決闘(二)矢陰に潜む者
将軍が薄く目を開くと、ルディカ王女が顔を覗き込んでいた。
「将軍、ご気分はいかがですか?」
自分を責めているような、泣き出しそうな様子の王女に、将軍は思わず手を伸ばしかけた。
「姫は……ご無事か?」
声をかければ、さらに泣き出しそうな表情になる王女に、将軍は小さく苦笑する。
謁見での堂々たる姿も、決闘での沈着さも見た。しかし今はあどけなく、ただ愛らしい。
(後ろ盾もなく、ここまで立ったか。それどころか母君も。私が政敵としていたのは……)
「私は……この通りピンピンしていますよ」
元気の良さそうな笑顔に、目から涙が一粒こぼれ落ち、ルーは慌てて拭う。
これには将軍もさすがに声を出して笑い、安堵したように目を閉じた。
「眠っちゃった。兄様、そろそろ行くよ」
「ああ、急ごう」
ルーはローラントに手を引かれ、兵達に守られながら練兵場を後にした。
決闘は中断され、王位継承の議論も翌日に持ち越された。
「何だったんだろう」
馬車の中でルーは深刻な顔付きになっている。
初めての謁見、揉めた末の充実した決闘。そこへ突然の毒矢。
そして、あれは……。
***
決闘中止直後。
毒矢で射られた将軍を抱え、急ぎ控えの間へと入ると、ルーは決闘開始前にはなかった違和感を覚えた。共に将軍を支えているセスとベルもだ。
(緊張した息遣い。なんーだ、素人じゃん)
三人は視線を送り合い、常と変わらぬ足音を鳴らしながら、控えの間の暗がりをさり気なく迂回し進む。
カサリ。暗がりから小さな物音が鳴った。
次の瞬間。
ダッと駆け出したルーが、フェルデン将軍とは逆方向へと離脱する。
ルーは衣装に潜めていた小型ナイフを闇に向け鋭く投げる。鈍く短い音が鳴った。
「ちぃっ!」
暗がりから出てきたローブの男は、組み立て途中のボウガンをルーに投げ付け、腕にナイフが刺さったまま逃げ出した。
が、その刹那、栗色の髪を翻し、ローラントが割り込む。構えられた抜き身の剣が閃く。
ザン!
ローラントの一閃は下手人の胸を裂き肩口へ駆け抜けた。
「残念だったな」
膝を着く男をレオニールが押さえ付け、隙を見たベルによって呼ばれた兵が駆け付けた。
「兄様!」
「間に合ってよかった……」
安堵するローラントの前に、ルーの嬉しそうに笑う。守れた実感が、湧いた。
後方を守りながら入室したローラントは、ルーが駆け出す先を見て、素早く剣を抜いたのだ。下手人の男が焦り、ボウガンをいったん構えようとしたことで大きく時間が出来た。
(ルーならば対処できたのだろうが、な……)
素直な喜びを見せるルー。このままの笑顔を守りたい。そんな気持ちがローラントの中にどうしても湧き上がる。
毒が周り気絶している将軍は、セスによって寝台へ運ばれ、医師が来るまでルーとベルが介抱した。
「殿下。こちらを」
レオニールが小ぶりの矢を持ってきた。ボウガンに設置する物だ。
「矢の先が僅かに濡れています。恐らくは毒かと」
毒と聞いて気になったベルは、矢を改める。
先端には微量の麻痺薬が塗られていた。
***
捕らえられた下手人はただの傭兵上がりであり、「警備の弱点を探す手伝いをすれば、人質に取られている家族が解放される」と自白した。
押収されたメモは粗雑で、並の暗殺者でも使うような代物ではなかった。
ルーは安全を考慮され、デュラン別邸へと移った。
「あの薬なら少し動きを止める程度のものだったわ」
「うん、将軍を狙った矢も変だったよね。強めの毒だったみたいだけど、傷は浅かった」
馬車でデュラン別邸へ向かうルーとベル、デュラン夫人と護衛として同乗しているレオニールの四人は、不可解な出来事に頭を悩ませる。
「決闘は急遽決められたものでしたし、練兵場で計画してきたとは思えませんわ」
華々しい戦いを繰り広げていたルーが、控えの間で事件に巻き込まれていたと聞いた時には卒倒しかけたデュラン夫人も、冷静になり訝しむ。
レオニールは、デュラン家の後ろ盾がありながらルーを狙うような犯行が起きたこと自体に憤りを感じている。ドレスに続いて二度目だ。
王家の威信もだが、デュラン家を挑発しているということも視野に入れ始めた。
「やり方が雑すぎます。準備されたものではない。潜伏していた可能性は高いですが、いずれにせよ不確定要素が多すぎます、姫は安全が確認できるまで一切屋敷から出ないでください」
デュラン家は安全、とどこかで考えてしまう自分がいる。レオニールはルーを戒めることで己を律した。
ルーが深刻顔から膨れっ面に変わり、場が和む。
