難攻不落に挑む王子
城の中央塔最上階に上ったルーは、すーっと息を吸い歌い出す。メーアシェール湾を一望できるここは、ルーお気に入りの場所だ。
~♪
母から教わった巫女の歌。いくつもあり、その全てに精霊の加護を祈る意味がある。しかし使われるその言葉は母ですら理解できなかった。
揺れのない透き通った声が響き、風に消える。供をしているジョゼは、近頃ルーが巫女歌をよく歌うようになったことを心境の変化なのだと捉え、様子を見ることにしている。
「ベルが僕の女官に推薦されたんだって」
「動きやすい立場にしてくれたんだな」
廃神殿の一件で、ルー達とデュラン家の関係は大きく変わった。ジョゼらスティーンは密偵を捕らえた功労者とされ、ベルは姫への忠誠心厚い人物として、デュラン夫人の信頼を得たと公にされた。
「なんでここまでしてくれるんだろう、って少し前の僕なら考えてた」
「お? んじゃ今は?」
「夫人の心意気に完敗だー!」
「そかそか」
ルーの頭にぽんと手を乗せたジョゼは、階段を指し示す。
「夫人、カンカンだぜ」
「それ早く言ってよー!」
ルーは大慌てで緩めのドレスの裾をたくし上げ、飛び降りるように螺旋階段を降りた。そんな姿も小言の対象なのだが、と笑いながらジョゼも共に降りて行った。
服装ひとつにしても、ルーが伸び伸びと過ごさせてもらえていることが窺える。
王宮へ行けば気の休まらない日々が始まる。せめてここでは、姫にのんびりと過ごして欲しい。
そんなデュラン家の心遣いをジョゼは感じていた。
***
レオニールと側近1名のみを伴い、メーアシェール城へ向かうローラントは、湖を横目に深い溜息を吐いた。
あれは舞踏会の翌朝のこと。
二人きりの夜のダンスで、プロポーズをしたつもりでいたローラントは、ルーに剣の稽古を付けながら、「私の未来の妃は勇ましいな」と軽口を叩いたところ、露骨に顔をしかめられたのだ。
首を傾げたローラントだが、ルーの態度は変わらなかった。帰還の馬車で、さすがに意気消沈した。
「共に歩め、と言った時、ルーは手を取ってくれたのだが」
「それは姫様にとって単なる政治的な約束です」
「ではダンスは……」
「兄と踊って楽しかった、程度でしょう」
側近の辛辣な言葉に、ローラントは頭を抱える。レオニールもこればかりは助けられない。価値観が王族とほぼ変わらないからだ。
「簡単なことです。宮廷風の伝え方はお捨て下さい。真っ直ぐに『愛しているから結婚して欲しい』と言えば良いのです」
「それはあまりに露骨すぎないか?」
「庶民はわかりやすく伝えるものです。贈り物もお渡しにならなかったのですよね」
「察するかと……」
「姫君はおそらく恋に疎いのでしょう。宮廷での駆け引きもお出来にならないかと」
それはそれで嬉しい。ローラントは安堵したが、今のままでは兄妹同然だ。
このやり取りを思い起こし、懐に手を当て、目を閉じる。あの時渡しそびれてしまった贈り物。瞼の裏に浮かぶルーの笑顔。しかと目を開き、決意する。
「露骨なセリフ、やってやろう」
「意気込むほどのことではありません」
「おまえは容赦ないな。レオニール、何か言ってやれ」
「私は君に言ってやりたいね。上手くやれ」
ローラントのわざとらしい溜息と、若い男達の笑い声を乗せた馬車は、城へ続く橋の上で轍をカラカラと鳴らして進んだ。
一方のデュラン家も、ただ手をこまぬいて待っているわけではない。今朝などは騎士団総長と手合わせを楽しんでいるルーに、カスパーがそれとなく話を聞き出していた。
「母上、難攻不落です」
長男よりユーモアのある彼から、実直過ぎる報告を受け取ったデュラン夫人は、頭が重くなった。夫人も折に触れては、姫の想いを聞き出すも、ローラント王子は優しい兄、ということ以外伝わってこない。
「二人の婚姻は我が家の悲願。いえ、この国の未来がかかっています」
「婚約がここまで難儀とは……」
「姫がお育ちになられた環境は違うのです。抱かれている夢を叶えて差し上げることも、我が家の務め」
「何やら大袈裟なような。そういったことは時間をかける方が良いと思いますよ」
息子の言うことがもっともだ。夫人は一計を講じる。何も今すぐ結ばれる必要はない。二人の関係が近いだけに急いでしまったが、未婚ならばむしろ慎ましくあるべき。
