黒鷹の総帥
その翌朝、レオニールが難航する交渉だと策をめぐらす相手はカフェの手伝いをしていた。
「このレース、なんとかならないか?」
夜更けに現れたギルバートの第一声がそれだった。メンバーはこういった性格に慣れているので、別段気にすることもなくレースのリネンマットを確認する。
「コーヒーの色がだいぶ付着していますね。ルーが近頃コーヒーや紅茶で染物をしているので、戻ってから聞いてみましょう」
「せっかく作ってくれた物を汚してしまったとあっては悲しまないだろうか」
裏社会では冷淡非情とも言われるギルバートだが、ルーのこととなると別人のようになる。今も、娘に嫌われたくない父親にしか見えない。
「染められる物を探しているくらいですから、別の物が作れる、と逆に喜ぶかと」
そうか、と安堵の表情を見せるギルバート。
本当に裏社会で一目置かれているのだろうか、と疑いたくなるほどの有様だが、それ自体は事実であるのだから、ルーが別格扱いなのだ。
実際、目に入れても痛くないと言った可愛がりようではある。
「ところでルーはどうしている?」
仕事が入れば暗殺に向かっているが、ルーが実行部隊として動くほどの依頼は、そうそう入るものでもない。
「数時間前にローラント王子と側近に縄張りを見せていましたが、疲れたようで帰ってすぐに寝てしまいました。起こしてきましょうか」
「いや、明日も話し合いがある。休ませておこう。今回の大口依頼も皆良くやってくれた。おまえも休める時に休んでおけ」
礼を言うメンバーは、ギルバートの周囲にいる者に比べ気安い態度だ。リンツァギルドは皆こうであるので、ギルバートとしても気が楽であり、ゆえに訪ねる時には一人で来ている。
和気あいあいとしている雰囲気は、彼には作り出せない環境であり、好ましい場所なのだ。
弟セスは上手くやっている、とギルバートは常々感心する。
そんなわけで、寝ぼけ眼のルーにギルバートが汚れたレースを見せ、話が賑わったのは言うまでもない。
カフェは朝食時までで店を閉じた。
相変わらずルーに甘いギルバートは、セスと共にカウンターに立つという奇妙な状態であるが、時々視察と称して遊びに来てはこうしているのでセスも普通に指示を出していた。
これを誰が黒鷹の総帥と思おう。
「さて、ルー。今日はこの前誂えたドレスを着てみようか」
「大袈裟じゃない? 兄様に会うだけだし。昨日も普通の服だったし」
「私が見たいだけだよ。ベル、支度を頼む」
ルーがまだ暗殺者になる前は、ギルバートはあちこちにルーを連れ歩いていた。今はルーが忙しくなり同伴の機会が減ったが、服も装飾品も膨大な数だ。
ルーは王女と言えど貧しい生活で、ドレスもあまり変えたことがなかった。それゆえ幼い頃は、ギルバートの贈り物に大いにはしゃいで喜んでいたものだ。
社交界へ潜入する際は、ギルバートが依頼と共にドレスを贈っている。
ベルは初めてルーの衣装部屋を見た際、あまりの充実ぶりに驚いたものだ。ベルがギルドに正式加入すると彼女の分も贈られてくるようになり、ギルドメンバーのやたらと充実した正装は、ギルバートが用意しているのだ、とそこで知った。
それにしてもルーの物は任務を超えて多い。
そんなギルバートがローラントと対面するのだ。親バカが炸裂しないはずはない。が、ローラントとてルーは5年越しにやっと会えた可愛い妹である。
話し合いは当初、一歩も引かない両者が対立してしまい、ルーもジョゼもハラハラした。
そうなるだろうと予想していたセスは涼しい顔をしているが、給仕をしているベルは緊張で危うくカップを落としそうになった。
そんな中、ルーは遠慮がちにそろそろと手を挙げる。
「あのさ……僕の結婚の話で盛り上がってるけど……恋人でもないし、プロポーズされてもいないし。夢がなさすぎて、すごく嫌なんだけど……」
ハッとした表情になるギルバート。王家と大貴族ゆえにローラントとレオニールはルーの言葉が理解できず、首を傾げる。
幸いなことに、ローラントの従者の中に、比較的庶民に近い考えの者がおり、結婚は好いた者同士がする特別なものだ、と二人に伝えた。
「そう言えば、我が軍の兵士が、戦が終わったら結婚する、と幸せそうな様子を見かけた。あれはこういうことだったのか……。いや、私とてルーとの婚姻は幸せなものだが、プロポーズ、か。妻とさせる儀式としか考えていなかった……」
「まあ、私も出自は貴族だ。殿下の考えに近いところはある。長く庶民の中にいるルーに憧れが出来るのも当然か」
この件により、二人は歩み寄り始めた。セスは黙って様子を眺め泰然としていたが、そろそろ口を挟むべきと考えた。
