喪中の森(一) 黒衣の探検1
ルディカの母マリエルの喪が始まり二週間目。
宮廷で静かに過ごす内密の喪の期間が過ぎ、国外へマリエル妃の訃報が伝えられる(三週間を経て国葬が行われる)。
黒に染まり静まり返った王宮内は、マリエルのために嘆き沈んでいるようであった。
その中で粛々と廊下を歩む王女ルディカは、仮住まいをしていたデュラン家別邸から王宮へと居を移していた。
***
マリエル妃のヒ素入り化粧クリームの受け渡し経路を辿ったギルバートは、ルーの手紙の線が濃厚であることをじわじわと実感していた。
『ギルバート様へ。母の毒はエルミアとルシタールが盛った物です』
こんな短い手紙が、ベルを通して黒鷹用暗号文で届いた。
化粧品にヒ素を入れるだけなら誰でも出来る。しかし、堕胎だけが目的ならば話が全く変わってくる。高度な毒調合技術。ベルが感心するほどに抽出に手間のかかる手口。ここまで来ればだいぶ的は絞れてくる。
この件についてギルバートと密談をした宰相ノイヴァールトは、毒対策ができるベルの他に、絶対的に信用できる者をルディカの周囲に置くべく、セス及びスティーンを咄嗟に動きやすい立場にする。
セスは侍従兼護衛騎士、ジョゼらスティーンを影の騎士へ。さらには元リンツァギルドメンバーを王女付き従者や使用人として配備した。
***
季節は春の半ば。王都はまだまだ肌寒く、霜が降りる日もあるこの時期、庭園は色とりどりのパンジーに彩られ暖かい季節の到来を可愛らしく告げている。
「王都は寒いなぁ」
エルミア最南端のタルンシュタットに長くいたルーにとって、王都は底冷えするように寒い。
メーアシェールの湖を越えただけでこんなに違うものなのか、と木に付く霜を眺めながら、フロリア宮裏庭園に伸びる林の中をのんびりと散策する。
王宮へ戻ってから、勉強づくしで忙しい日々を送るルーだったが、深い喪に服している今は、ダンスレッスンなど華やかなものは中断されている。その分時間ができ、こうして庭園で過ごすことも増えた。
「ユリアン」
フロリア宮殿から離れた林の中に、ひっそりと置かれた秘密の庭園。いつもの場所で本を読んでいるユリアンにそっと声を掛けると、彼は驚き、顔を上げる。
兄に当たるのだが、年があまり変わらず、ユリアンの方から対等に話して欲しいと言ってきたのだ。
「君か。また本に集中していて気付かなかった」
彼の従者は読書の邪魔をせぬよう待機している。ユリアンが作ったプライベートな庭園だが、ルーは自由に出入りしている。
「植物の本? 毒草とか?」
会話を重ねる内に、ルーが毒に詳しいことを知ったユリアンは別段驚かず苦笑する。
「それも面白いけれど、薬草の方。王家の森にこの本に記されている薬草があるみたいでね。今の時期は多く見かけるはずなんだけど……」
「行けばいいんじゃない?」
首を傾げるルーに、ユリアンはやや困り顔で笑う。目当ての薬草の生息域は野生動物の多い鬱蒼とした場所にあり、危険を伴うのだ。
「ふーん、自衛の為の殺生なら問題ないんだよね?」
「もしかして付いて行こうとしてくれてる?」
「うん。僕は都会育ちだし、森は珍しいから遊びに行きたいものなんだよ」
完全に友人のような位置になったな、とユリアンは喜んで良いのか複雑な気分だ。
ルディカだと知らなかったあの日、心より傍にいて欲しいと思った。惹かれているのは今も変わらない。
が、この人は自分など足元にも及ばない優れた兄と婚約予定だ。正式な発表はまだでも、こうして二人きりでいるのも噂の的になってしまう。
それなのに彼女とはどんどん親しくなってゆき、諦めさせてくれない。だが、ユリアンはその微妙な距離感を楽しんでいた。
「可愛い妹が行きたがるから、って言ってみようかな」
「うん、よろしくねお兄様! 着替えてから迎えに行く!」
「あ、ちょっと……! はぁ……」
「どうなさいました、殿下」
声で駆け付けた従者に問われ指さす。厚手のドレスの裾を翻し、軽々と石畳を駆け去ってゆくルディカを同じ年頃の女官が急いで追いかける。見慣れてきた光景に従者も、ああ、と苦笑する。
「活発なお方ですね」
「どうやってあんな身軽に移動できるんだろうね」
「素晴らしい身のこなしですが……あちらの女官長にまた叱られてしまうのでしょうな」
「じゃあルーが叱られている間に支度でもしておこう」
椅子から立ち上がると風を感じた。頬を刺す冷たさが心地いい。林を抜け裏庭園で寛いでいる母の元へ行くと、少し離れた場所で、気を揉んだ様子の世話係にルーが笑いかけている。
「姫は最近よくお出かけされるようね」
「気分転換したいみたい。母上、今からルーと森へ行く予定だよ」
エレナ妃は片眉を上げる。姫をユリアンの婚約者にしたかったが、ローラントに取られてしまった。
