王女帰還の舞踏会
ひっきりなしに船が出入りし、商人たちの掛け声が飛び交うメーアシェール港町。
その北に位置する丘には、湖面に浮かぶように佇む優美な城がある。それが、デュラン家本拠地であるメーアシェール城だ。
その壮大さと美しさが、デュラン公爵家の力を物語っていた。城へ続く道は、湖から続く大きな堀に掛かった堅牢な橋を渡るしかない。優美でありながら、明らかに砦の造りだった。
事実、この地は王都の喉元であり、デュラン家が崩れればエルミアは終わる、と言わしめるほどだ。
橋の上で兵士の敬礼を受け、沿道に人々がいなくなったところで、ルーは扇子越しにローラントに声をかける。
「さすがの堅さだね」
「メーアシェール城を知っているのか?」
「エルミアでデュラン家を知らない人はいないし、嫡男のレオニールだって有名人だよ。ここいらは、前に野暮用でちょっとだけ見に来たことあるだけ」
野暮用……。ローラントは楚々とした様子のルーから不穏さしか思いつかなかった。ルーは、ふふっと笑う。
「誰も殺してないよ。僕らは万能じゃない」
「では野暮用とは?」
「後で教える、てか謝るかも~」
愛らしく笑って会話を交わし、扇子を畳む。流れるような上流階級的作法に、ローラントは感心した。
ルーは10の頃まで、宮廷教育などまともに受けてこなかった。ここまでの品格を一体いつ、どこで身に付けたのか。タルンシュタットで見せていた姿とは明らかに違うルーに魅せられ、尋ねようとしたローラントだが、折しも馬車は城門をくぐろうとしていた。
白銀に磨かれた甲冑のデュラン騎士団が、剣を捧げ王一行を迎える。これにはルーも惚れ惚れとした。舞踏会なんぞより、この者達と語る方がよほど有意義だろうが、ローラントとも父とも約束をした。そして、仲間のためにもここで王女と認められねばならない。
敬礼を興味深げに眺めるに留め、ローラントと他愛のない会話を楽しんだ。
その様子を窓から眺めていた女性は、城へと入ってゆくルディカの背を見送ると、ドレスをカサりと揺らした。
「支度はどうなっていますか」
「ルディカ様お付のライヒ伯爵夫人含め、準備は整っております」
「そうですか。万事抜かりなくなさい」
「かしこまりました。奥様」
奥様と呼ばれた者、デュラン公爵夫人は窓に手を当て一度目を閉じる。
ゼラフィーナ妃からの便りは、すでに届いている。あの頃、デュラン家は動くことができず、一人の妃を失ってしまった。
「せめて……」
忘れ形見の姫だけは必ずや守る。王より達しがあった折、一族の悲願を果たす時と誓った。
窓に背を向けると、夫人は王一行を迎える支度に取り掛かった。
王たちと別れたルーは、護衛にセスとジョゼらスティーン、侍女にライヒ伯爵未亡人となったベルを従え、着替えの部屋へ通された。
「これより先はライヒ伯爵夫人のみお通り下さい」
「あの衣装は?」
衝立の前で止まるセス達に僅かな視線だけを残し、飾られた衣装の前で扇を広げる。
控えるのはデュラン家から付けられた侍女たちで、ベルが正式な側仕えとして扱われていることに、ルーはレオニールの心遣いを感じた。
「トリュフォー商会よりルディカ様へ、と」
「そう、さすがあの商会ね。とても素敵で気に入ったわ。ベル、あなたは扇子を選んでちょうだい」
「かしこまりました」
ルーの体に合う衣装を即座に用意できるのは、ギルバートくらいのものだ。
清楚な薄緑の腰に淡い紅のリボン。色合いに母を思い出し、ルーはここでの無言の指令を受け取る。
一方、デュラン家の侍女たちは、ルディカの気高さに庶民上がりという評価を改めていた。側仕えの未亡人も得体の知れない者という認識だったが、明らかに場に慣れた品が匂い立つ。
「姫様、この扇子がお似合いになりますわ」
「まあ、上品で素晴らしい意匠ね」
当の本人達は任務に近い感覚でやり取りをしている。扇子は予めベルが携えていた仕込みナイフのある物だ。
(ドレスにもこっそり仕込んじゃってるわね。ルーらしいわ)
武器の持ち込みは禁止だが、そんなものはどうにでもなる。ベル自身も常に毒針と解毒剤は携帯している。此度の随行ならば、用意周到が過ぎるくらいでちょうど良い。
「髪型はこちらでよろしいですか」
「ええ、私はいつもこうなの」
ハーフアップに結い上げた髪は腰まで長く流され、艶やかに輝く。生前の母が公の場でいつもそうだったことは、父王から聞いている。ルーも子供の頃からその髪型で、今も好んでいる。
