第6話 俺、男に戻ったことが攻略対象にバレたんだが?
異世界に転生して六日目。
俺は、朝から重大な問題に直面していた。
昨日の休暇を終え、今日から仕事に復帰する予定だった俺は、いつもより少し早く目を覚ました。
洗顔を済ませ、髪を整え、学院の制服に着替える。
鏡に映っているのは、金色の長い髪と青い瞳を持つ美少女、リリア・ベルフォードだった。
年齢二十二歳。
職業は聖女。
そして、王宮、騎士団、魔導師団、神殿、学院という五つの組織を調整する、五部門統括マネージャーである。
……おかしい。
何度考えてもおかしい。
俺は十八禁乙女ゲームのヒロインに転生したはずだ。
それなのに、どうして王国の行政組織を横断する仕事を任されているんだろう。
しかも、上司に相当するのは攻略対象のイケメン五人。
普通の乙女ゲームなら、彼らと甘い恋愛を楽しむはずなのだが、俺の場合はスケジュール調整と予算管理に追われている。
まあ、恋愛イベントに巻き込まれるよりはマシだ。
何しろ俺の中身は、二十九歳の元サラリーマン。
男だ。
少なくとも自分では、今も男として生きているつもりである。
そして昨日。
俺は、ついに一日だけ元の身体を取り戻した。
「……夢じゃなかったんだよな」
俺は鏡の前で、そっと自分の頬に触れた。
短い黒髪。
少し疲れた目元。
特別に整っているわけでもない、見慣れた男の顔。
あの姿で、俺は名前のない町を歩いた。
普通の食堂で食事をして、本屋を覗き、道端の猫を撫でた。
何でもない休日だった。
だが、その何でもなさが、どうしようもなく嬉しかった。
今のリリアの身体が悪いわけではない。
ただ、前世の俺の身体には、それまでの人生が詰まっていた。
だから、一日だけでも戻れたことには大きな意味があった。
「……また戻れるといいな」
俺が呟くと、ベッドの上から声がした。
「戻れるとも限らぬぞ」
白い猫が、のんびりと尻尾を揺らしている。
聖猫神ミャルティア。
俺を異世界へ転生させた張本人にして、この世界の主神である。
ちなみに、今朝は俺の枕を占領していた。
神様のくせに、やっていることが普通の猫と変わらない。
「……何だよ。昨日は戻れたじゃないか」
「昨日の場所は特別なのだ。何度も同じことができる保証はない」
「ノアは月に一度くらいなら来られるって言ってたぞ?」
「それも、あやつの言葉であろう?」
猫神は金色の瞳を細めた。
「何でも鵜呑みにするでない」
……まあ、それはそうだ。
ノア。
昨日出会った、正体不明の青年。
このゲームにおける六人目の攻略対象であり、完成しなかった物語から外された存在。
彼は、俺を物語の強制力が届かない場所へ案内してくれた。
そして、そこで一時的に男の姿へ戻してくれたのだ。
ただし、ノアには別の目的があった。
俺の《ハズレスキル》を使って、自分自身の運命を外してほしいという。
詳しい内容は説明してくれなかった。
だから、俺は断った。
どんな結果になるのかわからない能力を、安易に他人へ使うわけにはいかないからだ。
「……まあ、ノアのことは少しずつ調べるよ」
「それがよかろう」
猫神は頷いた。
そして、再び丸くなった。
……いいな、お前は。
好きなときに寝られて。
俺も猫に転生したかった。
いや、待て。
猫に転生したら、今度は猫神から求愛される可能性があるのか?
……やめよう。
考えるだけで怖い。
俺は鞄を手に取った。
「よし。仕事に行くか」
そのときだった。
コンコンコン。
扉がノックされた。
「……ん?」
まだ午前八時だ。
仕事の開始時刻は午前九時。
誰だろう。
「リリア様。お客様でございます」
廊下から、寮の管理人の声がした。
「……お客様?」
「はい。王宮より、五名の方がお見えです」
……五名?
俺は固まった。
待てよ。
まさか。
「……その五名って」
管理人は、少し困ったような声で答えた。
「レオンハルト殿下、カイル騎士団長、エリオット宮廷魔導師、セシル大神官、ユリウス公爵令息でございます」
「…………」
俺は時計を見た。
午前八時。
もう一度、時計を見た。
やっぱり午前八時。
「……あの」
「はい?」
「始業時間、九時なんですけど」
「皆様、聖女様の安全確認のためにお越しになったそうです」
……安全確認。
そういえば、昨日の夜に通知が届いていたな。
特別視察。
俺の安全確保と、今後の活動支援について。
……いや。
だからって。
「何で全員で来るんだよ!」
思わず叫んでしまった。
その瞬間、目の前に青白い文字が浮かび上がった。
『特殊イベント発生』
『五人の紳士による朝の訪問』
『イベント概要:主人公の寝室を訪れた攻略対象たちが、寝起きの姿に心を奪われる』
『発生予定演出:寝台への接近、髪への接触、朝の甘い囁き』
「…………」
……おい。
待て待て待て。
何だ、このイベント。
十八禁乙女ゲームだからって、朝から飛ばしすぎだろ!
しかも、五人全員が寝室へ来るのか?
ここ、女子寮だぞ!?
「管理人さん!」
「は、はい!」
「五人とも、絶対に部屋へ入れないでください!」
「もちろんでございます! 女子寮の居住区画へ男性をお通しするわけにはまいりません!」
……素晴らしい。
俺は感動した。
この世界には、まだ常識が存在していた。
「では、皆様には一階の応接室でお待ちいただきます」
「ありがとうございます! すぐに行きます!」
俺は安堵して胸を撫で下ろした。
すると。
『恋愛イベントの発生条件が不成立となりました』
『寝室訪問イベント:回避成功』
……よし!
今回はスキルを使わずに回避できた!
やっぱり、きちんとした規則は大事だ。
規則があれば、恋愛イベントだって防げる。
俺は満足して頷いた。
ところが、画面には続きがあった。
『代替イベント発生』
『五人の紳士による朝の出迎え』
『攻略対象全員が主人公の登場を待ち望んでいます』
「…………」
……待ち望むな。
普通に待ってろよ。
俺は深いため息をついた。
◇
寮の一階にある応接室へ向かうと、五人の男たちが揃っていた。
第一王子レオンハルト。
騎士団長カイル。
宮廷魔導師エリオット。
大神官セシル。
そして、公爵令息ユリウス。
……相変わらず、すごい顔ぶれだ。
王国の重要人物が、朝っぱらから女子寮の応接室へ集合している。
こんな光景、ゲームの宣伝用イラストでも見たことがない。
「おはよう、リリア」
最初に声をかけてきたのはレオンハルトだった。
王子はいつも通り、爽やかに微笑んでいる。
「昨日はゆっくり休めたかい?」
「はい。おかげさまで」
「それはよかった。君が休暇を楽しめたなら、僕も嬉しいよ」
……うん。
普通の会話だ。
今のところ問題ない。
カイルが一歩前へ出た。
「リリア様。昨日の外出について、少し確認させていただきたいことがあります」
……ん?