が、友人も持たぬ内向的なユリアンが、姫には心を開き親しげにしているのを見て、安堵している自分もいるのだ。
「姫に怪我をさせてはなりませんよ。あなたは兄なのだから」
どちらかと言えばユリアンの方が危険だが、もう止める気はない。
『ユリアン殿下の狙われ方が不自然です。王族殺しなんて、一生暮らせても余るほどの報酬と保証でもない限りやらないものなのに、調べた依頼金は良くて馬二頭分の値でした。亡くなった従者は本当に殿下の味方だったのですか? 夜のマンデルブリューテ祭りに貴賓が警護を二名しか付けずに出歩くなんて、タルンシュタットでは考えられないことです』
ルディカは王家式密書を使いエレナ妃に忠告してきた。当時の現場の状況を正確に知っているのは姫だけだろう。
危険を犯してまで他派の自分達を気に掛けた姫には、見返りを求めている様子は一切なかった。
「やっと会える母君がご遺体……。さぞお辛いでしょうね」
ルディカに目を向け呟いたエレナ妃の声には憂いがあった。ユリアンはその言葉に目を伏せる。
「明るさが時折痛々しく感じる、かな」
「そうですね……。ですが、そのまま気付かないふりをしておやりなさい。森へ行くのでしたね。淑女を待たせるようなことをしてはなりません」
「それでは早速。まだ寒いから暖かくしていてね」
静かだがしっかりとした足取りで、喪のただ中の宮殿の中へ入ってゆく愛息子。変わらず優しく、そして行動力が増してきた彼をエレナ妃は頼もしく見送る。
まだ小言を言われているルディカに、目尻が下がった。
自室に戻る途中、ユリアンはメロヴィアの者と思われる一団を見掛けた。
内密の喪の後、各国に訃報が届いてよりしきりに足を運んでいる様子だが、ルーは喪を理由に一切顔を見せることはないという。
ルーからすれば今さらであろうが、かの国がエルミアにとって重要な地であり、国境を接している軍事国家ルシタールと結び付かれては困ることも重々理解している。そんな愚痴をユリアンは本人から散々聞かされている。
喪の沈黙を貫く王女の代わりに、宰相と代理人のセスが対応していると聞く。王も喪を理由にメロヴィアとの謁見を断っている状態だ。
(陛下とルーは賭けに出ているのかもしれない)
メロヴィアはマリエルが王都郊外の離宮に移ってより、傍に仕えていた巫女達を帰国させ、エルミアから距離を置いた日和見の国だ。
王妃の故国が、こともあろうにその王妃本人を軽んじできたことは、誰が見ても明白であるのに、こちらが軽々しく王や王女と会わせるわけがなかろう。
宮廷はそういう意思だ。
絶妙な頃合いを図り、メロヴィアが身動きの取れない状態で、エルミアに従属させる。
王とルーはそこまでする気でいる、とユリアンは踏んでいる。メロヴィア王家の血を引くルディカの価値は、エルミア王位継承権を持ったことで彼の国で大きく上がった。
ユリアンに気付いたメロヴィア人達が丁寧な礼をした。おおかた、ルディカと親しい王族として擦り寄る機会でも狙っているのだろう。
ルーを軽んじられ続けたことは、ユリアンも良い気分ではない。しかも王が動かぬ状態で下手なことをする気もない。
目にも留めず通り過ぎた。
「やあ、ユリアン。急いでいるようだね」
進行先からこちらに向かって歩んでいたフレデリク王子が話し掛けてきた。
身分は同等。母の身分は自分の方が上。道を譲る必要もないが、向こうは一応長子。無下にはできない。
「これは兄上。今から用事がありまして。それでは失礼致します」
ユリアンは早々に話を切り上げる。フレデリクは穏やかな気性だが、何やら薄ら寒さを覚えることがあるのだ。
「つれないね。ルディカにあまり近付き過ぎるのは止めた方がいいんじゃないかな」
「外聞のことを仰っているのでしたら問題ございません。ご忠告ありがとうございます」
通り過ぎようとしたところ、すれ違いざまに囁かれる。
「いいや、私が不快なだけだよ」
ゾクリ……。
たった一言だが、低く真っ直ぐに言い放たれた言葉に悪寒が走った。
足を止めそうになったが、軽く視線を送った程度でユリアンはそのまま通り過ぎる。
(どういう意味だ。フレデリクがルーとの接触などできないはず。あの煩い母親が許さないだろう。ローラント兄上も警戒はしているはず)
薬草採取の支度をしつつ、あの底冷えするような不気味さが気になったユリアンは、ローラントと個人的に会合する決意をする。
そんなことを今までしたことがないが、先手を打ち、できるだけ情報を持っていた方が良いと判断した。何かあってからでは遅い。
「侍従、兄上の側近デュラン伯爵へこれを。くれぐれも内密に。返事を必ず持て」
「かしこまりました」
表にサインも印も使わず封をした。
執務室の扉が開くと、軽やかなルーの声が聞こえ、小さく微笑み立ち上がった。