要は姫が王子の求愛を自ら受け入れたくなれば良いだけだ。チリンと呼び鈴を鳴らした。
「ベルティナさんをお呼びして」
廃神殿以来、ベルは名で呼ばれるようになっていた。呼び出されたベルは、切実な相談を微笑ましく感じた。
「それなら、あの場所がよろしいかと」
「なるほど。では、小サロンの後に……」
ルーが今日のドレスに目を輝かせている頃、二人は手早く計画を練り上げた。
そうして作り上げられた、二人だけ……とは言わないまでも、庭園の木立や生垣に覆われ、外からは視線の届かない場所で、ルーの隣にローラントが座る、という状況が自然に出来上がった。
「このブランコとっても可愛いよね。離宮の頃の話をしたら、夫人が作ってくれたの」
白木の上品なベンチにクッションが敷き詰められ、ブランコ状に木陰から下がっているそれは、ルーの乙女心を大いにくすぐるものだった。作られてから毎日座り、茶を楽しんでいる。
「私が座っても問題ない頑丈さが素晴らしいな」
感心しながらローラントは、可憐なドレスのルーに目を細めていた。妖精とはこういう存在なのかもしれない、などと柄にもなく考えてしまう。
容易に触れれば消えてしまう。そんな儚さを成長したルーから感じることがある。ゆえになかなかプロポーズをできずにいた。
ルーはと言うと、ローラントが何やら考え込んでいるのを密かに心配していた。期待される王族は気苦労が多いのかもしれない。何か、慰めになることをしたい。
スカートの裾を揺らし、ブランコから降りる。
「ルー?」
「兄様に贈り物!」
向かいに立ち、軽く両手を広げたルーは、息を吐き出すような繊細さで声を響かせた。それは、昔ルーがマリエルとよく歌っていた巫女歌。
澄んだ歌声が真っ直ぐにローラントの胸に届き、焦がれるような郷愁の念に駆られるほど胸を揺さぶられる。迷いも戸惑いも歌の静寂に包まれ、落ち着いてゆく。
歌が終わると、我知らず胸に手を当てていた。
「迷える人が家を見つける歌、だよ」
ルーの声が歌の続きに聞こえる。すぐに声を出せずにいるローラントの隣に、ルーがぽんと座る。ブランコが緩やかに揺れた。
「渡したい物がある」
胸を揺さぶられるまま、懐からビロードに包まれたブローチを取り出し、ルーに差し出した。真っ直ぐに見つめるルーの眼差しを前に、用意していた露骨な言葉は消え失せる。
「おまえは私を兄と慕ってくれているな。私もそうだった。だが……共に歩む妻となって欲しい。恋人でもないのに、とあの時言われたが……それでも私にとって、おまえはかけがえのない一人の女性だ」
大切に大切に言葉を紡ぎ、ローラントはルーの腰リボンに真紅のガーネットのブローチを付ける。
ルーはそっとブローチを指先で撫でる。ガーネットの縁に小さくあしらわれたダイヤが虹色に輝き、ローラントの真心を映しているように思えた。
「兄様、僕はタルンシュタットで再会した時から、ずっと戸惑ってる。今も目が覚めれば、任務が何か考えたり。どんなに着飾って、王族らしい振る舞いをしても、僕から裏の人間の臭いは消えない。非道、卑劣、残酷。数え切れないことが僕の中では普通なの。あなたはそんな僕を王族じゃなく、ひとりのルディカとして受け入れてくれるの?」
苛烈な言葉だった。だが、それはあまりに真摯で、嘘偽りのない純粋さに思えた。
「受け入れるのではない。全て貰い受ける。私の愛が軽いものと思うな」
「うん、なんか重いと思った」
若干心が折れかけたローラントに、ルーは腹を抱えて笑う。照れ隠しなのは赤らめた顔が物語っている。
「愛なんてよく分かんないけど、兄様とずっと一緒にいたい。今はそれでもいーい?」
「ルー……。ありがとう」
過酷な環境から激変しても、ルーなりに考えてくれていた。ローラントはブローチを撫でるルーの指に手を重ねた。耳まで赤くなる様子が愛らしい。
(こんなにみんな見てるところで恥ずかしいよ!)
巫女歌で泣き出したデュラン夫人とベル。わざと気配を出してふざけているスティーン達、隠れているつもりのカスパー、レオニールと何やら力の入ったローラントの側近。
始めから覗かれているのを知っていただけに、ルーは逃げ出したい気分でいっぱいになりながら、贈られたガーネットの輝きを……幸せだと思えた。




