デュランの誇り(一)港の市場
三日後には王都へ向かう予定だったルーの身に、延期せざるを得ない思わぬ事態が起きた。
宮廷でローラントが、王女の証として示した琥珀の印、と聞き付けた大精霊宗大神殿の総主教の言葉が発端だった。
「ルディカ王女に、祖大王の御印たる伝説の琥珀印が幼き頃に現れていたなど、我らは初めて聞く。これほどの大事を知らされていなかったとは、国教である大精霊宗が軽んじられていたも同然。その話が誠であるなら、伝統に則り、王子と同様に王女も格別の扱いとする」
そのような沙汰が下り、デュラン家にて改めて確認が行われることとなった。
それではなぜ、ルディカのホクロは総主教以下聖職者達に知らされていなかったのか。それは、さらに特殊な事情によるものだ。
ルディカが誕生した折、儀式にて確認されたのは普通の三連ホクロだった。それが、誕生より一年経った頃に変化し、マリエルは密かに王に報せた。
王は現状から、ルディカの命がさらに脅かされると判断し、この事実を知る者全員に伏せさせた。
それをローラントは、ルディカを発見したと報告する際に、頃合いだと判断したのだ。王座の間で公然と口にしたことにより、宮廷は大きな騒ぎとなった。
当のルーは色が少し違うくらいで大袈裟だ、という認識だ。だが、生粋のエルミア人たるベルは、初めて目にした時に腰を抜かしかけた。
「歴史くらいは知ってるけど、たまたまだと思うよ?」
「あなたから色々聞いていると、信じていた神聖さが崩れちゃうわ」
「王族なんてそんなもんだよ。でも、大地の大精霊の加護でここまで生きてこれたのかもね。ホクロ様々って感じ」
「もう!」
エルミア王族は、首の後ろに「豊穣の印」と呼ばれる三連ホクロがある。その中で非常に稀に現れるのが「琥珀の印」だ。光に当てると赤茶色に見えることから、そうと呼ばれている。
その印を持った王として知られるのは、1000年前にエルミアの礎を築き大国たらしめた大王。そして300年前に現国土を不動のものとした暁王。それ以降、エルミアはこの国土を守り続けている。
「寝る時に必ず母が琥珀物語を聞かせてくれたものよ。ルーはそういうのなかったの?」
「僕は歴史として学んだだけ。首にあるし、そーなんだ~くらいかな」
「子供の頃の思い出も台無しになる話ね」
琥珀の印はエルミアにとって栄華の象徴だ。人々は傑王たちの偉業を讃え、それを伝説と崇める。
そして、それは300年ぶりにローラントに現れた。
このような経緯から、伝説の琥珀の印を持つローラントは、生まれた時から大精霊宗に保護されている。戦地に送られた際には、聖職者も多く加わった。
「奇跡のホクロねえ。俺はメロヴィア人だからピンと来ないけど、ルーの時はさすがに慎重になったぜ」
人払いした部屋でジョゼは当時を思い出し深く頷く。セスは王宮入りするルーの部屋の最終確認で城へ行っており、ゆえにジョゼが騎士代理を務めている。
セスら元マリエルの騎士と従者達は、王命により正式にルーへと配された。
***
大神殿側が定めた、王家の印改めの儀により、当然デュラン家は総主教を迎える準備のため大神殿にて儀式の打ち合わせをせねばならなくなったが、ルーは王宮入りが引き伸ばされたことをかえって喜んでいた。
「今日は港を見てみたいわ」
「あら、毎日のようにお出かけになられても、まだご覧になりたい所がございますの?」
「もちろんです。城も町もあまりにも見る場所が多すぎて、数回では全く足りないもの」
瞳を輝かせる利発な姫。デュラン公爵夫人は、この姫の宮廷世話係として女官長になれたことを誇りに思っていた。これまでの事情は聞き及んでいるが、影を見せることもなく、教養に不足は見当たらない。むしろ、完璧過ぎるとすら思えるほどだ。
不慣れな宮廷マナーにも真摯に向き合っている。鬼気迫るものを感じることがあるが、それだけ熱心なのだろう、と質問に丁寧に答えている。
ねだられればつい共に出かけてしまう。どこを見ても楽しそうにしている姫の愛らしさには、夫人の表情も柔らかくなるものだ。時折、不思議に思う場所に興味を示しているが、何もかもが新鮮なのだと語られれば、そうなのだろう、と自領を誇らしく思えてくる。
