最悪な再会(二) 縄張りで不意打ち
その夜。
貴公子は、無我夢中で逃げていた。駆ける音が石畳に響き、走り続けた膝が震える。
階段を転びかけながら降り、賑わう建物に辿り着いた。荒い呼吸の中に安堵が広がる。
「残念だったな」
「!!」
追い込まれていた。背後は壁。前には剣を抜いた追っ手の男。
振り上げられた剣に、反射的に顔を背けた。
「ちょっと、ウチの店の裏で何やってんの?」
貴公子が死を覚悟し目を閉じた瞬間、のんびりとした女の声が上から降ってきた。
「チッ、あんたか。大物なんだよ。邪魔しないでくれ」
「へぇ~」
石畳にストンと軽い音がした。恐る恐る目を開けると、貴公子よりだいぶ小柄な少女が彼の前に立っている。
「ここさ、僕の縄張りなの知ってる?」
「追ってる内に入っちまったのさ。すまん」
軽く謝る男を前に、少女の手元が閃いた。
「グゥッ!」
追っ手は喉を押さえ、血を撒き散らして崩れ落ちた。
「あー汚い。店の裏だけど、まずいな。後であのギルドに……ん? 君、まだ逃げてなかったの?」
店の灯りが薄く漏れているだけだが、貴公子に顔を向けた少女は驚くほど美しかった。
「あ……」
「身なりがいいね。あっと、追い剥ぎとかしないよ。僕はそこの酒場で働いてる女給なの。君みたいに何も出来なさそうな子が、なんでこんな危ないところに? ……ってビクついて口もきけないか」
ルーは貴公子に手を差し出すも、震えて肩を竦ませてしまった。とりあえず彼の背を優しく撫でた。まだ若く、自分と同じ年頃と見た。
「君が何者か知らないけど、ちゃんと帰れるまで酒場で休んでいきなよ。その様子だと辻馬車に乗せても行先言えないだろうし」
貴公子は何が何だか分からぬまま、明るい調子の少女に手を引かれ粗末な建物へ向かった。あんなことがあったのに、少女のことは不思議と怖くなかった。
「おかみさーん! 外で病人と遭遇。休ませてもいい?」
「おやなんだい、いいとこの坊ちゃん連れてるからさ、てっきりルーにもイイ人ができたのかと思ったのに」
「イイ人はここにいっぱいいるでしょ! ねー!」
周囲から口笛と歓声が上がる。
「荒っぽいの多いけど、気のいい人らばかりだから大丈夫。ここで座って待っててね」
離れてしまう……。貴公子は咄嗟にルーの手を掴んだ。向けられたその顔は、困ってはいても優しかった。
「初めて来たから……散策していただけだった……」
「一人で? 君の状態だと結構走ったんじゃない?」
「従者と途中まで。夜の祭りを見ていて……そうしたら………」
震えうずくまる背をルーは落ち着くまで撫でる。身なりが良いどころの話ではない。貴族の息子だろうか。この服装なら相当に身分の高い家柄だ。
どこかで見たことのある顔だが、貴族など皆似ている。
こんな目に遭うのも、どこぞで恨みでも買ったのだろう、とルーは見知ったような顔だということは気にしないことにした。
「あまり話さなくてもいいよ。落ち着くまで一緒にいてあげるから」
「帰らなくては……」
「じゃあ、馬車捕まえてくるね」
立ち上がろうとするが、彼はやはり黙ってルーの手を引く。この少女といると不思議と和むのだ。
どこかで会った気がするが……祭りで王家の周囲にいた見物人の一人だったのかもしれない。
ルーは軽く貴公子の様子を見つつ、不意にセスやジョゼが頭に浮かんだ。従者というのは彼を庇って死んだのかもしれない。もしそれが、自分の仲間なら……亡くすなんて耐えられない。
珍しく上流階級の人間に同情が湧いた。
「あんまり付き合ってあげれないけど、安全な所までなら一緒に馬車乗ってもいいよ。場所は?」
「オットマー侯爵家」
ふむふむ、とルーは頷く。あの家なら問題ない。客人ならばやはり相当な身分だ。あまり関わりたくはないが、何となくほうっておけない。
「よし、じゃあ辻馬車一緒に拾いに行こう。おかみさーん、ちょっと出かけてくる!」
「なるべく早く帰ってきとくれよ!」
「あーい! じゃあ行こっか」
笑顔で差し出された手。やはり貴公子はルーに見覚えがあった。それは昔憧れた、姫の笑顔によく似ていた。
辺りを警戒しながら、はぐれてしまわぬよう彼の手を引き、ルーは辻馬車に話をつけた。
即金でないことに渋り出した御者との会話を聞いていた貴公子は、身に付けている物をルーに渡した。
「これは?」
「馬車代、として……」
「お釣りの方が多いよ。仕方ないな、僕が出す。これで良い?」
「そんぐらいもらえれば裏道でも通ってくぜ」
「うーん、険しい道はやめた方がいいね。普通の道でお願い。そのお金はできるだけ頑張る料でいいよ」
「ははは、あいよ」