「何でしょう?」
「実は、学院の北門付近で、不審な魔力反応が確認されまして」
……おい。
ちょっと待て。
北門?
昨日、俺がノアと会った場所じゃないか。
エリオットが口を開いた。
「正確には、学院の結界に通常とは異なる魔力の痕跡が残されていたんです」
……痕跡?
俺は眉を寄せた。
エリオットは、興味深そうに片眼鏡を押し上げた。
「非常に珍しい反応でした。しかも、その中心には、リリア様の神聖魔力と一致する波長が含まれていたんです」
…………。
あれ?
これ、もしかして。
まずくない?
セシルが、少しだけ表情を変えた。
「……エリオット様。その件は、こちらで詳しく確認してからのほうがよいかもしれません」
「もちろん、そうですね。ただ、今回の反応は非常に特殊でして……」
エリオットは懐から、小さな水晶板を取り出した。
そして、そこへ魔力を流し込む。
水晶板の上に、青白い光が浮かび上がった。
「こちらをご覧ください」
……待て。
おい。
何を見せるつもりだ。
光が人の形を作り始めた。
頭。
肩。
腕。
胴体。
そして、その輪郭が次第にはっきりしていく。
俺は目を見開いた。
そこには。
昨日、名前のない町で取り戻した。
二十九歳の俺の姿が、映し出されていた。
「…………」
……おい。
待て待て待て待て!
「何で俺が映ってるんだよおおおお!」
俺は思わず叫んだ。
五人が一斉にこちらを見た。
そして。
「……俺?」
レオンハルトが、不思議そうに首を傾げた。
「…………」
しまった。
俺は、ゆっくりと口を閉じた。
……終わった。
今度こそ、本当に終わったかもしれない。
◇
沈黙が続いていた。
水晶板に映っているのは、間違いなく昨日の俺だった。
短い黒髪に、少し疲れた顔。
背丈も体格も、前世の記憶にある姿と一致している。
間違えようがない。
俺自身だ。
しかし、当然ながら他の四人は知らない。
レオンハルトは不思議そうに水晶板を見つめ、カイルは警戒した表情で青年の姿を観察している。
ユリウスは何か考えているようだった。
そしてセシルだけが、事情を察したように俺を見ていた。
「……エリオット」
最初に口を開いたのは、レオンハルトだった。
「これは、昨日リリアと接触した人物なのかい?」
「その可能性があります。ただし、通常の人物追跡とは少し異なる反応でして……」
エリオットは水晶板を覗き込んだ。
「不思議ですね。男性の肉体を示す魔力の痕跡なのに、中心となる魂の波長がリリア様と一致しているんです」
「……魂が一致?」
カイルが眉を寄せた。
「同一人物ということですか?」
「普通なら、そう考えるべきですが……」
エリオットは首を傾げた。
「しかし、リリア様は現在も女性の身体でいらっしゃいますから」
……おい。
そこまで言うな。
俺は内心で必死に祈った。
このままでは、前世の秘密どころか、昨日の出来事まで全部バレてしまう。
すると、セシルが静かに立ち上がった。
「エリオット様。その解析結果は、いったん閉じていただけませんか?」
「……え?」
「魂の状態に関する情報は、個人の身体や健康に深く関わるものです。リリア様の許可なく、皆様の前で詳細を公開するべきではありません」
エリオットの表情が変わった。
「あ……」
そして、水晶板の光を消した。
「……申し訳ありません。魔力の異常について報告することばかり考えて、配慮が足りませんでした」
俺は思わずセシルを見た。
セシルは、こちらへ小さく頷いた。
……助かった。
さすが大神官。
昨日、秘密を守ると約束してくれただけのことはある。
しかし。
「……リリア」
レオンハルトが、穏やかな声で呼びかけてきた。
「昨日、何かあったのかい?」
……うっ。
俺は言葉に詰まった。
王子は、責めるような口調ではなかった。
むしろ、心配しているようだった。
「君が休暇を取ったこと自体に問題はないよ。ただ、学院の結界に異常が確認されたとなると、安全面で少し気になるんだ」
カイルも頷いた。
「昨日の北門付近では、通常の結界では検出できない魔力の乱れが確認されています。誰かに危害を加えられた可能性があるなら、調べる必要があります」
……なるほど。
言い分はわかる。
俺は王国にとって重要な聖女らしい。
だから、周囲が安全を確認したがるのは当然なのかもしれない。
だが。
「……あの」
俺は五人を見渡した。
「昨日の外出は、私自身の意思です。誰かに無理やり連れていかれたわけではありません」
カイルが少しだけ表情を和らげた。
「そうでしたか。それなら、ひとまず安心しました」
「ただ、少し不思議なことがあったのは事実です」
俺は慎重に続けた。
「それについては、落ち着いてから説明したいと思っています」
レオンハルトが頷いた。
「わかった。では、ここで無理に聞くのはやめよう」
……よし。
理解してもらえた。
俺は胸を撫で下ろした。
すると、ユリウスが時計を見た。
「……ところで、現在八時十五分だが」
……ん?
「リリアの勤務開始は九時だったな?」
「……はい」
「ならば、そもそも仕事の話を始める時間ではないだろう」
…………。
俺は目を見開いた。
ユリウス。
お前。
なんて素晴らしいことを言ってくれるんだ!
「……確かに、その通りだね」
レオンハルトが苦笑した。
「安全確認とはいえ、少し早すぎたかな」
「申し訳ありません。緊急の事態かもしれないと考え、急いでしまいました」
カイルが頭を下げた。
エリオットも申し訳なさそうにしている。
セシルは、どこか安心したようだった。
そしてユリウスが、当然のように言った。
「では、続きは九時からだ。旧貴賓館の会議室で話し合おう」
……いい。
本当にいい。
勤務時間を守る男って、こんなに頼もしいんだな。
俺は心から感動した。
『ユリウスへの信頼度が上昇しました』
「…………」
……ん?
今、俺の信頼度が上がったのか?
