花の香りの裏で(二)
重い気持ちを引きずりながら、自室に戻ったローラントをレオニールが出迎えた。
「どこへ行っていたと聞きたいが、なんだその顔は」
「そんなに顔に出ているか。普段通りのつもりだが」
レオニールは戸棚から手鏡を取り出し、ローラントの顔の前に突き出す。いつも通りの顔だ。
「やれやれ、自分では気付かないものか。周りも気付いてはいないだろうが私は気付く、ということだ」
「おまえは私の妻か? もうその方が平和に収まる気がしてきた」
「気色の悪い冗談も冴えていないな。ルディカ様のことで何かあったのか? 宮殿にお出ましになったのでご挨拶に伺ったが、相変わらずの活発さだったぞ」
ルディカの様子を聞き、ローラントは心が和んできた。
レオニールが従者を呼び茶を持たせた。注がれた茶からバイオレットの香りが漂い、ローラントは顔をやや背ける。
「この季節はいつも飲んでいるだろう。別の物にするか?」
「いや、香りとは記憶を呼び覚ますものだな、と」
「やはり何かあったとしか思えんな。もう一度聞く。どこに行っていた?まさか……」
何でもお見通しだな、と笑いながらローラントは先のやり取りを打ち明けた。
レオニールはあからさまに眉をしかめる。デュラン家は、ヴァルティエ家が後ろ盾のフレデリクと政敵だ。だが、レオニールはそれだけが原因でフレデリクを嫌っている訳ではない。
「気味が悪いの一言だな。牽制のつもりでも、はったりもいい所だ」
共に茶を飲むレオニールは、いつになく考え込むローラントに片眉を上げる。
「ルディカ様にお会いして来い」
「おまえに言われて会いに行くような日が来るとはな。確かにあの清々しいほどの現金さと愚痴は聞いてるだけで笑いが出る」
「私は今ではマリエル妃に似てるとは思わなくなってきたほどさ。しかし、あの戦いは凄かったな。お褒めしたら手合わせをせがまれてしまった」
ルーらしいと笑っていると、にわかに部屋の外が騒がしくなった。気になったレオニールが扉に近付くと外にいた従者が開いたのか、賑やかにルーが入ってきた。
後ろから諌めるデュラン夫人の声が聞こえてくる。
「あ、レオニールもいた! 兄様、大変なことになったみたい!」
やや沈んでいた部屋の空気は、朗らかに吹き飛ばされた。
ルーは椅子に座ると、菓子を嬉しそうに摘み始めた。
「おまえは食ってばかりだな。体型を気にしないのか」
「太ったことなんてないもん。あ、そうそう、これもらって困ってるんだけど、どうすれば良い?」
無造作にテーブルに置いたことで、デュラン夫人が悲鳴に近い声を上げた。ローラントとレオニールもさすがに驚く。
エルミア王家の証であるブローチだ。
「大切に扱ってくださいまし! 本に挟んでいらしたのを先ほどお見かけしまして。もう、気が気ではありませんわ!」
「本に? そんな扱いなら、不敬だが……父上の物か?」
「いえ、それが……」
口ごもるデュラン夫人に代わり、何でもないことのようにルーはユリアンから貰ったと答え、ざっくり過ぎる説明をぞんざいに付け加えた。
「有り得ないことだが、本の栞……としておまえなりに大切に保管していたということだけは分かった。ユリアンがこれをなぁ」
「しおり……」
絶句するレオニールに構わずルーは説明を続ける。
「値打ち物だけど売れないし、いつ返せばいいか分からないでしょ? 隠しとけばいいかなーって」
宝石箱などは窃盗されやすいが、読みかけの本ならば荒らせばすぐに見つかる。ゆえに狙われにくいというのがルーの言い分だ。
「視点が完全に犯罪者なのは置いておくとして、既に聞いているとは思うが王位継承権を持つ者に与えられるブローチだ。確かにこれを持ち城に届ければ、あの頃のおまえは入城できただろうが……ユリアンは本当に会いたかったのだろうな」
兄の言葉が再び蘇る。ユリアンもいるんだぞ、と。
気遣わしげな視線がレオニールから送られ、気にするなという仕草をしようとしたが、ルーの言葉でぶち壊しになった。
「それで、仕方ないから忍び込もうと思って夫人に城の見取り図を頼んだの」
これにはレオニールもさすがに咳払いをした。
「コホン、ルディカ様? 母ではありませんが、年頃の女性がみだりに……という以前の問題です。その忍び込む技術は素晴らしいですが、何があるか分かりません。普通に返しに行きましょう」
「普通って? 結局部屋に行くことになって噂にならない? 兄様が可哀想じゃん」
少しモジモジとしたルーは、茶を急いで飲んでしまいむせた。
やれやれとデュラン夫人が背をさする。親子のような微笑ましい光景だ。
「私を気遣ってくれたのか。それで忍び込む発想は面白いが、そうだな……ユリアンもあの時はルディカ王女だと知らなかったわけだし、昨日の件やおまえを王宮へ迎える時の口添えをあの母子がしてくれたのは大きい。礼の席を設け、そのついでに返す、というのはどうだ?」
この提案をデュラン母子は絶賛したが、ルーが心底面倒くさそうな顔になりボヤき始めた。
三人は宥めながら何とか策を練ってはみたが、結局当たり障りなく手紙を添え、クラーラが返しに行くということで落着した。




