第7話 俺、前世の俺と対面することになったんだが?
人間は、自分自身を客観的に見ることができない。
これは、俺が前世でゲーム会社の広報部に勤めていた頃、上司から何度も言われた言葉である。
自分の仕事は自分で評価しづらい。
自分の長所は見えにくい。
自分の欠点には、意外と気づかない。
だから、他人の目を通して自分を見ることが大切なのだという。
なるほど。
確かに、その通りかもしれない。
しかし。
「……いや、そういう意味じゃねえだろ」
俺は王立学院の正門前で、頭を抱えていた。
目の前に、一人の男が立っている。
短い黒髪。
少し疲れた目元。
地味な顔立ち。
年齢は二十九歳くらい。
服装は、紺色のスーツに白いシャツ。首元のネクタイは少し緩んでいて、右手には黒いビジネスバッグを持っている。
どこからどう見ても、日本の会社員だった。
そして。
「……何で俺がいるんだよ」
俺は震える声で呟いた。
男は困ったように笑った。
「いや、俺に言われても困るんだけど」
声まで同じだった。
前世の俺の声。
昨日、名前のない町で一時的に男の姿へ戻ったときに聞いた、懐かしい声である。
俺は自分の顔を見つめた。
男も俺を見つめた。
しばらくして、男が口を開いた。
「……あのさ」
「何だよ」
「その格好、似合ってるな」
「うるせえ!」
俺は反射的に叫んだ。
今の俺は、金髪碧眼の美少女リリア・ベルフォード。
二十二歳。
千年に一人の聖女。
そして、中身は二十九歳の元サラリーマンだ。
その俺を、前世の俺とまったく同じ姿をした男が褒めている。
……何だよ、この状況。
俺が俺に向かって、女装を褒めてるみたいじゃねえか!
「いや、褒めたんだけど」
「わかってるよ!」
「だったら怒るなよ」
「お前が俺の顔で喋るからだろ!」
男は、少しだけ眉を寄せた。
「……俺だって好きでこの顔になったわけじゃないんだけど」
……ああ。
それもそうか。
俺は深く息を吐いた。
そして、改めて目の前の男を観察した。
間違いない。
こいつは、前世の俺だ。
顔も、声も、体格も同じ。
少し猫背気味の姿勢まで一致している。
ただ、一つだけ違うところがあった。
俺の記憶にある自分より、少しだけ若々しい表情をしているのだ。
いや、年齢は同じなのかもしれない。
ただ、疲れ方が違う。
前世の俺は、仕事が終わっても翌日の予定を気にしていたし、休日になれば溜まった家事と積みゲーのことを考えていた。
それに比べて、目の前の男は妙に落ち着いている。
まるで、自分の人生をまだ始めたばかりのような顔だった。
「……お前、名前は?」
俺が尋ねると、男は少し考えた。
「佐伯透」
その名前を聞いた瞬間、胸の奥が妙にざわついた。
佐伯透。
さえき、とおる。
それは、俺が前世で使っていた名前だった。
会社の社員証にも、免許証にも、銀行口座にも書かれていた。
二十九年間、当たり前のように使っていた名前である。
「……やっぱり、俺の名前か」
俺は小さく呟いた。
透は頷いた。
「そうらしいな。ほかにも、いろいろ覚えてる」
「……例えば?」
「ゲーム会社の広報部に勤めてたこととか、来月発売予定の乙女ゲームの宣伝を担当してたこととか」
……なるほど。
記憶もあるのか。
「あと、発売前の販促会議で、攻略対象のキャッチコピーを考えるのに苦労したこととか」
「……ああ」
「第一王子の宣伝文句、最後まで上司と揉めてたよな」
「……そうだったな」
俺は思わず苦笑した。
『君を抱きしめるためなら、僕は王冠さえ捨ててみせる』
あのキャッチコピーだ。
最初は『王国よりも、君を選ぶ』という案だった。
ところが、開発側から王子の責任感が伝わらないと言われ、修正を重ねた結果、現在の文章になった。
……いや。
今になって思えば、修正後も相当問題がある。
王冠を捨てるな。
国民が困るだろ。
「……本当に覚えてるんだな」
俺が呟くと、透は少しだけ困ったように笑った。
「まあな。ただ、全部じゃない」
「……全部じゃない?」
「ああ。覚えていることと、覚えていないことがある」
俺は眉を寄せた。
透は自分の手を見下ろした。
「仕事のことは結構覚えてる。でも、昨日まで何をしていたのかは思い出せない」
「……昨日?」
「気がついたら、この世界にいたんだ。しかも、頭の中に変な声が響いてさ」
「……変な声?」
「『聖女リリア・ベルフォードの前世の関係者として登録されました』って」
……おい。
世界のシステム。
お前、仕事が雑すぎないか?
「それで、ここへ来ればいいって言われた」
透は、俺を見つめた。
「……なあ」
「何だ?」
「お前、俺なんだろ?」
俺は頷いた。
「……ああ」
「じゃあ、俺は何なんだ?」
その質問に、俺は答えられなかった。
……そうだよな。
こいつにとっては、もっと深刻な問題だ。
俺は転生した本人だ。
前世からの記憶が途切れず、リリアの身体で目を覚ました。
しかし、透は違う。
世界のシナリオ補正によって、昨日まで存在しなかった男が新しく生み出された。
しかも、俺の記憶を一部持っている。
……それって。
こいつは、いったい何者なんだろう。
「……とりあえず」
俺は小さく息を吐いた。
「一緒に調べようぜ」
透が目を見開いた。
「……いいのか?」
「いいも何も、放っておけないだろ」
俺は肩をすくめた。
「何しろ、お前は俺なんだから」
透は、しばらく俺を見つめていた。
そして、小さく笑った。
「……そうだな」
その瞬間、目の前に青白い文字が浮かび上がった。
『特殊イベント発生』
『主人公が新規男性キャラクターとの協力関係を選択しました』
『新規攻略対象候補:佐伯透』
『親密度+10』
「…………」
……おい。
待て。
何だ、その親密度。
俺が俺に好感を持っただけだぞ?
というか、自分と協力するのに親密度が必要なのか?
『特殊イベント名:もう一人の自分との運命の出会い』
「…………」
俺は画面を睨みつけた。
……やめろ。
その名前、やめろ。
運命の出会いじゃない。
単なるシステムの不具合だろ!
いや、もう本当に。
このゲーム作った奴、出てこい!
……俺の元同僚だけど!
◇
「……リリア様!」
背後から声がした。
振り返ると、黒髪の青年がこちらへ歩いてきた。
王立騎士団長カイル・ヴァン・グレイフォード。
二十七歳。
このゲームの第二攻略対象である。
今日は騎士団の制服を着ており、腰には長剣を下げている。
精悍な顔立ちに、鍛え上げられた身体。
相変わらず、騎士団長らしい格好よさだった。
……まあ、俺には関係ないけどな。
「カイル様。おはようございます」
「おはようございます。……その方は?」
カイルは、透へ視線を向けた。
俺は少しだけ迷った。
どう説明するべきだろう。
前世の俺です。
昨日、世界のシステムが勝手に作りました。
本人と同じ記憶を持っています。
……うん。
説明が難しすぎる。
すると、透が先に頭を下げた。
「初めまして。佐伯透と申します」
……おお。
ちゃんと挨拶できるんだな。
さすが俺。
いや、俺なんだから当然か。
「リリアとは、前世からの知り合いでして」
……おい。
その説明でいいのか?
