洗礼
レイモンド・ハウザーの居場所を突き止めるのに、さほど時間はかからなかった。
街の外れにある古いアパートの一室。裁判の間に近隣住民や弁護士とのやり取りから漏れ聞いた情報を、ヨハネスは静かに、しかし執拗に集めていた。誰かに疑われるようなことはしなかった。むしろ、いつも通り信者たちの相談に乗り、病人を見舞い、貧しい者に食事を配る、その合間に。
彼自身、自分が何をしようとしているのか、はっきりと言葉にすることを避けていた。ただ、体の奥底で何かが「そうしなければならない」と囁き続けていた。
決行の夜は、雨だった。
ヨハネスは司祭服ではなく、黒い外套を身につけ、顔を隠すようにフードを深く被った。ポケットの中には、小さな十字架――エレナが結婚祝いにくれたもの――が入っていた。彼はそれを、まるで何かの許しを求めるように、何度も指先で撫でていた。
アパートの階段を上る足音は、雨音にかき消された。
ドアをノックすると、しばらくして鍵の外れる音がした。ハウザーが顔を出す。無精髭を生やし、以前よりもさらにやつれた様子だった。彼はヨハネスの顔を見て、一瞬戸惑ったような表情を浮かべた。
「……神父さん?」
「少し、話をさせてもらえますか」
その声は、これまで幾度となく告解室で罪人たちを迎え入れてきた、あの穏やかな声そのものだった。ハウザーは警戒しながらも、どこか安堵したようにドアを大きく開いた。
「入って……ください」
部屋の中は荒れていた。空き瓶が転がり、カーテンは黄ばんでいた。ハウザーはソファに座るよう促したが、ヨハネスは立ったまま、部屋の中央に立つ男を静かに見つめていた。
「あなたは、あの夜のことを覚えていますか」
ハウザーの顔が強張った。
「……あれは、俺じゃない。俺の中の何かが……声が、聞こえて……」
「そうですか」
ヨハネスは頷いた。その声には、怒りも憎しみも滲んでいなかった。ただ、静かな諦念だけがあった。
「では、あなたは今、何を聞いていますか」
その問いに、ハウザーが答えることはなかった。
――そこから先の出来事を、ヨハネス自身、後になってもはっきりと思い出すことができなかった。ただ、気づけば自分の手が血に濡れていたこと。部屋の中が、恐ろしいほど静まり返っていたこと。それだけを覚えていた。
彼はしばらくの間、倒れたハウザーの体を見下ろしたまま動けなかった。恐怖ではなかった。むしろ、奇妙なほどの静けさが胸の中に広がっていた。まるで、長い間止まっていた時計の針が、また動き始めたかのような感覚だった。
だが同時に、冷静な思考も戻ってきた。
――ここで終わらせてはいけない。
彼にとってこの行為は、まだ「復讐」の域を出ていなかった。世間に見せるためのものではない。だからこそ、この死体だけは決して見つかってはならない。もし発覚すれば、事情聴取の対象になるのは自分しかいない。裁判で最も強い動機を持っていた人間として。
彼は雨の中、古いカーペットに死体を包み、車のトランクへと運んだ。街から離れた山中――かつて信者の一人から聞いた、誰も立ち入らない廃坑があった。そこへ向かう道中、ヨハネスの頭の中は不思議なほど静かだった。
穴の底に死体を沈め、土と瓦礫で覆い隠す。作業を終える頃には、空が白み始めていた。
彼は泥にまみれた手を雨水で洗いながら、ポケットから十字架を取り出した。そして、その場に跪いた。
「神よ」
声は掠れていた。
「本当に見ていますか。見ているなら、なぜ私を止めなかったのですか。止めなかったということは……これで、良かったということですか」
答えはなかった。雨音だけが、彼の問いを静かに飲み込んでいった。
「もし、これが罪だというのなら。どうか私を裁いてください。今すぐにでも、構いません」
だが、その願いも、いつものように応えられることはなかった。
彼は長い間、雨の中で跪いたままでいた。そしてやがて立ち上がり、十字架を再びポケットにしまうと、何事もなかったかのように車へと戻った。
その朝、教会に戻ったヨハネスは、いつも通り信者たちを迎えた。穏やかな笑顔で、温かい言葉で。
誰も、彼の外套の裾に残った泥の跡には気づかなかった。