いつもは攻略対象の好感度ばかり表示されるのに。
俺は少しだけ不思議に思った。
しかし、今は気にしている場合ではない。
「では、九時に伺います」
俺は五人へ頭を下げた。
そして、ようやく応接室を出た。
……助かった。
本当に助かった。
しかし、問題が解決したわけではない。
昨日、男の姿へ戻ったことを、エリオットが魔法で検出してしまった。
しかも、他の攻略対象たちも、その姿を見ている。
……さて。
どうしたものか。
◇
午前九時。
俺は旧貴賓館の会議室で、再び五人と向かい合っていた。
……何だろう。
昨日もここで会議してたよな。
一昨日も、三人が俺について会議してたし。
この世界の攻略対象たち、会議が好きすぎない?
もっとこう、乙女ゲームらしいことをしろよ。
……いや。
乙女ゲームらしいことをされても困るんだけど。
俺が席に着くと、エリオットが申し訳なさそうに頭を下げた。
「リリア様。今朝の件について、改めてお詫びします」
「……いえ」
「本来なら、あなたに確認してから資料を提示するべきでした。魔法の解析に夢中になってしまい、配慮を欠いていました」
俺は少しだけ驚いた。
昨日までの印象だと、エリオットは研究となると周囲が見えなくなるタイプだった。
しかし、自分の間違いを認めて謝ることはできるらしい。
「……わかりました。今後は、そうしてください」
「ありがとうございます」
エリオットは真剣な表情で頷いた。
そして、静かに尋ねた。
「それで、リリア様。先ほどの魔力反応について、詳しく調べてもよろしいでしょうか?」
……来た。
俺は少しだけ考えた。
正直に言えば、怖い。
昨日、俺は男の身体に戻った。
その痕跡が、今も残っているらしい。
もしもエリオットが、その仕組みを解明できるなら。
今度は名前のない町へ行かなくても、男の身体へ戻れるようになるかもしれない。
それは、願ってもいないことだ。
しかし、前世の秘密を勝手に知られるのは嫌だ。
それに、今の身体をどうするかについても、俺自身の意思を尊重してほしい。
「……調べてもらうこと自体は構いません」
俺はゆっくりと答えた。
「ただし、検査内容と、その結果を誰に伝えるのかは、先に確認させてください」
エリオットが頷いた。
「もちろんです」
「それから、できればセシル様にも同席していただきたいです」
俺がそう言うと、セシルが静かに微笑んだ。
「承知しました」
レオンハルトが少しだけ首を傾げた。
「……セシルも?」
「はい。昨日、魂の状態について診察していただきましたので」
王子は納得したように頷いた。
「なるほど。では、医療的な判断はセシルに任せよう」
……よし。
これなら大丈夫そうだ。
俺は二人と一緒に、会議室の隣にある小さな応接室へ移動した。
扉を閉める。
ここにいるのは、俺とエリオット、セシルの三人だけだ。
……いや。
正確には、もう一匹いる。
「にゃあ」
机の下から、白猫が顔を出した。
ミャルティアである。
……お前、また勝手についてきたのか。
猫神は、何食わぬ顔で椅子の上に飛び乗った。
エリオットが目を細める。
「……不思議な猫ですね。非常に強い神聖魔力を感じます」
……やめろ。
気づくな。
神様の正体までバレたら、さらに面倒になる。
俺は慌てて話題を変えた。
「……それで、エリオット様」
「はい」
「何を調べるんでしょう?」
エリオットは水晶板を取り出した。
ただし、今度は勝手に起動しなかった。
「まず、昨日の北門付近に残された魔力の痕跡について説明します」
彼は机の上に紙を広げ、簡単な図を描き始めた。
中央に、大きな円。
その中に、小さな円が二つ。
「これは、魂と肉体の関係を簡略化したものです」
……ふむ。
なるほど。
「通常、人間の魂は一つの肉体に定着しています。もちろん特殊な魔法によって一時的に分離することもありますが、基本的には一対一の関係です」
エリオットは、大きな円から一本の線を引いた。
「ところが、昨日の痕跡には、同じ魂が二つの異なる肉体に定着した記録が残されていました」
……二つ。
俺は息を呑んだ。
「その一つが、現在のリリア様の身体です」
エリオットは俺を見た。
「そして、もう一つが……」
彼は少しだけ言葉を選んだ。
「男性の身体でした」
……やっぱり。
俺はゆっくりと息を吐いた。
エリオットは真剣な表情で続けた。
「信じがたい話ですが、魔力の痕跡を見る限り、別人ではありません。同じ魂が、異なる肉体の形を取ったと考えるのが自然です」
……なるほど。
こいつ、そこまでわかるのか。
さすが天才魔導師。
単なる恋愛要員じゃなかったんだな。
「……リリア様」
エリオットが静かに尋ねた。
「昨日、あなたは一時的に男性の身体になったのではありませんか?」
…………。
俺は黙っていた。
セシルが、心配そうにこちらを見ている。
猫神は、珍しく何も喋らなかった。
……さて。
どうしたものか。
もう、ここまで調べられている。
しかも、セシルは俺の前世について知っている。
ここで無理に隠しても、あまり意味はないだろう。
それに。
……協力してもらえるなら、ありがたい。
俺は深呼吸した。
「……はい」
そして、正直に答えた。
「昨日、一日だけ男の姿へ戻りました」
エリオットが目を見開いた。
「……やはり!」
彼は思わず立ち上がった。
その瞳には、研究者特有の輝きが浮かんでいる。
「素晴らしい! 同一の魂が異なる肉体に定着し、しかも元の状態へ戻ることができるとは!」
……おい。
落ち着け。
俺の身体の話だぞ。
研究発表会じゃないんだから。
「……エリオット様」
「はっ!」
エリオットは我に返った。
「……申し訳ありません。つい興奮してしまいました」
「いえ。研究者としては、珍しい現象なんでしょうけど」
俺は少しだけ苦笑した。
「俺にとっては、結構切実な問題なので」
エリオットの表情が変わった。
「……切実?」
俺は、しばらく迷った。
そして、静かに告げた。
「……俺、前世では男だったんです」
沈黙。
エリオットは、俺を見つめていた。
「……前世?」
「はい」
俺は頷いた。
「別の世界で、二十九歳まで男として生きていました。それが、事故で死んで、気がついたらこの身体になっていて」
エリオットは黙って聞いていた。
「だから、できれば元の姿へ戻りたいんです。昨日、一日だけ戻れたんですけど……」
俺は自分の手を見下ろした。
細い指。
白い肌。
前世とは違う身体。
「……今は、また元に戻っちゃいました」
少しだけ、笑ってみせた。
エリオットは、しばらく何も言わなかった。
そして、ゆっくりと椅子に座った。
「……なるほど」
静かな声だった。
「それで、あなたは男性の身体に戻る方法を探しているのですね」
「……はい」
「わかりました」
エリオットは真剣な表情で頷いた。
「でしたら、私も協力しましょう」
……え?