透は、さらに続けた。
「少し事情があって、こちらの世界に来ることになりました」
……便利だな。
事情があって。
何でも説明できる。
俺も前世では、社外向けの連絡でよく使っていた。
カイルは、透をじっと見つめていた。
「……佐伯透殿」
「はい」
「あなたは、リリア様の前世についてご存じなのですね?」
「ええ。まあ」
透が頷く。
カイルは少し考えた。
そして、静かに俺を見た。
「……リリア様」
「……はい?」
「この方は、昨日お話しされていた男性と同じ姿ですね」
……ああ。
そういえば、昨日エリオットが俺の男の姿を水晶板に映していたんだった。
五人とも、その姿を見ている。
「……はい」
俺は頷いた。
カイルは真剣な表情になった。
「では、この方が、あなたの前世の姿と同じということですか?」
「……そうです」
カイルは透を見た。
そして、少しだけ眉を寄せた。
「……不思議なものですね」
……まあ、そうだよな。
俺だって不思議だよ。
「リリア様と同じ魂の情報を持ちながら、別の人間として存在しているとは」
……おお。
ちゃんと理解してる。
俺は少しだけ感心した。
すると、カイルが透へ向き直った。
「……佐伯殿」
「はい?」
「一つだけ、確認させてください」
……何だろう。
カイルは真剣な表情で尋ねた。
「あなたは、リリア様へ危害を加える意思はありませんね?」
透は、一瞬だけ目を丸くした。
そして、苦笑した。
「……あるわけないでしょう」
「……そうですか」
「だって、俺ですよ?」
透は俺を指さした。
「こいつ、俺なんですよ?」
……おい。
指さすな。
カイルは少しだけ考えた。
そして、静かに頷いた。
「……なるほど」
……納得するのかよ。
「ですが、同じ記憶を持っているからといって、同じ人間とは限りません」
……お。
俺は思わずカイルを見た。
カイルは続けた。
「あなたには、あなた自身の意思があるのでしょう?」
透が黙った。
「……ええ」
「でしたら、私はあなたを別の人間として扱います」
……なるほど。
俺は少しだけ感心した。
騎士団長らしい考え方だ。
同じ魂の情報を持っていても、別の意思を持つ存在なら、別人として扱う。
確かに、その通りかもしれない。
俺がそんなことを考えていると、カイルがこちらへ向き直った。
「……リリア様」
「……はい?」
「この方については、私が責任を持って身元確認を進めます」
……身元確認。
ああ、そうだ。
この世界に突然現れた男なんだから、身元の確認が必要だよな。
「……お願いします」
俺は頷いた。
すると、カイルが少しだけ微笑んだ。
「ご安心ください。あなたの大切な方なのでしょう?」
……大切な方。
俺は、少しだけ考えた。
まあ、そうだな。
前世の俺なんだから。
「……はい」
俺は素直に答えた。
その瞬間。
『カイルの警戒心が上昇しました』
「…………」
……おい。
またかよ。
『新規男性キャラクターに対する競争意識を確認しました』
……競争意識?
俺は眉を寄せた。
何を競争するんだよ。
すると、カイルが少しだけ表情を引き締めた。
「……佐伯殿」
「はい?」
「リリア様を大切に思う気持ちは、私も同じです」
…………。
……え?
俺は固まった。
カイルは真剣だった。
「ですから、どうか彼女を危険なことへ巻き込まないでいただきたい」
透は、しばらくカイルを見つめていた。
そして。
「……あの」
「何でしょう?」
「もしかして、リリアのこと好きなんですか?」
…………。
……おい!
お前!
何を聞いてるんだよ!
俺は慌てて透の肩を掴んだ。
「ちょっと待て!」
「何だよ」
「何だよ、じゃねえよ!」
「いや、だって気になるだろ」
「気にするな!」
しかし、カイルは逃げなかった。
むしろ、少しだけ考え込んだあと、静かに答えた。
「……彼女を、大切に思っています」
……おい。
答えるなよ。
俺は顔を引きつらせた。
すると、透がさらに尋ねた。
「前世では男だったって知ってますよね?」
「はい。伺っています」
「それでも?」
カイルは、少しだけ目を細めた。
そして、静かに答えた。
「……それでも、です」
…………。
俺は固まった。
……え?
何だよ。
その言い方。
そんな真面目な顔で。
しかも、俺が男だったことを知ったうえで。
……ちょっと待てよ。
これ。
普通に、男が男を好きだって言ってるのと同じじゃないか?
いや、今の身体は女だけど。
でも、中身は男だぞ。
それを知ってるんだぞ。
……え?
何だ?
何が起きてる?
俺の頭が混乱していると、カイルが俺へ視線を向けた。
「……リリア様」
「……は、はい?」
「もちろん、あなたが望まない関係を求めるつもりはありません」
……ああ。
それは、ありがたい。
しかし。
「ただ、あなたが男性の姿へ戻られたとしても、私があなたを大切に思う気持ちは変わらないでしょう」
…………。
俺は、言葉を失った。
カイルは穏やかに微笑んだ。
「あなたは、あなたですから」
……おい。
それ。
反則じゃね?
俺は思わず目を逸らした。
顔が熱い。
何だよ。
何でだよ。
男にそんなこと言われたくらいで。
俺は男だぞ。
前世では、普通に女性を恋愛対象として見ていたんだぞ。
それなのに。
……何で、ちょっとドキッとしてるんだよ。
『特殊イベント発生』
『主人公の感情に変化を確認しました』
『新規パラメータ:ときめき』
『対象:カイル』
『ときめき+3』
「…………」
……は?
俺は画面を睨んだ。
おい。
待て待て待て。
今度は俺のパラメータかよ!
何だよ、ときめきって!
俺は恋愛イベントを回避する側だろ!
何で俺まで攻略され始めてるんだよ!
すると、透が隣で小さく笑った。
「……お前、顔赤いぞ」
「うるせえ!」
俺は反射的に叫んだ。
透は、楽しそうに笑っていた。
……くそっ。
自分の顔で笑われると、余計に腹が立つ!
◇
午前十時。
俺たちは旧貴賓館の会議室へ移動した。
透の身元確認を行うためである。
……いや。
正確には、俺の前世の俺について、身元確認を行うためだ。
自分で言っていても、意味がわからない。
会議室には、すでに四人の男たちが待っていた。
第一王子レオンハルト。
宮廷魔導師エリオット。
大神官セシル。
公爵令息ユリウス。
そして、俺とカイル、透が加わった。
……すごいな。
攻略対象五人と、前世の俺。
男六人。
その中心に、美少女の俺。
普通の乙女ゲームなら、完全にハーレム状態だ。
しかし、実際に行われるのは身元確認である。
……何なんだ、このゲーム。
「……なるほど」
最初に口を開いたのは、エリオットだった。
彼は透を見つめ、興味深そうに片眼鏡を押し上げた。
「本当に、昨日の魔力反応と一致していますね」
……おい。
いきなり研究者モードか。
エリオットは透の周囲をゆっくり歩いた。
「肉体構造は完全な男性。年齢相応の筋肉量と骨格を持ち、魔力の流れも安定している……」
透が困った顔をした。
「……あの」
「はい?」
「何か、俺、すごく見られてません?」
エリオットは、はっとした。
「……失礼しました」
そして、一歩下がった。
「研究者として、少し興奮してしまいました」
……少し?
