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ネベルム大陸記~喪の王宮~  作者: 猫戸針子
第2幕 王女ルディカの帰還 Andante
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デュランの誇り(二)エンブレム

 苦々しげなカスパーの呻き声が、剥がれかけた煉瓦に反響し、冷えたライヒ伯爵夫人の囁きが重なる。

 確か、姫は「おねーさん」と気安く呼んでいた。夫人は喉元に刃を突き付けられた状態で、できうる限り状況を把握しようとする。


「へえ、貴族夫人なんて腰抜かすと思ってたけど、気丈だね。さすがエルミア随一の騎士貴族」


 表情のなかった姫の目に、好奇の色が灯る。夫人はそれに、安堵とは違った不安定さを覚える。姫は隠しているようで、見られることすら計算に入れているように思えた。


「……何を言われようと、私は姫様をお守りする所存でございます。その者についてお教え下さいまし」


 口笛をひとつ吹いた姫は、刃を外した。

 カスパーの拘束も同時に解かれる。駆け寄ろうとするカスパーを夫人は手を上げ制した。


「これらはメーアシェールに入る前から僕を張ってた密偵。ジョゼ、吐きそう?」

「いんや、これからだな。だからおまえは早く戻れって言っただろ」


 姫の側仕えでも、よく皆に馴染んでいる人当たりの良い男。密偵と呼ばれた者の前にしゃがみ肩をすくめている。この者の口調も全くの別人だ。

 が、問題はそこではない。夫人は密偵のもとへ向かおうとする姫の手を掴んだ。


「なぜこのような重大事を我が家にお知らせなさらず、このような真似を?」


 振り向き、やや驚いた顔を見せた姫は、特別なことでもないと言わんばかりに冷ややかに言い放つ。


「自分でできるからだよ。わざわざデュラン家なんて動かしたら、いったいいくらのお金が動くと思う?」

「は?」

「うん、分からなくていいよ。だけど、王女を狙う者がいるって言って、それを信じてくれたとしたら大捕物になる。市場は封鎖されて商業活動は停止。兵士が出動して時間がかかる分、ひとり頭の水とパン代は? 騎士が出る事態になった時、立派な甲冑は動くだけで摩耗する。馬にも水と餌が必要だ」


 淡々と語りながら、密偵の顎を蹴り飛ばす。全く顔色を変えずに。


「それ、誰から出てるお金?」


 夫人もカスパーも、姫の言わんとすることがやっと理解できた。普通の王族ならば、いや自分達でも気にも留めないこと。目に入っても、数にも入れないこと。

 それが見えてしまう王族。

 変わらぬ表情には、言い知れぬ哀惜があるように思えた。完璧過ぎる姫の不器用さ。

 夫人は掴んだ手をそっと離し、背筋を正した。これから酷なことをこの優しい姫に言わねばならない。


「カスパー、姫の従者と共に密偵を城へ運びなさい。然るべき裁きを」

「ちょっ、なに勝手なこと……」

「勝手はあなた様の方ですよ。ここはデュラン領。いかに王族とて我が家に口を挟む権利はございません。それに、姫様には私から大事な話がございます。お残りください。ライヒ夫人もです」


 予想外のことに気圧され言葉を失ったルーの前に、ジョゼが歩み出る。


「かしこまりました。領地内でのご無礼、大変失礼致しました。処罰は私に」

「それは追って沙汰します」

「違う! ジョゼは……」


 急ぎジョゼを庇うルーの声を遮り、夫人は指示し始めた。


「今は姫様と語り合う場を整えて下さいませ。カスパー、騎士を1名外に配備。あとは、分かりますね」

「何人も近づけさせませぬ。ごゆるりとご歓談下さいませ」


 カスパーにとっても一か八かの賭けだった。母に危害を加える気はないと判断し、ジョゼと共に密偵を連れ出す。

 廃神殿の扉が軋みながら閉じた。


 何だこの女は。ルーは頭が混乱しかけていた。脅しが効かないばかりか、自分を見ても恐れもしない。武器も持たずに自分と対峙するとは……無謀なのか。

 柱ばかりのガランとした空間で、夫人が口を開いた。


「それでは話の続きを。姫様のお話になった理屈は分かりました。仰る通り我々は姫ほどの視野を持って行動はできなかったでしょう。しかし、あなたは王族です。大捕物になることが、なぜかお分かりですか?」