俺は思わず顔を上げた。
「……いいんですか?」
「もちろんです。これほど珍しい魔法現象を研究できる機会は、そうありませんから」
……ああ。
やっぱり研究目的か。
まあ、それでも構わない。
俺は小さく笑った。
「……ありがとうございます」
すると、エリオットは少しだけ表情を和らげた。
「それに、私は昨日、あなたと共同研究を続けたいと申し上げましたからね」
……うん。
そうだったな。
なんだかんだで、こいつも律儀な男だ。
「ただし、検査や実験はすべて事前に相談してください」
「承知しました」
「それと、前世の話は秘密にしていただけますか?」
「もちろんです」
エリオットは頷いた。
「あなたが望まない限り、誰にも話しません」
……よし。
これで協力者が二人になった。
セシルは魂と肉体の研究。
エリオットは魔法とスキルの研究。
どちらも、俺が元の姿へ戻るためには頼もしい存在だ。
しかも、恋愛関係にならなくても協力してもらえる。
……いいじゃないか。
こういう関係が欲しかったんだよ。
俺は心から安堵した。
すると。
『特殊イベント発生』
『宮廷魔導師との新たな秘密』
『エリオット好感度+15』
「…………」
……おい。
やっぱり上がるのかよ。
『関係が変化しました』
『かけがえのない共同研究者 → 人生を共有したい特別な相手』
「…………」
……待て待て待て。
人生を共有したい!?
何だ、その表現!
共同研究者だろ!
俺の人生そのものを研究対象にするな!
俺が画面を睨んでいると、エリオットが穏やかに口を開いた。
「……ところで、リリア様」
「……はい?」
「一つだけ、確認させてください」
「何でしょう?」
エリオットは少しだけ考えた。
そして、真剣な表情で尋ねた。
「あなたが男性の身体に戻れたとして、その後も私との共同研究を続けていただけますか?」
……え?
俺は瞬きをした。
なんだ。
そんなことか。
「もちろんですよ」
俺は即答した。
「身体が変わっても、俺自身は変わりませんから」
エリオットは、少しだけ目を見開いた。
そして、柔らかく微笑んだ。
「……それを聞いて、安心しました」
…………。
……あれ?
何で、そんなに嬉しそうなんだ?
『エリオット好感度+10』
「…………」
……だから!
研究者として安心しただけだよな!?
そうだよな!?
俺が恐る恐るエリオットを見ると、彼は研究資料へ視線を戻していた。
……うん。
普通だ。
きっと、普通の研究者としての反応だ。
俺は自分にそう言い聞かせた。
しかし。
セシルが、少しだけ困ったように微笑んでいたことには、気づかないふりをした。
◇
午前十時。
俺たちは、再び会議室へ戻った。
レオンハルト、カイル、ユリウスの三人が待っている。
エリオットとセシルは、俺の希望に従って詳しい検査結果を口外しないと約束してくれた。
だから、これでひとまず安心だ。
……と、思っていた。
「リリア。話は終わったのかい?」
レオンハルトが穏やかに尋ねてきた。
「はい。少し、確認していただきました」
「それならよかった」
王子は頷いた。
しかし、その表情は少しだけ真剣だった。
「では、今朝の男性についても確認しておきたいんだけど」
……うっ。
俺は思わず顔を引きつらせた。
そうだった。
まだ、その問題が残っていた。
エリオットが水晶板に映した、男の姿。
前世の俺である。
俺自身は正体を知っているが、レオンハルトたちは知らない。
当然、不審な男性が聖女と接触したと思っているのだろう。
「リリア様」
カイルが口を開いた。
「昨日、学院の北門で男性とお会いになりましたか?」
「……はい」
俺は頷いた。
嘘ではない。
ノアと会ったのだから。
「その人物は、あなたに危害を加えようとしましたか?」
「いいえ」
「では、何かを要求されたのでしょうか?」
……要求。
俺は少し考えた。
ノアは、俺に《ハズレスキル》を使ってほしいと言っていた。
自分自身の運命を外してほしい、と。
しかし、詳しい説明はなかった。
そのため、俺は依頼を断った。
「……ある能力について、協力を頼まれました」
カイルの表情が変わった。
「協力を?」
「はい。でも、内容がよくわからなかったので、お断りしました」
カイルは小さく頷いた。
「適切な判断だと思います。相手の身元が不明な以上、慎重になるべきでしょう」
……うん。
そうだよな。
俺も、そう思う。
ところが、レオンハルトが少しだけ眉を寄せた。
「……その男性とは、親しい関係なのかい?」
「……え?」
俺は瞬きをした。
……親しい?
いや。
昨日、初めて会ったばかりだけど。
「……いえ、まだ知り合ったばかりです」
「そうか」
王子は静かに頷いた。
その直後。
『特殊イベント発生』
『攻略対象たちが、謎の青年の存在を認識しました』
『イベント名:聖女をめぐる新たな恋敵』
「…………」
……おい。
ちょっと待て。
恋敵?
誰が?
『レオンハルトが、謎の青年を意識しています』
『カイルが、謎の青年を警戒しています』
『ユリウスが、謎の青年の素性に関心を抱いています』
……ああ。
まずい。
これは、非常にまずい。
俺は画面を睨んだ。
このゲームの恋愛イベントには、攻略対象同士の嫉妬や競争心を刺激する展開がある。
他の男と親しくしている主人公を見て、攻略対象が焦る。
そこから好感度が上がり、特別な恋愛イベントへ進むのだ。
俺は広報担当だったから、その手のイベントを何度も宣伝してきた。
店舗用の販促画像には、こんな煽り文句をつけた覚えがある。
『彼女を奪うのは、いったい誰?』
……俺だよ。
その文章を書いたのは俺だよ。
まさか、こんな形で自分に返ってくるとは思わなかった。
「……リリア」
レオンハルトが、少しだけ身を乗り出した。
「その男性は、君にとって大切な人なのかな?」
……大切な人?
ノアのことか?