別邸に着くと、兵士達が守りを固めていた。
少し休みたくなったルーはあてがわれた部屋で一人になり、ペンダントを手のひらに持つ。母や自分の目のように深い青色のサファイア。
「お母様、私はどうすればいい?」
裏を見ると『水の大精霊様、お守りください』と刻まれている。母も良く口にしていたことだ。
『お母様、どうして水なの?』
『それはね、水は歌を運んでくれるから。私達が歌う時、水の精霊がその声を包んで届けてくれるの。だから、メロヴィアの巫女はとても大切にしているのよ』
そんな話をしていたのを思い出した。精霊など見えたことも感じたこともない。
「僕が狙われる要素でも考えておこっかな」
頭を切りかえたくて窓から外を眺めた。王都の貴族街。着飾った人々の様子がよく見える。その先にはメーアシェールの海の輝きが微かに見えた。
自分のことなど、この海からすればなんてことのない出来事のように感じると、ルーは肩に力が入っていたことに気付く。
「ごちゃごちゃ考えないで本の続きでも読もうっと」
うーん、と伸びをしたルーは、読みかけていた本を手に取る。
隙間から絨毯にポトリとブローチが落ちた。ユリアンから渡された物だ。
しおり代わりに使っていたが、そろそろ返した方が良いだろう。
ブローチをぞんざいに机に置くと、ルーはゆったりと本を読み始めた。
***
その後、犯人が特定された。メロヴィア政変に失敗し、国外逃亡した残党の貴族であった。
「我々は過ちを犯した。ルディカ様は我がメロヴィアの王位を継がれるに相応しいお方。エルミアなどに渡す訳には行かぬ」
ルディカが見つかったとの報せを受けた時点で犯行を決意し、情報収集のためにエルミア王宮に潜伏させていた手駒を使ったのだと言う。
それには、宮廷の厳重な警備の網を掻い潜らねばならぬが、協力者はいつも顔を隠しており、正体が分からなかったと言う。
ルーの推測は当たってしまったのだ。
この事態についてエルミアはメロヴィア政府を問い詰めたが、関与を否定する返答があった。
そもそも政変に携わった者は粛清対象であり、ルディカ王女はエルミアとの架け橋として希望を抱いている、とのこと。
国王はこの件について、迅速に公式発表をした。
「此度の事件でルディカを庇い負傷したフェルデン将軍は国家への忠義を我に見せてくれた」
控えの間で起きたこと、ドレスについて王は伏せ、メロヴィア残党達の財産を没収の上、被害者である将軍のメロヴィアからの賠償とした。
「事の発端はメロヴィア政変における残党の手前勝手な都合によりなされた。しかも、こともあろうにルディカを誘拐という卑劣な手により、自らの君主として連れ戻そうとしたのだ」
ルディカはこの時点で既にエルミアの王位継承者となっていた。ここで誘拐事件を公表したことにより、王はルディカの正当性をより強調した。
「此度の事件、我が国の威信と平和に対する卑劣な挑戦と見なし、断固として容認せぬ。エルミアの繁栄と平和は、外部からのいかなる脅威にも揺らぐことはない」
そして、将軍の無事を喜び、ルディカの勇敢さを称賛した。
事件がひと段落したことで、宮廷内の噂は一点だけに集中した。
真の黒幕は誰なのか、と。
***
発表を聞いたルーの元にローラントが訪れた。
あれほど嫌っていたメロヴィア貴族が自分を拐う為に被害者まで出したのだ。気にしないはずはない。
「兄様、すごく心配そうな顔だね」
ローラントの表情を見たルーは、すぐに人払いをし、私室へと招いた。デュラン夫人はさりげなく隣接している書斎へと移動する。
今ルーは、日中のみ王宮で過ごしている。
「此度の件、おまえのせいではないぞ」
「……僕のせいだよ。そしてね、お父様とっても怒ってるのに、あんなに本音が言えないの、辛そう。兄様も」
ルーは自分に何かあれば、国が動くようになったことを滑稽に感じている。だが、それは父もだろう。あの時、母とルーを守れなかったと悔やんでいた父が何も思わないはずがない。
この兄もそうだ。
「おまえは優しいな。宮廷においてそのような考えでは、苦しむこともあるだろうが……そんなおまえに、私は救われている」
気丈に振舞っていたルーの瞳が揺れる。
「色んなことがいっぺんにあり過ぎて、少しゆっくりしたいかな。気分転換、付き合ってくれる?」
少しはにかむルー。愛らしさにローラントは微笑み、庭園観覧へ誘った。
嬉しそうに庭園を眺めるルーを愛しく思いつつ、これは数ある事件のひとつに過ぎない、とローラントは胸に刻んだ。




