王女の小さな手を取る黒鷹(一)
国葬を終えた王宮はなお喪に沈み、華やかな庭園も人影を失っていた。
忙しなく小走りをしていた若い使用人達の活気は静けさの中に足音を潜め、人通りが減った回廊では、黒衣の宮廷人が声を落とし言葉を交わす。
装飾品に掛けられた黒い厚布は、厳粛すぎるほどの空気と相まって、マリエル妃を失った哀しみを一層際立たせている。
そんな中、やはりひっそりと部屋で過ごしているルーは、小さく息を吐き窓を眺める。だが、それはほんのひと時ことで、膝に置いていた布を持ち上げると、刺繍の続きを黙々と始めた。
国葬が終わった後のルーは、いつもこんな調子だ。
活発に歩き回っていた庭園にも行かず、剣は早朝の一人稽古のみ。ローラントの部屋も訪ねず、ユリアンの庭園にも行かない。控えめに行われる講義中はどこかうわの空であり、しばらく休ませよう、という話にまでなった。
当然周囲は気にし出す。黙っていればマリエル妃の生き写しなだけに、魂が乗り移ったのではないかとまで噂させるほど慎ましい。
時折部屋から出て図書館へ向かえば、楚々とした様子で歩き、すぐに部屋に引っ込んでしまうのだ。
普段は小言が多いデュラン夫人は、全く叱ることもないほどのしっとりとした貴婦人ぶりに、なにやら噂が真実のように思えてくる。
「ベルティナさん、少しいいかしら」
「ルーのことですか?」
「ええ、大変淑やかでいらっしゃるのですが……」
クラーラも気掛かりだった。大神殿で歌っていたルーの姿は、天に昇ってしまうのではと思うほどに美しかった。守護大精霊に見初められ、連れて行かれるのではないか、と心配で仕方がない。
「ずっと気を張っていらしたということでしょうか。ベルティナさん、例の件は……」
「あれも本当は辛かったのかもしれませんね。今日はギルバート様がいらっしゃるので、進展があると良いのですが……」
三人はルーに目を向ける。黙々と作っているモチーフがメロヴィア刺繍なだけに、どうしても噂を考えてしまうのだ。
カタ……と私室の外から音が鳴り、寄り添うように立っていた女官三人は飛び上がりかける。クラーラはデュラン夫人の後ろに隠れた。
ベルが次の間の扉の外をそっと改めると、宮廷の喪に慣れていない若い侍女が、足音を立てないように茶を持ってきただけだった。
ひっそりと胸を撫で下ろした三人。デュラン夫人がそっと茶を置き、チラとルーの様子を窺う。
口元に柔らかな微笑みを浮かべ、静かに刺繍に勤しむ姿は、聞き及んでいたマリエル妃その人でしかなかった。
静かに合流した三人は、胸を押さえ固唾を飲んでルーの様子を眺めた。
と、おもむろに椅子から立ち上がったルー。
もしや、自分達の心中までマリエル妃の魂は察したのか。
涙さえ浮かべ始めたクラーラの前で、刺繍を両手で抱えたルーは、胸の高さで前に突き出した。
「できたーーー!」
ぴょんと飛び、大きな声で喜びだした。
いよいよ頭が……。三人は哀れなあまり涙を流し始めた。
「何泣いてんの?」
三人は揃って首を傾げる。
なにやら普段通りに見える。この数日は寝る時か食べる以外はずっと刺繍に没頭し、声をかけても生返事だったというのに。
涙が引っ込んだベルは、遠慮がちに確かめてみた。
「えっと……今、喋ってるのって、ルー?」
「他に誰がいるのさ」
普通のルーだった。三人は安堵で気が抜け、長椅子にへたり込む。
「何があったか知らないけど、元気出してね?」
人の心配を他所に勘違いの慰めをされ、さすがにクラーラは気になり、今までのことを話さずにはいられなかった。
話を聞いたルーは腹を抱えて大声で笑う。
喪中なので慎まねばならない。デュラン夫人は慌てて元の淑やかな姫に戻そうとする。
「いや、ごめんごめん。ずっと刺繍しててさ」
「それはずっと拝見しておりました。図書館に足を運ばれていても、普段の数倍お上品でしたのよ? 心配もいたします!」
割と失礼なことを言われているが、だいぶ気を揉ませてしまったことは理解し、ルーは出来上がった刺繍を見せた。
女官達は喪のしきたり通り、あまり近づかないようにしていたので、刺繍の進み具合も見れていなかった。
「見て見て! ギルバート様の誕生日プレゼント! 時間ないからすごく急いで作ったけど、上手くできたと思う~」
ベルがぽんと手を叩く。そういえばそんな時期だ。
「じゃあ、今日に合わせて?」
「うん、考えてみたらメロヴィア刺繍のは贈ったことがなかったから。急いで準備しなきゃ!」
せかせかと動き始めた様子は、今までなんだったのか、と思うほど普通にルーだった。
「あの黒いショールどこにあったっけ?」
「そういったことは私がやります!」
「姫様! 王女たるもの、そのような動きをしてはなりません!」
いつもの部屋の雰囲気に戻った。ベルはクスリと微笑むと、静かに私室から下がった。
***
ベルは人目を避ける近道で、ギルバートの部屋へ向かった。