 厳しい口調に変わった夫人に、ルーは今さら何を分かりきったことをと億劫な気分になった。


「重要人物だから……」

「違います」


 しかしその言葉はピシャリと切り捨てられた。訝しむルーに夫人は続ける。


「あなた様は王家の象徴であり、国家そのものだからです。我ら貴族は王族の神聖さをお守りする者。それ即ち国家を守ること。さて、姫様は此度の件を大捕物になる、と仰いましたね。それは当然です。王族に対し何をしたかを民衆に知らしめ取り締まることで、民は国が守られていると安堵することができるからです」


 傍に控え佇むベルは、夫人がルーに王族の在り方を教えようとしているのだと理解した。投げ掛けられる言葉に動揺するルーが、自分の価値を軽視しているのは、ベルも気掛かりだった。


「先の密偵は、おおかた宮廷の誰かが放ったもの。姫様、これはただ狙われたのではございません。宮廷合戦のほんの一部でございます。それをご自分で片付けようなどと、思い上がりも大概になさい」


 グッと扇子を握り目を向ける姫。

 夫人は厳しい態度を崩さなかった。これは始まり。姫はこれから学んでゆかねばならない。命を残したまま、消されてしまうことを。


「あなたは本当に誇り高い人だね」


 小さな声でポツリと呟いた姫の目は揺れ、俯く。


「僕は民を背負うつもりで戻った。母のことだってもちろんあるけれど、それ以上に。タルンシュタットでパンを食べれない人々を毎日見てきたの。ここにだっている。もう、共同墓地を増やしたくない。だけど……王女なのに、何も出来なかった。だったら、小さくても出来ることからやるしかないでしょ。それは……王権なんかより大事だ!」

「ならば両方やればよろしい」


 弾かれたように顔を上げると、夫人はルーの手を優しく包んだ。


「あなた様はご自分を道具と仰ったそうですね。ならば、使い方で刃にも盾にも器にもなれる道具とおなりなさい。そして、我が家をあなたの理想を叶える踏み台となさいませ」


 姫様、と呼び掛け包んだ手をしっかりと握る。多くの才を持ち、様々な可能性を秘めたこの姫に下を向いて欲しくない。マリエルの忘れ形見としてではなく、ルディカ自身を支えたいと、夫人は小さな手に願った。


「すぐに今までのやり方を変えるなんてできない……」

「それもあなた様の得た武器です。ただし、慎重になさると約束してくださいまし」

「宮廷を……教えて……」

「いくらでも。姫はこれからなのです。どうぞご自身の道をお探し下さい」

「うん、ありがとう……」


 夫人の手にポタリと雫が落ちた。ほんの少し涙を流した王女は作り物ではない花開く笑顔を夫人に向けていた。

 廃神殿の窓から注ぐ光に、夫人は晴れやかさを覚えた。もはや長居は無用。

 未だ瞳に涙の跡が揺れる姫の背をそっと支えながら、夫人はゆっくりと外へ出ようとした。


「あ、そうそう返さないといけない物があるの」


 クスンと鼻をすする姫が、ドレスの内袋から何かを取り出し手に握っている。思わず受け取った夫人は、血相を変えた。

 それは、デュラン家のエンブレム文字の一部だ。


「あっはは! 路上に馬車なんて停めてたら危ないから気を付けてね~」


 してやったりという顔でニシシと笑う姫の態度を夫人はもう改めるつもりはなかった。公の場でこの方は弁える。が……。


「ご高説痛み入ります。城に戻りましたなら、今後は淑女の慎みを一からお教え致しますので覚悟なさいませ」

「えー! ベル~!」

「良かったじゃない。手癖の悪さが直せるわよ」


 ゲンナリとした顔になる姫を見て、これが本来の姿かと思うと、夫人はこの場所に来る以前よりも、姫を身近に感じた。


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