「それ以前に問題がございます。婚姻の後もルーができる限り自由でいられる保証があるか、です。昔のような閉ざされた暮らしに戻るようならば、我らは国外逃亡すら選ぶでしょう。兄上、策はございますか?」
策と言うより絶対条件であるが、ルーの夢も守りたい。眉頭に指を当て悩んだが、やはりここだけは譲れぬ。
ギルバートは含みを持たせず、ハッキリとローラントに提案した。
「ルディカ王女に王位継承権を持たせるならば、王宮に戻す価値はある」
ローラントは有り得ないことに目を見開く。エルミアの女性王族に継承権がないことなど、常識のはずだ。が、すぐにギルバートの提案に頭を巡らせる。
王はルーの様子を探らせている。いずれ王宮に迎えるのは目に見えている。そうなると、ルーはどこぞへ嫁がせられてしまう。
ローラントがルーを正妃にするならば、王より先に自分が連れ帰ることにより、正妃とする要求を通りやすくする必要がある。
しかし、そこでもし、ルーに王位継承権が付くとなると、ローラントとの婚約よりも国内外への影響は遥かに大きい。ルーは王家の女達の誰よりも価値のある人物となり、自分と同列になる。エルミア初の女王が誕生するかもしれぬと沸き立つだろう。
ローラントはさらに慎重になった。
「ルーが私の政敵となる可能性を避けたい。ギルバート殿と私が手を組む、というのはどうか。拠点も王都に移転してもらいたい。私の権力は我が国でも大きいもの。商売人としても利があるだろう」
「それは私も考えていた。殿下、あなたが政敵に回るような状況ではルーの宮廷生活などとてもさせられない。そんなことになるくらいなら今のままの方がマシだ。リンツァのメンバーは、皆どこにでも潜入できるほど高い教養も立ち振る舞いも身に付けてある。こちらは王宮に潜入という形を取らせてもらいながらルーを守らせてもらおう。もちろんローラント王子の依頼も受ける。そこで婚姻についてだが、ルーは殿下で本当に良いのか? 夢はないが……」
ルーはモジモジと上目遣いでローラントを見る。今日はドレスであり、ローラントの視線が気になり気恥しい。
「……ちゃんとしてくれるなら。兄様のお嫁さんになるって、何も知らなかったあの頃に、約束を……」
しどろもどろになり真っ赤になって口ごもるルーに、ローラントは昨夜から感じていた愛しさを覚えた。
妹とは違ったそれに、少しの戸惑いを感じながら。
「覚えている。忘れたことなどなかった。だから、後でちゃんと約束させてくれないか?」
涼やかな目元を柔らかに細めて言われれば、ルーはボッと顔を赤らめ慌てて部屋から出て行ってしまった。
そんな態度に新鮮な心地のするローラントは、静かに微笑む。
「やれやれ、許可は取れなかったが……。セス、ジョゼ。ルーが最も危惧しているのはおまえ達だろう。生きているなら二人がルーを拐ったとの噂もある。最悪、王女誘拐の首謀者として処刑だ。仲間もそれに近い刑を下される可能性がある。ルーだけを連れ戻すなら私が何とかできるゆえ、時をずらすのもいいだろう。ただ、ルーの身を守ることを考えると、私も皆連れて行くのが望ましいと考えている」
王族に戻るのなら、ローラントは堂々と守ることができる。いつ命を落とすか分からぬ今の環境よりは遥かにマシだ。
「ここで重要なのが、ギルバート殿の宮廷への影響力だ。ルーは仲間とはぐれるくらいなら、このままの生活を選ぼうとしていた。仲間までも共にとなるとやや時間がかかってな。手を貸してもらえる状態ならありがたい」
ルーの未来の夫が決まるのが早すぎると考えつつも、ギルバートはローラントの話は慎重に考えた。
そもそもルーが見つかる可能性は考慮済みだった。エルミア国内に留まっていれば有り得ることだ。それゆえにルーに女性らしさが現れ、子供の頃とは見た目が変わるまでは、ギルバートの手元に置いていたのだ。
ルディカ王女と看破されたなら、弟もスティーンもただでは済まない。せめてルーが公式に死んだことにされていれば良かったのだが、マリエル妃もルディカも辺境に移ったなどということになっている。
この時の為に撒いた種が芽吹いてきている。良い頃合だ。
「王都にも拠点がある。私の表の顔は王宮御用達商人だからな」
ローラントは一瞬息を飲む。そこまで国に食い込んでいたとは。ギルバートは話はここからだ、と続ける。
「タルンシュタットはセスに任せていたが、エルミア主要都市に影響を及ぼせると考えてもらって良い。もちろん、ある程度の領主、政財界にも顔が効く。それと、最も強力なのが……」
「それは……!」
「王宮は我々にとってお得意様だ、ということだ。裏として大っぴらには動かぬだけで、な」
ギルバートの含みを持った笑いにローラントは活路を見出した。
柱時計がカチリと針を動かし、低く時を告げた。




