喪中の森(四)罠と牙
王家の森は貴族が狩りに使うこともある。だが、今は王家の喪中だ。獣を狩るなど不敬に当たる。
近隣の村人ならば罠を使うこともあるが、そもそもこの森には入れない。
「殿下、確認しましたところ、食料目的と思われる罠が多数仕掛けられております」
「やはりね。森番の目を欺き侵入か。一旦戻って……」
「ダメだよ! お母様の喪を穢すようなヤツらなんて、許さない」
憤慨してしまったルーは、罠周辺を探索し、追跡を始めた。ジョゼはユリアンを巻き込ませないためにルーを止めに入る。
ユリアンは迷った。自分は従者がいなければ身を守れない。
だが、ルーは……。ずっと明るく振る舞い、マリエル妃の話題を一切出さなかったルーが、こんなにも自制できないほどになっている。
「待って」
足早に近付き、先へ急ごうとするルーとの距離を縮める。覚悟は、できた。
「人を追えても、君達は森に関して素人だ。ルーの安全のためにも私達は必要になる。この森は迷うと危険だし、熊以外にも猪だっているからね」
熊と聞いて不安になったのか、ルーは急いでユリアンの傍に駆け寄った。その熊さえ足を止めた歌を歌っていたのに、とユリアンは内心苦笑する。
「人間からなら守れるけど、危ない動物からは守ってね。お花枯れちゃうし、早く片付けようよ」
「見つけても捕縛か位置確認にしてね」
慌てて釘を刺し、ユリアンはルーが辿る人間の痕跡に重なる動物達の痕を注意深く確認する。
罠は思った以上に多く仕掛けられており、ルーとジョゼは探す手間が省けると言いながら、人数や目的を推測した。
「男が5人はいると思われます」
「その人数なら長期潜伏用の根城を作ってるだろうね。ユリアン、この辺りに川は?」
「さっきの泉の支流があるよ」
ふむ、とルーは思案する。ユリアンの示した場所に足跡は向かっていない。むしろ逆だ。ユリアンに確認すると、その方角の先は森が深いとのこと。
「深い割に距離は近いと見た」
「足場が悪いから、馬も人も普通は行かないんだよ」
「でも研究者なら行くんでしょ?」
語り合いながら追跡しているルーは、ユリアンにしなやかな獣を思わせた。用心深く、淡々と獲物を狙う。そしておそらく……あの時のように仕留めてしまう。
過去へと思考が向かうのを振り払い、ユリアンは会話を続ける。
「学者達はこの森の分布図を作成しているからね。でも、今は入らないよ。だから、一週間前からこの森には、王族の散策と森番以外誰も入っていない。通常ならね」
「その間に来たんだとしたら、内部の手引きってことになるよ」
ルーの答えにユリアンは頷く。可能性のひとつでしかないが、考えられなくはない。
もちろん、ただの密猟者という線も捨てきれない。王家の喪など知らぬ者の方が多いだろう。
あれこれと考えつつ追跡していると、焼けた肉の匂いが漂ってきた。
「ジョゼ、見てきて」
「はっ」
身を隠すように消えたルーの従者。普通の従者ではない。スティーンならば当然か、とユリアンは茂みの微かな揺れを見る。今は頼もしい存在だ。
すぐに戻ってきたジョゼは小屋があることをルーとユリアンに報告する。
「周囲の木々を切り倒し作られたと推測されます」
「捕獲する」
「姫様、捕縛です」
さらりと言葉を窘める従者に、ルーは膨れる。
緊迫した状況であるのに、この二人のやり取りからはそれが全く感じられない。
(ちゃんと聞けてないけど……ルーは5年間どう過ごしてきたんだろう)
出会った時に感じた異質感が、ユリアンの中で今再び蘇った。少なくとも、ただの庶民ではない。
「よっし、熊さんいないならちょっと行ってくる」
「君一人で? ジョゼは?」
「ご安心ください。分担しますので。姫ならば相手の油断を誘えます。ですが、行動した途端に勘の良い者は逃げるでしょう。此度の場合は退路を塞ぐ方が厄介なので、殿下は逃亡者にご注意を」
そして、ジョゼは地面に簡単な地図を描き、退路となる場所に小石を置く。
小屋の後方には崖。前方にも大岩と倒木があり、退路は2箇所しかない。ジョゼはルーの行動から侵入者達が一番逃げやすい方を固めることにした。
「殿下に累が及ぶやもしれません。私はもう一方を塞ぎましょう」
「ありがたい。殿下、この地で身を潜められる場所をお教えくださいますか?」
ジョゼはユリアンのこれまでの行動から、森での洞察力の高さを大きく買っていた。この作戦は彼が要となる。
ユリアンはルーを最前線に立たせることを躊躇った。だが、自分が足手まといにならぬことこそ今の役目だと心得た。
「向こうから見えず、こちらからは見える場所がここだ」
「なるほど、盲点でした」
「へー! じゃあ、各自配置に付いたのを確認したら、実行する。行動開始」
ルーの声でジョゼはすぐに移動した。ユリアンも従者もそれぞれ散っていく。
(本当に森だと無敵だな。ユリアンはもっと自信持っていいのに)
向き不向きは誰でも当然ある。ここまでルーが安全に辿り着けたのは、ユリアンのお陰だ。