いや、まだそこまでの関係じゃない。
ただ、昨日の俺にとって、男の姿へ戻れたことは非常に大切な出来事だった。
そして、水晶板に映っていたのは、そのときの俺自身である。
……待てよ。
そう考えると、何だか話が変になってきたぞ。
王子は、俺の前世の姿について尋ねている。
つまり。
俺は、自分自身を大切な人だと思っているかどうか、質問されているわけだ。
……何だよ、それ。
「……まあ、大切ですね」
俺は正直に答えた。
すると、王子の表情がわずかに変わった。
『レオンハルトの嫉妬心が上昇しました』
……あっ。
しまった。
「……その男性は、どんな人なんだい?」
王子が尋ねる。
俺は少し考えた。
前世の俺について説明するなら、こうだろう。
「……普通の人です」
「普通?」
「はい。特別に格好いいわけでもないし、すごい能力があるわけでもありません」
レオンハルトは静かに聞いている。
「仕事をして、家に帰って、休日はゲームをしたりして……」
俺は少しだけ笑った。
「……本当に、普通の人なんです」
王子は、しばらく俺を見つめていた。
そして、穏やかに微笑んだ。
「……そうか」
何だか、少し寂しそうだった。
……おい。
待てよ。
そんな顔するな。
俺は、自分の話をしてるだけなんだぞ。
すると、ユリウスが口を開いた。
「……その男、仕事はできるのか?」
……は?
俺は思わずユリウスを見た。
「……仕事?」
「ああ。君がそこまで大切に思う相手なら、どの程度の人間なのか気になる」
……いや。
何で能力査定が始まるんだよ。
俺は少し考えた。
「……それなりには、できると思います」
「それなり?」
「はい。完璧ではありませんけど、仕事には真面目でした」
ユリウスが頷いた。
「……なるほど」
そして、少しだけ口元を緩めた。
「君が評価するなら、悪い人材ではなさそうだな」
……何だよ。
俺の前世の俺、就職面接でも受けてるのか?
俺は頭を抱えた。
そのとき、カイルが静かに口を開いた。
「……リリア様」
「……はい?」
「その男性について、もう一つだけ確認させてください」
……まだあるのか。
「……何でしょう?」
「昨日、その男性に触れられたり、身体を支えられたりすることはありましたか?」
…………。
……え?
俺は固まった。
何だ、その質問。
そんなの、ないぞ。
いや、待て。
男の身体に戻ったあと、自分の顔を触ったり、胸元を確認したりはした。
……つまり、自分で自分に触れた。
それは当然だろ。
俺は少しだけ眉を寄せた。
「……まあ、触れたことはありますけど」
カイルの表情が変わった。
「……そうですか」
『カイルの警戒心が上昇しました』
……おい。
違う。
違うんだよ!
俺は自分の身体を確認しただけなんだよ!
何で、こんなにややこしい話になってるんだ!
すると、目の前に新しい文字が浮かび上がった。
『嫉妬イベントの進行条件を達成しました』
『攻略対象三名が、謎の青年について調査を開始します』
「…………」
……待て。
調査?
何を調査するんだ?
俺の前世か?
俺がどんな会社で働いていたか?
好きな食べ物は何か?
休日は何をしていたか?
……いや。
そんなことを調べられても困るんだけど。
というか。
そもそも。
「……皆さん!」
俺は思わず立ち上がった。
五人が一斉にこちらを見る。
俺は深呼吸した。
……もう、いい。
ここまで来たら、説明するしかない。
余計な誤解を生むくらいなら、正直に話したほうがいい。
ただし、その前に。
「……お願いがあります」
俺は五人を見渡した。
「これから話すことは、私自身の非常に個人的な事情です。許可なく他の人へ話さないと約束していただけますか?」
レオンハルトが、真剣な表情になった。
「もちろんだよ」
カイルも頷いた。
「承知しました」
エリオットとセシルは、すでに事情を知っている。
二人とも、静かに頷いた。
そしてユリウスが口を開いた。
「……必要なら、正式な守秘契約を結ぶか?」
……おお。
さすが公爵令息。
仕事の話が早い。
「……お願いします」
俺は即答した。
ユリウスは、すぐに書類を用意させた。
内容は簡潔だった。
本人の同意なく、個人的な情報を第三者へ開示しないこと。
業務上の必要があっても、事前に本人へ確認すること。
そして、情報を不当に利用しないこと。
……よし。
完璧だ。
五人が署名を終える。
俺は書類を確認し、ゆっくりと口を開いた。
「……では、説明します」
五人の視線が集まった。
俺は、今朝の水晶板を思い出した。
そこに映っていた、男の姿。
二十九歳の俺。
俺は一度だけ深呼吸して、言った。
「……今朝、エリオット様が映した男性ですが」
沈黙。
俺は続けた。
「……あれ、俺です」
…………。
長い沈黙が訪れた。
そして。
「…………え?」
レオンハルトが、ぽかんとした顔をした。
カイルも目を見開いている。
ユリウスは腕を組んだまま固まっていた。
……ああ。
そりゃそうだよな。
普通は理解できないよな。
「……俺、前世では男だったんです」
俺は、ゆっくりと説明を始めた。
別の世界で、二十九年間、男として生きていたこと。
ゲーム会社の広報部で働いていたこと。
仕事帰りに事故で死んだこと。
そして、気がついたらリリアの身体になっていたこと。
もちろん、乙女ゲームの世界だという話は、まだ伏せておいた。
そんなことまで説明したら、さらにややこしくなる。
「……つまり」
レオンハルトが、慎重に口を開いた。
「君は、以前は男性として生きていた?」
「……はい」
「そして、昨日、一時的に元の姿へ戻った?」
「……はい」
「今朝の水晶板に映っていた男性は、そのときの君自身?」
「……その通りです」
レオンハルトは黙った。
そして。
「……なるほど」
小さく頷いた。
……え?
俺は思わず眉を寄せた。
「……なるほど、で終わりですか?」
「いや、正直に言えば、とても驚いているよ」
王子は苦笑した。
「でも、君が嘘をついているとは思わない。それに、エリオットとセシルが同席しているなら、何らかの魔法的な根拠もあるんだろう?」
エリオットが頷いた。
「はい。魂の波長が一致しています」
セシルも静かに続けた。
「リリア様の魂には、別の世界で生きた痕跡があります。ご本人の説明と、診察の結果は一致しています」
……なるほど。
証人が二人いるのは強いな。
俺は少しだけ安心した。
すると、カイルが真剣な表情で尋ねた。
「……リリア様」
「……はい?」
「あなたは、男性の姿へ戻りたいと望んでいるのですか?」
俺は頷いた。
「……はい」
迷う必要はなかった。
「できれば、戻りたいです」
カイルは静かに頷いた。
「……承知しました」
そして、真剣な表情で続けた。
「では、そのために必要な支援があるなら、お申し付けください」
…………。
俺は目を瞬かせた。
……え?
それだけ?
