母から受け継いだもの
いつもの閉店後。
カウンターテーブルに腰掛け、足をブラブラとさせながら帳簿を見て唸っているルー。
真面目な顔とは裏腹な仕草に、つい笑ってしまうマスターことセスは、薄いコーヒーにミルクと砂糖を入れたカプツィナーをコトリと置く。
「白麦の上がりが気になるね」
「買い占められているからね。まあ、そこに明日は行ってもらうんだけど」
カプツィナーを飲みながらまだ唸っているルーを器用な子だな、とのんびりカップを磨く。
「どこかの商会が押さえてるんだっけ? ただでさえ今年は不作だったのに。せめて商人ギルドに渡れば少しはマシなんだろうけど……」
唸っているルーが国を案じていることが分かるだけに、セスの胸に切なさが走る。
幼い頃から聡く、また、離宮に住んでいたことが幸いし、庶民の暮らしぶりを間近で見てきた。時には勝手に王都に行ってしまい、叱ったこともある。
──私が女王になったら、この国をもっと豊かにするの
女に王位継承権がないことを理解していても、ルディカ王女だったあの頃ルーは夢見ていた。鍛錬していればいつかは、と。
婚姻に使われるだけのために、神聖な巫女から王女に還俗させられたルディカの母マリエル妃は、小国メロヴィアから嫁いできた。
しかし妊娠中、病がちになり、ルディカを出産後ついには子を産むことができなくなった。そんな母子に王宮は冷たく、二人は王都郊外の離宮へと移されてしまう。
(ルーはこのままで本当に良いのでしょうか。マリエル様……)
***
祖国で名の通った騎士貴族家出身のセス・ルジェクは、エルミア王妃として嫁いだマリエル妃の護衛騎士として追従した。
王宮から離宮へ移されて後は、あまりの人手不足により、侍従としての役割を超え、まるで執事のようにマリエル母子の世話を焼かざるを得なくなった。
そんな中、幼いルディカに剣の稽古をせがまれ試しにやってみたところ、筋が良いどころの話ではなかった。
逸材である、と確信したセスはマリエル妃にエルミア王国剣術を学ばせるべきと提案すると、妃は顔を曇らせる。
「この国で確たる後ろ盾のない女子が、過分な才を持つことで危険な目に遭わねば良いのですが……」
そうは言ってもマリエル妃も愛娘の才を潰したくはなかった。
教育係すら付けてもらえず埋もれてゆきそうな才をセスとマリエル妃、そして従者として付いている密偵ジョゼ・シェディーが伸ばしていったのだ。
ここで、助けてくれる人物がいた。お忍びで遊びに来る異母兄のローラント王子だ。
「ルーはもうこんな難しい本を読めるのですか? 」
ルディカより8つ年上のローラントは、愛称で呼ぶほどの可愛がりようだった。
どの王子よりも遥かに秀で、期待は高かった。
そんな彼の母妃はマリエル妃が王宮住まいの頃に親しくなり、人目を忍んでは食料などを届けてくれていた。
ローラントの方はルディカの為に滅多に手に入らない本を渡し、エルミア王国式剣術の手ほどきをしていた。
だが、有能過ぎた彼はほどなくして、政敵の画策により激戦地へ送られる。
そして、事件は起きた。
「すぐにお支度を! マリエル様と姫の暗殺計画が上がっております。これまでになく大掛かりで、実行は目前です!」
母子の部屋に飛び込んできたジョゼにより、もたらされた衝撃の報。
事の発端は、ルディカが王家の狩りで目立った功績を上げてしまったことによる。
母の待遇をもっと良くしたいと、日々純粋に鍛錬に励んでいたルディカは、若干10歳にしては冴えており、貴賓席がどよめいた。
他の王子たちはまともに獲物を仕留められなかった。唯一戦場にいる王子ローラントを除けば、誰もが幼い姫の才を目の当たりにしたのだ。