いや、かなり興奮してたぞ。
俺は苦笑した。
すると、セシルが穏やかに口を開いた。
「佐伯様。いくつか確認させていただいてもよろしいでしょうか?」
「……はい」
「あなたには、ご自身が生まれてから今日まで生きてきたという実感がありますか?」
……お。
俺は思わずセシルを見た。
なるほど。
重要な質問だ。
透が俺と同じ記憶を持っているとしても、それが本人の経験なのかどうかはわからない。
透は、しばらく考えていた。
「……記憶はあります」
そして、ゆっくりと答えた。
「子どもの頃のことも、学校に通っていたことも、会社で働いていたことも」
「……はい」
「でも、何か変なんです」
透は自分の手を見下ろした。
「全部、覚えているはずなのに……」
少しだけ眉を寄せる。
「まるで、誰かの人生を思い出しているみたいなんです」
……誰かの人生。
俺は息を呑んだ。
透は続けた。
「記憶の中では、確かに俺が経験している。でも、そのときに何を考えていたのか、全部はわからない」
……なるほど。
俺は少しだけ理解した。
透が持っているのは、俺の記憶の複製なのかもしれない。
出来事は覚えている。
しかし、それを自分自身の人生として経験した感覚が、完全には備わっていない。
……そうか。
こいつは、俺の前世の姿をした別人なんだ。
俺自身ではない。
それが、少しずつわかってきた。
セシルは静かに頷いた。
「……ありがとうございます」
そして、穏やかに続けた。
「あなたは、リリア様と同じ魂の情報を持っているようです。しかし、現在は独立した意識を持つ存在として成立しているのでしょう」
……なるほど。
俺は頷いた。
エリオットが興味深そうに口を開いた。
「つまり、魂そのものが二つに分かれたというより、同じ魂の記録を参照して、新たな人格が構築された可能性が高いということですね」
「そう考えるのが自然でしょう」
セシルが答えた。
透は、少しだけ困ったように笑った。
「……難しい話ですね」
「……まあな」
俺も頷いた。
正直、俺にもよくわからない。
ただ、一つだけわかることがある。
こいつは、今ここで生きている。
俺とは別の意思を持って、考えて、喋っている。
だったら。
俺と同じ記憶を持っているからといって、俺の所有物ではない。
……そうだよな。
「……佐伯さん」
俺は口を開いた。
透が顔を上げた。
「……何だ?」
「……これから、どうしたい?」
透は、少しだけ驚いた顔をした。
「……どうしたい?」
「ああ。俺の前世の記憶を持っているのはわかった。でも、お前はお前だろ?」
俺は小さく笑った。
「だったら、これから何をしたいかは、自分で決めればいいと思う」
透は、しばらく黙っていた。
そして、ゆっくりと頷いた。
「……そうだな」
少しだけ、表情が柔らかくなった。
「まずは、普通に暮らしたいかな」
……おい。
俺と同じこと言ってるぞ。
「仕事して、飯食って、休みの日にはゲームでもして」
……ああ。
完全に俺だ。
「あと、猫を飼いたい」
「……そこまで同じかよ!」
俺は思わず突っ込んだ。
透が笑った。
俺も、つられて笑った。
……何だろう。
少しだけ、不思議な気分だ。
自分と同じ記憶を持つ男が、目の前で笑っている。
だが、その笑顔は、俺自身のものとは少し違って見えた。
……こいつにも、こいつの人生が始まったんだな。
そんなことを思った。
すると、目の前に青白い文字が浮かび上がった。
『特殊イベント発生』
『主人公が新規男性キャラクターの独立性を認めました』
『親密度+20』
『新規イベント:二人だけの秘密』
「…………」
……おい。
待て。
そのイベント名!
何だよ、二人だけの秘密って!
俺と俺だぞ!?
しかも、ここには攻略対象五人もいるんだぞ!
二人だけじゃねえだろ!
俺が画面を睨んでいると、ユリウスが静かに口を開いた。
「……さて」
……ん?
俺は顔を上げた。
ユリウスは、書類を取り出した。
「では、身元保証の手続きへ進もう」
……身元保証?
俺は嫌な予感がした。
「……あの」
「何だ?」
「……誰が保証人になるんですか?」
ユリウスは、当然のように俺を見た。
「君だろう」
「…………」
……やっぱり!
俺は頭を抱えた。
何だよ!
何で俺が俺の身元保証人になるんだよ!
しかも、今の俺はリリア・ベルフォードだぞ!?
前世の俺の身元を保証するって、どう説明するんだよ!
「……ユリウス様」
「何だ?」
「……他に方法はないんですか?」
ユリウスは少し考えた。
「現状では、君が最も適任だな」
「……何でですか?」
「佐伯透という人物の経歴について、君が最も詳しいからだ」
……まあ、そうだけど。
俺なんだから。
「それに、彼の存在を認め、今後の生活を支援する意思を示したのも君だ」
……うん。
それもそうだ。
でも。
だからって。
俺が俺の保証人になるって。
……何だよ、この人生。
俺は深いため息をついた。
すると、レオンハルトが穏やかに微笑んだ。
「……リリア。心配しなくていいよ」
……ん?
「必要な手続きは、王宮側でも支援するから」
……おお。
王子、頼もしいな。
「それに、佐伯殿がこの世界で暮らしていくなら、僕たちにも協力できることがあると思う」
……ありがたい。
本当にありがたい。
俺は少しだけ安心した。
ところが。
そのとき、レオンハルトが透へ視線を向けた。
「……佐伯殿」
「……はい?」
「一つ、聞いてもいいかな?」
……何だろう。
王子は、穏やかに微笑んだ。
「君は、リリアのことをどう思っている?」
…………。
……おい。
またかよ。
何だ、その質問。
俺は俺なんだから、自分のことをどう思うかなんて。
……いや。
待てよ。
透は、別の人格として存在しているんだった。
だったら、俺をどう見ているかは、透自身の問題なのか。
……それでも。
何か嫌な予感がする。
透は、しばらく考えていた。
そして、真剣な表情で答えた。
「……大切な存在だと思っています」
…………。
……おい。
待て。
透。
その言い方!
王子が、少しだけ目を細めた。
「……大切な存在?」
「はい」
透は頷いた。
「俺が今ここにいるのは、こいつがいたからですから」
……いや。
まあ、そうなんだけど。
「だから、できることがあれば助けたいと思っています」
……おい。
完全に恋愛イベントの台詞じゃねえか!
俺は慌てて口を挟んだ。
「ちょっと待て!」
五人がこちらを見る。
透も振り返った。
「……何だよ?」
「……もう少し、誤解されない言い方をしてくれ!」
透は首を傾げた。
「……誤解?」
その瞬間。
『特殊イベント発生』
『新規攻略対象候補:佐伯透』
『主人公への特別な感情を検出しました』
『自己攻略ルートの進行条件を達成しました』
「…………」
……おい。
待て。
自己攻略ルート?
何だよ、それ!
俺は画面を睨みつけた。
『イベント名:もう一人の自分が、君を好きになる』
「…………」
……ふざけんなあああああ!
俺は思わず立ち上がった。
そして、心の底から叫んだ。
「俺が俺を攻略してどうするんだよおおおお!」
会議室に、俺の絶叫が響き渡った。
透は、ぽかんとした顔をしていた。
そして。
「……お前、大変だな」
……お前が言うな!
俺は頭を抱えた。
もう嫌だ。
本当に嫌だ。
俺は、普通に暮らしたいだけなんだぞ。
何で、ここまで恋愛イベントが追いかけてくるんだよ。
しかも、今度は自分自身だぞ。
自分自身との恋愛って。
……いや。
もう、考えるのも嫌だ。
俺は深呼吸した。
そして、静かに椅子へ座り直した。
「……すみません」
五人がこちらを見ている。
「……少し、取り乱しました」
レオンハルトが、心配そうに微笑んだ。
「……大丈夫かい?」
「……はい」
俺は頷いた。
……大丈夫。
落ち着け。
まだ、何とかなる。
こういうときこそ、冷静に対応するんだ。
俺は、前世の広報部で培った経験を思い出した。
問題が起きたら、まず状況を整理する。
原因を確認する。
そして、対応策を考える。
……よし。
俺は透を見た。
「……佐伯さん」
「……何だ?」
「一つ、確認してもいい?」
「……ああ」
俺は真剣な表情で尋ねた。
「……俺のこと、恋愛対象として見てる?」
透は、しばらく黙っていた。
そして。
「……いや」
首を横に振った。
「全然」
…………。
俺は、ゆっくりと息を吐いた。
……よかった。
本当によかった。
透は、少しだけ困ったように笑った。
「だって、お前、俺だろ?」
「……そうだよな」
「自分と同じ記憶を持っている相手を、恋愛対象として見るって……」
透は、しばらく考えた。
そして、真顔で言った。
「……無理だな」
……ああ。
素晴らしい。
俺は心の底から安堵した。
ようやく。
ようやく、このゲームで恋愛フラグが立たない相手に出会えた。
しかも、自分自身。
……いや。
それはそれで、どうなんだろう。
俺がそんなことを考えていると、目の前に新しい文字が浮かび上がった。
『自己攻略ルートの条件が不成立となりました』
『佐伯透の役割を再判定します』
……おお!
成功だ!
俺は拳を握った。
今度こそ、恋愛イベントを完全に回避できた!
しかも、スキルを使っていない。
ただ、本人の意思を確認しただけだ。
……やっぱり、これが一番だな。
相手に直接聞く。
そして、互いの意思を尊重する。
それで解決できるなら、最初からそうすればよかったんだ。
俺は小さく笑った。
ところが。
『佐伯透の役割を再判定しています』
『主人公との恋愛関係:不成立』
『主人公との協力関係:成立』
『新規役割:主人公の理解者』
……よし。
いいぞ。
『追加効果:攻略対象たちの恋愛相談役』
「…………」
……は?
俺は固まった。
……恋愛相談役?
