初めての謁見(一)王女の戦支度
広大なエルミア王宮の敷地には、二つの宮殿がある。
白壁に重厚な石柱が連なるアドラー宮殿は政を司り、光に輝く王族の住まいフロリア宮殿と向かい合っていた。
いよいよルディカ王女を迎えようというその時、フロリア宮殿でひとつの事件が起きた。
国王謁見用に用意されていた王女のドレスを手入れしていた侍女の一人が、素朴な憧れからドレスを着てしまったのだ。それだけなら大した咎にはならぬが、たちまち全身に発疹が広がり、火傷のようにただれ赤く腫れ上がった。
ドレスを検査した結果、内側の縫い目から劇毒の痕が発見された。現在犯人探しが行われている。
ルー達に事件の報せが入ったのは出立する前の日だった。
「そのドレスどうなるの?」
「証拠品として調べ中で、用が済んだら処分するらしいぜ」
「へえ、面白いこと思い付いた。ベルおねーさん呼んで~」
ジョゼに挑戦的な目を向けたルーは、ふんふんと鼻歌混じりで機嫌良さそうにしていた。
そしてついに、当日を迎えた。
王国の威信をかけたような豪奢な馬車に乗ったルディカは、王都スヴィエルの門でデュラン騎士団から近衛兵団に丁重に引き渡された。ルディカの騎士セスとスティーン達は第1馬車であるルディカの傍に寄り添っている。
国王に加え、次期王太子と目されるローラントが自ら探し出し、大国ヴァルンの血を引くユリアンが擁護した。さらに総主教以下の聖職者が支持し、国内最大勢力のデュラン家と、肥沃な南部を治めるオットマー家が後ろ盾につく王女。
これで注目されないわけがない。
沿道には人々が詰め掛け、見物人で溢れかえり、花が投げられる。微笑み手を振れば歓喜の声が上がり……もはやルーの想像を遥かに超えた現象が起きていた。
「デュラン夫人……熱気で目眩が」
「手をお振りくださいまし」
「手がもげそうだよ……」
微笑みながら扇子を広げては弱音を吐く姫を叱咤しつつ、傍に控える夫人は誇らしく胸を張っていた。
しかし、ルーはゲンナリしながらもこの現象を冷静に眺める。
良くも悪くも平民王女とまで呼ばれる自分に向けられる民衆の目は、期待に満ち溢れている。口々に祝福される言葉には、琥珀の印や豊穣の女神などと、祈りすら捧げられる。
この騒ぎの火付け役には心当たりがあった。黒鷹だろう。
『囮作戦ならば生半可な注目では足りんだろうな』
などとギルバートが思案していたのを思い出す。
ならばこれは任務だ。仕事人モードに切り替わったルーは、輝く笑顔を沿道に向けた。
***
始めに到着したのは王族の住まいと社交の場、フロリア宮殿。ルーの居室が置かれたそこは、緑と花が整然と植えられた広い庭園に、見上げるほどの噴水がそびえ、自然と人の手が調和した壮麗な場所だ。
母がいたなら、と感傷に浸れるほどルーに余裕はない。何しろ今より戦いに赴くのだから。
「オットマー令嬢クラーラ。久しぶりね」
「姫様。お声がけ嬉しゅうございます」
「あなたは私についていらして。タルンシュタットの話を聞きたいわ」
宮廷では、王族から声を掛けられねば話すこともできない。それぞれに声を掛けるルーはクラーラのみ供に加えた。
『我が娘が連絡役となりましょう』
自分の正体を知る令嬢。会えるのを待っていた。既に女官に任ぜられたベルも面識がある。
周囲がクラーラに羨望の眼差しを向ける中、ルーは宛てがわれた南の棟の居室へ入った。
「王女殿下、こちらがギルバート殿より届いたご衣装です」
「お父様が用意してくださったドレスと同じ色……」
着たかった……着ることが出来なかったドレス。
父からの初めての贈り物だった。
犯人を心ない者だなんて思わない。ここはそういう所なのだ。
息を吸い気持ちを切り替えると、ルーはデュラン夫人に指示を出した。
「大事な準備を私はあなた方三人に任せます」
気高く言い放つルディカに、デュラン夫人は恭しく礼の姿勢を取って後、すぐに行動する。
「かしこまりました。人払いを。ライヒ伯爵夫人、クラーラ嬢以外の者は王女殿下のお着替えが終わるまで入室を禁じます」
他の側仕えはデュラン夫人の命を受け退出し、女官三人が残った。クラーラは、自分がここに残された意味をしかと胸に刻んだ。
ルーは、自分の信頼がなければ世話をすることもできない、と公言したのだ。侍女が着たお陰で王女が毒から守られたなど、言い訳にもならない。
