母の形見
政務の合間に私室奥で休んでいる王は、マリエルの死を正式に公表し葬儀をすることについて考えていた。
ルーはフェルデン将軍の支持もあり、王位継承権を得ることができた。政敵であっても戦い合った二人だからこその絆が生まれた様子で、将軍はあれ以来密かにルーを擁護する姿勢を取っている。
「孫にしたかったのは本心であろうな」
フェルデン将軍の心情を想い呟いた。
「おじいちゃんって存在もいいよね」
愛娘を巻き込みたくないあまりに遠ざけ、寂しさのあまり幻聴まで聞こえるようになった。王は自嘲するように笑う。
「何か面白いことでもあるの?」
幻聴に菓子を食べる音が混じっている気がし、急ぎ振り向くと、女中姿のルーがちょこんと椅子に座り寛いでいる。王は驚きのあまり口を開けたまま唖然とした。
「お茶欲しいから持ってきて」
「ルー!」
思わず歓喜の声を上げてしまった王に、ルーは急ぎ口元に人差し指を当てる。
ひと呼吸置き、己をなんとか落ち着かせた王は、なぜいるのか分からない愛娘に近付いた。
「お城の見取り図、手に入ったから探検してるの。お父様にあんまり会えないから、こうすれば良いって気付いて」
「そうか、わざわざ会いに来てくれたか」
頭に手を置くと嬉しそうな顔を向ける。もう15だが、幼い頃に傍にいてやれなかった分、つい撫でてしまう。
茶を用意しようと考え少し立ち止まり、コーヒーと従者に指示した。ルーがミルクを多めに入れるのが好みだというのは、船旅で知った。
「バレないようにしてね」
「王の気まぐれとしか思わんさ。そんなに警戒して来たのか?」
「プロだから当然だよ。ここ入るのなんて僕くらいの手練れじゃないと無理だから安心して」
もう王女なのだから、その道のプロではないのだが、潜入もその逆も、ルー達の技術と知識のお陰で王は多くのことを知ることができた。
ミルクコーヒーが届くと、ルーは大喜びで飲み始める。
「せっかく来てくれたのだから、大事な話をしよう」
王も腰掛け向かい同士になると、ルーはドレスの内袋からハンカチを渡してきた。
話は後で聞くから開けと言う。大事な話だが、気になった王はハンカチを広げた。
「マンデルブリューテの刺繍か。おまえが作ったのか?」
「うん、お母様直伝だから得意なんだよ」
ちょうどマリエルの話をしようとしていたところにこの贈り物とは。出会いの象徴が繊細に刺繍にされており、メッセージまで付いている。『見つけてくれてありがとう』と。
王は目頭を抑えた。
「あの時、マリエルによく似たそなたがそのペンダントを付けて現れ……酷い言われようをされたな」
「だ、だって! 色々知らなかったし……」
「愉快であったぞ。今もだが。かように心のこもった品を贈られたのは、そなたの母以来だ。ありがとう」
「これからはいつでも作るよ。ちゃんとこっそり来るし」
王位継承権を持ったことで、危険に晒されながらも、こうした心遣いをしてくれるルー。何とか普通に会えるようにできないものかと考えつつも、時期尚早は否めない。
胸のハンカチをルーの贈り物と取り替えようとすると、見かねたルーが繕う。
「うん! 絵柄は裏に畳んだから大丈夫だね」
「目立つようにしても良いぞ」
「でも……」
「誰ぞが運んできたことにすればよい。尋ねてくる者もおらん。これでも我は王だぞ?」
王様ってつまんなそうだね、と王の心に刺さることをズケズケと言いながら、ルーは絵柄が出るようにたたみ直し飾った。
「いい感じ!」
満足気なルーがそろそろ戻ると言い出したので、マリエルの話をしようと考えた王はふと思いついた。
「見せたい物がある。しばし待て」
ルーは大切そうに常にペンダントを付けている。ならば自分も何かを。王は戸棚から美しい装飾の箱を持ってきた。
「そなたの母が我に贈ってくれた物が入っている。ルーにとっては形見にもなろう。開けて見てみるが良い」
