二人の誓い(二)守るために
レオニールよりユリアンの密書を受け取っていたローラントは、彼が森へ行っている間に落ち合う場所を指定していた。
ユリアンは宮殿裏、西の私庭園でよく本を読んでいる。そして、ローラントはそこからやや離れた宮殿裏噴水前で、夜に剣術稽古をしている。
この場合、ユリアンに合わせるべきだろう、と彼の侍従から提案があり、ユリアンの庭園で落ち合うこととなった。彼の方が、普段と違う行動をすれば目立ってしまうからだ。
「兄上、お呼びだてして申し訳ございません」
ユリアンの庭園内には彼と従者、そして恐らくは護衛が潜んでいる。対してローラントの供はレオニールのみ。
侍従などにもっと護衛を連れて行けと言われたが、移動の際に怪しまれる可能性が高い。稽古場に使っている噴水には、日頃から連れている側近が二人控えている。
呼び出された用件に『フレデリク王子について聞きたい』と書かれていたことが、ローラントがこの密会に応じた大きな理由だ。
「此度は大活躍だったそうだな。おめでとう」
「いえ、兄上のご活躍に比べれば。と言いたいところですが、素直に喜ばせて頂きます。どうぞそちらに」
用意されたティーテーブルに座ったローラントは、ユリアンがだいぶ変わったように感じた。
「話したいことは多いが、あまり時間をかけない方がよい。本題に入ろう。フレデリク兄上の何が聞きたい? 答えられないこともある、と先に言っておく」
先手で釘を刺されたユリアンだが、答えられないことがあると手の内を晒してもらったことで信用して良い、と判断した。国事とルディカのことに限ったことではあるが。
「漠然とした話になりますので、ご不快にさせてしまうかもしれませんが、まずは本日の出来事から。ルディカと森へ行く前に、フレデリク兄上に回廊で会いました。普段私たちは滅多なことでは会話をしませんし、あちらも声をかけてくることはなく、互いに通り過ぎます。視線すら合わせません。ですが、今日は違いました」
ルディカの名を出した後にフレデリクの名を出した時のローラントは、一瞬怪訝そうな顔付きをした。ユリアンは見逃さなかった。
そのまま、フレデリクとの短いやり取りを伝えた。
「話はこれだけです」
ローラントは首を傾げる。
「話というのはそれだけか?」
「ええ、たったこれだけです」
「今、おまえは『たったこれだけ』と自分で言ったが、それだけのために、ここまで手の込んだことをしているのか?」
「はい、なぜなら……たったこれだけのことで、私は自分自身はもちろんですが、ルディカが危険だと感じたからです。わざわざいつも喋らない私に、特に親交もなく自分の母親が公然と目の敵にしているようなルディカに、近付くなと警告してくる。私の日常において異常としか思えない事態でした」
ユリアンの話は、正直なところローラントを大きく揺さぶっていた。フレデリクは自分にも警告している。そして、ルーに並々ならぬ執着を持っていると感じた。静観していたが動き出した、と考えた方がよい。
控えているレオニールは背中に汗が伝っていた。
「私から何を聞きたい。本人ではなく私に聞くということは、あのことか?」
「お察し頂けて助かります。話せない中に含まれていると考えておりましたが」
ユリアンは良く観察している。物静かなだけでずっと周囲を見てきたのだろう。ローラントは、ユリアンが味方にできる人物かをここで見極めることにした。
「確かに、話せないというより話したくないと言った方がいいな。だが、おまえが知りたいのはその事件というより、事件を通した兄上の人物像であろう」
小さく頷き肯定の意思を示したユリアン。言葉を発しない彼の慎重さをローラントは重く受け止めた。
昔の兄を振り切るように、一呼吸置く。
「危険人物だと思え」
ユリアンは目を見開く。ここまでハッキリと言われると思わなかったのだ。
「それは……ルディカの件ですか?」
「ルディカに関わるなら、という意味で取ってもらって構わん。あの子自身は用心深く簡単に人を信用しない上に、腕が立つ。護衛も手練れ揃いで暗殺などされる危険はほぼない。が、いかんせん宮廷の謀には疎い。その反面、兄上は計略の天才だ。あのうるさい母親の存在は、実のところ兄を抑え込むために都合の良い歯止めになっている」
何もかも優れているこの兄に、そこまで言わしめるフレデリク王子。ユリアンは急に恐ろしくなった。
──ユリアンはすごいよ!
