラと舞う細氷と塵に変えられている。
「……助かった」
俺は、すっかり綺麗になった広場を見渡しながら、心底ホッと息を吐き出した。
これで、転んで丸焦げになったセドリックの救助の手間は省けた。
それだけじゃない。あいつが転んで魔力を暴発させ、せっかく組んだ陣形が崩れ、足手まといとなり、立て直しにどれほどの時間がかかったことか。
限界を超えた情報処理で脳が焼き切れそうな俺にとって、帰宅時間が延びることは死を意味する。
想定より威力が上がりすぎた気もするが、結果的に魔物の群れをほぼ全壊させたし、無駄な作業が1つ減ったのだ。
俺は早くふかふかのベッドに倒れ込める喜びに、ひっそりと胸を撫で下ろした。
「リ、リオ様ぁぁぁっ!」
その背後から、鼓膜を破らんばかりの大声が響いた。
振り返ると、セドリックがなぜかその場に両膝をつき、俺に向かって祈るように両手を組んでいる。
「ヴァルター教官への報告、聞こえてしまいました!」
「私が無様に転倒し、次の襲撃に備えて練り込んでいた魔力を暴発させ、皆様の足を引っ張った挙句、私自身も丸焦げに……そんな未来を……あの瞬き一つ分の間に見抜き、救ってくださるとは!」
ボロボロと大粒の涙を流す彼の頭上で、目障りなほど眩しい光が点滅し始めた。
『まあ、坊っちゃん♪ 子分1号……おほんっ……セド君の【狂信度】が限界を突破してます♪』
脳内でマリアが能天気に告げる。
いや、狂信ってなんだよ。俺はただ、オカンが「転ぶ」って言うから、言われた通りに石を蹴っただけだぞ。
「リオ様のその底知れぬ御力と慈悲……このセドリック、一生ついて行きます!」
地面に額を擦り付ける勢いのセドリックに、俺は痛む頭をさらに押さえた。
どう見ても誤解が加速しているが、訂正する気力すら残っていない。
「……あー、うん。怪我がなくて良かったよ」
俺が適当に返事をすると、セドリックはさらに感涙を流して震え始めた。
それと同時に、一瞬で塵と化した魔物の痕跡を見て呆然としていた上位陣やクラスメイトたちが、ざわめきを取り戻し始める。
「ヴァルター教官の魔法が、また進化しているだと……!?」
「あの威力は、これまでの比じゃないぞ……!」
「長年かけて完成されたはずの必勝戦術を、さらに高みへと引き上げたのか!」
魔物の処理を終えた他の教師陣や上級生の精鋭たちの中から、感嘆と戦慄の声が次々と上がる。
上位クラスの連中も「やっぱり死神教官は格が違う」と安堵の息を漏らしていた。
セドリックの狂信じみた叫びも相まって、広場の空気は死の恐怖から一転し、熱を帯びたどよめきへと塗り替えられていく。
だが、その中心にいるはずのヴァルター教官だけが、異様なほど静かだった。
彼は右手に杖を握ったまま、まるで石像のように指1本動かさない。
銀縁眼鏡の奥の冷酷な瞳は、歓声を上げる周囲や魔物の残骸ではなく、俺が蹴った小石が転がっている氷結の起点を、ただじっと見つめ続けていた。
……やばい。これ、絶対に怒っている。
俺の背筋を、氷のような冷や汗が伝い落ちた。
考えてみれば当然だ。
何年もかけて研鑽し、磨き上げてきたであろう熟練教官の魔法の術式を、魔力値「2」の落ちこぼれが勝手に弄ったのだ。
しかも本人には「セドリックが転ぶんで」などという、あまりにふざけた理由しか告げていない。
普通に考えて、越権行為にも程がある。
死神教官のプライドを、泥で塗りつぶしたに等しい。
「…………っ」
ヴァルター教官の無表情な頬の筋肉が、ピクピクと痙攣した。
さらに、杖を握る手がワナワナと小刻みに震え始めている。
(あ、終わった。完全にブチギレてるやつの沈黙だ)
『大丈夫ですよ。坊っちゃん♪』
マリアの慰めの言葉では、俺の胃の奥の、かつてない勢いでギリギリと絞り上げられるような痛みは抑えられなかった。