そんなこんなで祭りで賑わう街中を馬車は駆け出し、妙なことになったもんだとルーはひっそり溜息を吐く。
「その……」
「ん?」
「すまない。私は荒事も苦手で、女の君に助けてもらってしまって……まだ、震えが時折出るようなザマだ」
確かに手が震えている。今は暗くて分からないが、酒場でも顔が青かった。
「女も男も怖いことに関係ないよ。僕はそんな考え、くだらないとしか思わない。誰だって得意なことが違うから。ま、庶民を王侯貴族が人間として扱ってるかなんて、分かんないけどね」
なにか言いたそうにルーに顔を向けた貴公子だが、黙って俯く。ルーはそっとしておくことにした。
男女は関係ない。人は得意なことが違う。
そんな言葉を掛けてくれる人が周りにいたなら……。初めて言ってくれたのは物騒な少女だった。
もし、この少女が城にいてくれたなら、自分は今より自信を持って生きてゆけるのではないだろうか。
貴公子は意を決して少女に話を持ち掛けようとしたが、身分を明かして良いのか躊躇った。
あれこれと思い悩んでいると、少女は歌を口ずさみ始めた。美しい声に思わず聴き惚れていると、胸が締め付けられ涙が頬を伝った。
粗野な物言いの彼女は、思えば清楚な面持ちであり、どことなく品を感じる。元気の良さで気付かなかったが、こうして歌っている姿は可憐だ。
「少しは気が晴れた?」
歌と同じ優しい声。おもねるということをしない心からの優しさ。
「君を妻にしたくなった」
大真面目に言う様子が可笑しく、ルーはぷっと吹き出した。
「それはどーも。歌の褒め言葉って受け止めとくよ」
「歌もだけれど、本当に……傍にいて欲しいと思っている」
「そっか」
簡素な返事をすると、少女は再び歌い出した。貴公子は心から誰かを望んだことも初めてだった。
だが、どう気持ちを伝えて良いのか分からない。
(名ばかりの王子の私に何ができる訳でもない。兄上ならば、こんな時に上手くやるのだろうか)
7つ上の政敵。ほとんど言葉を交わしたことなどない。自分と違い文武両道で戦場から無事帰還するような人物だ。同じ王族でもあまりに違っている。
そういえば、あの姫も男子に劣らぬ狩りの腕前だった。そして、自信に満ち輝いていた。
しかし、母子ともに死したと聞いている。
歌はあの姫を思い出させる。1つ年下の異母妹。
話してみたかった。許されることでもないのに。
笑顔が眩しかった。その姿が少女と重なって仕方がない。全く身分が違うというのに。
「着いたね。御者のおじさん、だいぶ頑張ってくれたなぁ」
気が付けばオットマー侯爵邸前だった。早く戻りたい気持ちと、少女と別れたくない想いが貴公子の中で交錯する。
少女は用心深く馬車から貴公子を下ろし、衛兵に軽く事情を伝えると、彼が無事保護されるまで見届けていた。
「待って!」
立ち去ろうとする少女の手を取り、胸に付けていた、金の細枝で縁取られたアメジストのブローチを差し出した。
「もし、王都に来ることがあったら。これを持って城を訪ねて欲しい」
「城?」
心無しか少女が後ずさりしかけた気がしたが、貴公子は自分の気持ちを伝えるので精一杯だった。
「私はエルミア王子ユリアン。また君に会いたい。だから……」
「いらない」
「え……」
あのボンクラがこう成長したか。
ルーは出会いの皮肉に内心唾棄する。国王といい、次から次へと。
「城なんて行けるような身分でもないし服もない。そんなことも分からないの? 衛兵さん、殿下は非常にお疲れだからお連れして差しあげて。さっき言ってなかったけど、命を狙われて危険な場所まで逃げてきたから」
血相を変えた衛兵の一人は伝令に走り、もう一人はユリアンを急ぎルーから離そうとする。
「無礼者! 会話の最中だ。控えろ」
生まれて初めて声を荒らげた。彼女を粗末に扱われたくなかった。自由を教えてくれた彼女に、卑屈な言葉を吐かせてしまった。
ユリアンは受け取って貰えなかったブローチを無理矢理ルーのエプロンに入れた。
「ちょっ……」
「城に来なくてもいい。忘れないで欲しい。君は素晴らしい人だから。もしできることならまた、必ずあの酒場に行く!」
「絡まれても、もう助けないからね。じゃ」
オットマー侯爵邸から人が大勢出てきた。手渡されたブローチを突き返したいルーだが、急いでその場から立ち去る方が賢明だと判断し、駆け出した。
ユリアンが止める間もなく、ルーは軽々と姿を消してしまった。
「殿下、ご無事で……」
「大事ない。従者が殺された。探してくれ」
「すぐに。まずは御身を休めてください」
もう十分に休んだ。ユリアンは優しく背を撫でてくれたルーの笑顔を思い浮かべた。