森で見せてくれた、ルーのあの笑顔。
人を信じない? 本当にそうなのだろうか。
「兄上。ルーについて私はあなたと違う見解を持っています」
「ほう、なんだ」
片眉を上げるローラントに気おされそうだが、ルーはローラントが守ってくれなければ困る。それについてだけは、ユリアンは彼に全幅の信頼を寄せている。
「ルーは用心深いですが、信じている相手には素直です。私は彼女と過ごしていて、そこに好感と危うさを感じています。フレデリク兄上がそういった方ならば、ルーが信じてしまう可能性は大きいと考えます。そこで考えられる危険は……まず、私とあなたから遠ざけるでしょう。そして彼女の側仕え達も上手く遠ざけます。手段は信じ込ませたならいくらでもあるでしょう。そして、王を裏切るように仕向け孤立させます。ルーには自分しかいないと思い込ませる状況を作り上げる。それで何をするのかまでは見当がつきませんが、私やあなたに危害を加えない方が、ルーはフレデリク兄上を信じるでしょう。ゆえに、今最も危険であるのはルーです」
ローラントはさすがに言葉に詰まった。
言われてみれば……。敵意が自分達に向いていると考えていたが、あの兄ならやりかねない。
「そこで、私から言うのもおかしな話ですが、ルーと早く婚姻なさって下さい」
ユリアンは言っていて身が切られそうだった。ローラントが不思議そうな顔をしている。もしかしたら自分は泣いているかもしれない。
「私は……彼女と出会えて王族の責務を考えるようになりました。私だけではありません。我が母もフェルデン将軍も、他にも多くの人々が彼女の影響を受け、この宮廷に微かな変化が訪れ始めています。私はそんな彼女を支える立場にいたい。……私情ではなく責務として惹かれています」
ルーを愛している、と言っているようなものだ。指が震えたが構わない。
「婚約をされるあなたに、こんなにあけすけに言うなどさぞ滑稽でしょう。ですが、ルーを真実守れる立場にいるあなたに倒れられては、私が困るのです。それに、あなたもルーも国家のために、決して失ってはいけないと私は考えております。まずは、ルーの安全を確保することに協力して頂きたい。私はそれを後押しすると約束しましょう」
自分にできる国の守り方。それは彼らを支えることだと決めた。
「おまえは……すごい男だな」
愛する女を欲しているのに、守るために政敵に頼むなど、ローラントは考えたこともなく、自分には到底できないことだった。
「後ろ盾ばかり大きく力不足なだけです」
「そんなことはない。おまえは自分を卑下するが、知恵が回る上に大局を見すえる目がある。自己より国家を選び最善を導き出せるなど、王族だからとてそうそうできるものではない。ルーのこと、本当に良いのだな?」
フレデリクの異常な固執を報せられた後だからか、ローラントはユリアンの純粋さが清々しかった。
「はい。フレデリク兄上の手には絶対に渡したくありませんが、あなたには守ってもらうために渡します」
ユリアンの物言いが真っ直ぐすぎ、ローラントはつい笑ってしまった。
上手く使ってくれる。ここまで純真に愛する者同士対等だという態度を取られてしまえば、受け入れたくもなる。
「分かった。我ら、ルディカを守る盟友となろう。時期尚早と考え慎重になるつもりだったが、ユリアンは面白い」
「私も実の所ここまで話を進めるつもりはありませんでした。フレデリク兄上が想像を超えていたもので……」
「いや、おまえの読みは正しい。私が思いも付かなかったことも指摘してくれた。くれぐれも気を付けてくれ」
ここまで話したところでレオニールが茶を足してきた。時間切れ、との合図だ。ローラントは少し口を付けると立ち上がる。
「何かあればまた」
ユリアンも立ち上がった。
「ええ、そうですね」
ローラントが差し出した手をユリアンはしっかりと握る。
「ここに盟約は成った」
「エルミアの為に」
ルディカの為に、とユリアンは言わなかった。
頷き、軽く手を上げながらローラントは静かに去って行った。
「ははっ、足が今頃震えてきた」
口を押さえ、肩を震わせる。
ルーの笑顔。手が届かないと知っていて、恋焦がれている人。
溢れ流れる涙に、確かに守ろうとした実感と身を裂くような想いが同時に込み上げ、ユリアンは黙して佇むことしかできなかった。
***
「ユリアン王子があのまま決意を固めてくれればよいのだが」
噴水の前で稽古を再開した二人は汗を拭いながら座った。
「おい、おまえの目は曇りすぎていないか? あんなことはなかなか言えんぞ」
「私も感心はしたさ。だがこの先、別な女性に惹かれることもあるし、いずれは婚姻する。その時に同じように思うだろうか、と」
顔を曇らせ思案するレオニールの背を隣で強く叩くと、いつものように睨んできた。ローラントはグイと肩を組み引き寄せる。
「そんなもの重々承知だ。だがな、ロマンのある盟約だっただろ? 今信じられることが重要だ。次の女……ん? 違うな。ルーは私の女だ……とにかく、新しく恋なぞする前におまえが何とかしろ」
「何とかするのが私の役目だ。ユリアン王子の意見は納得することも多かった。フレデリクなんぞ下劣な輩が、ルディカ様に手を出すなど許さん」
「王族をそこまで貶せるおまえもさすがだな」
「事実だ。正直、国家の毒だとしか考えていない」
国家の毒。兄はどこで道を違えたのか。
幼い頃に共に笑い合った記憶を消し去るように、ローラントは剣を鞘から抜き、音を鳴らして納めた。




