殺戮天使(三)守る理由
「う……っ」
「ベルおねーさん! マスター、ジョゼ、おねーさん目覚ました!」
「ルー……」
ルーの声に反応した身体は、鉛のように動かなかった。そういえば麻痺毒を食らったのだと、ベルは重い瞼を開く。
「守るって、言ったのに……遅くなって、ごめんね……」
ぽろぽろと涙を流すルーが、すぐ傍に。
生きて会えた。胸に熱さが込み上げる。
「ありが……とう……あい……た、かっ……た」
痺れた舌でたどたどしく伝えると、ルーは泣きじゃくってしまい、マスターが優しくその頭を撫でる。
ジョゼと呼ばれた密偵員は、ベルの容態を診ている。
「こりゃ下手すりゃ心臓まで麻痺ってたな。動きを止めるだけにこんなの使いやがって、あいつバカでチキンだぜ」
悪態を吐きつつ、表情は深刻だ。
毒使いの自分が毒で死にかけるとは、なんと滑稽なことだろう。
ベルとジョゼを交互に見ているルーは、不安そうにジョゼに尋ねる。
「もう飲ませて大丈夫?」
「喋れてるからだいぶ落ち着いただろうな。喉の麻痺はまだ残ってるかもしれねえ。注意して飲ませてやんな」
クスンと鼻をすすり、ルーはベルを少し起こすと、ジョゼから渡された小瓶の液体を慎重に飲ませた。ベルはその味で解毒剤なのだと分かった。それなりに値が張る物だ。
飲み終えたのを確認したルーは、その日からベルの様態が落ち着くまで毎日見舞い傍にいた。
そんな中、彼女は時折歌うことがあった。
(こんなに歌が上手だったのね。まだ知らない事ばかり……)
どこのものなのか、ベルの知らない言葉。聴いていると、麗らかな陽射しが差し込むような温もりが胸に広がった。この歌はルーの優しさそのものだ。
そんな日々が続いたある夜。ふと目を覚ますと、ルーはまだ来ていなかった。
ギルドに女はルーとベルだけだ。彼女は忙しい合間を縫い、できる限りベルの看病をしに来ている。
「誰かいるの?」
暗がりに影を感じた。警戒するも、ベルはまだ満足に動けない。
「あー、わりぃ。俺だ」
「ジョゼ……」
ほっとするベルに近寄るジョゼは、普段と何かが違う。看病する様子もない。
灯りがともると、ジョゼは無言で腰を下ろした。
「そろそろあんたに聞いておきたいことがあってさ。あん時、ルーの武器は何だったか、見たか?」
ジョゼの鋭い目がベルを刺す。
「……鍔の三ツ麦穂まで見たわ」
それを聞いたジョゼは、深く息を吐き眉間を押さえると、きっぱりとベルを見据える。
「見なかったことにしてくれるか? そんなら、生かす」
ベルの脳裏にルーの歌声が流れた。心地よく、ずっと聴いていたいような、それでいてどこか懐かしいあの旋律。
「単なる口約束で生かしてくれるなんて、優しいわね。それじゃ……」
大きく息を吸った。生かされ看病されながらずっと考えていたことがある。
依然眼光鋭いジョゼの目をしっかりと見つめた。
「命の借りは命で返させて。私をリンツァに置かせてください」
鈍い体を引きずるように、精一杯背筋を伸ばす。
ジョゼはふっと視線を緩めた。命の借りは……古き良き暗殺者伝統の言葉だ。そんな精神は既に廃れているが……。
「だとさ、マスター」
ジョゼがヒョイと後ろを向くと、マスターが立っていた。
ベルは驚かなかった。ジョゼと同じくらいルーを可愛がっている彼が、今ここにいないはずはないと確信していた。
マスターはそんなベルに、穏やかに頷く。
「おかえり、ベル。歓迎するよ」
こうしてベルは正式に仲間となった。
朝になって話を聞き付けたルーは、カフェが終わると急いでベルの元に駆け付けた。
来る度に菓子を持ってきて自分で食べているのだから、ベルは笑ってしまう。そんなルーから大切な話がある、と言われた。何となく察したベルはやや緊張気味で頷く。
「んじゃ話すね。僕がこの国の王女なのは大したことじゃないんだけど……」
いきなり核心をサラリと言い出し、続きを語ろうとするルーをベルは急ぎ止める。
「ちょっ、ちょっと待って! どうでも良くないのと、秘密にしないといけないことが何となく一致したけれど、そこは……えーっと、どうでも良くない!」
大いに焦るベルの前で、ルーはマスターが焼いたクッキーを呑気にもぐもぐと食べている。
「噂、色々あるよね」
見透かしたようにニシシと笑うルーは、噂とは全く違い天真爛漫だ。
「おねーさんが見てる今が真実で全てだよ。僕は離宮で静養暮らしなんてしてない。本来守るはずの民とやらを殺してる単なる裏社会の人間でしかない。言い訳になるけど、これしか生き残る道がなかった。そんだけ」
そこまで話すと、ルーは再び話をベルのことに戻そうとする。本人にとって本当にどうでも良いことなのはベルも理解したが、それならばなぜあんな剣を持ち出したのか。
「んー、あれは勢いだったかな」
「勢いって……。あなた、裏社会にいるってことは王家から隠れてるんでしょ?」
「さすが鋭い!」
「からかわないでちゃんと話しなさいな」
業を煮やしたベルがピシャリと言うと、ルーはしゅんと肩を落とす。
王女と聞いたばかりなのに、対応を変えない自分は不敬だろう。ベルは内心で苦笑いするも、ルーは敬われることなど望んでいない気がした。
「あれさ、王族の証だったりするんだよ。まー、王族なんて青瓢箪ばっかだから? 剣すらまともに扱えないけどね。って、それはまあいいや。で、あの時はたまたま手入れしてて、報せ聞いてカッとなってつい……」
「持ってきちゃったの?」
「うん……」
叱られた子供のように、再びしゅんとするルー。
(なかなか頭がついてこない。けど……)
ルーは破天荒なところがあれど、用心深く賢い。簡単に王族の秘密を見せるとは思えなかった。
では気に入っているとは? 何かを期待されていても自分は殺しくらいしかできない。
「どうして助けてくれたのか教えてくれる? 守るって言ってくれていたけれど」
彼女の方こそ守られるべき人物だ。恐らくはギルドが守っているのだろう。
そんなことを考えながら問うてみると、ルーはとても嬉しそうな顔になった。
「ベルおねーさんは皆に優しくしてくれた。そこに演技はなかったの気付いたの。だから、あんな雇い主なんか早く手を切って貰いたかった」
「そんな……ことで?」
まさか理由がそれだけだとは思わなかったベルは、酷く驚いた。
動揺しているベルにルーはこくりと頷き、パッと笑顔になる。
「あとはね、おねーさんが作った秘伝のスパイス料理、すっごく美味しいから!」
弾けるような笑顔だった。この笑顔を見ていて、任務中どんなに心が揺らいだことか。暗殺者失格だ。
だが、自分の技術が役に立つのならば。
「つまみ食いばかりしていたものね。回復したら皆に振る舞いたいわ」
皆にと言われやはり嬉しそうな顔になるルー。こんなに表情が変わる暗殺者も珍しい。
「約束ね! じゃあ、今日もお散歩練習しよ!」
「ええ、お願いね」
殺伐と生きてきた人生に、こんな穏やかな時間が訪れるとは。
ルーの温もりに触れながら、ベルの胸に言い知れぬ喜びが満ちていった。