「ルディカ王女殿下付き女官、ベルティナ・フォン・ライヒです」
宮廷内の空気に合わせるように、普段より重々しくゆっくりと開けられた扉から、ベルは粛々と室内に入り、取次の従者に親しげに声を掛けられる。
「ルーは元気かい?」
「相変わらずよ」
入口の兵はギルバートの息が掛かった者、室内に入れば元リンツァメンバーが取次。
もっと話を聞きたそうな彼の肩を叩き、執務室へと進む。
「ギルバート様、ルーが復活しました」
喪の宮殿内よりもどんよりとしていたギルバートが、椅子を鳴らし立ち上がる。
「そうかっ! あの子なら母の死を乗り越え、再び顔を上げてくれると信じていた!」
ギルバートが予定していた王女居室への訪問は、ルーの見舞いだ。
「もうとっくの昔に立ち直っていましたよ。なんであんなに淑やかになっていたのかは……」
ふふっと笑い、含んだような話し方をする。本当にルーのこととなるとただの親バカだ。
「行けば分かります。それで、先にお話とは。あの件で何か進展でも?」
ルーが元気だと聞き、ギルバートはすっかり普段通りの尊大さに戻り深々と椅子に座り直す。親子? と思うほどこういったところはルーもよく似ている。
「ルシタールに繋がりそうだ。ということだが、都合の良いことにルシタールと同盟を見据えた国交締結をすることになった」
ルシタール。国交はないが密かに出入りする者はいる。タルンシュタットの酒場でよく見かけたものだ。
「あの国はあまり暗殺者がいない認識でした。エルミアが多すぎるだけですが」
「そうだ。ゆえに毒の件は国家としてではなく、貴族か雇われの手だろう。マリエル妃に届いた品の出所にも筋が通る。あくまでも推測の域だが、可能性は極めて高い」
ベルはギルバートの話に険しい顔になる。国交開設がどれほど時のかかるものか想像がつかないが、すぐに行けたとしても自由に動けるか分からない。しかも他国の貴族でもあの品ならば相当の身分だ。
「ルーに知らせないつもりですか?」
ギルバートは頷き、やや表情を変える。
「まだ不確かな状態では知らせるだけ酷だろう。この話はここまでだが、おまえに動いてもらう」
ベルは片眉を上げる。
「じきにルシタールと限定的に国交を結ぶ。内容は国境でのみ試験的に貿易をすることだ。条約締結には私が赴く」
「それってまさか、全権公使が?」
「私だ」
「あら、それはおめでとうございます」
「おまえを私の補佐として同行させる。見聞きしたことをルーのために持ち帰れ」
ただの宮廷御用達でないのは宰相との繋がりや、王宮に専用の部屋を設けられたことでわかることだが、話は国の特命全権公使だ。
貴族でもないギルバートの宮廷での影響力の大きさを物語っている。
軽く祝福したベルにギルバートは肩をすくめる。
「向こうも半分商人のような貴族が来る。商取引の話になるなら、そちらに明るい方がよいとのことだ」
ここまで話すとギルバートは立ち上がり優雅に手を差し伸べる。
「参りましょうか、ライヒ夫人」
話は終わり、ルーの部屋へ行くということだ。ベルは口元に艶やかな微笑みを浮かべ応えた。
***
「誕生日……」
ルーの居室を訪れたギルバートは、渡されたメロヴィア刺繍のブックカバーを見て胸が熱くなる。しかも近頃ルーが大人しかったのは、これを作るために集中していたからだという。もはや感動は言い表せない。
共に卓に着くことを許された女官三人の内、ベル以外は微笑ましく眺めている。
見慣れているベルは静かに茶を口に含んだ。
「うん、なかなか取り掛かれなかったから頑張ったよ。季節のお花を本で探したりして図案も工夫してみたの。どう?」
ルーの図書館行きはすっかり噂になっていただけに、ギルバートは国宝級の宝を扱うがごとく丁寧に手に乗せている。
「王女になったら贈られることはないと思っていた。今年も素晴らしい品をありがとう。ルーは何をやっても上手だなぁ」
照れるルー、微笑ましく眺める女官二人、若干引き気味のベル。
ふと、クラーラは気になった。
毎年?
「ああ、ギルバート様は僕が10歳の頃に庇護してくれただけでなく、ちゃんとした教育を受けさせてくれたの。お父様みたいな存在だから、何か渡したいと思って誕生日にレース編みを贈ったら、凄く気に入ってくれたんだ。それから毎年贈ってる」
懐かしそうに話すルー。10歳はルーが……。
クラーラの気遣わしげな表情に、ルーはニッコリと微笑み、遠くを見るように目を細めた。
「暗殺者になった、くらいしか話してなかったね。じゃあ少し話そうかな。ギルバート様が僕にとってどんな人か」
デュラン夫人はルーにミルクたっぷりのコーヒーを出し、そっと腰掛けた。ベルでも知らないことは多い。
卓の黒いクロスをさすり、ルーはゆっくりと語り出した。
王宮へ戻るきっかけになったかもしれない、ギルバートとの出会いと、共に過ごした日々を。




