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極楽地獄還魂記  作者: 有嶺 哲史
第二章 転生して再会
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西天大聖

 食卓の上に封書が置いてあった。

裏の差出人欄を見ると〝李世民〟と書かれていた。

後世に太宗と呼ばれる唐の皇帝陛下直々の手紙だ。

書を虞世南(ぐせいなん)に師事する皇帝の、一字一字に天地の神気が宿っている宸翰(しんかん)だ。

それは分るのに何度読み返しても漢文が理解できずその内容が頭に入らない。

おれは皇帝に呼び出されたが、国禁を犯して極楽旅行をしたことを咎められるのか、シャリホツから預かった経典をまだ渡していなかったから早く渡せ、ということか。



 不安にかられたまま建国間もない大唐帝国の首都、壮麗な長安の都に行った。

空は大きく隅なく青く、有名な大雁塔(だいがんとう)はまだ無かったが真新しい白亜の城壁が朝日を浴びて屹立していた。

冷たく乾燥した空気の中に響き渡る繁栄の喧騒。

胡姫の酒肆(しゅし)から聞こえるのは波斯(ペルシャ)百弦琴(サントゥール)から滝のようにこぼれ落ちてくる暗く神秘的で情熱的な響き。

だがそれよりも勃興する偉大なる帝国の朝日を浴びる首都に相応しいのは貝多芬(ベートーベン)氏作曲の運命の第四楽章こそであろう。


 宮殿に入った。

なんと皇帝が平土間まで降りてきておれに拝礼するではないか。

ボーっとしていたら後ろから頭が高い、と何者かに頭を床に押し付けられた。

見ればそれは侍従宰相の魏徴(ぎちょう)だった。

建国の功臣であり誉れ高いこの名臣を残して他の重臣達は出払っていた。

皇帝はおれが持っていた経典に拝礼したのだ。

差し出すと皇帝は経典を押し頂いた。

大そう喜んだ皇帝はおれを友人として遇すると宣言した。


「おお痛、いたい、いたい」


これ見よがしにおでこを撫でたら魏徴はよそを向いて知らん顔していた。

皇帝の夢枕にシャリホツが出て、皇帝はこのためにおれが全財産を使い果たしたことを知っていた。

皇帝は


〝聖なる経典が西の方から来た。この国にとって素晴らしいことである。玻璃(はり)の杯に葡萄酒を湛え祝宴を開く。そこで西天大聖(せいてんたいせい)の称号を贈る〟


という意味のことを言った。

これを皇帝は漢詩にした。


聖典有西来 天朝之奇特 祝宴夜光杯 叙西天大聖


これによっておれは長者菩薩の他に〝西天大聖〟とも呼ばれるようになった。



 緊張する仕事が終わって心()いた皇帝はおれに言った。


西卿(せいけい)は極楽に転生した妻を連れ帰ったそうじゃが、転生とは如何(いかん)


「転生の本来の義は、ご先祖様方の血を引き伝えることに他なりませぬ。しかし普通使われている意味は、個人が認識し得る時空内での魂の移動であります」


「すると転生は本人の主観であろう。本人が勘違いしておれば転生したのは別人のすり替わりかも知れぬではないか」


「確かにそれは……姿だけでは見破れませぬ。しかれども臣の妻に限ってそのようなことは」


そこに魏徴が割り込んだ。


「ある! 油断すると……」


皇帝は


「実際に見る事が肝要。西天大聖よ、実際の西域を見た卿に西域都護の大臣に就いてもらいたい。朕を補佐してくれぬか」


おれは極楽で菩薩と呼ばれ娑婆で大聖と呼ばれ、大いに気をよくした。

しかしあだ名で菩薩と呼ばれても凡人に大臣の勤めなど無理だ。


 ところで本来なら直接皇帝に話しかけることは出来ず、宮殿の階段の下に控える役人に話しかけるのだが、いない。

代わりにおれの後ろに若い稗官(はいかん)がいて、おれの体をちょちょいと触った。

振り向くと、自分の言う通り皇帝に奏上せよ、という。

稗官はささやいた。


龍顔(りょうがん)咫尺(しせき)を拝し、一族の栄誉」


「へ?」


稗官がせかすので意味も解らずそのまま復唱した。


「ありがたくもさらに思いがけぬあまりにも身に余る光栄」


また復唱した。

ところがおれの口が稗官を無視し、勝手にその先を続けた。


「さりながら、それがしおだまり長者は十万億仏国土の長旅に疲れ果て申し候。仰せの大役務まる間敷候(まじくそうろう)。我が家で余生を、還魂し若返りたる妻を抱きて大いにだらけて送りたきこと、申し上げ奉り候」


