下層で繋ぐ手(一) 鉱車の風
報せを受けたギルバート・トリュフォーは、ゆったりとこめかみに人差し指を当て、思案した。
目の前には冷や汗をかいている取引相手が座っている。
「急用だ。今日のところは帰れ」
「そんな! すぐにでも動いてもらわなければウチは……」
相手は青ざめながら声を上ずらせる。ギルバートは構わず席を立った。
「残念だが、こちらの用事に比べそちらの件は遥かに優先度が低い。今はたまたま暇があったゆえ話を聞いたが……時間切れだ。他を当たれ」
言葉を残すため一瞥しただけで立ち去ろうとするギルバートに、取引相手は椅子から転げ落ちながら足にすがった。弾みでテーブルのカップが倒れ、コーヒーが溢れる。それを見たギルバートは、取引相手を蹴り飛ばした。
コーヒーに濡れたレースのリネンマットを手に取る。
「……今後一切の出入りを禁ずる」
咳き込む取引相手に冷えた一言を投げかけ、ギルバートは応接間から出た。既に扉の外にいるリンツァギルドの密偵員は、ギルバートに合わせ歩きながら詳細を告げる。
「嫁か。若いな」
「正直私は王宮などとは無縁で過ごさせたいのです。が、我々もルーの将来を考えあぐねることがございまして。ルー自身もギルバート様のお考えをお聞きしたいでしょう。王家に戻るのがあなた様や我々にとって得なのかどうか。何ができるのか。損となるのはなんなのか。あの子はそう考えるかと」
「ルーらしいことだ。ローラント王子が味方になり得るのならば、様々な方面で考えねばなるまい。私が到着するまで引き留めておくよう伝えておけ」
密偵は恭しく頭を下げ、馬車の御者台に乗った。
ギルバートはその馬車に乗り込むと、濡れたレースを席の隣に丁寧に広げる。
──ギルバート様のお誕生日プレゼント!
柔らかく口角が上がる。
誕生日の度に手作りの物を贈ってくれる可愛いルー。10歳だった子がたくましく、そして美しく成長するにつれ、ギルバートも将来を悩まずにはいられなかった。
もはや実の子より愛でている。
ルーが10歳で仲間を頼むと申し出てきて以来、商売だけでなく様々なことを教えるためによく伴わせていた。懸命に前を向き励む姿や、多方面に秀でた才能を見るにつけ、傍らに置いた方が良いのではないかと考えることもあった。
が、ルーはそもそも仲間達を養うために自分を頼ってきたのだ。セスを通じて。成長しても主としての心構えは変わらず、皆を背負う覚悟も消えなかった。
真の王族とはこういったものなのか、と感心させられるものだ。
しかし、今転機を迎えようとしている。
ローラント王子がルーを王宮に戻すと言うのならば、それ相応の条件を飲んでもらわねば譲る気はさらさらない。
ルーを育てたのは自分であり、殺そうとした王家に戻したいなど思うはずもない。
「女王に据えるほどの見返りでなければ……譲らん」
言ってみてふむ、と頷き不敵な笑みを浮かべた。
ローラントは足掛かりに過ぎない。存分に使わせてもらう、と。
***
ルーより「ローラントの嫁になるらしい」と雑な報告を受けたセスは、確かな情報を得るため、ローラント本人に直接意向を確かめた。
ちょうど良い頃合いに現れた密偵員より、タルンシュタット郊外に住む兄ギルバートがこちらへ向かっていると報された。
対応が早い。ここが命運の分かれ道であると悟ったセスは、ローラントとできる限り話を詰めておこうと考える。
「話の途中失礼。殿下には明日我らの出資者にお会い頂きたいのですがよろしいですか?」
「出資者とは? どこかの商人か?」
「商人ではございますが、裏の秩序を担う者です。ルー始め我らの命の保証人でもある、と申しておきます」
裏の人間が秩序? 妙な話である。怪訝な顔つきになるローラントに、ルーは呑気な様子から少し口調を硬くした。