「……あの」
「はい?」
「……驚かないんですか?」
カイルは、少しだけ苦笑した。
「驚いていますよ。ですが、あなたが何を望んでいるかのほうが重要でしょう」
……ああ。
何だよ。
こいつも、いい奴じゃないか。
俺は小さく笑った。
「……ありがとうございます」
すると、ユリウスが口を開いた。
「……一つだけ、確認したい」
……来た。
俺は少し身構えた。
「……何でしょう?」
「男の姿に戻った場合、現在の業務契約はどうする?」
…………。
……は?
俺は固まった。
「……業務契約?」
「ああ。君の契約書には、聖女リリア・ベルフォードという名前が記載されている。身体が変わった場合、契約上の扱いをどうするか確認する必要があるだろう」
……おい。
お前。
今、そこを気にするのか!?
俺が元の世界から転生してきたって話だぞ!?
男だったって話だぞ!?
何で最初に契約書の心配をするんだよ!
「……ユリウス様」
「何だ?」
「……他に聞きたいこと、ないんですか?」
ユリウスは少し考えた。
そして、当然のように答えた。
「君がどんな姿であれ、仕事の能力が変わるわけではないだろう?」
…………。
俺は黙った。
ユリウスは続けた。
「私が評価しているのは、君の判断力と仕事の進め方だ。身体の性別が変わったからといって、それを評価し直す理由はない」
……何だよ。
この男。
めちゃくちゃ合理的じゃないか。
「だから、契約は継続で構わない。ただし、本人確認や書類上の名前については、必要に応じて変更しよう」
……ああ。
もう。
なんか、すごいな。
俺は少しだけ笑った。
「……ありがとうございます」
ユリウスは、満足そうに頷いた。
「当然のことだ」
……本当に。
この五人、仕事に関しては優秀なんだよな。
恋愛イベントさえ発生しなければ、いい関係を築けそうなのに。
俺がそんなことを考えていると、レオンハルトが静かに口を開いた。
「……リリア」
「……はい?」
「もう一つ、聞いてもいいかな?」
「……何でしょう?」
王子は、少しだけ真剣な表情になった。
「君が男性の姿へ戻れたとして、その後はどうしたいんだい?」
……その後。
俺は少し考えた。
男に戻る。
それが今の目標だ。
だが、その先については、まだ具体的に考えていなかった。
元の世界へ帰れるなら帰りたい。
しかし、もう死んでいる以上、それが可能かどうかはわからない。
この世界で暮らしていくことになるのかもしれない。
だったら。
「……普通に暮らしたいですね」
俺は答えた。
「仕事をして、休みの日には好きなことをして。猫でも飼いながら、のんびり暮らしたいです」
レオンハルトは、静かに微笑んだ。
「……そうか」
「はい」
「いい夢だね」
……夢。
俺は少しだけ苦笑した。
「……そんな大げさなものじゃありませんよ」
「いや」
王子は首を横に振った。
「自分が望む人生を生きるというのは、簡単なことではないからね」
……ああ。
そうかもしれない。
王子には王子の立場がある。
俺には俺の事情がある。
誰にだって、自分では選べないものがあるのだろう。
だからこそ。
自分で選べるものは、大事にしたい。
「……ありがとうございます」
俺は小さく頭を下げた。
すると、王子が優しく微笑んだ。
「君が望むなら、僕も力になりたい」
……うん。
ありがたい。
本当にありがたい。
俺は少しだけ胸が温かくなった。
……そして。
ふと、あることに気づいた。
俺は前世では男だった。
それを、今、五人全員へ話した。
しかも、元の男の姿へ戻りたいという希望まで伝えた。
……ということは。
もしかして。
「……あの」
俺は恐る恐る尋ねた。
五人がこちらを見る。
「……皆さん、一つ確認してもいいですか?」
レオンハルトが頷いた。
「もちろん」
俺は深呼吸した。
そして、真剣な表情で尋ねた。
「……俺が男だったって知って、恋愛対象として見られなくなりました?」
…………。
沈黙。
長い沈黙。
五人が、互いの顔を見た。
……よし。
ここだ。
ここが重要なんだ。
俺は、これまで散々恋愛イベントを回避してきた。
好感度が上がるのを防ごうと、仕事をした。
デートを業務に変更した。
共同生活も拒否した。
そして昨日は、休暇を取って物語の外側へ逃げた。
だが、全部駄目だった。
何をしても、好感度が上がってしまう。
しかし。
俺が前世では男だったと知れば、さすがに恋愛感情はなくなるんじゃないだろうか。
……いや。
もちろん、男同士の恋愛だってある。
それはわかっている。
ただ、この五人は乙女ゲームの攻略対象として、女性の主人公を好きになる設定だったはずだ。
だから、俺が男だったと知れば、何か変わるかもしれない。
そう期待していた。
すると、レオンハルトが静かに口を開いた。
「……正直に言えば」
……来た。
俺は息を呑んだ。
「君への気持ちを、すぐに整理できるかはわからない」
……え?
王子は続けた。
「僕が惹かれたのは、君の考え方や行動だったからね。以前の姿を知ったからといって、その気持ちが突然消えるわけではないと思う」
…………。
……あれ?
俺は固まった。
王子は少しだけ苦笑した。
「ただ、君が恋愛を望んでいないことは理解している。だから、その気持ちを尊重したい」
……なるほど。
それなら、まだいい。
俺は頷いた。
カイルも静かに口を開いた。
「私も、あなたの意思を尊重します。護衛や仕事の協力については、これまで通りです」
エリオットが微笑んだ。
「私にとっては、共同研究を続けていただけることが何より重要ですから」
セシルが穏やかに頷く。
「あなたが望む姿で生きられるよう、引き続き協力します」
ユリウスは腕を組んだ。
「私は契約を守る。それだけだ」
…………。
俺は、しばらく黙っていた。
そして、ゆっくりと息を吐いた。
……何だ。
案外、普通に受け入れてもらえるんだな。
俺は少しだけ肩の力を抜いた。
「……ありがとうございます」
心から礼を言った。
すると。
『特殊イベント発生』
「…………」
……ん?
俺は目を瞬かせた。
『主人公の前世情報が、攻略対象五名に開示されました』
『攻略対象たちの認識を更新します』
『主人公の魂:男性としての前世を持つ』
『主人公の希望:本来の男性の姿へ戻ること』
『攻略対象全員が、主人公の意思を尊重することを選択しました』
……おお。
すごい。
ちゃんと反映されてる。
これなら、恋愛イベントの進行も変わるんじゃないか?