何だ、それ。
『佐伯透は、主人公の前世の人格情報を持つため、攻略対象たちの相談相手として適性があります』
「…………」
……おい。
ちょっと待て。
俺の前世の俺が。
攻略対象たちの。
恋愛相談役?
つまり。
男五人が、俺のことを口説くために。
俺の前世の俺へ相談するってこと?
「……ふざけんなあああああ!」
俺の絶叫が、再び会議室に響き渡った。
透は、楽しそうに笑っていた。
「……なるほど。俺、そういう役割なのか」
「納得するな!」
俺は思わず叫んだ。
「お前、俺だろ!」
「まあな」
「だったら、俺の味方しろよ!」
透は、少しだけ考えた。
そして、真顔で答えた。
「……給料次第かな」
「お前ええええ!」
俺は頭を抱えた。
何だよ。
自分自身まで、異世界で就職活動を始めやがった。
……いや。
確かに、俺だったらそうするかもしれないけど!
◇
午前十一時三十分。
俺は、ようやく事態の異常さを理解し始めていた。
いや、異常だということは最初からわかっていた。
問題は、異常の種類が多すぎることだ。
目の前に前世の俺がいる。
そいつは俺と同じ記憶を持っているが、別の意思を持つ人間として存在している。
そして、この世界のシステムは、そいつを新たな攻略対象にしようとして失敗した。
その結果、今度は恋愛相談役にしようとしている。
……何だろう。
俺の人生、もう少し単純にならないかな。
「それで、佐伯殿の身分についてですが」
ユリウスが書類を広げた。
「王国の戸籍に登録するには、身元の保証と居住先が必要になります」
「……なるほど」
透が頷いた。
「身元の保証については、リリアにお願いするとして」
「俺にお願いするなよ!」
「いや、お前以外に知り合いがいないんだから仕方ないだろ」
……ああ。
そうだった。
俺は頭を抱えた。
確かに、こいつは今朝、この世界に生まれたばかりなのだ。
知り合いなんているわけがない。
俺以外には。
「……じゃあ、住む場所は?」
俺が尋ねると、ユリウスは当然のように答えた。
「旧貴賓館の客室を一時的に使えばいい」
……おい。
ちょっと待て。
旧貴賓館?
俺の仕事場じゃないか。
「……ほかにありません?」
「なぜだ?」
「いや、仕事と私生活は分けたいので」
ユリウスは、少しだけ眉を寄せた。
「住むのは君ではなく、佐伯殿だろう?」
「……あ」
そうだった。
俺はリリア。
透は佐伯透。
別の人間なんだった。
……ややこしいな。
「それと、佐伯殿には何らかの仕事を紹介する必要があるな」
ユリウスが続けた。
「王宮の事務職なら、空きがあるかもしれない」
透が目を輝かせた。
「本当ですか?」
「君がリリアと同程度の事務能力を持っているなら、十分に採用を検討できる」
「……それは助かります」
透は真剣な表情で頷いた。
そして。
「ちなみに、勤務時間は?」
……おい。
始まったぞ。
「原則として、午前九時から午後五時までを想定している」
「週休二日ですか?」
「そうなるな」
「残業代は?」
「時間外勤務に対しては、規定の手当を支給する」
「有給休暇は?」
「採用条件に応じて設定される」
「試用期間は?」
「正式採用前に三か月ほど設けることになるだろう」
「……なるほど」
透は、真剣に考え込んだ。
……完全に俺だ。
俺自身が労働条件の確認をしている姿を、外側から眺める日が来るとは思わなかった。
しかも、仕事を紹介しているのは公爵家の御曹司である。
異世界転生って、もっと夢のあるものじゃなかったっけ。
勇者とか、魔法使いとか。
あるいは、チート能力で無双したり。
なのに俺の前世の俺は、異世界に現れて二時間ほどで就職面接を受けている。
……しかも、割と前向きだ。
「……一つだけ、いいですか?」
透が手を上げた。
「何だ?」
ユリウスが答える。
「俺、今まで広報の仕事をしていたんです。もし可能なら、そういう経験を活かせる仕事がいいんですが」
……おお。
そうだよな。
せっかく前世の経験があるんだから、活かしたいよな。
俺は思わず頷いた。
すると、レオンハルトが口を開いた。
「それなら、猫神祭の広報活動に協力してもらうのはどうだろう?」
……ん?
猫神祭?
俺たちが今、準備している王国の一大行事だ。
「リリアも広報や催事運営に詳しいようだし、佐伯殿も同じ経験があるなら、二人で協力してもらうのはどうかな」
王子は爽やかに微笑んだ。
「きっと、いい仕事ができると思うんだ」
……なるほど。
確かに、合理的ではある。
俺と透は同じ記憶を持っている。
つまり、広報の仕事に関する知識も共有している。
二人で仕事をすれば、効率が上がるかもしれない。
……いや、待て。
それって。
「……俺が二人分働くことになりません?」
俺が尋ねると、ユリウスが首を横に振った。
「逆だ。現在君が担当している広報関係の業務を、佐伯殿へ移管できる」
……え?
俺は目を見開いた。
「……仕事、減るんですか?」
「そうなるな」
……マジで!?
俺は思わず透を見た。
透も俺を見ていた。
そして、二人同時に口を開いた。
「……最高じゃん」
…………。
沈黙。
五人の攻略対象たちが、俺たちを見つめている。
俺は透を見た。
透も俺を見た。
そして。
「……お前、俺だな」
「……そうだな」
二人で頷き合った。
いやあ。
何だろう。
初めて自分自身と意見が完全に一致した気がする。
……まあ、当然なんだけど。
ところが、その瞬間だった。
『新規男性キャラクターの登録情報を更新します』
『佐伯透:王宮広報補助員候補』
『身元保証人:リリア・ベルフォード』
『登録条件を確認中』
……お。
いいぞ。
ちゃんと進んでる。
これなら、透も普通に暮らせるかもしれない。
だが、次の文字を見た瞬間、俺は眉を寄せた。
『主人公との関係性が確定していません』
『恋愛関係:不成立』
『家族関係:該当なし』
『主従関係:該当なし』
『協力関係:成立』
『新規キャラクターの物語上の役割を確定できません』
……おい。
待て。
また何かおかしいぞ。
『未登録キャラクターの存在維持条件が不足しています』
『現実世界への定着を再判定します』
……定着?
俺は画面を睨んだ。
その直後。
透の身体が、わずかに透けた。
「……え?」
俺は息を呑んだ。
透も、自分の手を見ていた。
指先が、淡い光を帯びている。
まるで、身体の輪郭が少しずつ薄くなっていくようだった。
「……おい」
俺は立ち上がった。
「透、お前……」
「……何だ、これ」
透の声が震えた。
エリオットがすぐに反応した。
「皆さん、少し離れてください!」
彼は透の前に立ち、小さな魔法陣を展開した。
青白い光が、透の身体を包み込む。
「……これは」
エリオットの表情が変わった。
「存在を維持するための魔力が、不安定になっています」
……存在を維持?
俺は息を呑んだ。
セシルも立ち上がり、祈りの言葉を唱え始めた。
「聖猫神ミャルティアよ。この者の魂に安らぎを……」
淡い光が透の周囲へ広がった。
しかし、指先の透けた部分は戻らなかった。
……おい。
ちょっと待て。
これ、まずくないか?
「……ミャルティア!」
俺は思わず叫んだ。
机の下から白猫が顔を出した。
「……む?」
「透が消えそうなんだけど!」
猫神は、透を見つめた。
そして、珍しく真剣な表情になった。
「……なるほど」
……なるほど、じゃねえ!