「あちらを見たかったの! メーアシェールは東対岸からの市が開催されると聞いて、とても楽しみにしていたのです」
「姫は博識でございますね。あちらの品はここでしか手に入らないのですよ」
外国人商人区の定期市。日程は決まっている。
姫はいつ知ったのか。
メーアシェールからタルンシュタットへ物品が流れることで知ったのだろう。夫人は僅かな疑念を頭の中で軽く流した。
「護衛はカスパー(デュラン家三男)のみにしなさい」
「母上、しかし……」
「姫にも護衛がついておられるのです。それに、ぞろぞろと付いていては落ち着いてご覧になれないでしょう」
この港で領主デュラン家を狙う者など内外でもそうそういない。王族のルディカなどなおさらだ。
夫人は、侍女と共に異国の品物を手に取り始めたルディカの傍に近寄り、物見を楽しんだ。
「失礼、ご婦人方をお通し願いたい」
ごった返す人々の中を屈強なカスパーが道を開ける。
「姫様?」
夫人の声で振り向いたカスパーは、つい先までそこにいたはずの姫の姿が見当たらないことに気付いた。従者もいない。
「気になる品を見付けたそうです。直ぐに戻るので、夫人はゆっくりとご覧になって欲しいと、姫様より言伝がございました」
それならば問題はない。今までも少し離れることはあれど、すぐに戻ってきていた。
だが、柔らかに告げる侍女の所作は、あまりに整いすぎていた。
まるで姫のように。
考えてみれば、姫の周囲は皆そうだ。セスはともかく、従者達にはどこか綻びがあるもの。それが、ない。
「私もそちらに向かいます」
「そうですね、今は慎重になる時期。そなた、案内を」
ライヒ伯爵夫人の目が一瞬鋭さを帯びたように見えたカスパーだが、すぐに艶美な微笑みを向けられれば気のせいと、後を付いて行った。
迷いなく進むライヒ夫人はこの地を熟知しているように幾度も角を曲がる。
「こちらで間違いないのだな?」
「おかしなことをお聞きになりますね。案内をと仰ったのは、あなた様でしょう」
道が狭くなり、影が増える。しかし、ライヒ夫人は穏やかに微笑むだけだ。
人影はまばらになり、ついには消えた。
「こんな所に廃神殿が……。本当にこちらに?」
「ええ、特別な物はここで売られているのだと、市で商人が話しておりましたの」
「それを鵜呑みにされたのか?! ここは商業禁止区域だぞ。騙されたのだ!」
「そうでしたか。私が行ってまいります。お二人はこちらでお待ちくださいな」
扉をきしませ暗がりに消えたライヒ夫人。カスパーは母の肩を抱き寄せる。街の喧騒の中で何が起きているか分からぬが、ここは建物に囲まれ完全に死角だ。万一敵を追い込む場所だとしたら打って付けの地である。
姫の過去はカスパーも聞きおよんでいる。ゆえに、侍女の落ち着きようにも合点がいく。しかし、今、騎士団はいない。事が起き自分一人で確実に守れるのは……母。上手く行けば姫も。
「中へ行きます。姫に何かあったと考えましょう」
「従者達が裏切ったと?」
「まだ何も決まっておりません。ですが、万一のことあらば、この母を姫の代わりに差し出しなさい」
目を見開くカスパーだが、母の強い瞳を受け、ついに扉に手を掛けた。戦士はいつでも最悪の事態は想定するもの。隙間から差し込む光を頼りに、薄暗い神殿の廊下を歩いてゆく。
そこで二人は信じられぬ光景を目の当たりにした。
「やっぱり来ちゃうよね」
縛られた男達の前に立つ王女が振り向いた。その表情は夫人の知る愛らしいものではなかった。
何の感情も無い目が、物でも見るように夫人を見ている。
「母上!」
カスパーの叫びで喉元に扇子の先端が当てられていることに気付いた。いや、それは隠されたナイフ。
スティーンが背後からカスパーを拘束する。
「くっ! 離せ!」
「僕は来るなと言ったのだけど、言うことを聞けない犬はうるさいな。人手、足りないからベルおねーさんも頼むね」
「はいはい、カスパーさん。即死したくなかったら動かないでね」
赤い唇を微笑ませ、ライヒ夫人は長い針をカスパーの脇にピタリと構える。
「毒か……」
「さあ。邪魔しなければ何もしないわ」




