舞台裏の刃(二)逢捨
通り過ぎざまに密偵員から作戦変更を伝えられたルーは、そのままターゲットのもとへ向かう。念の為に自分用に仕込んでいた接近対策だ。
(誰か来んの? まいっか。今はこっちに集中だ)
ターゲットまであと少し。
砂糖菓子の入った硝子の器を持った防衛卿が、正面に見えた。
軍服を脱ぎ捨て、部下の妻に熱を上げている洒落た姿。ルーは内心で舌を出し、素知らぬ顔で駆け寄る。
「旦那様!」
「おや、そんなに急いでどうしたんだい?」
恋人が近頃よく連れ立っている子爵夫人の侍女。秘密の言伝かと色めき立った卿は、紳士的に屈み、背を伸ばす侍女に耳を近付けると、目を見開いた。
「すぐに案内を!」
「はい! こちらです」
駆け出す侍女を追い、卿はスマートな早足で人垣を進んだ。
小走りする侍女が、どんどん人気のない場所に向かっていることを卿は不審に思い始める。が、尋ねてみても侍女は泣き出しそうなまま「夫人が殺されてしまう」と言う。
小刻みに手を震わせる侍女。相当に恐ろしい思いをしたのだと、卿は怒りさえ覚え、疑ったことも忘れた。
腹心にはいずれ悟られることだった。決闘ならば人質など取らずに正々堂々とすれば良いものを。
愛に燃えた卿は、夫人のために命を賭ける名誉と、それに勝つという自尊心で思考を鈍らせていた。
やがて暗がりの螺旋階段前に差し掛かり、降りながらふと気付くと前を走っていた侍女がいない。何気なく後ろを振り返ろうとした。
「バイバイ、間男」
オドオドとしていた侍女とは全く違った様子の少女が自分の顔より斜め上、螺旋階段の手すりを蹴った。
何が起きたか分からぬまま、視点が、落ちた。
「任務完了っと。ね、そこで見てる人」
手すりを蹴った落下の勢いで正確に防衛卿の頸動脈目掛けて短剣を滑らせた後、少し離れた場所に着地したルーは、面倒な気分で背後を振り向き……息を詰めた。
なぜ兄が。なぜ、ここにいるのか……。
ルーはすぐに頭を切り替える。
そんなことは考える必要もない。作戦は継続している。
懐かしいなど考えない。
「ルー……なのか?」
戸惑いの声。問われようと答える必要はない。
もう、道は違ってしまったのだから。
「誰かと勘違いしてるみたいだけど、見られちゃ困るんだよね。隠れてるヤツら、バレバレなんだよ。出てきな」
ハッとローラントは振り向く。様子を伺い潜んでいた様子のレオニールが、自分の従者と共に現れた。
「聞いていないぞ」
「私はあなた様を守らねばなりませんので。何があろうと、相手が誰であろうと。おまえ達、あの者を捕らえろ。王女の可能性がある。丁重にな」
部下達がルーを捕らえようと動く。
ルーは迷いなくローラントの背後に回り、首に革帯を巻き付けた。
ギチッ……下から強く引かれた革が喉に食い込み、ローラントは息を詰まらせた。その一瞬の隙に喉元には短剣が突き付けられていた。
「君が主みたいだね。無駄な殺し、したくないからこっちの要求を飲んでもらおうか」
とは言っても、ルーは指示通り動いただけで、セス達が到着するまでの時間を稼いでいるに過ぎない。
ルーの鮮やかな技を前に完全に出遅れたレオニール達は、苦々しげな表情をする。
「堕ちましたね。ルディカ様」
「さっきから何を言ってるか分からないな。お上品な人らがなんの用?」
ローラントはギリギリと首を締め付けられ声が出ない。
力の差を埋める術を身に付けているのだろう。喋り方も昔のルーとは程遠い。
レオニール達に剣を下ろせとサインを送る。
「しかし……」
戸惑うレオニールはルーの様子を見た。短剣をローラントの喉元にピタリと当てたまま無表情だ。
成長していて昔とはだいぶ変わったが、漆黒の髪に濃紺の瞳。マリエル妃にそっくりだった。
それなのに……。
「ルディカ様、殿下を解放してください」
名を呼んでも特別な反応はない。人違いか?
「そっちが物騒なの下ろすなら考えてもいい。喋れるようにだけしてあげる。面倒だし」
革帯を外されたローラントはやや咳き込むも、ルーは刃を突き付けたままだ。
ローラントもレオニールも彼女が殺す場面を見た。あまりに鮮やかで、残酷さすら感じなかった。相当の手練だ。
「殺さない保証は?」
レオニールは警戒したまま問う。
「それを言うなら捕まえない保証だね。主に刃向けられてるのに君たち何してんの? 早くそんな剣下ろしなよ。こっちは殺りたくないってさっき言ったの、聞いてなかったの? 」
「おまえ達、要求を飲め。命令だ」
ローラントはルーが自分を殺す気が本当にないように思えた。ただ、何らかの要求をする様子ではある。
一か八かの賭けにはなるが、男の殺し方を見る限り、彼女の言うように無駄なことはしないと判断した。
「剣を下ろすだけじゃ危ないから、下に捨てて」
さらにルーの要求は続く。奥歯を鳴らすレオニールに、ローラントは頷く。
カラン。剣は次々と床に落ちた。
「これで満足か?」
ローラントが問うた時、従者二人は床に崩れ落ち、レオニールの首に刃が突き付けられた。
音も気配もなく現れた何者かの存在にさらなる緊張感が走る。
「満足した。マスター、後はよろしくね。ホント忙しい時にめんどくさー」
ダルそうな声を上げ、ローラントの体から離れたルーはさっさと立ち去ろうとする。
「待ってくれ!」
「待たない。僕は忙しいの。余計な手間取らせられたしね。じゃー、ばいばい」
軽やかに駆け出したルーは、すぐに見えなくなった。
「殿下、失礼致します」
ルーが離れると、落ち着いた様子の男がローラントに刃を突き立てていた。声に聞き覚えがある。
「セスか。やはり生きていたのか」
「覚えて頂けていたとは光栄です。しかし、こうなっては殿下にお願いしたきことがございまして、我らこうして姿を晒しております」
やはりセスの声で間違いない。そう確信したはず。なのに、なぜだ。さらに混乱と疑念が膨れ上がる。
背後では死体が持ち去られる音がする。一体何をしているのか。
「頼み事をするような態度ではないが、まあいい。ルーが今まで世間の目に映ることなく守ってきたおまえの話なら聞いてみたい。あれはルーで間違いないな?」
なぜ人を簡単に……殺しているのか。ローラントにはルーが暗殺者にしか見えなかった。
「その通りでございます。本人が正体を明かす気がなかったことは察するに余りあるかと。お話は部屋を用意致しましたので、そちらへどうぞ」
やり取りの間にローラントとレオニール、従者達は縛られていた。
だが扱いは丁寧で、そしてルー同様手際が良く鮮やかだ。そういえばセスはルーの師でもあった。もう一人は使用人のジョゼ。二人ともマリエル妃の故国から付き従って来た者だ。
では、ルーは彼らに託されたと考えて良いだろう、とローラントは先のセスの言葉からそう推測した。