「何とかできないの!?」
猫神は金色の瞳を細めた。
「この男は、世界の記録をもとに生み出された存在だ。だが、元となった魂はお前のものとして、すでに登録されておる」
「……それで?」
「同じ魂の記録を参照する者が二人いるため、世界が片方を余分な存在として扱おうとしておるのだ」
……余分。
俺は透を見た。
透は、黙って自分の手を見つめていた。
……何だよ。
それ。
勝手に生み出しておいて。
今度は余分だから消すって。
そんなの、あんまりじゃないか。
「……何とかならないのか?」
俺が尋ねると、猫神は少し考えた。
「本来なら、この男に独立した役割を与えればよい。しかし、世界の物語がそれを認めようとしておらぬ」
……役割。
また、それか。
俺は目の前の画面を見た。
『新規キャラクターの存在維持条件が不足しています』
『役割未確定』
『修正対象として登録します』
……修正対象。
つまり、消すってことか。
俺は拳を握った。
……冗談じゃない。
確かに、こいつは俺の記憶から生まれた存在だ。
でも、今ここで自分の意思を持って生きている。
仕事をしたいと言っている。
猫を飼いたいと言っている。
普通に暮らしたいと言っている。
それを、世界の都合で消していいわけがない。
「……透」
俺は静かに呼びかけた。
透が顔を上げた。
「……何だ?」
「お前、どうしたい?」
透は、しばらく黙っていた。
そして、少しだけ笑った。
「……そりゃ」
彼は自分の手を見つめた。
「……生きたいに決まってるだろ」
その言葉を聞いた瞬間、俺は決めた。
「……よし」
俺は透の前に立った。
そして、目の前の画面を睨みつけた。
「……《ハズレスキル》!」
猫神が、はっと顔を上げた。
「待て! 何を外すつもりだ!」
「決まってるだろ!」
俺は叫んだ。
「透が余分な存在として消される運命だよ!」
『《ハズレスキル》発動』
『対象:佐伯透が役割未確定のため消去される結果』
『確定結果を変更します』
青白い光が弾けた。
そして、目の前に文字が浮かび上がった。
『代替結果を検索しています』
『新規キャラクターの存在維持に必要な条件を確認』
『独立した意思:確認』
『独立した生活の希望:確認』
『社会的役割:王宮広報補助員候補』
『身元保証人:リリア・ベルフォード』
……よし。
俺は息を呑んだ。
頼む。
今度こそ、成功してくれ。
世界の都合なんて、知ったことか。
こいつは、ここで生きたいと言っている。
だったら、それで十分だろ。
『代替結果が確定しました』
『佐伯透の消去処理を中止します』
『独立した登場人物として登録します』
『役割:王宮広報補助員』
『身元保証人:リリア・ベルフォード』
……やった!
俺は拳を握った。
透の身体が、再びはっきりとした輪郭を取り戻していく。
指先の光が消え、肌の色が戻る。
透は何度か手を開いたり閉じたりしたあと、ゆっくりと俺を見た。
「……助かったのか?」
「ああ」
俺は笑った。
「……たぶんな」
透は、しばらく俺を見つめていた。
そして、静かに頭を下げた。
「……ありがとう」
……おい。
やめろよ。
自分自身に頭を下げられるって、結構変な気分なんだから。
「……気にするなよ」
俺は肩をすくめた。
「お前が消えたら、広報の仕事を任せる相手がいなくなるだろ」
透は、一瞬だけ目を丸くした。
そして、声を立てて笑った。
「……ははっ! そうだな!」
俺も、つられて笑った。
……ああ。
よかった。
本当に、よかった。
ところが。
その直後だった。
『《ハズレスキル》による運命改変が完了しました』
『変更された結果の補正を開始します』
……ん?
俺は顔を上げた。
……おい。
待てよ。
そうだった。
このスキルは、外した運命を別の結果へ変換する。
つまり、透の消滅を回避した代わりに、何か別の結果が発生するはずだ。
……嫌な予感がする。
『佐伯透の攻略対象登録を解除しました』
『攻略対象候補から一般登場人物へ変更します』
……おお。
いいぞ。
これは成功だ。
『ただし、未成立となった恋愛イベントの因果を再配分します』
…………。
……え?
俺は固まった。
因果の再配分?
……おい。
ちょっと待て。
『主人公の男性としての魂情報が、攻略対象五名へ開示されています』
『攻略対象五名は、主人公の過去を理解したうえで関係の継続を希望しています』
……うん。
そうだな。
それは、さっきも確認した。
『恋愛イベントの対象条件を再判定します』
『従来条件:女性主人公』
『新規条件:主人公本人の意思および人格情報』
…………。
……おい。
待て。
何だ、その変更。
『新規恋愛分岐を解放しました』
『ルート分類:男性人格を持つ主人公との恋愛』
『通称:精神的BLルート』
「…………」
俺は画面を見つめた。
そして、ゆっくりと息を吸い込んだ。
……精神的BLルート?
それって。
つまり。
俺の中身が男だと知ったうえで。
男たちが。
俺を。
恋愛対象として見るってこと?
「……おい」
俺は震える声で呟いた。
猫神が、そっと目を逸らした。
「……何だ」
「……これ」
「……うむ」
「……俺、男のまま攻略されることになってない?」
猫神は、しばらく黙っていた。
そして、非常に小さな声で答えた。
「……そうなる可能性はあるな」
…………。
俺は天井を仰いだ。
そして。
「なんでだよおおおおおお!」
俺の絶叫が、会議室に響き渡った。
攻略対象から自分自身を外したら、今度は中身が男だと認識された状態で攻略されるようになった。
何だ、それ。
難易度が上がってるじゃねえか!
……いや。
待てよ。
そもそも、好感度だけで恋愛が成立するわけじゃない。
相手がどんな気持ちを持っていようと、俺自身が同意しなければ恋人にはならない。
それは、この数日間でわかったことだ。
だから、ルートが解放されただけなら、まだ問題ない。
……問題ないはずだ。
俺は自分にそう言い聞かせた。
しかし、そのとき。
レオンハルトが、静かに俺の名前を呼んだ。
「……リリア」
俺は顔を上げた。
王子は、少しだけ真剣な表情をしていた。
「……君に、一つ聞いてもいいかな?」
……嫌な予感がする。
俺は身構えた。
「……何でしょう?」
レオンハルトは、ゆっくりと口を開いた。
「もし、君が男性の姿に戻れたとしても」
……おい。
待て。
何を言うつもりだ。
「……僕は、君と会い続けてもいいだろうか?」
…………。
俺は、言葉を失った。
王子は穏やかに微笑んだ。
「王子と聖女としてではなく、一人の人間同士として」
……え?
俺は瞬きをした。
予想していた言葉とは、少し違った。
レオンハルトは続けた。
「君がどんな姿を望んでいても、僕は君自身のことを、もっと知りたいと思っている」
……ああ。
なるほど。
そういうことか。
俺は、少しだけ肩の力を抜いた。
「……もちろんですよ」
俺は答えた。
「友人としてなら、喜んで」
すると、王子は少しだけ目を細めた。
「……友人として、か」
「……はい」
俺は頷いた。
レオンハルトは静かに微笑んだ。
「では、まずはそこから始めよう」
……まずは?
俺は眉を寄せた。
……おい。
また、その言い方か。
このゲームの攻略対象たち、何でみんな未来に余地を残そうとするんだよ。
すると、王子が少しだけ身を屈めた。
俺と目線を合わせるように。
「ただ、一つだけ伝えておきたい」
「……何でしょう?」
「君が男性に戻ったからといって、僕が君を好きになる可能性まで消えるわけではないと思う」
…………。
俺は固まった。
王子は、真剣だった。
「僕自身、まだその気持ちをどう呼べばいいのかわからない。でも、君を知りたいと思う気持ちは本当だよ」
……おい。
何だよ。
その台詞。
……それ。
普通に。
告白じゃね?
「……あの」
俺は、少しだけ顔を引きつらせた。
「……殿下」
「うん?」
「……俺、男ですよ?」
「知っているよ」
「……本当に?」
「もちろん」
王子は、少しだけ笑った。
「君が昨日、男性の姿に戻ったことも知っている」
「……はい」
「そして、君が元の姿で生きたいと望んでいることも」
……うん。
そうだ。
知ってるんだよな。
全部。
それなのに。
王子は、俺を見つめたまま静かに続けた。
「だからこそ、君がどんな姿であっても、僕自身の気持ちを誤魔化したくないんだ」
…………。
俺は、何も言えなかった。
何だよ。
そんな真面目な顔で。
そんなことを言われたら。
どう返せばいいんだよ。
俺は男だ。
少なくとも、今まで男として生きてきた。
女性を好きになったこともあるし、男からこんなふうに見つめられることなんてなかった。
それなのに。
……何だろう。
胸の奥が、妙に落ち着かない。
顔が熱い。
心臓の音が、少しだけ大きく聞こえる。
……おい。
待てよ。
これ。
まさか。
『主人公の感情に変化を確認しました』
『対象:レオンハルト』
『ときめき+5』
「…………」
……ふざけんな。
俺は画面を睨みつけた。
何だよ。
何なんだよ。
俺が男だって知ってる男から口説かれて。
俺までドキドキしてるって。
……いや。
待て。
これは、きっと身体のせいだ。
今の俺は、乙女ゲームのヒロインなんだから。
そういう反応が出るように、何か補正が働いているに違いない。
……そうだ。
きっと、そうだ。
俺は必死に自分を納得させようとした。
しかし。
ふと、昨日のことを思い出した。
俺は、男の身体に戻っていた。
そして、ノアと普通に話していた。
あのとき、変にドキドキすることはなかった。
……じゃあ。
今のこれは。
何なんだ?
