地獄救援記
「アルマン、地獄に行ってね」
アルマンとは元々のおれの名前だ。
「えっ、とうとう本当に死ねとおっしゃるので? なんと悲しいことをおっしゃる。そこまで私に落ち度がありましたか?」
「ちがうわよ。助けに行くのよ。地獄界が危機なのよ」
「地獄とおっしゃっても……仏教の? キリスト教の? イスラム教の? はたまたマヤ神話の?」
「地獄ってそんなにあるの? 私が知っているのは閻魔様のいる地獄だけよ」
「あれね。わかりました」
おれと話していたのは中間界の二つの国の一つ、リリオ公国の統治者フリアーナ女公爵である。
その美しさは何度会っても衝撃を受けるほどである。
人当たりも物凄く柔らかくて、しかし少し緩すぎるきらいはある。
おれは彼女に身分違いの恋などするつもりはない。
中間界とは地球の存在する宇宙とは別の宇宙だ。
おれは故郷南フランスに帰省していた時たまたま生じた時空のつむじ風に乗せられて中間界に来た。
ここで女公爵から家臣にとりたてられていた。
アルマン・ド・サティオス伯爵と言うのがここでのおれの正式名だ。
少し前に異界のひとつ、極楽界の救援に行った。
今回の地獄界もまた別の宇宙だった。
地球以外の宇宙で立て続けになにか異変が起こっているようだ。
関連があるのだろうか。
「地獄へ生きたまま行く方法は?」
「知らないかな。シャボン玉時空って、タクシーみたいなものがあるの。宇宙間を移動する道具だから、それを使ってね」
「ところで地獄の危機とは何ですか」
「地獄界の空間が歪み始めて隣にある修羅界という別の宇宙と一体化しそうなの。あなたが極楽の危機を救ったことは六道いっぱいに知れわたっているのよ」
「地獄の事、承知」
地獄にはおれはひとりで行くことになった。
なぜならシャボン玉時空は定員一名だから。
乗り場に行ってボタンを押して待っていると透明球体のシャボン玉時空がやってきた。
真っ白な髭を蓄えた老齢の運転士がおりてきてにこやかに
「いつもシャボン玉タクシーをご利用いただき、ありがとうございます。行先の絵を押してから出発ボタンを押してください。ではよいお旅を」
運転士は去って行った。
ぽつんと残されたおれは言われた通り地獄の絵を押すとふわっと浮き上がった。
飛んでいる最中周りは何も見えず、これでは何のために透明なのか判らない。
到着までどのくらい時間が掛かるのかもわからず、ずっとルンルンという不気味なうなりが聞こえる中で不安な気持ちで到着を待った。
やがて不気味なうなりは低くなって到着した。
そこは地獄界だった。
地獄の入り口には何があるか。
巨大な噴火口があった。
それだけだった。
有名な三途の川は地獄に入る前、シャボン玉時空に乗っている間に通り過ぎたようだ。
出迎えてくれたのは地獄の邏卒の牛頭馬頭のひとり、牛頭だった。
待ちかねていたように彼は言った。
「使者殿、助けてくれい。ここは崩壊しそうなのじゃ」
「さよか」
「なんか冷たいお返事。わしらを差別せんでくれ。崩壊するとわしらみたいな醜い鬼を受け入れてくれるところが無いのじゃあ。困っておるのよ」
フリアーナから閻魔様への親書を預けなかった。
「わしらが信用できんのかい。邏卒、羅刹女など皆正直者じゃぞえ」
と言われてももともと信用できる相手ではない。
「隣の修羅道との隔壁が壊れ始めた。既に始まっておるのじゃあ」
「お前たちの苦難、なんとかしよう。ところでここは何によって創られて、何によって支えられているのか」
「それは……エロと暴力」
「違うだろ、映画会社じゃあるまいし」
「冗談じゃ。いやいや、あまりに古くてよくわからんのじゃよ」
