父王と娘(三)解ける糸
声を揺らす王。ルーも頬に涙が伝っていた。この話が嘘ではなく真実なのは、何度も王の嘘を疑いながら密かに反応を確かめていたから分かる。
「お母様……」
「女子であったことで我もマリエルも安堵したものだ。少なくとも王位継承争いに巻き込まれることはない、と」
しかし、マリエルは一向に回復せず、子を産めぬ身体となった。医師の診断で王は悟った。狙いはこれだったのか、と。本来は死産させるつもりが、ルディカが無事に産まれたことは、何者かの誤算だっただろう。
王の表情は苦渋に満ちた。ルーは絶句する。
「僕の……」
自分のせいで? 自分を産もうとしたから?
「そなたのせいなどであるものか」
「だって……そうでしょ。産まなければ……」
震えるルーの手を王は不器用に、だがしっかりと握った。
「そなたの母も我も、産まれたそなたが丈夫であったことにどれだけ安堵したか。どれだけ救われる思いだったか。自分のせいなどと言わないで欲しい。我らはそなたに会えることを心待ちにしながら過ごしていたのだから」
「うっ……うっうっ……」
母が恋しい。母から話を聞きたい。父は嘘をついていないが、母はどうだったのか、と。
聞かずとも思い返せばそんなことは分かりきっていた。どれだけ慈しんで育てられてきたか、記憶が教えてくれる。
王の手の温かさを感じながら、母の温もりを思い出す。
王は小さなルーの手を愛しげに握り、話を続けた。ルーはもはや言葉を発することができなくなり、黙って聞いていた。時折ペンダントを握りながら。
「危険を感じた我は、マリエルを子を産めぬという理由で郊外の離宮へと移した。いずれ落ち着けば会うこともできる。そう信じて」
周囲の目を欺くため、マリエル母子には困窮するような生活を送らせていた。そうしなければ、母子の命が宮廷の陰謀に晒されると判断した……苦渋の決断だった。
密かにマリエルを支えていたゼラフィーナが、ローラントを通じマリエル母子の様子を王に伝えることもあった。
ローラントがルディカに本を持って行くと聞いた時には、王がゼラフィーナを介し渡すこともあった。
一方で王は急ぎつつも、密かに病の原因を探った。国内では突き止めることができず、他国へと目を向けようにも、国王の身では制約が多かった。
「できないことばっかりじゃん……偉そうなくせに」
「全くだな。だが、そなたらを早く手元に。愚かな策ではあるが、必死であった」
「……。」
そんな中でようやく信の置ける他国の医師が一人見つかった。しかしその診立ては、「毒の可能性が高いものの、この大陸に見ぬ材」とのみ記されたものであり、特定は叶わなかった。
結局、改善は困難だという結果だけが残った。
マリエルを良く思わぬ者は多かった。
淡白な王が溺愛したことで、「妖しげな巫女の技で惑わす妃」と囁かれたこともある。
王がマリエルの件で悩みを打ち明けられる相手は、宰相とゼラフィーナ妃。
しかし、宰相も表立った行動はできず、ゼラフィーナは寵を狙うと噂され、ローラントを激戦地に送らねばならぬ事態にまで発展した。
これはローラントの才を潰すための陰謀でもあった。
そんな折、王家の狩りが行われる。
ルディカは若干10歳にして他の王子を圧倒する成果を上げた。
王は駆け付け褒めてやりたかったが、目立ち過ぎればルディカの命が危険に晒される。
「あの時のそなたの顔は、今でも忘れられぬ」
「酷いの極みだったよ。少しも褒めそうな感じなかったし、すぐ居なくなっちゃうし」
「そうだな。そなたの笑顔があまりに輝いていてな。無下に扱うふりをするなど耐えられなかった。弱き父と笑え」
「全然面白くないもん」
身を切られる思いであった王だが、これでルディカに累が及ぶことはない、と考えていた。
が、守りきることは叶わなかった。
マリエルは刺客に倒れ、ルディカは行方不明になった。
「刺客……あの時、このペンダント渡されたあの時、セスでもジョゼ達でも逃げる選択しか出来なかったの。お、お母様の……遺体、は?」
声が上手く出ない。ルーの身体がガタガタと震え出す。遺体と言う言葉を発しただけで吐き気がしてきた。
セスもジョゼからハッキリと聞いてはいない。ルーは母が戦って散ったことすら知らない。
「そうか。そのペンダントはその折に。そなたの母は剣の手練れであった。メロヴィア巫女は儀式剣を身につけるものらしい」
母の寝台の傍にはいつも剣があった。振るっている姿をルーは見たことがない。あの優しく儚い様子の母から想像がつかなかった。