早く帰って寝たい。
ただその一心で、無駄な作業を減らすために小石を蹴っただけなのに。
そのささやかな願いの代償に、この後どれほどの説教と地獄の追加課題が待っているのか。
いや、下手をすればこの場で消し炭にされるかもしれない。
想像するだけで、目の前が真っ暗になった。
周囲の浮かれたどよめきと、ワナワナと震え出した死神教官の殺気。
その圧倒的な温度差の中で、俺は少しでも距離を取ろうと、ジリッと一歩だけ後ずさる。
「せ、先生……あの、勝手に魔法を変えてすみません……」
俺は痛む胃を押さえながら、恐る恐る震える声を絞り出した。
だが、俺の謝罪は、凍りついた広場の空気にあっさりと吸い込まれて消えた。
ヴァルター教官は無言のままだ。
杖を構えた姿勢のまま、まるで時間が止まったかのように微動だにせず、ただ地面に転がる一粒の小石を凝視している。
その異様な沈黙と俺の言葉に、浮かれていた周囲の空気も急速に凍りついていった。
「……おい、あいつ今、勝手に魔法を変えたって言わなかったか?」
「まさか、あの落ちこぼれが死神教官の術式に干渉したっていうのか……?」
周囲の教師や生徒たちが事態の異常性を察し、一気に顔を青ざめさせる。
無理もない。死神と恐れられる熟練の教官が、入学したての落ちこぼれ生徒に、自身の長年の必勝理論を完全に上書きされたのだ。
しかも、結果として威力が跳ね上がったことで、教官の魔法が未完成であったことを見せつけられた形になる。
これほどエリートのプライドを粉々にする屈辱はないだろう。
「リ……リオ君、一旦この場を離れよう……!」
精一杯の勇気を振り絞ったアリアが、涙目で俺の袖を引っ張る。
だが、逃げられるわけがない。相手はあの死神教官だ。
終わった。絶対に殺される。
それとも、この場で消し炭にされるのか。
(母さん……先立つ不幸をお許しください……命を優先したら危険を買ったようです……)
『……』
ただ早く帰りたいという一心で、セドリックが転ばないように石を蹴っただけなのに。
なんでこんな理不尽な恐怖を味わわなければならないんだ。
俺が絶望に目を閉じた、その時だった。
『パンパカパーン♪ 坊っちゃんおめでとうございます!』
脳内で、マリアがいつになくテンションの高いファンファーレを鳴らした。
『先生の裏ステータス【驚愕・感服・評価値】が、限界突破しました♪』
……え?
『自分が何年もかけて構築した必勝理論が、坊っちゃんの蹴った一粒の石によって完全に上書き・最適化された事実に、嬉しすぎて声も出ないようです♪』
『先生からの、極上の愛と英才教育の成果なんですけどね♪』
殺意しか感じられん!……絶対殺される!
俺は心の中で激しくツッコミを入れながら、絶望的な顔で死神教官を見つめ返した。
彼の無表情な頬の筋肉はピクピクと痙攣し、杖を握る手はワナワナと小刻みに震え続けている。
喜びが振り切れた人間の顔じゃない。
あのワナワナは、俺を消し炭にするための極大魔法を練っている最中の振動に違いない。
限界を超えた疲労と、マリアの能天気な報告からくる理不尽なすれ違い。
心身共に追い詰められた俺は、「……もう、嫌だ」と力なく呟き、その場に両膝をついて深く絶望した。
★★★ 全知の聖母あとがきシステム ★★★
ここまで読んでいただき、ありがとうございます♪
ちょっぴりシリアス展開になりました。空気の読める私はしばらくおふざけを控えます!
(※本編はある意味空気を読んでるんですよ♪)
「作者の手抜き定型文だろ!」と思いつつも……楽しんでいただけましたら、坊っちゃんと作者の【やる気:限界突破】になるよう、
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次回は【明日20:20】に更新です♪




