162・木を隠すなら森を生やそう
「おや、おかえりなさい。テルくん」
「あっ! 上井先生ー!」
家に着くと、俺たちの家庭教師の上井先生が、ちょうど車に乗り込んで帰ろうとしている所だった。
「すみません、ちょっと相談したい事があって……少しだけ時間をもらえませんか?」
「相談したい事、ですか。ええ、構いませんよ」
「ありがとうございます!」
「座ってゆっくり話せる場所に行きましょうか?」
「いえ、えーっとそれは大丈夫だと思います!」
「わかりました。それではどんな相談でしょうか?」
「えっとですね……」
俺は平賀先生がD高校に来ちゃった事をなんとか話す。
「おやおや、平賀氏はまた何か思いついたという事でしょうかね」
「その……俺がD高校の話を出したからかなぁなんて思ったりはするんですけども、それは置いておいて……」
「平賀氏経由で、ご両親にテルくんが軽音部に入っている事が伝わってしまうのではないか、と心配なんですね?」
「そうです! その通りです! そうなんです!!」
すごい、さすが上井先生! すぐわかってくれて嬉しい!!
「秘密にしてほしいと頼むか、あるいは部活動を控えるかが確実ですが……」
「そ、そうですよね……頼めば秘密にしてくれますかね……?」
「ふふ、平賀氏はうっかり口にしてしまいそうですか?」
「は、はい……正直なところ、そう思ってます……」
心配し過ぎてもどうしようもないのは分かってるんだけど、でもパパにバレないようにD高校に来たっていうのがあるから、絶対に知られたくないから、危ない事はしたくなくってー……
「それではそうですね……どうにかする手段、無くはないですよ」
「そうなんですか!? どうしたら良いですか!?」
「簡単な事ではありませんが、大丈夫ですか?」
「大丈夫です! 軽音部するためなら何でもします!」
上井先生は微笑む。どんなすごい方法があるのか、俺は上井先生の言葉に期待しながら、聞き洩らさないように集中して返事を待つ――
「では、テルくんに追加で課題を出しましょう」
「……えっ?」
「おや? 何でもすると仰いましたよね?」
「そ、それはそうですけども、課題って……?」
「木を隠すなら森の中。軽音部は音楽研究の一環と誤魔化せば、納得なさると思いますがいかがでしょうか?」
「そ、そうですね……そうですね……」
「では、後程に課題を送りますので楽しみにしていてください」
「ハイ……アリガトウゴザイマス……」
森を作るために、何本木を植えたらいいんだろう。
――
ポコチャカポコチャカ(あるいはチャカポコチャカポコ)。
これはいわゆるラテン系のうち、『サンバ』や『ボサノバ』のリズムを表す擬音だ。
『ワルツ』だったらズンチャッチャッズンチャッチャッ、『スカ』だったらンタッタッタッタみたいな感じかな。
「普段聞かない感じの、すごいお洒落な曲だねー」
「いつもの晩御飯がすっごいムーディだよね」
「お兄ちゃん……ナイフを取ってくださる?」
「どうぞ。お水も入れましょうか」
「あら、ありがとう」
カナのコップに水を注ぐ……ここで思わず笑ってしまう、お互いに。
「もー! 笑って雰囲気壊さないでよー!」
「いやだって笑っちゃうでしょ! いつものご飯なんだもん!」
「今のってさ、上井先生の真似だった?」
「うん! でも、きっとこうじゃないよね!」
「上井先生ならきっとね、もっと良い感じに注いでくれると思う!」
「今度、見せてもらおうよ!」
「楽しみー!」
俺たちにムーディな雰囲気はやっぱりまだ似合わないみたい!
「はぁ、でもこういうのを勉強するって大変そうだね?」
「うん、それはその通り……普段と全然違うジャンルだもんなぁ」
「演奏だけなら難しくないんだろうけど、雰囲気とかもお兄ちゃんは大事にしたい方だもんね」
「どんな気持ちで弾くかって大事だからなぁ」
難しい話を抜きにしても、どんな場面でどんな人に聴いてもらうかって大事にしたいんだよね。
少なくとも、今聞いている曲は落ち着いた時間を誰かと過ごすための曲だと思う。だから、演奏で我を出し過ぎるのは違うなぁみたいな。
「あ、でもさ、どうして上井先生はこのジャンルにしたんだろうね?」
「んー……一応、ラテン系はジャズ、ブルース、ロックって繋がっていくからとか……?」
「なるほどー、それで軽音部の活動も音楽の勉強だよ、みたいな?」
「うーん……そうかも」
「すごいなぁ。歴史って奴だよね」
「うん! まぁ俺も勉強不足だから、これからもっと勉強するよ!」
「がんばって! しばらくは良い感じの晩御飯、付き合ってあげる!」
「それはどういたしまして。ナイフ取ってあげようっか?」
「あはは! 他のレパートリーも用意してよね!」
課題は大変だけども、やっぱりこういう曲も最高だなぁ。
――
「平賀先生と話したけども、皆の前で声をかけるような事はしないって約束してもらえたよ」
「本当に!? よかったー! ありがとう、波多野さん!」
夜のいつもの勉強通話で、波多野さんから平賀先生の事を教えてもらう。
「ううん、私もトラブルを避けたいだけだから……」
「たぶん波多野さんがいなかったら俺、とっくにD高通えなくなってたと思うから、本当にありがとう……!」
こうやって勉強を教えてくれる事はもちろん、トラブルを起こさないために俺を助けてくれたり、悩みを聞いてくれたり励ましてくれたり。本当に何から何までお世話になりっぱなしで感謝しかない……!