俺は、思わず目を逸らした。
すると、隣から声がした。
「……おい」
透だった。
「……何だよ」
俺が小声で答えると、透はさらに声を落とした。
「……お前」
「……何?」
「……王子様に口説かれてない?」
「うるせえ!」
俺は反射的に叫んだ。
透は、少しだけ笑った。
「……いや、だって」
「だって、じゃねえ!」
「……お前、顔真っ赤だぞ」
「黙れ!」
俺は頭を抱えた。
……くそっ。
よりによって、前世の俺に見られてる。
何だよ。
この状況。
俺は、男の身体へ戻りたいだけだったはずだ。
それなのに。
男の俺が目の前にいて。
さらに、イケメン王子から、男だと知ったうえで口説かれている。
……何なんだよ。
本当に。
俺の異世界生活、どこへ向かってるんだ!?
◇
午後零時十五分。
ようやく、透の身元登録が完了した。
名前は、トオル・サエキ。
王国の言葉に合わせて表記を変更し、王宮広報補助員として仮採用されることになった。
なお、身元保証人は俺である。
……何度考えても変な話だ。
俺が俺の身元を保証している。
しかも、保証する側は二十二歳の美少女で、保証される側は二十九歳の男だ。
前世の会社でこんな書類を提出したら、間違いなく総務部から問い合わせが来るだろう。
「……よし。これで手続きは完了だ」
ユリウスが書類を閉じた。
透は深く頭を下げた。
「ありがとうございました」
「構わん。正式な採用については、後日改めて連絡する」
「よろしくお願いします」
……おお。
ちゃんとしてるな。
自分の姿をした男が、社会人として普通に挨拶している。
何とも奇妙な光景だった。
すると、レオンハルトが口を開いた。
「佐伯殿。今日は慣れないことばかりで疲れただろう。午後はゆっくり休むといい」
「ありがとうございます」
「必要なものがあれば、王宮の担当者へ伝えてほしい」
……ああ。
王子も、ちゃんと気を遣ってくれてるんだな。
俺は少しだけ感心した。
しかし、そのとき。
透が突然、俺を見た。
「……なあ、リリア」
「何だ?」
「ちょっと、二人で話せる?」
……ん?
俺は首を傾げた。
「……何を?」
「いや、少し確認したいことがあって」
……なるほど。
まあ、いいか。
俺は頷いた。
「わかった」
そして、二人で会議室を出た。
◇
旧貴賓館の廊下。
俺と透は、窓際に並んで立っていた。
外には、広々とした庭園が見える。
噴水の周囲では、数匹の猫が日向ぼっこをしていた。
……平和だな。
本当に。
俺の人生も、あれくらい平和になってくれないかな。
「……なあ」
透が口を開いた。
「……何だ?」
「お前、あの王子様のこと、どう思ってる?」
…………。
俺は固まった。
……おい。
待てよ。
いきなり、その質問か。
「……何で?」
「いや、見てりゃわかるだろ」
透は、少しだけ笑った。
「向こう、明らかにお前のこと気に入ってるじゃん」
「……まあ、そうかもしれないけど」
「しかも、お前が男だったって知ってるんだろ?」
「……ああ」
透は腕を組んだ。
「……すごいな」
「……何が?」
「いや、あんなイケメンに、男だって知ったうえで口説かれるって」
……おい。
俺は眉を寄せた。
「……お前、楽しんでない?」
「ちょっとな」
「ふざけんな!」
俺は思わず叫んだ。
透は、声を立てて笑った。
……くそっ。
自分の顔で笑われると、本当に腹が立つ。
すると、透が少しだけ真面目な表情になった。
「……でもさ」
「……何?」
「お前、嫌だった?」
…………。
俺は黙った。
……嫌だった?
レオンハルトに口説かれたことが?
俺は、少し考えた。
正直に言えば、戸惑った。
男から恋愛対象として見られることには、まだ慣れていない。
しかも、相手は王子様だ。
顔がいい。
声もいい。
性格も悪くない。
仕事もちゃんとしている。
……いや。
そういう問題じゃないんだけど。
「……嫌、ではなかったかな」
俺は小さく答えた。
透が、少しだけ目を細めた。
「……へえ」
「……何だよ」
「いや、別に」
透は笑った。
俺は、思わず目を逸らした。
……くそっ。
何だよ。
何で自分自身に恋愛相談してるんだよ。
「……でも、だからって恋愛したいわけじゃないからな」
俺は念を押した。
透は頷いた。
「わかってるよ」
「本当に?」
「お前が何を考えてるか、だいたいわかるからな」
……そうか。
まあ、俺の記憶を持っているんだから当然か。
すると、透が静かに続けた。
「……たださ」
「……ん?」
「自分が男だったからって、男を好きになる可能性まで否定しなくてもいいんじゃないか?」
…………。
俺は顔を上げた。
透は、窓の外を見ていた。
「別に、今すぐ誰かを好きになれって話じゃないけど」
……ああ。
それは、わかる。
俺自身、男同士の恋愛を否定しているわけではない。
ただ、今までの自分には関係のないものだと思っていただけだ。
少なくとも、前世ではそうだった。
「……まあ、そうだな」
俺は小さく頷いた。
透は微笑んだ。
「だったら、あんまり難しく考えなくてもいいんじゃない?」
……なるほど。
確かに。
俺は少しだけ笑った。
「……お前、意外といいこと言うな」
「まあな」
透は得意げに頷いた。
「何しろ、お前だからな」
「……そこが腹立つんだよ」
二人で笑った。
しかし、笑い終わったあと、透が不意に真剣な表情になった。
「……それと、もう一つ」
「……何だ?」
「俺、思い出したことがある」
……思い出した?
俺は眉を寄せた。
「……前世のこと?」
「そう。ゲーム会社にいた頃のことだ」
透は少しだけ声を落とした。
「『聖猫神の花嫁と五つの誓い』ってゲーム、あるだろ」
……ああ。
もちろん知っている。
俺が広報担当だった作品だ。
そして、今まさに俺が転生している世界である。
「……それが?」
「開発途中の資料に、攻略対象が六人載ってたことがあるんだよ」
…………。
俺は固まった。
……六人?