「兄様は本当は知らなくてもいいことなの。でも、僕を同行したいならこちら側に足を踏み入れてもらわないといけない。……上手くいけばお互いに良い関係を築ける切っ掛けになると思うよ。エルミアは裏から見た方がわかりやすいこともあるから」
自分を利用しろと言ったローラントの柔軟さならば、ギルバートと手を組むことがあるかもしれない。ルーはそう考えた。
表の陰謀は裏が引き受けていることが多いのだ。
「そうか。自分の国なのに分からないことがまだまだあるのだな」
「王族が知る必要のない世界だからね。でも、僕らの客は、それなりの身分だったり財力のある人が多い。滅多な依頼はウチでは受けない。秩序を保つには時に暴力が必要なのは、戦争と何ら変わらない。規模が国同士か個人かの違いかな」
ローラントは頷く。理解はできるが、具体的にルーの言う裏についてはいまいち要領を得ない。
そんな彼の様子に、ルーは外出の許可を願い出た。セスはローラントに断りを入れる。
「監視を付けさせて貰いますがよろしいですか?」
「わざわざ監視の存在を明かしてくれるとは。構わん。ルーが私に見せたい物も気になる。私の知らない視点は是非知りたい」
連れて行くに当たって、ルーは供をレオニールのみと指定した。他の従者が異を唱えたが、お忍びでぞろぞろと連れ立てば目立つ、と話すとレオニールが説得した。
「ありがと、レオニール」
「あなたが殿下に何かを伝えたがってらっしゃることは、真実だとお見受け致しました。それに、私も視野を広げたいのです」
「うん、兄様よりレオニールの方が必要なことだと思うよ。じゃあいこっか」
給仕をしていたベルが、二揃えの庶民服をローラント達に捧げ持ち、二人が着替えると目隠しをした。
「これは?」
「近道の隠し通路をお通り頂きますので、失礼をしてルーが外すまでお付け頂きます」
エルミア国内で捕虜のような扱いをされているのも不思議なものだ。扉から外に出たらしい空気を感じながら、そんなことを二人が考えていると、湿った風が頬を撫でた。
「はい、乗って~」
「これは……踏み台か?」
「そうそう」
視界が暗闇のまま、ルーの雑な説明と丁寧な扱いにより、二人は踏み台から冷たさを感じる箱に入れられた。
ツンとした古びた木の臭いがする。しっかりと掴まるよう指示された。
ガコン
大きな軋み音で足元が浮き上がり、二人は縁らしき物を掴む腕に力を入れる。
「しゅっぱーつ!」
「なんだ?」
「うわぁ!」
大きく揺れながら車輪音がガタゴトと激しく跳ねた。方向も距離も分からない。
「鉱車だよ~。やっほーい!」
「ははっ! これはいい!」
「ローラント、振り落とされるなよ!」
愉しげなルーの声と金属の擦れる音を聞きながら、湿った風圧を受け降下する鉱車を人生で初めて味わった二人は、停止する頃には子供のようにはしゃいでいた。
「楽しんでくれて良かったよ。ホントは目隠しなんてしないで見せたかったけど。もう少し我慢してね」
ルーは二人の手を引きながらしばらく歩くと、目隠しを取った。
「不自由させてごめんね。ここは僕の縄張りだから……」
「縄張りか。うん、響きが良いな」
「いかにも裏社会の風情ですね」
鉱車で童心に返ったのか、開放感があったのか、二人は見知らぬ場所を楽しみ始めていた。ルーは軽く肩をすくめる。
「さすが肝が据わってらっしゃる。戦場帰りは違うねぇ」
レオニールの言う通り、いかにも裏社会の治安が悪い場所だ。二人はこういった所に足を踏み入れたことがない。
「連れて行きたいって言うか、単に見て廻ってもらいながら説明するだけなんだけどね。あ、あそこに警備隊さんいる。おじさん、こんばんは! 今日は夜勤なんだね」