「……ふふ、私の方こそ、マイナくんには感謝ばっかりなんだけどなぁ」
「えっ!? そうかなぁ!?」
「うん、そうなの。私も、マイナくんがいなかったらたぶん続かなかったから」
「な、なんだか実感はわかないけども……でも、それなら嬉しい……かな?」
嬉しいだけじゃなくて、照れちゃうしドキドキもする……
「偶然、ではあるんだけども……ほら、クラス委員になって、一緒にがんばろうって言ってくれて」
「あっ、うん。そういえばそんな事もあったね」
「間違いでメッセージが飛んできた時は本当にビックリもしちゃったし……」
「それがきっかけで今はこうしてるのって、あの時は思いもよらなかっただろうなぁ」
入学直後のアレコレを思い出して、なんだか懐かしくなる……まだギリギリ半年経ってないのに!
「あっ、それで思い出したんだけどもね……」
「うん? なんだろう?」
「マイナくんは、クラス委員は続ける?」
「……あっ、そういえば10月までなんだっけ?」
「うん。生徒会選挙のついでに他の委員も変わるから……」
「そっか。そうなると……波多野さんはどうするか聞いても良い?」
「私は続けようと思ってるよ。灰野先生と話す時間も取れるし」
「あ……そっか。灰野先生がいるもんね」
「うん、皆の為にも灰野先生の為にも、マイナくんの為にも続けたいなって思ってるよ」
「それだと……なんだか心配で続けたくなっちゃうなぁ……」
「ふふ、じゃあ本当はやりたくはないんだね?」
「えっ。いや、えっとー……」
どっちかなら他に優先したい事が多いのは事実……でも、波多野さんに任せてしまうのが嫌……って思ったけども、波多野さんと続けてきたクラス委員を辞めるのがなんか……なんか嫌……!
だけどそんな個人的な気持ちでやっぱり続けますってストレートに言えるわけない! それに他にやるべき事もあるからなおさら軽々しく続けますなんて言えない!!
「大丈夫だよ。どっちでも」
「えっ……どっちでも……?」
「うん。一緒に続けられたら嬉しいけど、でも、どっちでも大丈夫」
波多野さんが一緒だったら嬉しいって言ってくれて、俺も嬉しい。だけども、だからこそ俺はちゃんと選ばないといけないって思う……
「……それにしても波多野さん、なんだかすごい変わった気がするね」
「そうかな……? でも、そうかも。えへへ」
「前より明るくなったし、積極的になったし……」
「今をね、楽しく大切に過ごしたいだけって言ったら変かな……?」
「えっ、変じゃないけども……でも、前からそうだったよね?」
「うん。だけど前と違うのは、大変な事も楽しめるようになった所かな?」
「へー……?」
なんか、ちょっとだけピンとこない。
「偶然出会ったモノで作っていくのも楽しいっていうのかなぁ……偶然出会えたからできるものもあるみたいな……」
「……あっ、ジャズにロックに、あとは『ショーロ』とかもそうだよね」
「うん、たぶん。……『ショーロ』って?」
「えっとね、クラシックとラテンが色々あってできたジャンルでね――」
昔々に、色んな偶然があって生まれたジャンルのひとつ。戦争があって、海を渡って、それでラテンの地でアレコレあって……正直、詳しい事はまだ俺もよくわかっていなくて、これから調べようと思っている所。だけども陽気なリズムと楽しげな雰囲気と、どこか漂う哀愁、そしてそれがオーケストラで奏でられているのをたまたま聴いて、とても惹かれたんだよね。
「そういうジャンルもあるんだね……?」
「うん、本当にたくさんのジャンルがあるけど……思えば、色んなものが混ざりあってできているものが多いなぁ」
「じゃあ、やっぱりそういう事かもしれないね」
「……今、あるもので作るみたいな感じかなぁ」
「そんな音楽みたいに考えたら、今のこの瞬間も……ありのままで、受け入れられて、楽しい気がするようになったの」
画面越しの波多野さんがはにかみながら微笑む。
――ああ、たしかにそうかも……
波多野さんに聞いてた質問だったのに、何故だか自分のモヤモヤにも腑が落ちるような感覚がある。波多野さんが波多野さんらしくいてくれる方が嬉しい。それと同じことを俺もよく言われていて、だけどつい忘れがちでもある。
それを踏まえて、さっきの波多野さんの『どっちでもいいよ』は――まるで『指揮者』になったような感覚に似ているのかもしれない。誰かの舞台に居させてもらっている感覚じゃなくて、自分で舞台を作る感じ……だから、今、目の前のありのままで作り上げるような感じ……
ピコン、とビデオ通話に誰かがやってくる。
「こんばんはー、今日も勉強混ぜてくれるかー?」
「熊谷くんこんばんは。もちろんだよ」
「あははー、ありがとうー! 今日もよろしくなーマイナスー」
「こっちこそ! 今日もよろしく!」
「それじゃあ、始めようっか」
……うん、とにかくやりたい事のためにもがんばろう!
そのためにも今夜も勉強勉強!
詳細な分類をすると『サンバ』や『ボサノバ』はラテン系に類されず、『ブラジル音楽』というジャンルに大別されます。
しかし、”リズムの奥行き”という点において近い物を私は感じており、作品内ではラテン系と一旦言葉を置いています。時代の流れや歴史を追いつつ、少しずつ解説ができたらと思いますが、興味がある方は調べてみてください。
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