この後、ルディカは初めて王宮に呼ばれた。
自分の行いが認められた。褒めて貰えたなら、母の病気もきっと良くなる。
そんな幼い願いを胸いっぱいに抱いていた。
アドラー宮殿王座の間には、王の左右に近衛、そして数名の重臣が控えていた。
空気が張りつめる中、ルディカはただただ父の温かい言葉を待ち、胸を高鳴らせる。
が、掛けられた言葉は、
「女は女らしく盛り立て役に徹していれば良かった」
という冷えた一言であった。
頭の中が真っ白になったルディカに、宰相から王族の剣を手渡されると、王は一瞥もせずその場から立ち去った。
「セス……私の配慮が足りなかったみたい」
泣き出しそうになりながらも、マリエル妃の前では父に褒められたと王家の剣を笑顔で見せるルディカが、セスには堪らなく切なかった。
自分こそ配慮が足りなかった。ルディカの才がここまで疎まれるとは思っていなかった、と。
「なぜだ! 離宮に移すのみでは飽き足らず……ここまでするほど何をしたと言うんだ!」
普段は沈着冷静なセスは珍しく憤りを隠せなかった。
宮廷は魔窟だ。弱ければ足元を掬われ、才覚は潰される。
こんな所にいる必要はない。
セスとジョゼはマリエル妃に祖国への逃亡を持ちかけた。しかし……。
「私はこのエルミア国の王妃です。どんな立ち位置にいようと、妃が逃亡などすれば民が迷いましょう。それに、我が祖国にも類が及びます」
大人達の中でルディカは不安そうな顔をしていた。マリエル妃は優しく呼び、温もりを確かめるように抱きしめる。
「あなたは生きなさい。強く賢く、そして優しいルー。お母様はあなたが生まれてきてくれて、幸せでした」
「お母様は、ずっと一緒よね?」
「ルー……ええ、ずっと一緒よ。これを持って行きなさい」
マリエル妃はそっとルディカから離れると、首にかけているペンダントを外し、小さな首に掛けた。
そしてペンダントに手を当てる。
「水の大精霊様、この子をお守り下さい……。さあルー。お母様は後から行くから、セスとジョゼと先に行っていて」
「嘘よ! さっき妃だから国から出られないって……私分かってるもん。お母様が一緒じゃなきゃ行かない! こんなの!」
ペンダントを外そうとするルディカに、マリエル妃は小瓶を嗅がせる。カクンと崩れるルディカを一度抱きしめると、セスに目を向けた。
「この子をお願いします。どんな生き方でもいい。無事でいてくれるだけで……」
「マリエル様っ、私は……」
密かに慕っていた神聖な巫女。
セスはマリエルが拒んでも連れ出したかった。そんなことは今まで幾度もあった。
「もう時がないぞ」
焦る声を上げたジョゼは、マリエルの祖国メロヴィアでは巫女頭を守護する隠密スティーンであり、セス同様メロヴィアからマリエル妃に付いてきた。
そしてたった今、仲間がもたらした情報により、ついに暗殺者達が目前に迫っていることを知ったのだ。
ジョゼはギリッと奥歯を噛み締め、マリエル妃からルディカを受け取る。
長いまつ毛に留まっていた涙がポロリと流れるのも気付かず、スヤスヤと眠っている幼子。首から下がる印のペンダント。
受け継いだのなら、スティーンとして守るのは……この姫だ。
「セス、祖国に戻ればルーに仕える必要などないあなたにあえてお願いします。これよりあの子を私と思い守って下さい」
「あなたはどんなに残酷なことを言っているのか、お分かりですか? 妃がなんだと言うのです。エルミアが……メロヴィアが何をしてくれましたか? もう自由になってもよいでしょう!」
憤るセスの手をマリエルはそっと掴む。まだマリエルが幼い巫女だった頃のように。
「……懐かしいことを言ってくれますね」
──嫌なら自由になろうよ!