自分でも驚いた。

その言葉に重臣魏徴は、皇帝の詔を聞かぬとは! 憤怒の色をなしておれを睨み付けた。

おれがだらけるのは阿弥陀様のお計らいじゃい! それを睨むとは。

心の中で叫んだ。


〝魏徴め、首を()ぬべし!〟


火花を散らして睨み合うおれと魏徴の剣幕に若い稗官は驚愕して逃げていった。

皇帝はカラカラと笑った。


「ふぁっ、はっ、はっ。羨ましい。よかろう。なればかわりとして極楽還魂記の執筆を命ず」


「ははぁー!」


勅命を賜り平伏したが、できるだろうか。

旅の途中の魔物たちの名前、雇っていた仏様軍団の記憶が早くもばらけだしている。まあ、本当のことは誰も知らないから適当でいいか。




 庭に出ると


「西天大聖さま」


若い沙門が話しかけてきた。

彼は玄奘と名乗った。

長い冒険の旅をかいつまんで話した。

すると沙門は言った。


「種々の経典に矛盾があって、日々の勤めに違和感がありすぎて困っています」


「仏典は伝来途中で誤訳などが沢山あったのじゃ。原典を見ればよい。それは天竺にある。また天朝に伝わっていない仏典もまだまだ沢山ある」


「聖なる経典にも誤訳ありと?」


「さよう。多数の言葉を経たる翻訳の努力、いかにも奇特のことなれど、その間伝言ゲームも避けがたし。不肖わしの小説でも本編と外伝で矛盾無しとはいえぬ」


すると沙門は姿勢を改め、眼を輝かせて興奮した。


「ぜひとも愚僧が直接天竺に行きたいと思います」


「すばらしい。それこそ歴史に残る奇特な事じゃ。帰ってきたら旅行記を要求されるじゃろうから冒険道中のメモを取っておかれよ。それが後の時代に面白い長編小説となるであろうよ」


「できるなら是非ともその長編小説を読みたい。我々の知らない広大な知識に触れることのできる未来の人々がうらやましくてなりません」


「その未来の人々も、さらに未来の人々をうらやましく思うであろう。しかし未来の人はこれから御坊が見るであろう過去の西域の光景を目にすることはできぬ。知識とは誰もが見る美しき青空のごとしじゃ。すべてがそこにありながら全て自分のものにはできぬ」





 極楽から連れ帰った妻は生きていたときより遥かに愛想がいい。


   庭には池水(ちすい)(たた)へつつ

   鳥は宿(しゅく)す地中の樹

   僧は(たた)く月下の門 

   ()で入る人跡(じんせき)数々の

   ………………………… 

   げにげに花の都なり


若返った妻がおれを楽しませようと仕舞を舞っている。

この部分は腹の底から最も低い声で完全四度の音程の上下を繰り返す、謡っていて最も気持ちのいい節だ。

ありゃ? 妻はおれの好きな古典芸能が嫌いなはずだ。

よく見たら体こそ不透明になっているが菊嬢天女じゃないか。

問い詰めると天女がいうには、極楽から帰るときの黒い穴の前でおれがシャリホツ尊者とやりとりしている隙に本当の妻とすりかわったそうだ。

本当の妻は極楽に残りあちらで性を女に戻し菊嬢天女の仕事を引き継いでいるという。

せっかくおれに極楽まで迎えさせたのに妻はどうして戻らなかったのか、と元菊嬢天女に聞いた。

歎きながら妻はこんなことを彼女に言ったそうだ。


「迎えに来たあの人の顔を見た途端昔の嫌いな感情がよみがえっちゃった。また久しぶりに見たあの人が思いのほかみにくく老けちゃって。ダブルショックだわ、もうだめ。こんなに落ち込むのってあの人との見合いの前日以来よ。ここまで来てしまったのに、夫を絶対好きになれないことがはっきりしてしまった。あの人は菩薩たちに受けがいい。これじゃあ私が悪者になっちゃう! うっそぉ~、あぁ~、どうしよう」


なんと、今まで嬉しい時に不機嫌な表情をするのはただの癖だと思っていたが、本当におれを嫌いだったのだ。

同情した菊嬢天女は妻に聞いた。


「誰だったら迎えに来てくれると嬉しいの?」


「セナ」


百姓のおセナ婆さんなら知っているが。

いや妻ならきっとF1選手のことだ。

そんなことを言う妻なら、おれがハリウッドスターの誰にも似ていなかったことが不機嫌の原因だったのだろう。

一方菊嬢天女だった姪は昔おれが大学生の頃一緒に伯母から古典芸能を習っていた。

おれは共通の趣味を持つ素敵なおじさんだったはずだ。姪は妻に提案したという。


「じゃあぁ! 私たち、入れ替わろうよ!」


ということで二人とも喜んですり替わったそうだ。

それにしても断りもなく、おれの苦労はどうなる! でも極楽は心残りを解消する所なので阿弥陀様は許可された。

ただし一つ気を付けるべきことがあるといったそうだ。


「なんだそれ」


「知らなくていいの」


二人は衣装を交換し、阿弥陀様が妻の体を女体に戻した。

すなわち天女になった。

菊嬢水の担当者は妻なんかでも良かったの? おれが妻に好かれていないことは菩薩達にも知られていたようだ。

それで帰ろうとするたびに菩薩たちが、かわるがわる


「またれよ」


といってひきとめて、姪が持ち帰る荷物を選ぶ時間を稼いでいたらしい。


目の前の元菊嬢天女の姪を見て、ある心残りを思い出した。


「これは極楽から帰る時黙って持ってきた銀河窯変杯だ。この盃にきみの菊嬢水を入れて飲みたい」


「私もう天女じゃない。汚いから飲まない方がいいよ。あっ、それにその盃……おじちゃんがいないとき私がそれでお酒を頂いていたわ……! ぎゃあぁぁぁ、ぐえぇぇぇ~、ぺっぺっぺっ」


