母の国葬に捧げる祈りの歌
国葬二日前、ルーは葬儀の準備として用意された棺の中にいる母と対面した。
これについては事前に密かな審議があった。
殺害されたマリエル妃は、公には療養とされているため、真相を知る者はほとんどいない。
漏らせば領地召し上げどころでは済まない、箝口令には厳格な処罰が伴っていたからだ。
その状況はルディカを王宮へ迎えた今も続いている。憶測を呼び、陰謀がさらに蔓延る火種になりかねない措置だが、これには実行犯や関わった者を炙り出すと言う王の強い意図もある。
そんな訳で、内々に明かされている宰相をはじめとする重鎮達や、生前マリエルと親しかったゼラフィーナ、ローラントが王と話し合ったのである。
防腐処理されしぼんだ状態の遺体を娘たる王女の目に触れさせるものではない、と反対の意見が多かったが、
「戦争で近しい者を失った時は、遺族に意思を委ねる」
と言うフェルデン将軍の意見に、ローラントとデュラン家を始め、軍関係者が賛成した。それならば可能な限り復元し、ルディカに意思を確認した上でならば、と採決された。
もちろんルーは二つ返事で了承した。
ローラントを護衛として伴い、マリエル専用聖堂で棺を見たルーは、思わず小さく声を漏らす。
「メロヴィア刺繍のモチーフ……」
エルミア伝統の荘厳できらびやかな物ではなく、オークの木に母が好んでいたメロヴィア刺繍のモチーフが彫刻された、可憐で慎ましく上品な棺だった。
それは、長きにわたり葬儀を挙げることも叶わなかった、マリエル妃の最期を彩る父の愛の証。ルーは胸に熱さが込み上げる。この国では異質のそれを父は……。
そっと彫刻に触れた。たくさんのロウソクがゆらゆらと模様を照らす。
どんなに何があっても祖国を愛し、エルミアに最期まで尽くした母。本当は何を考えて過ごし、父をどんなに愛していたのだろうか。
普段は個より国を重んじる父が、慣習より母への想いを選び、この棺を作ったのはどんな気持ちだったのだろう。
「優しい棺……」
「マリエル様らしいな」
「うん……」
ローラントもこういった棺を初めて見たので、父王が秘してきた想いがひしひしと伝わった。
「お母様に会おうかな」
「棺番、蓋を開け」
ローラントが命じている声が、ルーには半歩遅れて聞こえる。棺番が粛々と歩き蓋を開けるまでの間が、残像のようにゆっくり映る。
目の前に会いたいと切望していた母が現れる。それがルーには酷く奇妙なことに思えたのだ。
そして、5年前に別れた母──遺体と対面した。
母は王妃に相応しい壮麗な服を着て安置されている。優しく白い絹に包まれ、眠っているようだ。
たとえ、見た目が人形に近い状態であっても。
「ただいま、お母様」
百合の花を持ったルーは泣きもせずに、親しげに声を掛けた。まるで生者に声を掛けるように。
「あれから5年経ったよ。それなのにお母様とちゃんと会えるように、綺麗にしてくれた方々に、感謝しないとね」
携えてきた竪琴。幼い頃、母はこれを鳴らし、ルーによく歌ってくれた。
メロヴィア刺繍が施された母が愛用していたショールと一緒に、竪琴をそっと入れた。
「あのね、大切な報告があるの。隣にいるローラント兄様と婚約するんだよ。きっと、お母様とお父様みたいになれると思う。そしてね、お母様の騎士だったセスと、ジョゼやスティーンのみんなが私の騎士になってくれたの。宰相様が口添えくださったんですって。それから、お母様の大切なお友達のゼラフィーナ様を今はお義母さまとお呼びしているの。他にもたくさんたくさん、優しい人達に出会って、皆に助けられて……私は、お母様に会えたんだよ。私は……お母様に産んでもらえて、幸せよ……」
言葉が揺れるルーの背に、ローラントは静かに手を添え、マリエルに向かい礼を尽くすように目を伏せた。
「マリエル様、ルディカは私が必ずや守り抜きます。ルディカの言葉どおり、多くの仲間達と共に。あなたの大切な娘は、あなたのように美しく、誇り高く、心優しい王女に育ちました。私はルディカを心より愛しております。あなたが遺したこの子のことはご安心ください。どうぞ安らかに……」
二人はひとつの百合を持ち合い、マリエル妃にそっと添え、黙祷した。
その後、マリエルの髪が5cmほど切られるという事件があった。
ルーが遺品として持っていったのだろう、と考えられていたが、ルー達を傍で見ていた棺番からは、棺に品を入れてはいたが、髪や服を切るようなことはしていなかったとの証言を得る。王は持っておらず、近親者として対面したゼラフィーナも持っていない。
国葬前日、幸いなことに隠せる範囲だったことで、葬儀に支障はないが、不気味さが残った。
王とゼラフィーナ、関係者はこの件に関してルーの心痛を鑑み、秘することとした。
***
そして国葬の日。
棺が城から運び出され、王妃マリエルの葬列は大神殿へと進んで行った。
