下層で繋ぐ手(二) 裏守り人
樽の上に座り酒瓶を煽っている警備兵は、ルーを見ると瓶を軽く上げた。
「よう、嬢ちゃん。観光案内かい?」
レオニールは警備兵の勤務態度の乱れに憤りかけ、ローラントが急ぎ宥める。警備兵は首を傾げるだけで気にも留めなかった。
ルーはおどけるようにトントンと片足で近付き、警備兵にニッと笑いかける。
「そ、だからここいらのこと少し教えてやってよ。てか、娘さんはどう?」
「あー、ここは変わんねえけど娘はな。いつも気にかけてくれてありがてえ。付け回してたやつをあんたがのしてくれたお陰で、家も平和になったよ」
「別に自分の縄張りでおかしなことされたくないだけだよ。身分あるとそっちじゃどうにもなんないしね」
「まあな。でもそんなん多いだろ。こそ泥なんかはこっちがやるから、そっち方面は頼むな」
「はいはーい。じゃあサクサク行くよー」
憤っていたレオニールは、国の法を思い起こす。貴族及び一定の身分や納税額の高い者は、ある程度の犯罪を免除される。
「仕事の他に、縄張り内の厄介事まで引き受けてらっしゃるのですか?」
レオニールの丁寧な言い回しに、ルーは腰に両手を当て怒った顔を作る。
「そうだけど、せっかく庶民服にしたのが意味なくなっちゃうから普通に喋って!」
「ふ、普通ですか……」
隣でクックと笑うローラントをひと睨みし、レオニールはやや抵抗がありながら、ルーと呼んでみた。すると愛らしく微笑まれ、胸が跳ねる。
「麗しい……あー、コホン……ええっと、次はどこへ行くんだい?」
少しずつ態度が軟化してゆくレオニールの様子が可笑しく、ルーもローラントも笑う。レオニールは困ったように頭をポリポリと掻いた。
少し昔が懐かしくなったルーは、柔らかく微笑み、警備兵を振り返る。
「さっきのおじさん、ああ見えて仕事はちゃんとしてるんだよ。僕は信頼してる。ただ、ここって治安悪いのに、それなりの身分のヤツらが結構闊歩しててさ。おじさんとしてはままならないことが多いの。そりゃ酒くらい飲みたくなるよ」
でもね、とローラントの顔を覗き込みながら歩き話を続ける。何やら悪戯っぽい顔をしている。
「小娘に何ができる! って最初は言われたよ。それこそタルンシュタットに来たばかりの頃は色んな人にだけど。そんな時は実力を見せる!」
自分の片腕をパンと軽く叩き、ニカッと笑うルーにローラントは真顔で尋ねる。
「実力とは? 剣技でも見せていたのか?」
「えっと……んー、まあ、そんなとこ! さてさて~、他の人にも色んな話が聞けるよ。あ、おばさんだ。こんばんは! 景気はどう?」
一人の物乞いの老婆を見かけると、ルーは親しげに近寄った。物乞いに何の用があるんだ? と二人は首をかしげる。
「なんだい、良いとこの坊ちゃんなんて連れて歩いて。色気付いてきたね」
フードを目深に被った老婆は下卑た笑い方をする。レオニールは顔をしかめた。
照れてしまったルーは、慌てて顔の前で言葉をかき消すように両手を振る。老婆は可笑しそうにひゃっひゃと笑う。
「そんなんじゃないよ。おばさんにはバレちゃうね。庶民に仕立て上げたのに」
「そりゃ、そういうのが仕事だからね。景気はあんたがここ使わせてくれてるお陰で上々さ。そこのお二人さん、知らないみたいだから言っとくけど、ここじゃルーちゃんの許可なしに物乞いなんてできないよ。あとね、他の奴らに茶々入れられても『殺戮天使に許可もらってる』って言やぁたいていすごすごと引き下がるね」
老婆の言葉にローラントもレオニールも大きく反応し、つい声を出す。
「殺戮天使?!」
その異名は、さすがにローラントでも知っていた。宮廷でも噂になり、もし王都に来たらと戦々恐々となったあの事件。