卓に置かれた箱をルーは知っていた。
「この木彫り、お母様も持ってた。大切な物が入ってるって……」
「そうか。では共に持って行ってくれたのだな」
「……開けるね」
感慨深げな声で優しく語る王の言葉で、涙でいっぱいになった目を擦りながら、ルーはそっと箱を開く。
そこには季節の花を刺繍したハンカチやサシェ、レースを付けた手袋、毛髪アクセサリー、肖像画入りのロケット、そして手紙。どれも母が父を心から愛していたことがよく伝わるものばかりだった。
その中の手紙のひとつを王はルーに見せる。
「これ、離宮にいる時の……」
「会うことができなかったからな。手紙だけはやり取りをしていた。あまり多くはないが、全てそなたの成長への喜びが書かれておる。この封筒にはそなたの髪も入っているぞ」
母が時々手紙を読んでいたことをルーは思い出す。見せて欲しいとせがんで泣いた時のことが、王宛の手紙に書かれていた。
「お父様……お母様に会いたい」
「我もだよ」
涙で手紙を滲ませてしまいそうで、ルーは急いで箱に置いた。ロケットの肖像画は少し若い母だった。
「三人の肖像画、いつか描いてもらいたい……」
「落ち着いたらそんなことをしてみてもよいな。ルーよ。そなたに話そうとしたのは、マリエルの葬儀のことだ。生死が不確かだったそなたは、無事王宮に迎えることが出来た。ならば、マリエルの弔いもそろそろしても良いだろう。国の都合で墓も作ってやれず、離宮を墓石とするしかなかった。許してくれ」
葬儀……。ずっと皆が気にしていたことだ。そして、諦めていたこと。ルーとて王宮で少し見ていれば王という立場がどれだけ自由のないものであるか、理解できてきた。その中で自分達が諦めていたことを父は……。
「ありがとう、お父様。お母様を一緒に送りたい」
「ああ、しっかり準備しておこう。その中の物は好きに持ってゆくがよい」
ルーはここへ来る際、子供一人がギリギリの狭い穴を通ってきていた。見取り図に当然そんな場所は書かれていないが、何度か侵入しようと試み、その道が一番通りやすかったのだ。
全てを形見として譲りたかった王だが、それを聞きすぐには無理そうだと判断した。
「でも、全部父様への贈り物だよ? なくなっちゃったら寂しくないの?」
「なくならないぞ。ここに一番大切な形見がおるからな」
穏やかに微笑みルーを指す。マリエルが遺してくれた最大で最愛の形見は今、自分と共に歩んでくれている。王は十分過ぎるほど幸せだということをルーに伝えた。
「涙止まらなくなっちゃうよ……。手袋は父様が着けてもいいと思う。そうして欲しいし。僕は、これもらうよ」
肖像画入りのロケットを選び、首にかけた。青いペンダントがあればいつも母が傍にいてくれると思ったが、やはり姿を見ていたい。
「お母様の分もお父様を守るから、見ててね」
ロケットを開き若い母に語り掛けた。王は胸が熱くなる。マリエルも自分をこの孤独な魔窟から守り救ってくれていた。
「我も誓おう。おまえの分まで今度こそルディカを守るぞ」
二人揃って眺め、それぞれに誓いを立てた。肖像画の中で微笑む母はきっと二人の幸せを願ってくれている。ルーはそんな風に思った。
扉の外からノック音と王を呼び掛ける声がした。
「また来るね」
椅子から軽々と飛び上がり隠し扉を押すと、ルーは手を振り壁は元に戻った。
(あんな所に通路はなかったはずだが……)
緊急の際、王が身を隠す空間があるだけのはず。
ノックを無視し、隠し扉を開いてみて小さく笑う。空間の中に、子供の頃に作られた抜け道への扉があった。
「そなたでも狭かろうに」
暗く続く狭い道を眺め、王の胸に温かいものが広がる。
しっかりと扉を閉め、マリエルの箱を片付けると、王は扉の向こうに続く呼び鈴を鳴らした。




