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ネベルム大陸記~喪の王宮~  作者: 猫戸針子
第3幕 喪の王宮、剣と歌の誓い Maestoso
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マリエルの遺した絆

 陽射しの匂いが春を感じさせる午後。

 宮廷のしきたりに疎いルーは、デュラン夫人の取り計らいでゼラフィーナ妃との会食に招かれた。


「ようこそ。王女殿下が直接足をお運びになって下さるとは光栄ですわ」


 柔和な笑みを称えるゼラフィーナ妃は、ローラントに良く似た美しい青い目を細め、ルーを迎える。

 バルコニーに面した部屋は明るく、整えられた卓にも妃の心遣いが伺える。


「こちらこそ。デュラン家のお世話になっているだけでなく、王妃様がいらっしゃらなければ私も母も飢えていたでしょう。何からお礼を申してよいのか、分かりかねるほどの恩義がございます」

「まあ、そんな……。昔のことまで言っていてはキリがございませんわ。此度は二人だけの会食。気楽になさってくださいまし」


 謁見で誰もが異を唱えることの無い意見を発した人。母の友であっても、ルーはあの謁見でこの妃に試されたように感じていた。


「デュラン家の食事は大変美味しゅうございます。騎士の方々も気高く勇猛。あのような城でお育ちになった王妃様は軍事に明るいのでは、と勝手な想像をしております」


 そんな話をしていると食事が運ばれてきた。つい喜んでしまい、急いで居住まいを正す。

 その様子を見て妃は楽しげに笑った。


「食事の話が先に来るとは思いませんでした。どうぞ召し上がりながらお話ししましょう」


 食事を勧めるゼラフィーナは、あの頃を想う。

 立場上、離宮へ足を運ぶことは叶わなかった歳月。それでも友であるマリエルを案じ、産着に包まれた赤子のルディカを抱いた日のことは忘れていない。


「あの時の赤子が、ここまで……」


 ルーは妃の思いがけない、囁きにも似た言葉に食べる手を止めた。演技ではないようだ。

 この人は国を優先するだけであって、もしかしたら、根は情の深い人なのかもしれない。


「ごめんなさい。昔のことをと言った私の方がつい思い出してしまいまして。マリエル様を見舞った折、産着に包まれたあなた様を抱かせてもらったのです。ローラントも共にいて……あの時に二人を婚姻させたい、と私が頼んでいたのです」


 その後、マリエル母子はすぐに離宮へと移され、ゼラフィーナとマリエルが直接会話したのはそれが最期になった。


「そう……だったのですか。私を……」

「あなた様がいらしたのは、私への礼でしたね。でも、本当はお母上のことをお聞きになりたかったのではありませんか?」


 どこまでも優しい妃。信じて良いのだろうか。

 ルーは不敬だと思いながらも、逆に質問をすることにした。


「母のことはもちろん知りたいです。ですが、私は母の王族たる矜恃と志しを継ぎ、さらに広げるため、王位継承権を望みました。それには今、私には何ができるか。そちらの方が重要です。大変不躾な質問になりますが、あなた様が本日私を招いて下さったのは、国の為、陛下の為、そして殿下の為に使える人材であるかを確かめるためではございませんか?」


 ゼラフィーナはルディカの言葉を受け、じっと見た。ローラントから聞いていた通り、聡い子であり、情に流されすぎない。

 平民に身を落としてもなお、気高くあった母の教えを胸に刻み生きてきたのだ、という思いが胸を熱くする。

 こうまで打ち明けて来たのなら、応えないなど無礼であろう。


「国は民のためにあり、王族は国を動かす。貴族は王に仕え国を守り、民は健やかに暮らすことで国を潤す。全くの理想論で、王族の誰よりも民を見てこられたあなた様からすれば、皮肉に聞こえるでしょう。宮廷は足の引っ張り合いばかり。謁見の間でもあの有様。国を何だと思っているのか。私は常々思っております。それは王家に嫁ぐ前から」


 淡々と語ったゼラフィーナはふっと表情を緩ませ、ルーに愛しげな眼差しを向ける。


「本当は単にマリエル様の思い出話をしようと思っていただけなのですよ。伝えたいことも、たくさんございました。ですが、今を見ていらっしゃるあなた様の強い意志。感服致しました。まるで武人のようでもあり、デュラン家の者としては大変好ましい。でも、まだまだ未熟ですね。謁見の場では用心していたようですが、恩義があるからと言って、そんな様子では足元をすくわれてしまいます。利用されるだけ利用され、最期に待っているのは切り捨てられる運命。その程度では、お母上の志しなど継げません。それを肝に命じ理解して下さった上で、私はあなた様に今できることをお教えします」


 厳しいが情がある。

 この人は今信じて良いが、真に味方になるためには自分を示さねばならない、とルーは確信した。


「不慣れ、という言葉で片付けられる立場ではないのだと理解しました。私は……殿下にご自身を使えと仰って頂きました。私を捨てたエルミアもメロヴィアも見返してみろ、と。それには力が必要です。女である私が王位継承権を得た。注目され思惑が動きます。私はそれらの餌に過ぎません。ですが、餌となり王と殿下に使ってもらうことで……」