(ありがとう、ユリアン。行ってくる)
隠れて見ているであろう彼に一度目を向けると、ルーは小屋背後の崖に近付き、倒木を足場にした。
都会暮らしではあったが、ジョゼより施された隠密訓練は、足場の悪いあらゆる地を想定したものだ。苔で滑らぬよう体重を移動させながら進み、敷地内の暗がりへ潜入した。
焚き火の前にいるのは1人、中に4人。小屋の扉は1つ。中から話し声が聞こえる。
「ねえ、おじさん」
不意に女から声を掛けられた男は、驚きで振り向く。立っているのは華奢な少女が一人。身なりは、軽装だということしか分からなかった。素材の善し悪しなどその男には見抜けなかったのだ。
「どこから入っ……がぁっ!」
微笑む少女の背が縮んだ気がした途端、地面に倒れていた。足首、腕に激痛が走りもがき転がる。
男に背を向け、縫うように小屋へ駆ける少女は、血に濡れた短剣を持っている。
男の声で異変に気付いた仲間たちが、次々と小屋から出てきた。
「逃げろ! 普通じゃない!」
声を張り上げる間に、男の仲間ふたりが地面に崩れる。
ユリアンは目を見張りながら眺めていた。たったひとりで戦うルーには、無駄な動きがない。腱だけを正確に切り侵入者の行動を無力化しているのが、離れていても分かった。
何の迷いもないそれは、決闘時とは全く違い、作業のようだ。
左右に逃げた二人をルーは追わなかった。ユリアンの従者とジョゼに任せているからだ。
自分の従者をルーが信じてくれていることをユリアンは誇らしく思ったが、同時に声を張り上げた者の言う通り……普通ではなかった。
ジョゼも逃げてきた者の腱を切る。ユリアンの従者はそこまで器用ではないながらも昏倒させ、戦いは終息したかに見えた。
ピーーー!
突如指笛が鳴り響く。ルーは動かず周囲を見渡す。
この音が意味するのは……ユリアンが念を押した合図だった。
***
侵入者捕縛計画の少し前。
ジョゼの描いた配置地図を見ながら、それぞれの役割を決めた時、行動開始しようとするルーたちにユリアンが忠告する。
「肉の匂いでずっと警戒していたんだけれど、侵入者を捕える時、もしかすると狼が来るかもしれない。たぶん数頭」
「狼?!」
「色んな動物がいるということだよ」
「今は人間だけにしてよー」
頭を抱えるルーが、少しも侵入者を恐れていないことをユリアンはもう気にしないことにした。
それよりも、不意に迫る脅威に備えねばならない。
「私が指笛で合図したら、動かないで周囲を確認して。ルー、君の吹き矢を使おう」
馬車内でユリアンがルーの布袋から菓子を全て出させた時、ポロリと出てきたのだ。驚いたが、逆に安堵もした。
「出来れば抵抗せずゆっくり後退しながら、この地点に逃げる。でも無理なら、リーダーらしき個体を止められれば、群れが怯む可能性がある。だけど、これは最終手段。必ず止まると思わないで」
***
そんな話を事前にしていたのだ。
ユリアンの予想が的中し、狼が来てしまった。四頭もいる。
(ゆっくり後ずさる、だったね)
どこから来たらどこへ逃げる、と打ち合わせもしていた。今、狼と対峙した格好になっているのはルーだけだ。
殺しでは掻かない汗が出る。滅多にしない緊張で鼓動が速い。自分を冷静に保ちながら、静かに静かに退路へ移動する。
が、足首を掴まれ不自然に立ち止まる。
「小娘……」
腱を切った男の手の近くを通ってしまっていた。手に力が入らないのか、すぐに振りほどけたが、その行動が狼達を刺激した。
崖側から小屋の屋根に移った狼は、明らかにルーを警戒し唸っている。
ピーーー!
二度目の合図で、ルーは懐からゆっくり取り出した吹き矢を構える。最悪の事態、という合図だ。
森へ行くと女官達に伝えた時、万一の時用にベルに持たせられた対人用の物。それでもある程度は効くはずだ、とユリアンの言葉を胸で反芻する。
狙うのは、ユリアンが「リーダー格」と呼んでいた、群れの先頭にいる大柄な狼。
物陰でジョゼとユリアンの従者が構えているのを感じながら、ルーは麻痺毒の塗られた吹き矢を放った。
(効いて!)
矢は鼻に命中した。大きな狼は、もがくような仕草をし、次第に動きが緩くなると、ぐらりと体を傾け小屋の屋根から地面へ落下した。
動かない。麻痺したようだ。
カンカン
木を叩く音が響いた。
(狼の撤退合図だ!)
ユリアンの合図どおり、リーダーを失った他の狼が撤退するのを見ながら、ルーも静かに後ずさり、倒木の間を通って逃げ出した。
「良かった……」
逃げた先はユリアンが隠れている場所だった。
幾通りかの逃げ道の中からたまたまここだった。真っ青な顔をしたユリアンが心底安堵した様子を見せると、ルーはへなへなとその場に座り込んだ。
「怖かった……」
「とにかく急いでここを離れよう」
手を差し出すユリアンに掴まったが、二人でその場に倒れ込んだ。
「あ……ごめん、足が震えてて」
「僕も、手が震えた……」
焦り慌てているルーとユリアンは、従者達に背負われ、四人は無事森の外へ出た。