「陛下の元へ参ります」
正装に身を包んだルーは、黒髪を揺らし回廊を進んだ。
大広間へ辿り着き、既に控えている王に柔らかな礼をすると、頷かれた。ここではあまり喋れなさそうだ、とルーはやや寂しくなったが、場を見渡せば当然かと気を取り直しユリアンの隣に座る。
ローラントとユリアンは桟橋で迎えた時以上に息を飲む。ナイフを持った娘と目の前のルディカが一致しないほど眩しい。
王はルーの姿に目を細めた。
(良くぞここまで似たものだ)
生前のマリエルが舞い降り、微笑んでくれたかのような錯覚に陥るほど、姿も纏う空気も似ていた。ルディカが微かに気落ちした表情を覗かせたことで、我に返った。
(これから客が来んのかな。いつまでニコニコしてなきゃなんないんだよ。ユリアンにでも話し掛けとくか)
ダルくて仕方のないルーは、任務だと己に言い聞かせる。父王に船で習った王族としての心構えは、しっかりと頭に叩き込んでいる。
任務の失敗は常に死を意味してきた。この場合は社会的にだが、地位を掴むために間違えるわけにはいかない。
「ユリアンお兄様。私、少々場違いな所へ来てしまったように思います」
そっと囁かれたユリアンは、一瞬歌われているのかと感じた。それほどルディカの声は美しかった。
「ああ、デュラン公爵家の大広間は我が国でも王宮に次ぐ壮麗さなものだからね。私も見ていて美しさに目を奪われていたよ。……気を張っているの?」
君の美しさには到底及ばない。そんな言葉をかけたい。が、元来人と話すのがあまり得意でないユリアンは、心奪われた相手に何を言って良いか分からなかった。
『こんな服じゃこの屋敷にも入れない。そんなことも知らないの?』
あの時、エプロン姿でそう言っていた彼女が、今は相応しい姿で隣にいる。
気遣ってみると、小さく首を傾げ微笑まれた。胸が跳ねる。
「お恥ずかしいのですが、ご存知の通りです」
「案ずることはないよ。今の君はこれから来る誰よりも……綺麗だから」
ローラントはルーと席が離れてしまい、残念に思っていた。王の隣ということは自分は立てられているのだろうが、年齢順にも見える。
そこに来てルーのあの姿だ。ユリアンと何やら親しげに喋っているのが気になるが、扇子の隙間から僅かに覗いた物で口角を上げた。
相変わらずの物騒さには、逆に安堵する思いだ。
招待客が続々と集まり、大広間を埋めてゆく。
『あれが?』
『王族席に並んでいるのなら、やはり……』
『デュラン家はどうなさるのでしょう』
『しかしあの姿、あまりにマリエル様に……』
主催のデュラン公爵は挨拶の中で、あえてルディカに一切触れなかった。ゆえに人々はなおさら、その姿に値踏みするような視線を向けた。
そして、曲が変わった。
「ルディカ王女殿下、デュラン公爵家嫡男レオニールにございます」
「おひさしぶり、レオニール」
「覚えていただき、光栄です。では、参りましょう」
さざめく人々の前へレオニールが進み、ルディカに恭しく手を差し伸べた。微笑むルディカはそれに応え、ふわりと席を立つ。
曲がメヌエットに変わる。軽やかにステップを踏むルディカは、美しくも愛らしく、観覧する人々は、我知らず微笑み、その姿に魅了された。
レオニールは、どんな難しい動きにも自然に合わせてくるルディカに驚きながら、楽しそうな笑顔を向けてくれる彼女が、ドレスを翻す度に見惚れる。近づき手を取ると、ルディカが悪戯っぽく囁いた。
「お遊びで昔、相手してくれたね」
「今も変わらず、楽しゅうございます」
「ありがとう、レオニール」
この場を整えたのは、彼だ。策だけで動く人ではない。
生真面目で優しく、困り顔でよく遊んでくれた人。
「おかえりなさいませ」
手が触れ合い、顔が近づいた時、レオニールが囁く。
「うん、ただいま」
曲が終わり、レオニールは丁寧にルディカを席へ戻した。均整の取れた美しいダンスはどこか明るく、観覧する人々の胸にルディカの存在が灯される。
主催の公爵は歩み出ると、ルディカへ恭しく会釈する。
「ルディカ王女殿下のご帰還、誠にめでたく存じます」
朗々と響く声で告げられた言葉に、誰かの手を打つ音が鳴る。デュラン公爵夫人だった。それに続き子息達も拍手する。
場は拍手に包まれた。ルーは内心やや驚くも、皆に応えるように立ち上がり微笑みで応えた。
物怖じせず凛と背筋を伸ばしたその姿は、エルミア王族たるに相応しいものであった。