 言葉を切り、ふわりと微笑む。

 妃を見てこの食事の間に学んだ、率直さを封じる女の武器。自分ができるのは可憐で清楚と言われる微笑みだ。


「国を停滞させる者とエルミアを食い物にする者に一矢報いたいのです。それが私の今できる政治である、と心得ております」


 母のペンダントを握り目を閉じる。


「妃が逃亡などすれば民が迷う。母はそう告げ私だけを逃がしました。ずっと、なぜだったのか考えて生きてきました。明確な答えはまだ、見つかりません。ですが、庶民として生きてきたことで、王族の私情など民には届かないのだと知りました。宮廷にいては見ることのない商売や人の流れ。世間が国をどう見ているか。何に脅え何に喜ぶか。私はよく知っています。そんな私が国で使えないはずがない」


 妃は黙って聞いている。母のペンダントを握る王女ルディカを。


「我が身は国の一部。切り捨てる者がいるならば、先んじて斬り捨て、前に進んでみせましょう。ついてきてくれる者たちの為にも、私は倒れることなどできません」


パチパチパチ


 拍手をされ、ルーは我に返る。途中から指摘されたように率直な想いを語っていたことに気付く。が、妃は涙を滲ませ微笑んでいる。


「あなた様は非常に仲間思いだと聞いております。それは大切なことです。私もローラントを始め、自分の生家や支持してくださる方々が大事。そして使命として国を想っております。ローラントを使う。結構なことです。あの子はあなた様に希望を見出したからこそ、そんな言葉を投げかけたのでしょう。自分を餌とし、利用するという考えも大変面白いです。この数日で思いついたことではなく、マリエル様と離れたあなた様の経験により培われた考え方なのでしょう」


 願わくばもっと自身を大切にして欲しい。ゼラフィーナは僅かに目を伏せる。それは自分や周囲の役目だ。

 言葉を切り、友によく似た、気高く真っ直ぐな濃紺の瞳をしばし見つめ、口を開く。


「ローラントとの婚約、正式に受けてくださいますか? あの子にも私にも、あなた様は必要です」


 ルーは泣きそうな気持ちを堪えた。

 王族なんて嫌いだった。ローラントの母でも油断はできない、と。話さなければ人は分からないことがよく分かった。この人はきっと凄い人なのだろう。

 だが、気になることがある。


「殿下がご不在のまま承諾してもよろしいのでしょうか。こだわりがあるようですし……」


 急にあどけない少女に変わったルディカがあまりに可愛らしく、ゼラフィーナは朗らかに笑った。二人の仲睦まじさが良くわかる。


「あの子は困ったことにやや我の強いところがありますからね。もうお二人で約束をなさっていらっしゃるなら、私も表立って賛成をした、という事にしておけばよいでしょう。それでもボヤいたなら適当にあしらってやってくださいな」


 これにはルーも笑った。ユーモアもある人だ。


「それでは改めてになりますが……母の友人でいて下さりありがとうございました。もし母があなた様に最期に伝えるならこう言ったでしょう。『水の大精霊のご加護がありますように』と」


 ──あなたに水の大精霊のご加護がありますように。どうかこの子を守って下さい。


 マリエルとの最後の会話。

 彼女に託されたルディカ。守るつもりだった。王宮にルディカが戻り、気にかけない日はなかった。

 ゼラフィーナの頬を涙が伝う。


「マリエル様に仰って頂いたように感じました。あのようなことになり、ずっと私の不甲斐なさを……悔いて来ました。生きていて下さって……ありがとうございます」

「とんでもございません。食事の調達もままならぬ私達を生かして下さったのは、王妃様です。いつも母は自慢していました。大切な友が助けてくれてるのよ、と」


 両手で顔を覆い泣き始めた妃の傍にルーはそっと寄り添い、肩に触れた。この人も抱えて生きてきたのだ。それなら感謝を込めて歌おう。


 ~♪


 ルーの歌声がゼラフィーナの心に染み込み、麗らかな陽射しのような温かさを感じる。いつかマリエルが歌ってくれた癒しの歌。


 (受け継いでらっしゃるのね)


 胸を掴んでいた重みが癒えてくると、柔らかな風を感じた。歌の流れが風となって優しく頬を撫でる。

 王妃というしがらみが剥がれてゆき、ありのままの自分が現れた。

 ただただ息子が幸福であって欲しい。自分にはできなかった、愛する人との幸せを掴んで欲しい。その中に自分もいて穏やかに過ごしたい。


 歌が終わると、覆っていた両手をいつの間にかルディカが握っていた。


「お義母さま」

「母と呼んでくださるのですね……」

「はい、そう呼ばせてください」


 小さく細い手にしっかりと握られ、ゼラフィーナは幸福だった。守ろう。友の忘れ形見を。


 この会食を機に、ゼラフィーナはルディカを一族総出で真に支えると、決めた。


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