驚きのあまり素早くルーの顔を見ると、彼女はさも面倒そうにやれやれと言った顔をした。
「やり過ぎて変なあだ名付いただけ。後で教える、かも? 今はおばさんの話聞きたい。ねえねえ、最近変わったことない?」
適当に誤魔化したルーは、話を切り替えようと銀貨をピンと弾く。物乞いは老婆とは思えぬ機敏な動きで受け取った。
「これは前金だね。情報はいくつかあるよ。まずはあんたが気にしてたパンの件。あんたらが白麦の買い占め阻止してくれただろ? でも、下のやつらに届く前に……まあそんなのいつもの事だけど、今年はだいぶ餓死してるから、パン屋を襲撃するって話が出てる。ただ、ここいらとカフェ・マリエル近辺は、あんたらが麦流し始めたからパンの価格も下がってきてるし、金持ちに状況が伝わったのか慈善活動なんてやり始めたからさ。ここは何とか持ちこたえるよ」
「そっか。他の縄張りはどうにもできないけど……。兵隊さん達もお腹空かせてたくらいだからヤバかったよね」
ルーはさり気なく老婆に近付き、指の間に挟んだ銀貨を握らせる。気前がいいね、と薄気味悪く笑った老婆だが、口を一旦つぐむとルーを手招きする。
「あんた、探られてるよ。今日、オットマー侯爵邸から来たやつなんだけど、この街の人間じゃない」
「ついに侯爵に売られるのか~」
「いいや、それはないね。あんたが何者かまでは掴んでないらしい。侯爵もそこは言えやしないだろうさ。主にカフェでのあんたの様子だったり、いつからタルンシュタットにいるかとか。あたしら貧乏人にゃ聞かれないけど」
あー、と再び面倒そうな声を上げたルーは、気になっていそうな二人を振りヒラヒラと手を振る。
「後で話すことが増えたよ~」
「あまり良い話ではなさそうだな」
「んー、おばさんは僕が雇ってるここの監視者だから、警告してくれるんだよ」
「先程から投げている銀貨が報酬なのですか……なのかい?」
言い直したレオニールはローラントに腕を小突かれ肩をすくめる。ひっひっと老婆は可笑しそうにする。
「それは言えないねぇ。あたしは単なる物乞いさ。……あんたらが何もんか聞かないでおくけど、ルーちゃんを頼むね」
頼むと言われローラントは虚をつかれた。何者なのだろう。フードから覗く目は何かを見透かしているように見える。
ルーは老婆の発言には触れず、軽く手を上げ歩き始めた。
「……おばさん、またね」
「あいよ」
ガス灯の灯りに薄く照らされた三人の後ろ姿を老婆はフードを上げて眺める。連れの二人は明らかに身分が高かった。そして……。
気付くと目の前に音もなく小袋が置かれた。いつもいきなり現れるリンツァギルドのメンバーだ。老婆は袋の中を改めようと手を出すと、靴が小袋を踏む。チャリッと軽く金属の擦れる音が一度鳴る。
「誰にも話すつもりなんてないよ」
「その方がいい。今、俺らも慎重に行動中だ」
「そのことも伏せておいた方が良いみたいだけど……ルーちゃんはここから居なくなってしまうのかい?」
メンバーは老婆の問いに答えず街角に消えた。老婆は小袋を開くとすぐに閉じた。金貨が数枚。相当に強い口止め料だ。
懐からルーが出した銀貨を取り出し、目元を和らげ眺める。
酒場の残り物を抱え、いつも変わらず声を掛けてくる優しい子。出会った瞬間に、普通の娘ではないと気付いた。それでも人懐っこい様子が可愛らしく、監視人を頼まれた時には嬉しいものだった。
いなくなる。この街でそんなことは珍しくないが、少なくとも死別ではない。
よっこらしょと立ち上がると、老婆はゆっくりと歩き、物乞いには不釣り合いな、やや上等な作りの自宅へと帰って行った。