基本から何も情報がない。
「地図はあるか」
「昔イノウの妻という女が、何をやったか地獄に落ちてきてここの地図を作った。イノウの妻が言うには、夫が娑婆で御国の地図を作った。自分には夫以上の技量がある、地獄の地図を作りたいと申し出たので作らせた。出来上がった地図は立派そうじゃが、わしらも知らない地域もあって、さっぱりわからんかった。それでもよいか?」
「拝見したい」
おそらく極楽にいた旦那と同じやり方をしたのだろう。
イノウの妻がどうやったのか具体的な話を聞こうと思い
「イノウの妻と話がしたい」
「消えた」
極楽同様、やっぱりここもそうか。
「地獄に来て心残りがなくなったら消えるのか」
「誰も消えなかったら地獄はあふれかえるわい」
「心残りを消す方法の無い男達はいつまでもここにいるのか」
「羅刹女の一部の者が処理する。それは大勢おっての、どんな男でも満足させる。満足すれば消えることが出来る」
聞いていた地獄のイメージと違う。
どうやら地獄は苦しいだけではないようだ。
男の邏卒が醜い分羅刹女は非常に美しいという。
美女に怖いことや痛いことをされるようだが、それが喜びになる連中にとって地獄なのか天国なのか。
一部、仏法に改心した羅刹女も別の所に居て、同じく羅刹女と言われるので紛らわしいそうだ。
仕事に移った。
助手が必要だ。
心強いことに、おれの知っていた現代の測量会社の社員だった者たちが地獄に落ちていた。
社員全員が地獄に落ちるなんて、恐ろしい会社だ。
他に頼れる者がいないので指示して彼等に地図を作らせた。
久し振りの仕事に彼らは大喜びでやってくれた。
地獄というものは多種類あるが無間地獄だけでも一辺が数十万キロあるという。
木星半径でも約七万キロしかない。
仏説の地獄は地球より遥かに大きいので地面の下に納まるはずが無い。
だから別宇宙なのだろう。
極楽同様、全てを調べるために瞬間移動の神通力を貸してもらった。
また、彼らが悲惨な光景に心が折れない特別なサングラスを貸してもらって測量をさせた。
その間おれはイノウの妻が残した地獄地図を調べた。
地図の表現方法(地図投影法の拡張)は、昔イノウ勘解由が残した極楽地図と同じ方法だった。
彼の四番目の妻は漢詩も作り、夫の測量事業を手伝うほどの賢妻と聞いていたのに地獄にいたのだ。
彼女のことはわからないが他人の人生、とりわけ人妻、未亡人の人生はわからない。
苦労の末分析がおわり、二つの地図を比べて大きく歪んだ所がいくつか見つかった。
原因も極楽の時とおなじだった。
だから対策も同じだ。
地獄の住人の配置を変えて解決した。
懸念されていた修羅道との境界壁も、娑婆で知り合いだった土建会社の男が地獄にいたので頼んだら本気で修復してくれた。
この男も優秀な上に好人物だと思い尊敬していたのだが地獄にいるのだ。
大企業の出世競争のとばっちりだろう。
などと想像していたら茶目っ気のある彼はそっと言った。
「実はこっそり抜け穴を作っておいた。普段は閉じているので誰も知らない。いつでも修羅道に逃げ出せるぞ」
「ふーん」
ちょっと修羅道を覗いたら源義経がいた。
遠目にC国皇帝だったハーンがバイズと並んで義経を見ていた。
義経は叫んだ。
「今日の修羅の敵は誰そ。なに能登守教経とや。あらものものしや、手並みは知りぬ」
ハーンは、遠い昔大陸に大帝国を作ったご先祖様が義経だという確信をもったと言った。
証拠は無いがこうしてお姿を見ると血のつながりを感じるそうだ。
おれたちの働きに閻魔様は満足されたと聞いた。