だが、王は最期の戦い様を教えてくれた。弱った身体で剣を取り落とさぬよう、手に布で巻き付け戦った痕があった、と。
「気高く誇り高い、マリエルらしい」
「なんで……」
誇り高くなくて良かった。共に逃げて欲しかった。再び涙が溢れる。
セスもジョゼも、ルーにマリエルの願いを伝えてこなかった。今こそ話すべき時だと心得たセスは、静かに王の前に歩み出て僅かに腰を折った。
王にはそれが形だけではない真摯な礼の姿に映った。
「ここは公式の場ではない。忌憚なく申せ。我はそなたの話をよく聞きたい」
現場を改めた報告の中で「セスとジョゼが姫を逃がした」と言った者がいた話を王はだいぶ後になってから知った。
何者かに揉み消されていたからだ。
王の言葉を受け、真っ直ぐに見据えると、セスはそっとルーへと視線を向けた。
「それでは失礼して。ルディカ様、マリエル様はこう仰っておりました。『どんな生き方でもいい。この子が無事なら』と。我らの脱出の時間を稼いでくださったのです。引き止めること叶わず……申し訳ありませんでした」
セスは王にも深々と頭を下げた。憎み続けてきた王が、夫として父としての苦悩を語ったその姿に、彼の中で深く凝り固まっていたものが静かにほどけてゆく。
密かに慕っていた人は、不幸ではなかった。
「そなたらがマリエルの意思を継ぎ、ルディカを守ってくれていなかったなら、今こうして語り合うことも叶わなかった。あの事態を予測できなかった訳ではない。しかし……配置したはずの兵士はいなかった」
セスの胸に引っかかるものが残った。「配置した兵」とは、なんの事だ?
予測していたという王の言葉と、実際には誰もいなかった現場。その食い違いが、波紋のように不安を広げてゆく。
「兵ですか? いえ、あの日は……」
思わず問い返そうとした言葉半ばで、ルーはついに嗚咽を漏らした。長く気丈に振舞っていた感情が溢れたのだ。
胸を強く押さえ息を乱すルーの頭に、ふわりと温もりが置かれた。顔を上げると、王が不器用に手を添えていた。
「宮廷はままならぬ。頂点にいる我でさえ。そんな中でそなたはたくましく生き抜いてくれた」
当時のあの「セスとジョゼがルディカ姫を連れて逃げた可能性が高い」と言う報せで王は希望が湧いた。
生きてくれているだけでも良い。王は揉み消され闇に葬られたその説にすがった。
そのため、マリエルの死を伏せたまま遺体を安置した。
「そなたが生きていると知られれば、探し出し殺す者や最後の巫女として担ぎ上げる者が出る。マリエルは……最期までそなたを守った。ならば我が成すべきことは、そなたを見つける日が来るまで、マリエルの死を偽装することだ。マリエルは病篤く、辺境にて子と共に静養している、と」
王は少し息を付き、言葉を切った。
あの時から、マリエルを土に還すことが出来なくとも、共に国とルディカを守っている、と思いながら過ごしてきた。
「毎年のように訪れていたタルンシュタットでカフェの名を聞いた時には戦慄が走った。しかし、慎重になり、場所を知った翌年に気まぐれを装い立ち寄った……それがあの時だ」
ルーは話を聞きながらペンダントに目を落とす。不器用な父の手。こんなに温かかったなんて、知らなかった。
涙を流し、しゃくり上げながらも、息を整え真っ直ぐに父を見る。
「僕はあなたが大嫌いだった……なぜお母様だけがこんな目に遭うのか分からなくて、せめて王女の自分が認められようと懸命に励んだ……」
「知っていたよ。声を掛けることも出来なかった父を許して欲しいとは言わん。守れもせず、周囲の声も防ぐことの出来ぬ弱き王だ。それでも、マリエルもそなたも、愛している」
父は見ていた。見てくれていた。疎まれていなかった。
母も……見捨てられてはいなかった。
「急に言われても……簡単に許してなんか、やらないんだからね!」
目をギュッと閉じても溢れる涙。
愛情が注がれるのを感じる。それは……自分が知らなかっただけでずっとあったもの。
「お父様……」
か細い声で呼ぶルディカ。王は目を大きく見開き手が震えた。
「ルディカ……父と呼んでくれるのか……っ」
「特別……なんだからね!」
王は立ち上がり、肩を震わせ泣くルーを胸に抱いた。ルーはその胸に縋り付き泣きじゃくる。
「お母様ぁ!!」
「すまなかった、ルディカ……」
父の胸は、温かかった。ルーは涙を流す度に硬い結び目が解けて行くのを感じた。