幼い頃の記憶に微笑み、マリエルはセスの手を離した。
「私の代わりにあの子を。狙いは私。ここで囮になります。あの子はついででしょう」
「……どうしても残ると仰るのですか」
「どうしても、です。あなたもそれが最善と分かっているのでしょう? 私の最期の甘えと思って、どうか……」
セスはマリエルに伸ばしかけた手をグッと握る。
恋い慕い、尽してきた人を置き、生き延びる自分は何なのか……。
それでも彼の人の願いを聞かねばと体が動く。
「……御免!」
セスはマリエル妃を目に焼き付け、眠るルディカを抱え様子を伺っていたジョゼと共に離宮から抜け出した。
「あなたは逃げなくてよかったの?」
マリエル妃は黙って控えている侍女に穏やかに尋ねる。答えは分かっていた。
「一人くらいお供させて下さってもよいでしょう」
「ありがとう。最期まで勇気を持てそうよ」
妃が逃げるなどあってはならない。しかし無惨に殺そうと言うのなら……。
鍵をかけた離宮の扉が破壊された。バタバタと足音が近付いてくる。気高い誇りがマリエルの口角を上げ、不敵に呟く。
「私を侮るでない」
寝台に置かれていた剣を抜き、手と剣の柄を布でグッと巻き付け固定させた。
扉が蹴破られた時には、マリエルと侍女は水面の揺らめきのような祖国独特の構えを取っていた。
侍女がマリエルを庇い床に崩れ落ちる。
刺客がここぞとばかりにマリエルを襲うも、蛇のようにしなやかに身を翻した彼女は、家具の影へと滑り込み、乱れた一瞬の揺らぎに水の線のような一閃を繰り出した。
「くそっ! 聞いてないぞ!」
病で伏せってばかりの妃だとの情報から、侮っていた刺客達は焦り出し、一斉に斬りかかった。
マリエルは舞うように鮮やかな動きで同士討ちさせ、さらに滑らかに斬り捨ててゆく。
が、やはり病の身では多勢に無勢。体勢を崩した一瞬で剣を持つ手首を切り落とされる。
「ルー……」
幾本もの刃がマリエルの身体を貫いた時、最期に彼女は天に向かい愛しい我が子を呼んだ。
***
「マスター」
「……。」
「まーすーたーー!」
「あ……ごめんごめん。何の話だっけ?」
愛する人に良く似た面差し、いや、もっと活発だ。ルーは不満げに頬を膨らませている。
良くここまで育ってくれたものだ。
「白麦爆弾の話だよ。独り占めしてる所でドカンって殺し方どう?」
「粉に火を入れても、たいていは表面が焦げるだけで火薬みたいにドカンとはいかないかな。ルーの好きな『異端ごっこ』にも入らないしね」
「火薬使わないの? じゃあやらなーい。花火みたいで楽しいと思ったのになぁ」
残念そうな声を上げるルーの首には、母マリエルのペンダントが揺れている。ずっと傍に、という母の言葉の通り、ルーはペンダントを肌身離さずにいる。
「なんで花火なんて好きになってしまったのかねぇ」
「綺麗だから? 死んだ人も楽しく見れるんじゃない?」
殺すと決めると一切の情を無くす。この子は命の線引きをどこでしているのだろう。
セスは嬉々として殺しの話をするルーに慣れてしまった自分を幾度も責めてきた。
「辛気臭い面だねぇ」
店の影からジョゼが現れた。酒場の仕事に遅刻する時間だ! と店から駆け出して行ったルーの背を見送り、グラスに水を入れるとカウンターに座る。
のんびりとグラスを揺らし楽しんでから、ジョゼはおもむろに口を開く。
「マスター。俺さ、ベルから聞いたんだよ」
「ベル? 何かあったのかい?」
「いや、なんもないけど……ルーがさ、歌ってたらしい。あの歌を、さ」
グラスを磨くセスの手が止まる。
「そうか……よほどベルが好きなんだなぁ」
一人で酒場なんて心配だ、とルーと共に働いているベル。彼女がここに来てから一年が経った。
(マリエル様、あなたの愛娘は良き友人を得ましたよ)
ルーのお気に入りのグラスを手に取り、柔らかく微笑む。
ジョゼはその様子を見ると、小さく口角を上げ、カウンター席から立ち上がった。
「さーて、おっかないお姫様の仕事のために情報入れてくるわ」
軽く手を挙げ出掛けるジョゼを見送りながら、セスは手に持ったグラスの輝きに、ルーのこれからを考える。
マリエル妃ならばどうしていたのだろう、と。
あの逃亡の日、ジョゼらスティーンはルーをセスに預け、密かに離宮を探りに戻った。
マリエル妃の亡骸についてジョゼは口を噤んでいる。
ただ一言。
最期まで誇り高い方だった、とだけセスは伝えられた。