ここで閻魔様はおれに感謝するためにお姿を現してくれるという。
特別な場所におれ一人招かれた。
周りには誰もいない。
閻魔様の黒い影がじんわり現れてきた。
やっぱり衣装は絵で見たようにごついいかつい、何とも言えぬ恐ろしさだった。
お顔はどうかと見た時かつてないほど、いや極楽以来の驚愕に襲われた。
閻魔様も女だったのだ。
しかも美しさは女形阿弥陀に負けない。
また違う個性的なすばらしい魅力で、おれの眼は吸い付けられた。
女形の閻魔様は言った。
「女だと思わなかった? 男でも女でも閻魔の仕事は全く同じように出来るのよ。ああ、昔の閻魔は男だった時期が長かったわね。だから娑婆では閻魔が男だと思い込んでいたのね」
「最近、男女共同参画ということがよく言われます。私は驚きません」
実は女だったことに物凄く驚いていた。
そしてこれから起こることに恐怖と、それ以上の期待で胸を膨らませていた。
それから八日八夜、おれは女形閻魔といっしょにいた。
地獄の帝王の彼女に誘われては凡人のおれなど断れるわけがない。
生々しく個性的な女形閻魔との行為は筆舌に尽くしがたい。
かつて経験したことのない快楽は彼女も同じだったようで、あまりの快楽に我を忘れてあたり憚らず叫び続けた。
誰かが二人の行為を覗いた。
閻魔は指から光るビームを発射して追い出した。
閻魔の神通力を見たのはそれだけだった。
女形閻魔の快楽器官の構造は人間の女と同じだった。
時間があったのでなにくれとなく世話をしてくれた牛頭と馬頭を相手に雑談した。
「極楽に行く場合、重要人物の場合や布施をしてくれた場合には阿弥陀様が一人ひとりお迎えに来られると聞くが、地獄の場合も誰かが迎えにゆくのか?」
牛頭は
「地獄に行くのに布施を出す者はいない。ゆえに地獄の財政は常にきついのじゃ。お迎えも無いわい」
「なるほど、地獄に落ちるミゲランジェロの最後の審判画を見ても、重力で勝手に落ちていっているように見える」
すると馬頭は
「落ちる速度が地獄の種類によって違う。人は罪障によって行き先がちがう。つまり人によって落ちる速度が違うから重力の法則に合わない。蜘蛛の糸にぶら下がる人々の体重なんて関係無かったのじゃ」
牛頭と馬頭は極楽の目連と同じように不思議なことを言った。
「中間界に帰ったら周囲に気を付けよ。なんなら、このまま地獄におったらどうじゃ」
「死という痛い経験もせず転生の手間も要らんぞえ」
「おれは中間界とそこの人々が好きだから帰る。忠告をありがとう」
牛頭馬頭はなにか言おうとして止めた。
ため息をつき、微笑しておれの背中を両側から同時にポンとたたいた。
再び女形閻魔様が現れ、労をねぎらって言われた。
「急ぐあなたのために中間界に戻れば一か月しか経っていないように時間を調整してさしあげますわ」
さらに
「事情があって今回は宴を張れなかったわねえ。未来のあるとき、あなたは生きたまま再びここを訪れるのよ。その時は地獄全体で歓待しましょう。期待してね。わたしも再会を待ってるわよ」
と言われた。
過分のお言葉に感謝した。
いよいよ別れる時になって閻魔様は口を近づけて
「ああ、あなたとの八日八夜が忘れられない。どうして私の旦那様になって永久に、たっぷり私を愛してくれないのよう」
といっておれを力いっぱい抱きしめた。
これが地獄の深情けか。
閻魔様の返書と土産を持って中間界に帰り、女公爵フリアーナに報告した。
閻魔様から預かったフリアーナへの土産は輝く銀印と特製の錫鏡だった。
フリアーナは返書を途中までにこやかに読んでいたが急におれの顔をキッと睨みつけて仕舞い込んだ。