人々の関心はルディカに向けられている。
何も知らない者にとっては、戻った途端に5年もの闘病生活をしていた母が身罷った悲運の姫。
やや噂を聞きかじった程度の者の中には、女のくせに王位継承権など得たからこんな悲劇を招いたのだ、と吹聴する輩もいたが、ルディカの毅然とした姿を目の当たりにした者たちは聞く耳を持たなかった。
琥珀の印を持つ神聖な王女が、濃いヴェールで顔を覆い哀しみを表している様子は、涙を誘った。
大神殿に到着した棺は粛々と祭壇へと運ばれ、場には厳かな静寂が広がった。
だが布が取り払われると、参列者は固唾を飲み、密かなざわめきを漏らす。
花を捧げながらも、その視線は棺に引き寄せられていた。
外国からは宰相や王族が参列しており、ただの官僚を送り込んだメロヴィアは目立っていた。
居心地の悪い中、メロヴィア外交官は棺に刻まれたメロヴィア刺繍モチーフを見て息を飲む。
話が違う……冷遇されていたのではなかったのか。だからこそ、メロヴィアはマリエル母子を切り捨てたのだ、と。
(あれが噂の姫か)
遺体が復元されていても、見る者が見れば人形のように見える。
暗殺説は真実で遺体は晒せる状態ではないのでは、と囁かれる中、実の娘であるルディカは背筋を凜と正し、葬儀参列者を迎えている。
参列者から聞こえる心ない声。ユリアンが気にしているので、ルーは少し微笑みを向けた。
言われていることは、事情を知らぬ者ならもっともなことばかりだ。
(分かるんだけど……。僕の気持ちは、お母様は……)
ルーは一度静かに息を吸い、ゆっくりと吐く。心を落ち着けると、棺が目に入る。父が母への愛を示した想いが、ルーを後押しした。
自分にも葬儀でやることがあった。
ふわりと立ち上がったルーは、王族の席から静かに移動する。
棺に控える総主教の元へ。
歩く姿に迷いはなく、一部に動揺はあれど、誰も止める者はいなかった。
総主教はルディカから何事かを聞き深く頷く。誰も、棺の前にいる者さえも、ルーの声は聞こえなかった。
ルーは棺の中央、献花をする者達と対面する位置に厳かに立ち、顔を深く覆い隠していた黒いヴェールを上げた。マリエル妃の再来のような顔が顕わとなる。
「お母様。お教え下さった歌の中に、悼みの歌がありましたね。私の心は花だけでは伝えきれない。そんな人は他にもいてくれるの。悼み、そして心安らぐ祈りをもってお母様を送れるよう、習った歌を捧げます」
マリエルに向け、眠りを妨げぬようそっと囁くように告げると、顔を上げ背筋を伸ばし、静かに両手を前に広げた。
こんな時にまで謀で頭がいっぱいな者達にも向けるように。
優しく抱こうとするかのように。
ルーは歌い始めた。春の陽射しを通したステンドグラスの光が彼女を照らす。
その幻想的な光景から切ない旋律が響き放たれ、大神殿を満たしてゆく。
緊張で肩を震わせる者、耳打ちする外交官、密かな計略を企む者、心からマリエルの死を傷む者も、等しく憂いを秘めた歌声に耳を傾ける。
この国は、目の前に横たわるこの妃をこの若さで、失ってしまった。女神と謳われ、かつて愛された妃を曇った眼で見ることで見失い、こんな状態になってからやっと喪失感に気付く。それはなんと悲しくやり切れぬことだろう。こんな国でよいのか。
ルーの歌は、ただ切なく哀しい旋律を誰も知らぬ言葉で紡ぐだけ。
悼み哀しみ、あるいは憤る。それは元々その者達が胸の内に持っていたもので、何も考えずに聞いている者は単に「綺麗な歌」と思うだけ。
それでも空気は変わり、大神殿に祈りが広がった。
ルーは余韻を継ぐように静かに目を閉じた。
ゆっくりと両手を広げ、安らぎを祈る歌に変えた。
聴く者の心を包むそれは、木漏れ日と柔らかな風を感じさせ、心が和らいでゆく。
皆、自然と歌に向かって両手を合わせ、マリエルの冥福を祈った。
最後に長く高音を響かせたルディカは、両手をさらに上げてゆく。まるでそのまま天に昇ってしまうように。
奇しくもステンドグラスからは強い光が放たれ、棺のマリエルは揺らめく神秘の光に包まれた。
ルーは目をゆっくりと開き、歌の余韻が広がる天井に揺れる瞳を向けると、静かに手を下ろした。
微笑みながら再び母に語りかける。
「安らかに……さようなら、お母様。生んでくれて、ありがとう」
静寂に包まれた大神殿に、ルディカの言葉が響いた。
慈しみと愛しさを込めたその言葉は、決して大きな声ではなかったが、皆の心に、深く響いた。
ルディカが席に戻ると、献花は粛々と行われた。
捧げた者達の中には、涙を流す者さえいた。
葬儀終盤、棺が祭壇から運ばれる。
参列者は皆、胸に手を当て、ルディカの姿を見守った。
ルディカは大神殿から退出する前に、皆に向け慎ましやかな会釈をした。
この国葬は、王とルディカの取った行動により、王族が強い意志を貫くことのできる国であると象徴付け、エルミア王室の権威を上げる出来事となった。