「美人なら小水もきれいだ」


姪はチラッとおれを見上げ


「……本当に飲むの? OK。じゃあ、直飲みしてくれる? この変態!」


姪は衣装をめくり雄犬のように片足を上げた。



 ふと気づいて元菊嬢天女の姪に聞いた。


「ひょっとして君はこの世に帰るためにおれを利用しただけ? すり替わりの話は作り話じゃないだろうな」


「とんでもない! あなたの二度目の妻になって、一生添い遂げたいの。〝羽衣〟の天女も言ったでしょ? 『いや、疑ひは人間にあり。天に偽りなきものを』」


「漁師の白龍『あら恥ずかしや、春風の空に吹くまで懐かしや』わかったよ。でも君はおれの姪じゃあないか。近親婚になってしまうよ」


「入籍したり妊娠したりしなければいいのよ……」


「財産すべて極楽往復のために使い果たした。おれは貧乏人だ。それでもいいのか?」


姪はおれの下心を遥か昔から見透かしていながら嫌っていなかった。喜悦しながら姪は言った。


「もちろんよ! その財産がここにいる私に変わったと思って! ……本当の妻にはなれない……いいわよ。だから、さっ、やりましょっ!」


「やるって、何を?」


「むかしわたしとやったでしょ! あのきもちいいこと、またやろうよ!」


姪は妖艶な衣装で悩ましいポーズをとった。



 結局早逝した姪に残りの人生をプレゼントしたことになった。

極楽から帰った時妻が若返ったり、きれいになったりしたのは姪とすり替わっただけだったのだ。

すり替わりを認め許したら姪は喜び感謝し、生前できなかった存命中の彼女の両親への親孝行も時々させてね、と言った。

勿論それも許した。

喜んだ姪はもうひとつの趣味であるベリーダンスを踊り始めた。

さっきから姪がおれとやりたい、〝きもちいいこと〟とはこれのことだった。

昔伯母の所で一緒に古典芸能を習おうと、病弱な美しい姪を誘ったときの言葉が〝体を動かせばきもちよくなる〟だった。

元々姪は踊りが好きで、儚い命を燃やしつつ汗をかいて踊れることに心から幸せを感じていた。

おれは伴奏担当だった。

昔やったように和鼓を二個くっつけて中央アジア風の速いコミカルなリズムでお囃子をした。

外人のように彫りが深くてエキゾチックな顔つきの姪はベリーダンスがよく似合う。

生命が燃えさかるように姪は輝き、鼓の演奏はおれを無心の境地にいざなった。

アラビアンナイトの法悦境はいつまでも続くかと思われた。



 数年後、姪の両親が亡くなった。

すぐに姪はおれの体の下に潜り込んで来た。

豊潤に成長した姪はおれのすべてを受け入れようとして体も心もいっぱいに開いた。

その体にはまさしく我が一族の女の特徴があった。

女性的特徴がよく発達していた。

かつて二十歳前に姪が亡くなったとき棺桶の中で姪の太ももは枯れ枝のように痩せ細っていた。

会葬者たちは皆涙をとどめかねた。

よみがえった姪は逞しく豊満な太ももで、健康そのものの声を上げた。


「あん……あう、あう……」


突き抜けるとそこは熱く柔らかく潤う快楽の園であり、姪が主催する快楽の舞台だった。


「いいよう、きもちいいよう~」


究極の快感は旋風となって二人を峰より高く吹き上げた。

二人は振り回されながらも必死で抱き合っていたが、回転はますます速くなってついに手が離れた。

もはや股間だけが繋がっていた。

姪は必死でにぎり締めていたがとうとう力尽きて言った。


「私たち正式に結婚できなかったから私は妻じゃない。妻じゃない女を抱いたから阿弥陀様の条件を破ったのよ」


「そうじゃない。君の頭に小さな冠があるからまだ人間に戻り切っていなかったのだ。天女は往生した男と交われば男が消えるが、生きた男と交われば天女が消えなければならない。後悔するな。愛し合う喜びを十分味わったじゃないか。ありがとう」


「こうなること、私わかっていたの。ごめんなさい、もうだめ。でも私後悔なんかしてない。愛しているわ。体は消えてもずっとずっとあなたのそばにいる」


その言葉を聞いた時とうとう我慢できなくなっておれは決壊した。

股間が離れた。

飛ばされてゆく姪はおれの耳に絶叫を残した。


「わぁ~」


天女冠が飛び、遥か遠く雲の向こうに見えなくなった。



 いっしょに暮らしたのは僅かな月日だった。

これから女盛りというときに姪は再び消えてしまった。


▲ ▲ ▲


 極楽で歓待されて亡妻の魂を娑婆に還す夢はここで終わった。


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