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ネベルム大陸記~喪の王宮~  作者: 猫戸針子
第1幕 暗殺者 殺戮天使ルー Rubato
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下層で繋ぐ手(三)ランタンの灯

 進むにつれガス灯が減り、人通りも少ない。

 ルーは腰袋から取り出した小ぶりの火打石で、手際よくランタンの油皿に火を灯す。火元に息を吹きかけ、ジジっと音が鳴る様子を二人が興味深げに覗いているので、クスリと笑った。


「普段はこんな感じ。仕事中は別なの使ってる」


 仕事中……。劇場の光景が二人の脳裏を一瞬かすめ、ランタンの毛の焦げたような臭いが、その記憶を追い払った。


 道中のルーは、憧れの女性メンバーが作る料理が大好きなことや、勤めている酒場で顔を合わせる客達の話を楽しげにする。

 物騒な再会であっただけに、ルーが面白おかしく語る庶民の暮らしぶりは、二人にとって新鮮で楽しいものだった。


 やがて街の喧騒も遠ざかり、狭い路地から視界が開けた。縄が雑に張られただけのひっそりとした一角に着く頃、ルーはほとんど喋らなくなっていた。ローラントの脇を身なりの貧しい親子が通り過ぎると、誰もいなくなった。


「墓地……か」


 月光が白々と差す下、石を置いただけの土饅頭が整然と並んでいた。

 戦地で埋葬するしかない場合、同様にしていたので二人はすぐに何であるか思い至る。ルーは赤子の頭ほどの石の前に立つと、それに手を当てた。


「ここはね、貧しい人や咎で処刑された人が入る共同墓地。僕らも混ぜてもらって仲間が眠ってるの。いつか、ここに入るから待っててね、ってよく話しかけてる」


 ランタンの明かりを意図した様子で顔から遠ざけているルーは、月明かりに薄らと微笑みを浮かべていた。

 「まただ」とローラントは拳を握る。感情を押し殺した、優しい笑顔。ルーはそのまま静かな口調で続ける。


「暗殺者がしくじれば、死体なんてない。ここには誰も入ってないの。僕はさ、皆を導いたつもりでいたんだ。だけど……死なせてしまった。暗殺稼業なんてやっていれば当たり前だけど、あの時、もしも皆が僕をメロヴィアかエルミアに差し出していたなら、そうするように説得していれば……。主として酷な生き方をさせているのは、僕だよね」


 吹き抜ける風が縄を揺らし、繋ぎ目がカタカタと鳴る。冷えた風が頬を刺した。

 ルーは幼子にするように、慈しむように、墓石を撫でる。


「それでもたくさんの人にお世話になって生き抜いて、信頼も勝ち取ってこれた」


 墓石から手を離し体を起こしたルーは、ローラントに真っ直ぐ顔を向けた。だが、月の逆光に身を置き、二人にはルーの表情が読み取れない。声の静けさだけ変わらぬまま。


「兄様、僕はお母様の死を確かめるなんて、そんな資格はない。ここに埋まっている人達は、国に見放されながら懸命に生きてきた人達なの。それは、王都にもどこにでもいる、この国のほとんどを占める庶民。その中でも本当に下層の人達。知ってしまっても何も出来なかったのに、今さら王女なんて。それに……逝った仲間にだって、どんな顔を向ければいいのかな。教えて欲しい」


 静かに語り終え、ルーは空を仰ぐ。

 声が微かに震えていたのを感じたローラントは、思わずルーのランタンを取りレオニールに渡した。

 ランタンで先導してきた姿に、彼女がそうするしか出来なかった道を照らしているように思えてしまったのだ。

 灯りにやや照らされたルーは、不思議そうな表情でローラントを見つめていた。そんなルーにローラントも静かに語り掛ける。


「私もレオニールも戦場で多くの部下を失った。誰一人散らしたくない命でも、簡単に人は死ぬ。そして、主たる私は死地に赴かせていたに過ぎない。終戦後に戻った宮廷は、絢爛な飾りだけを誇る別世界のようでな、誰が死のうと変わらぬ場所だった」


 灯りが揺れ、ローラントの端正な顔が浮き出された。静かな彼の口調に隠された苦悩に影が伴う。


「そこで私は、一体誰のために何をしてきたのか、分からなくなった。王族として、騎士として、国のために命を賭けてきた。だが、果たしてそれはどれほどのものだったのか。利権による駆け引きの下には、犠牲となった幾多の兵の命がある。それを省みることもない権力争いから、一体何が生み出されるのか。……しかし同時に別な決意を得ることができた。今のおまえになら、きっと分かってもらえる。そう信じれてな。手前勝っても甚だしいが、長話を聞かせてしまった」