「……何だって?」
透は頷いた。
「正式な宣伝資料じゃない。もっと前の、企画段階の資料だ」
……企画段階。
俺は記憶を探った。
確かに、ゲーム開発の初期には、いくつもの企画案が作られていたはずだ。
広報部へ正式な情報が届く前に、社内の共有フォルダで資料を見かけたこともある。
しかし、攻略対象が六人いたという記憶はない。
「……本当か?」
「ああ。名前までは覚えてないけど、六人目だけ設定が妙だった」
「……妙?」
「ほかの五人は、王子とか騎士団長とか、ちゃんと役職があった。でも六人目だけ、職業欄が空白だったんだ」
……空白。
俺は息を呑んだ。
ノア。
昨日、名前のない町で出会った青年。
彼は、自分のことを完成しなかった物語の登場人物だと言っていた。
そして、俺の《ハズレスキル》を使って、自分の運命を外してほしいと頼んできた。
……まさか。
「……ほかに、何か覚えてる?」
俺が尋ねると、透は少し考えた。
「……そうだな」
そして、静かに言った。
「そのキャラクターの設定資料に、変な一文があった」
「……何?」
「『彼は、主人公を愛するために存在しているのではない』」
…………。
俺は黙った。
透は続けた。
「『彼は、主人公に選択させるために存在している』」
……選択。
俺は、昨日のノアの言葉を思い出した。
『君に、選択肢を見せようとしているだけだよ』
……やっぱり。
何か、繋がっている。
「……ノア」
俺は小さく呟いた。
透が首を傾げた。
「……ノア?」
「いや、何でもない」
俺は首を横に振った。
まだ、詳しいことはわからない。
だが、確かなことがある。
俺が知っているゲームの世界は、完成した製品のシナリオだけではないのかもしれない。
開発途中で削除された設定。
使われなかったキャラクター。
没になったイベント。
そういうものまで、この世界のどこかに存在している可能性がある。
……それが、ノアのいる名前のない町なのか。
「……ありがとう、透」
俺は静かに言った。
「助かった」
透は小さく笑った。
「気にするなよ」
そして、少しだけ胸を張った。
「これからは、俺も広報担当として働くんだからな」
……ああ。
そうだったな。
俺は微笑んだ。
「……よろしく頼む」
「こちらこそ」
俺たちは、軽く拳を合わせた。
前世の俺と、今の俺。
同じ記憶を持ちながら、別の人生を歩き始めた二人。
……何だか、妙な気分だ。
だが、悪くはない。
少なくとも、これからは俺の仕事を分担してくれる相手ができた。
……それだけでも、かなりありがたい。
◇
午後五時。
俺は旧貴賓館の執務室で、今日最後の書類を確認していた。
透の身元登録。
王宮広報補助員としての仮採用。
猫神祭の広報業務の引き継ぎ。
どれも順調に進んでいる。
……素晴らしい。
仕事が減る。
何て美しい響きなんだろう。
しかも、透は俺と同じ経験を持っている。
仕事の説明も、ほとんど必要ない。
企画書の書き方も、広報資料の作り方も、すでに理解している。
……あれ?
もしかして。
俺、かなり楽になるんじゃね?
「……よし」
俺は小さく拳を握った。
ようやく、平穏な異世界生活が近づいてきた気がする。
すると、扉がノックされた。
「……リリア?」
レオンハルトの声だった。
……ん?
俺は時計を見た。
午後五時。
ちょうど終業時間だ。
「……どうぞ」
扉が開き、レオンハルトが顔を出した。
「仕事は終わったかい?」
「はい。ちょうど今、終わったところです」
「それはよかった」
王子は穏やかに微笑んだ。
そして、少しだけ言いにくそうに口を開いた。
「……実は、君に一つ相談があって」
……来た。
俺は少し身構えた。
どうせ、また仕事の話だろう。
しかし。
「仕事の話じゃないんだ」
……え?
俺は目を瞬かせた。
レオンハルトは、少しだけ笑った。
「個人的な相談だよ。もちろん、嫌なら断ってくれて構わない」
……なるほど。
ちゃんと区別してくれてるんだな。
「……何でしょう?」
俺が尋ねると、王子は静かに答えた。
「今度、君が男性の姿に戻れたとき」
……ん?
「……僕と、一緒に食事をしてくれないかな?」
…………。
俺は固まった。
……え?
男性の姿に戻れたとき?
つまり。
男の俺と?
「……あの」
俺は慎重に尋ねた。
「……男の姿で、ですか?」
「うん」
王子は頷いた。
「君が本来の姿で過ごしているときに、改めて話をしてみたいんだ」
……おい。
ちょっと待て。
それって。
男同士で食事?
いや、別に男同士で食事すること自体は普通だ。
前世でも男友達と飯くらい食べていた。
ただ。
相手は王子様だぞ。
しかも、俺に好意を抱いていると公言している男だ。
……それって。
「……デートですか?」
俺は恐る恐る尋ねた。
レオンハルトは、少しだけ考えた。
そして、穏やかに微笑んだ。
「君がそう受け取るなら、デートになるのかもしれないね」
…………。
……おい。
何だ、その答え。
ずるくない?
「もちろん、君が友人として食事をしたいなら、それでも構わないよ」
王子は続けた。
「ただ、僕自身は……」
そこで、一度だけ言葉を止めた。
そして、真剣な表情になった。
「……男性の君を知ったうえで、自分の気持ちを確かめてみたいと思っている」
…………。
俺は、何も言えなかった。
王子は、俺が男だったことを知っている。
今も、自分を男だと認識していることも。
そして、元の姿へ戻りたいと願っていることも。
全部、知っている。
そのうえで。
男の俺と、食事をしたいと言っている。
……何だよ。
それ。
前世の俺だったら、想像もしなかった展開だ。
俺は少しだけ目を逸らした。
すると、王子が静かに口を開いた。
「……困らせてしまったかな?」
「……少し」
俺は正直に答えた。
王子は小さく笑った。
「そうか。ごめんね」
そして、少しだけ距離を取った。
「今すぐ答えを出す必要はないよ。僕も、まだ自分の気持ちを整理しているところだから」
……ああ。
それなら、助かる。
俺は小さく頷いた。
「……ありがとうございます」
王子は微笑んだ。
「それじゃあ、今日はここまでにしようか」
「……はい」
俺は頷いた。
そして、王子が部屋を出ようとした、そのときだった。
「……リリア」
王子が振り返った。
「……何でしょう?」
「もし、君が男性の姿へ戻れたら」
彼は少しだけ笑った。
「そのときは、君が望む名前で呼ばせてほしい」
…………。
俺は、言葉を失った。
……名前。
佐伯透。
それは、俺が前世で使っていた名前だ。
しかし、今は同じ名前を持つ男が、別の人間として生き始めている。
俺自身は、リリア・ベルフォードという名前で、この世界を生きている。
……そうか。
名前も、考えなきゃいけないのか。
「……そのときになったら、考えます」
俺は小さく答えた。
王子は頷いた。
「うん。楽しみにしているよ」
そして、静かに部屋を出ていった。
扉が閉まる。
俺は、その場に立ち尽くしていた。
……何だよ。
あの王子。
ずるいな。
あんなふうに言われたら。
……ちょっと。
嬉しくなるじゃないか。
俺は、思わず頬へ手を当てた。
熱い。
……おい。
待てよ。
これは、さすがに。
俺自身の反応だよな。
ゲームのシステムに強制されたわけじゃないよな。
俺は、少しだけ考えた。
そして。
「……いやいやいや!」
慌てて首を振った。
「まだ、恋愛するって決めたわけじゃないからな!」
誰もいない部屋で、俺は声に出して宣言した。
すると。
『主人公の感情に変化を確認しました』
『レオンハルトへのときめき+10』
「…………」
……おい。
待て。
何だ、その数字。
さっきは五だっただろ。
何で増えてるんだよ。
『主人公は、男性の姿でもレオンハルトと会うことを想像しました』
『恋愛分岐の進行条件を一部達成しました』
…………。
俺は頭を抱えた。
……くそっ。
想像しただけでイベントが進むのかよ!
俺は、まだ何も決めてないぞ!
しかも。
男の俺と王子様が食事する場面を想像しただけだぞ!
……いや。
待てよ。
よく考えたら。
男の姿に戻った俺が、あのイケメン王子と二人きりで食事するんだよな。
王子は俺を見つめて。
あの優しい声で話しかけてきて。
俺は、たぶん緊張して。
……おい。
やめろ。
想像するな。
俺。
これ以上、変なこと考えるな!
『レオンハルトへのときめき+2』
「増えるなあああああ!」
俺の絶叫が、旧貴賓館に響き渡った。
廊下の向こうから、レオンハルトの声がした。
「……リリア? 大丈夫かい?」
「大丈夫です! 何でもありません!」
……くそっ。
本当に。
何なんだよ。
この乙女ゲーム!