「さあ、そろそろお着替えを。謁見に遅刻しますよ」
「侍女じゃないのに着替えなんてごめんね! 僕さ、三人がここに一緒にいてくれて……頑張れるって今思ったよ」
「姫様……」
クラーラは涙ぐみ、同時に憤る。それをデュラン夫人がやんわり窘めた。姫と同世代のクラーラなら、きっと近い目線で寄り添ってくれるだろう。
「ここはルーの家なんだから、居心地が良いようにしていいんじゃない?」
ベルはずっと傍でルーを見てきた。命を助けられ、看病してくれた可愛いルー。「一緒に来て欲しい」と言われどんなに嬉しかったか。
ギルドメンバーと共にルーを守ると誓った。一番傍にいる自分の役割は心得ている。
デュラン家から出立する際に着ていた、ドレスを脱ぎ、ロイヤルブルーに銀モールの刺繍が施された、優美なドレス仕立ての騎士服へと変わる。女騎士のいないエルミアで、ギルバートが宮廷遊戯用にと誂えた衣装だ。
白い腰ベルトに王家の剣と短剣を下げると、ルーは身の引き締まる心地がした。
「ローラント殿下のブローチもこのご衣装にとても映えますね」
鏡を何度も見ていたルーは、デュラン夫人の言葉にほんのり頬を染める。愛らしいが恋にはまだまだ、と夫人とベルは苦笑する傍らで、勇ましい出で立ちにクラーラが華やぐ。
時を告げに来たセスは、意気込んでいたルーの賑やかな様子に一瞬立ち止まり、ふっと表情を崩す。
「お時間です」
「ええ、参ります」
居室を出た途端、周囲の視線が変わったことをルーは目の端で眺めた。普段は目立つことを嫌うが、この時ばかりはざわめきが愉快だった。
「案の定の反応ですね」
居室から一歩外へ出れば、そこは社交の場。左で護っているジョゼがルー達にのみ聞こえるように喋る。
先頭をセス、左をジョゼ、右にベル、後ろはデュラン夫人とクラーラ。この隊列で颯爽と歩けば、ザワつく宮廷人達はルディカ王女の意図を理解した。
毒を盛られるなら斬り捨てる。大切なドレスを汚すような相手とは戦う。
そんなことは優雅な笑みで包み隠し、回廊を颯爽と通り抜ける。この姫はこう出たか、と視線を向ける者達は興味深く見送った。
***
王座の間にルーと共に入れるのは、身分確かなセスのみ。
「ルディカ王女殿下のお越しです」
高雅な騎士服に髪をひとつに結んで揺らし、現れたルディカの出で立ちに、ここでもざわめきが起きた。
しかし臆することなく堂々と王のもとまで歩む。
(こう来たか。なかなかやりおる)
驚いた王だが、一切咎めなかった。むしろ、自分の送ったドレスを台無しにされた怒りをこのような形で表すルディカが小気味良い。
ローラントも相当に驚いたが、可憐ながら誇り高さを感じる姿に眩しささえ覚えた。そして、飾られたブローチを見て小さく微笑む。付けてきてくれた気持ちが嬉しかった。
王座の間には総主教の姿もあった。既に事件が起きた状態で、無事に済まないと判断した彼は、万が一の時のために擁護できるよう立ち会いを申し出たのだ。
(色んな人がいるなぁ。近衛兵かっこいいから王女辞めてそっちになりたい)
などと呑気に考えているルディカは、女性の礼であるカーテシーではなく、王の前で片膝を付いて跪いた。
流れるように優美な所作は凛々しささえ感じさせる。
王はあえて待ちに待った様子を見せ、快く迎えた。
「王女ルディカ、よくぞ我の元へ戻った」
玉座から降りた王は、ルディカの両腕を取った。そのあまりに破格の扱いに、いったん静まった周囲が再びざわつく。
「ご静粛に。お二人の再会を心無い者に邪魔されたとて、ルディカ様は日を改めることなく堂々とお越しになりました。その意味を方々にはお察し頂きたいものですな」
宰相の慇懃な言葉でざわつきが止む。
静粛になったことで王はルディカに声を掛け始めた。今から行うのは父と娘の一世一代の芝居。皆に聞こえなければ意味がない。
「美しく育ったな。母によう似ておる」
「ありがとう存じます。私は母に憧れ育ちました。何よりの褒め言葉を頂けて光栄にございます」
「ルディカよ、そなたほど苦労をしてきた王族はおるまい。それであるのに憎みもせずユリアンを救ってくれた。我はそなたに報いる為、願いを聞きたい。なんなりと申せ」
王の目がルディカを見つめる。ここから本当の戦が始まる。本当に良いのか、と。
ルディカは王の手から離れ、再びすっとその場に跪いた。
「私の願いはただひとつ。王位継承権を授けてください」