俺は期待して画面を見つめた。
『攻略対象の関係情報を更新します』
『レオンハルト:特別な好意を抱く相手』
『カイル:守りたい大切な仲間』
『エリオット:生涯をかけて研究したい共同研究者』
『セシル:魂の自由を願う守護対象』
『ユリウス:手放したくない優秀な協力者』
…………。
俺は、ゆっくりと文字を読み直した。
……なるほど。
かなり変わったな。
少なくとも、全員が恋愛対象として俺を見ているわけではなくなったらしい。
これは大きな進歩だ。
特にカイル、セシル、ユリウスについては、仕事や保護の関係が明確になっている。
……よし。
これなら、ノーマルエンドを目指せるかもしれない。
しかし。
俺は、ある一行に気づいた。
『エリオット:生涯をかけて研究したい共同研究者』
…………。
……生涯?
俺はエリオットを見た。
エリオットは、嬉しそうに微笑んでいる。
……おい。
お前。
研究期間、何年を想定してるんだよ。
俺は、そんなに長期間研究対象になるつもりはないぞ。
すると、エリオットが静かに口を開いた。
「……リリア様」
「……はい?」
「実は、今後の研究計画について、少し考えがありまして」
……やっぱり。
俺は深いため息をついた。
「……それ、勤務時間内にお願いします」
「もちろんです」
……よし。
最低限の防衛には成功した。
◇
午前十一時。
俺たちは、ようやく本来の会議を始めた。
議題は、俺の昨日の外出に関する安全確認と、今後の活動についてだった。
ただし、俺の前世については、個人情報として扱うことが決まった。
五人とも、正式に守秘契約を結んでいる。
だから、外部へ話すことはできない。
……本当に助かった。
しかし、問題はまだ残っていた。
「……リリア様」
カイルが口を開いた。
「昨日お会いになった、ノアという青年についてですが」
……来た。
俺は少しだけ身構えた。
「……はい」
「その人物は、あなたを別の場所へ案内したのですね?」
「はい」
「そして、その場所で男性の姿へ戻ることができた」
「……そうです」
カイルは真剣な表情で頷いた。
「その能力について、もう少し詳しく調べる必要があると思います」
……まあ、そうだよな。
俺も、そう思う。
エリオットが口を開いた。
「昨日の魔力反応から考えると、その場所は通常の空間とは異なる性質を持っているようです」
「……異なる性質?」
「ええ。魔力の流れが、通常の世界とは切り離されているんです」
……なるほど。
名前のない町。
物語の外側。
ノアが言っていた通りなのかもしれない。
セシルが静かに続けた。
「神殿の古い記録にも、似たような場所についての記述があります」
……え?
俺は顔を上げた。
「……本当ですか?」
「はい。神の加護が届かず、通常の運命から切り離された領域についてです」
……なるほど。
やっぱり、昔から存在していた場所なのか。
俺が考え込んでいると、エリオットが興味深そうに口を開いた。
「ぜひ、その場所を調査してみたいですね」
……おい。
待てよ。
それは、ちょっと困る。
ノアの正体も、目的も、まだわかっていない。
そんな場所へ大勢で押しかけるのは危険だ。
「……あの」
俺は手を上げた。
「調査するのは構いませんが、まずは情報を整理してからにしませんか?」
エリオットが頷いた。
「確かに、そのほうがよさそうですね」
「それと、ノアについても、まだ詳しいことはわかっていません。危険な人物だと決めつけるのは早いと思います」
カイルが真剣な表情で頷いた。
「おっしゃる通りです。ただし、警戒は必要でしょう」
「はい。それは理解しています」
俺は小さく息を吐いた。
……よし。
これなら、少なくともノアがいきなり指名手配されるようなことにはならないだろう。
すると、ユリウスが口を開いた。
「……ところで、リリア」
「……はい?」
「一つ、確認したい」
……何だろう。
「昨日、君が一時的に男性の姿へ戻れたということは、その魔法を再現できれば、今後も同じことができるのだな?」
「……たぶん、そうだと思います」
ユリウスは少し考えた。
「……ならば、研究計画を立てるべきだ」
……研究計画?
俺は眉を寄せた。
ユリウスは続けた。
「エリオットが魔法の解析を担当し、セシルが魂の状態を確認する。必要な費用については、こちらで検討しよう」
……おお。
なるほど。
合理的だ。
「カイルには、必要に応じて安全管理を任せる。レオンハルト殿下には、王宮側の協力をお願いできるだろう」
王子が頷いた。
「もちろんだよ」
カイルも静かに同意した。
「安全確保については、私が責任を持ちます」
……すごい。
俺は思わず感心した。
五人が協力して、俺が男に戻るための研究を進めてくれる。
しかも、それぞれの専門分野を活かして。
これなら、かなり心強い。
「……皆さん、ありがとうございます!」
俺は思わず立ち上がった。
そして、深く頭を下げた。
「本当に、助かります!」
すると、レオンハルトが柔らかく微笑んだ。
「気にしなくていいよ。君には、これまでたくさん助けてもらったからね」
カイルも頷いた。
「今度は、私たちが力になる番です」
エリオットは嬉しそうだった。
「研究者としても、非常に興味深い課題です」
セシルが穏やかに告げた。
「あなたの望む未来へ近づけるよう、できる限り協力します」
ユリウスは腕を組み、小さく笑った。
「それに、優秀な人材が安心して働ける環境を整えるのも、管理者の仕事だからな」
…………。
俺は、少しだけ胸が温かくなった。
……ああ。
何だろう。
この五人、思っていた以上にいい人たちなのかもしれない。
乙女ゲームの攻略対象というだけで、ずっと警戒していた。
だが、今は違う。
俺の事情を知ったうえで、協力してくれると言っている。
恋愛を強要するわけでもなく、今の俺が望むことを理解しようとしてくれている。
……ありがたいな。
本当に。
俺は小さく笑った。
「……よろしくお願いします」
五人が頷いた。
そして。
『特殊イベント成立』
『五人の攻略対象との新たな協力関係を確認しました』
『イベント名:聖女の本当の願い』
『攻略対象全員の信頼度が上昇しました』
……おお。
信頼度。
今度は好感度じゃない。
俺は少しだけ驚いた。
そして、続きの文字を見た。
『特殊ルートの進行条件を一部達成しました』
『ルート名:聖女の自由』
…………。
……え?
俺は目を見開いた。
聖女の自由。
そんなルート、あったのか?
俺は広報担当だったが、聞いたことがない。
ゲームの通常ルートは、五人の攻略対象との個別恋愛。
そして、全員との関係を深めるハーレムルート。
ノーマルエンドも存在する。
だが、聖女の自由というルートは知らない。
……もしかして。
俺が恋愛イベントを回避し続けたことで、新しいルートが生まれたのか?