◇
その夜。
俺は寮のベッドで、今日一日の出来事を振り返っていた。
前世の俺と同じ姿をした男が現れた。
そいつは透という名前で、この世界に登録された。
そして、俺の仕事を一部引き受けてくれることになった。
……ここまではいい。
いや、かなりいい。
仕事が減るのは、本当にありがたい。
しかし。
問題は、そのあとだ。
《ハズレスキル》によって透の消滅を回避した結果、恋愛イベントの対象条件が変わってしまった。
男性人格を持つ主人公との恋愛。
精神的BLルート。
……何だよ、それ。
俺は頭を抱えた。
いや。
わかる。
男同士の恋愛があることは知っている。
前世の俺だって、男性同士の恋愛を描いた作品くらい見たことがある。
広報の仕事では、そういう作品の宣伝資料を参考にする機会もあった。
だが。
自分が当事者になるとは思っていなかった。
しかも、相手はイケメン五人。
さらに、俺自身が男の姿へ戻ることを望んでいると知ったうえで、関係を続けたいと言っている。
……これ。
もう、普通の乙女ゲームじゃないよな。
TS転生ものなのか。
BLものなのか。
ハーレムものなのか。
それとも、異世界お仕事コメディなのか。
……ジャンルが渋滞してるぞ。
「……なあ、ミャルティア」
「なんだ?」
白猫が、枕元で丸くなっていた。
「このゲーム、どこへ向かってるんだろうな」
猫神は、少しだけ目を細めた。
「……それは、お前次第であろう」
「……俺次第?」
「うむ」
猫神は静かに続けた。
「お前は、これまで恋愛イベントを避けることばかり考えておった」
「……そりゃそうだろ」
「だが、今は少し違うのではないか?」
……違う?
俺は眉を寄せた。
「……何が?」
猫神は、金色の瞳を細めた。
「お前は、相手の気持ちを知ったうえで、自分がどうしたいかを考え始めておる」
…………。
俺は黙った。
……そうか。
確かに、そうかもしれない。
今までは、男から好意を向けられること自体を避けようとしていた。
だが、今日。
カイルが、俺が男だったことを知ったうえで大切に思っていると言ってくれた。
レオンハルトが、男の姿へ戻った俺とも会いたいと言ってくれた。
そして俺は。
……少しだけ。
その言葉を嬉しいと思ってしまった。
「……まあ、まだわかんないけどな」
俺は小さく呟いた。
猫神が頷いた。
「うむ。それでよい」
「……何が?」
「すぐに答えを出す必要はないということだ」
……ああ。
そうだな。
俺は小さく笑った。
「……珍しく、まともなこと言うじゃないか」
「神だからな」
「……それ、便利な言葉だよな」
猫神は得意げに胸を張った。
俺は苦笑した。
そして、布団を引き寄せた。
……まあ。
今は、考えても仕方ない。
俺は俺だ。
今の身体が女でも、前世が男でも。
誰を好きになるか。
誰と付き合うか。
それを決めるのは、俺自身だ。
……そうだ。
だから。
焦る必要はない。
俺は目を閉じた。
すると。
『新着通知があります』
「…………」
……おい。
またかよ。
俺は、ゆっくりと目を開けた。
『新規恋愛分岐が解放されました』
『ルート名:男の君に、もう一度恋をする』
…………。
……ん?
俺は眉を寄せた。
男の君に、もう一度恋をする?
……何だよ。
そのタイトル。
『攻略対象:レオンハルト』
『イベント発生条件』
『主人公が男性の姿へ戻る』
『レオンハルトと二人きりで食事をする』
『互いの意思を確認する』
…………。
俺は画面を見つめた。
そして、静かに呟いた。
「……これ」
猫神が顔を上げた。
「なんだ?」
「……普通にBLルートじゃね?」
猫神は、少しだけ考えた。
そして、楽しそうに笑った。
「にゃはは。そうかもしれぬな」
「……おい」
俺は頭を抱えた。
さらに、新しい文字が浮かび上がった。
『攻略対象:カイル』
『新規イベント名:男同士でも、守りたい』
…………。
……おい。
『攻略対象:エリオット』
『新規イベント名:君という存在を、もっと知りたい』
……待て。
『攻略対象:セシル』
『新規イベント名:魂の姿に、祝福を』
……ちょっと待て。
『攻略対象:ユリウス』
『新規イベント名:男の君と、対等な契約を』
…………。
俺は、しばらく画面を見つめていた。
そして、ゆっくりと息を吸い込んだ。
「……ミャルティア」
「なんだ?」
「……俺、男に戻りたいんだよな」
「うむ」
「……それで?」
「うむ」
「……男に戻ったら、男五人から本格的に口説かれるってこと?」
猫神は、少しだけ考えた。
そして、非常に楽しそうに答えた。
「……そうなる可能性は高いな」
…………。
俺は天井を仰いだ。
そして。
「なんで男に戻ってもBLから逃げられねえんだよおおおお!」
俺の絶叫が、夜の寮に響き渡った。
ちなみに。
このときの俺は、まだ知らなかった。
新しく生まれた男、佐伯透が、俺の前世の記憶を手がかりに、ゲーム開発中に削除されたシナリオを思い出し始めていることを。
そして、その記憶の中には、六人目の攻略対象ノアに関する重要な情報が隠されていることを。
何より。
レオンハルトが、俺の男性としての姿を知ったことで、これまでとは違う形で俺への想いと向き合い始めていることを。
……いや。
最後のやつは、何となくわかる。
わかるけど。
頼むから。
もう少し、ゆっくり進めてくれ。
俺の心の準備が、まったく追いついてないんだよ!
◇
同じ頃、王宮の一室。
レオンハルトは、机の上に置かれた一枚の書類を見つめていた。
そこには、今日正式に登録された男性の情報が記されている。
『トオル・サエキ』
二十九歳。
異世界出身。
聖女リリア・ベルフォードと同じ魂の記録を持つ存在。
レオンハルトは、しばらくその書類を見つめていた。
やがて、静かに目を閉じる。
思い浮かぶのは、金髪の聖女の姿だった。
初めて庭園で出会ったときの、驚いた表情。
猫神祭の話をしていたときの、真剣な眼差し。
仕事について意見を述べるときの、遠慮のない口調。
そして今日。
男性の姿へ戻りたいという願いを語ったときの、まっすぐな瞳。
「……なるほど」
レオンハルトは、小さく呟いた。
自分でも、不思議だった。
リリアが前世では男性だったと知ったとき、確かに驚いた。
だが、それ以上に強く感じたことがあった。
それは、彼女を失うかもしれないという不安だった。
もし、リリアが男性の姿へ戻ったら。
もし、聖女という役割から解放されたら。
そのとき、自分は彼女とどのような関係でいられるのだろう。
王子と聖女。
その関係がなくなっても、会い続けることはできるのだろうか。
「……いや」
レオンハルトは、ゆっくりと首を横に振った。
問題は、そこではない。
自分がどうしたいのか。
それを、まだ十分に考えていなかったのだ。
そして今日、ようやく気づいた。
自分は、リリアという存在に強く惹かれている。
それが女性の姿だからなのか。
それとも、彼女自身の考え方や生き方に惹かれているのか。
まだ、はっきりとはわからない。
だが。
少なくとも、一つだけ確かなことがある。
「……男の君にも、会ってみたい」
レオンハルトは、静かに微笑んだ。
そして、窓の外へ目を向けた。
夜の王都には、無数の灯りが輝いている。
「……君がどんな姿でも」
小さく、言葉を続けた。
「僕は、君自身を知りたいんだ」
その声は、誰にも届かなかった。
ただ、机の上に置かれた書類の隅で、青白い光が一瞬だけ瞬いた。
『新規ルート進行条件を確認しました』
『レオンハルト:男性主人公との恋愛可能性を認識』
『イベント名:王子は、男の君に恋をする』
『進行度:5%』
レオンハルトは、その文字に気づかなかった。
そして、静かに微笑んだ。
「……次に会える日が、楽しみだよ」
こうして、俺の知らないところで。
新しい恋愛ルートが、静かに動き始めていた。
次回・第8話「俺、男の姿で王子様とデートすることになったんだが?」
前世の俺と同じ姿をした佐伯透の協力で、男の姿へ戻る方法の研究が進み始めた。しかし、ようやく実現した短時間の男性化実験に、第一王子レオンハルトが立ち会うことになる。
男の姿に戻った俺を見た王子は、なぜか嬉しそうに微笑んでいた。
しかも、実験後に二人で食事をしないかと誘われる。
女の身体でイケメンに口説かれるだけでも困っていたのに、今度は男の身体でデート?
いや、待て。
これ、完全にBLじゃねえか!
一方、六人目の攻略対象ノアは、佐伯透の誕生によって《ハズレスキル》の本来の力が目覚めつつあることを察知していた。




