迷える羊
ハウザーの失踪は、思いのほか騒がれなかった。
身寄りのない男だった。裁判で名前が知られていたとはいえ、無罪判決を得た後に姿を消したことは、近隣では「どこか遠くへ逃げたのだろう」という程度の噂で片付けられた。警察が多少の聞き込みに来たが、ヨハネスのもとにも一度だけ、形式的な質問が寄せられたにすぎなかった。
「あの男について、何かご存知ですか」
「いいえ。裁判の後は、一度も」
嘘ではなかった。少なくとも、言葉の上では。
ヨハネスは、これで終わったのだと自分に言い聞かせようとした。妻子の仇は討った。もう、これ以上何かをする必要はない。教会に戻り、これまで通りの日々を送ればいい。信者たちの相談に乗り、子供たちに折り紙を教え、病人を見舞う。それが自分の役目だ。
だが、その「これまで通り」が、もう二度と戻らないことに、彼はすぐに気づかされた。
告解室に座る彼のもとへ、一人の老女が訪れたのは、それから半月ほど経った頃だった。
「神父さま……聞いてください」
老女は震える声で語り始めた。数年前、彼女の孫娘が何者かに乱暴され、命を落としたこと。犯人は当時未成年であったため、少年審判で軽い保護処分を受けただけで済まされたこと。そして今、その男は既に成人し、何食わぬ顔で同じ街に暮らしているという。
「あの子は……もう戻ってこないのに。あの男は、普通に笑って生きているんです。神父さま、これが……これが正しいことなのでしょうか」
ヨハネスは、いつものように「神はすべてを見ておられます」と答えようとした。しかし、その言葉は喉の奥で凍りついたように出てこなかった。
代わりに、脳裏に浮かんだのは、あの雨の夜の光景だった。ハウザーの体が、静かに地に沈んでいく様子。そして、その後に訪れた、あの奇妙なほどの静けさ。
――これが、正しいことなのでしょうか。
老女の問いは、そのまま彼自身への問いのようにも聞こえた。
その夜、ヨハネスは眠れなかった。老女の孫娘を殺した男の顔を、彼は思い浮かべていた。会ったこともない男の顔を、まるで既に知っているかのように、はっきりと。
彼は聖書を開いた。指先が、旧約聖書のある一節をなぞった。
「目には目を、歯には歯を」
これまで、彼はこの言葉を教区の説教で戒めとしてしか語ってこなかった。復讐の連鎖を断ち切るための、過去の教えとして。だが今、その言葉は違う響きを持って彼の中に落ちてきた。
法が裁かないのなら。
社会が見過ごすのなら。
――誰かが、その代わりをしなければならないのではないか。
その考えが浮かんだ瞬間、彼は自分でも驚くほどの安堵を覚えた。まるで、長い間探し続けていた答えを、ようやく見つけたかのような感覚だった。
これは復讐ではない。
これは、赦されない罪を放置する世界の代わりに、自分が引き受けるべき務めなのだ。神が沈黙するのなら、その沈黙の意味を、自分が体現すればいい。
彼は聖書を静かに閉じ、十字架を手に取った。指先でその冷たい感触を確かめながら、彼は初めて、迷いのない目でそれを見つめた。
窓の外では、いつも通り星が瞬いていた。だが、その夜見上げる星空は、ヨハネスにとってもう、これまでと同じ意味を持つものではなかった。
彼は静かに、老女から聞いた男の名前を、記憶の中に刻み込んだ。