 ルーは目を伏せ、胸に手を当てた。幼い頃に突如姿を見せなくなった大好きな兄。心細い中で耳にした戦場送り。

 タルンシュタットで戦場帰りの者達の話を聞く度、どうしてもローラントのことを思ってしまう自分がいたが、彼らの凄惨な話と優しい兄が少しも結びつかなかった。だが、それが今、ようやく実感できた。

 胸に当てた手を少しキュッと握る。


「自分で…エルミアに秩序を……」


 風の音で消えてしまいそうな、か細い声で答えたルーの胸に、失った母や侍女、仲間が過ぎる。

 ローラントは頷く。変わらず聡い子だ。そして、王族の心は忘れていない。


「そうだ。自分が王になり全て背負い変えてやる、と。そんな私におまえは庶民の嘆きを教えてくれた。見えていなかったことを見せてくれたのだ。自分が背負うべき民はこんなに多いのだと」

「僕はそんな高尚なことしてない。道が違うんだ、って……見せつけただけだよ」

「そうだろうな。だが、それだけではなかっただろう? おまえは助けを求めている」


 その言葉にハッと目を開くルーだが、すぐに俯く。


「王族なんか黙って飾られてれば良いのに。どうせ何も……できないよ。兄様だって……」

「おまえの言う通りだ。確かに我らは飾り人形。そうであることを求められ、そうあることが重要でもある。自分の足元を知ったところで、私がすぐにどうこうできることではない。だがな、飾り人形だったとしても、王族は王族の責務があり、それは誰が変われるものではない。命を悼む心のあるおまえとなら、私は同じ景色を見れると確信した」


 ローラントはルーに強い目を向ける。罪に手を染めながらも臣下と民を想い生き続けた、芯の強い妹。昔と変わらず泣き出しそうな揺れる瞳にローラントは自らの意志を注ぐ。


「共に帰ろう。華やかで泥と血に塗れる魔窟には、我らにしかできないことが必ずある。先の麦の話でもそうだろう。民に行き渡るまでの実情を知っているおまえが国策に加わればどうなる? 私は考えただけで希望が見えたぞ」

「……っ」


 ルーの頬に涙が伝った。ここに並ぶ多くの墓。温暖なタルンシュタットでさえ冬を越せなかった人々。このどうしようもない底辺の世界に、希望が本当にあるのなら……。

 肩が震え息が乱れる。感情が溢れてどうすればいいのか分からない。しかし、兄が戦場の兵士と、仲間の死を等しいと言ってくれていることだけははっきりと分かった。


 ローラントはそんなルーの頭に優しく手を伸ばし、そっと肩に引き寄せる。あやす様に。


「おまえは優しい。ここに来る間に出会った人々が、さらにそれを教えてくれた。私はおまえを尊敬するよ。ここに眠るおまえの仲間はな、今の私と同じだ。ルーと共に歩みたいと、自ら選んだ道だった。そう、私は思っている。勝手に後悔してはその者に失礼だぞ」

「うっうっ……」


 堪えきれなくなったルーは、ローラントの服にしがみつき嗚咽した。震える小さな細い肩を遠慮がちに包み込むと、ローラントの中に今までとは違った感覚が湧き上がった。

 ルーは可愛い妹だ。それは変わらない。そして、そんなルーを王族としても守るためにも妻にと考えていた。

 しかし……今のルーと触れ合う内に、女性に対する愛しさが込み上げてくる自分に気付く。残酷さを身に付け、変わり果てたように見えた彼女の心は、あまりに優しく真っ直ぐだ。


 控えているレオニールもまた、成長したルーを知るにつけ、共にローラントを支える立場に相応しいと考えるようになっていた。が、人を殺めてきたにしては心優しすぎる。


(美しくお育ちになった。可憐なドレスこそ似合うお方だろう。しかし……果たして宮廷のような魔窟では。マリエル妃の二の舞にならないだろうか。出資者と言う者の話を聞き、使えそうなら抱き込むことも考えよう)


 レオニールの家ならば、ローラントがルーを認めさえすれば守ってゆくことも可能だが、宮廷は守り過ぎるに越したことがないほどの複雑な場。命のやり取りのような明確さはない。

 兄妹の姿を目にし、恐らく一筋縄ではいかない明日の交渉に思考を巡らせ始めた。


 全てはローラントの為だが、エルミア貴族として、国を憂う者としても。


 二人からそっと目を逸らし、ルーの見上げていた空の月を眺めた。

 薄雲がかかり、朧となった月の傍には星が二つ、瞬いていた。

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