俺は息を呑んだ。
そして、次の文字を見た。
『ルート進行条件』
『主人公が自身の望む生き方を明確にする』
『周囲の人物が主人公の意思を尊重する』
『主人公が神によって与えられた役割から解放される』
…………。
俺は、ゆっくりと文字を読み直した。
……これだ。
これだよ。
俺が探していたものは。
恋愛イベントを全部回避するだけじゃない。
好感度を下げることでもない。
俺自身が、聖女という役割から自由になること。
それが、本当の目的だったんだ。
俺は小さく拳を握った。
……よし。
希望が見えてきた。
今度こそ、本当に。
◇
午後零時。
会議は終了した。
今後、俺が男の姿へ戻る方法について、エリオットとセシルが中心となって調査を進めることになった。
ただし、研究への協力は俺の意思を前提とする。
勝手な検査も、突然の呼び出しも禁止。
そして、前世の情報は厳重に管理する。
……完璧だ。
俺は満足して書類を閉じた。
すると、レオンハルトが口を開いた。
「……ところで、リリア」
「……はい?」
「今日の午後は、何か予定があるのかな?」
……ん?
俺は首を傾げた。
「……午後ですか?」
「うん。もし時間があるなら、一緒に昼食でもどうかと思って」
…………。
……来た。
俺は思わず身構えた。
王子との昼食。
これは、確実に恋愛イベントだ。
しかし。
待てよ。
今の俺は、五人に前世の秘密を話した。
恋愛を望んでいないことも、改めて伝えた。
しかも、彼らはそれを尊重すると言ってくれた。
だったら。
「……すみません。今日は一人で食べたいので」
俺は正直に答えた。
すると、レオンハルトは穏やかに微笑んだ。
「わかった。また機会があれば誘うよ」
……おお。
あっさり引いてくれた。
俺は少しだけ感動した。
……そうだよ。
これでいいんだよ。
普通に誘われて。
普通に断って。
それで終わり。
恋愛って、そういうものだろ。
……いや、恋愛だけじゃないな。
人間関係って、そういうものだ。
俺は小さく笑った。
「……ありがとうございます」
すると。
『レオンハルト好感度+5』
「…………」
……おい。
何でだよ。
断っただろ。
普通に断っただろ!
俺は画面を睨んだ。
すると、追加の文字が浮かび上がった。
『レオンハルトは、主人公が自分の意思を率直に伝えてくれたことを嬉しく感じています』
…………。
……ああ。
なるほど。
そういうことか。
俺は少しだけ考えた。
好感度が上がる。
だからといって、必ずしも恋愛が進行するわけじゃない。
信頼されたり、友人として親しくなったり。
そういう場合にも、数字が上がるのかもしれない。
……いや。
だったら最初から、そう説明してくれよ。
俺はどれだけ好感度に振り回されてきたと思ってるんだ。
ゲームの仕様書、もっと詳しく確認しておけばよかった。
……まあ、今さらだけど。
俺は小さくため息をついた。
そして、ようやく昼休みを取るために会議室を出た。
◇
午後一時。
俺は旧貴賓館の庭園で、一人、昼食を取っていた。
いや。
正確には、一匹いる。
「にゃあ」
白猫が、俺の膝の上で丸くなっている。
ミャルティアである。
……お前。
本当に、どこへでもついてくるな。
「……なあ、ミャルティア」
「なんだ?」
「今日、結構すごいことがあったぞ」
「見ておったから知っておる」
「……そうか」
俺は苦笑した。
そして、昼食のパンをちぎった。
「……五人とも、俺が男だったことを受け入れてくれたんだ」
「うむ」
「しかも、元の姿へ戻る方法を探すのに協力してくれるって」
猫神は静かに頷いた。
「よかったではないか」
「……ああ」
俺は小さく笑った。
正直、少し意外だった。
俺はずっと、男だったことがバレれば大騒ぎになると思っていた。
聖女の正体が男だった。
しかも異世界から転生してきた。
そんな話をしたら、神殿から追放されたり、王国から危険視されたりするんじゃないかと思っていた。
だが、実際には違った。
五人とも、俺の話を聞いてくれた。
そして、俺自身が望むことを尊重してくれた。
……何だ。
案外、世の中って捨てたもんじゃないな。
「……なあ」
俺は猫神を見た。
「もしかして、俺が最初からちゃんと説明してたら、こんなに苦労しなくて済んだのかな」
猫神は、少しだけ考えた。
そして、静かに答えた。
「……それは、わからぬな」
「……そうか?」
「うむ。お前自身も、最初は今の状況を受け入れられなかったのであろう?」
……まあ、そうだな。
俺は頷いた。
「……うん」
「ならば、他人へ説明する余裕など、なかったのではないか?」
……ああ。
確かに。
俺は、異世界に転生したことすら理解できていなかった。
しかも女の身体になって、乙女ゲームの主人公になって。
そんな状況で、初対面の人間へ事情を説明するなんて、無理だったと思う。
「……そうだな」
俺は小さく笑った。
「まあ、今は少し落ち着いたし」
猫神が頷いた。
「うむ。それでよい」
……何だよ。
珍しく、まともなこと言うじゃないか。
俺は少しだけ感心した。
しかし。
そのとき、猫神が急に真剣な表情になった。
「……ただし」
「……ん?」
「まだ、安心するのは早いぞ」
……え?
俺は眉を寄せた。
「……何で?」
猫神は、金色の瞳を細めた。
「お前が男の姿へ戻ったことは、世界そのものにも記録されておる」
……世界?
「それが、どうかしたのか?」
「お前は昨日、物語の外側で一時的に男性の姿となった。そして、再びリリアの姿へ戻った」
「……ああ」
「しかし、その痕跡が通常の世界に残ったことで、物語の仕組みが矛盾を検出しておる」
……矛盾?
俺は眉を寄せた。
猫神は続けた。
「本来、この世界の主人公はリリア・ベルフォードという女性である。ところが、お前は男性の姿で存在した記録まで持ってしまった」
……なるほど。
それって。
「……ゲームのシステムが、処理しきれてないってこと?」
「お前の言葉で言えば、そうなるな」
……おい。
ちょっと待て。
それ、まずくない?
「……どうなるんだよ?」
俺が尋ねると、猫神は少しだけ考えた。
「……わからぬ」
……おい!
またそれかよ!
創造神だろ!?
もう少し頑張ってくれよ!
「……ただ」
猫神は、静かに続けた。
「お前の《ハズレスキル》が関係していることは、間違いないだろうな」
……ハズレスキル。
俺は、自分の手を見下ろした。
運命によって定められた結果を外す能力。
そして、外された運命は別の結果へ変換される。
……待てよ。
もしかして。
俺が男の姿へ戻ったことも、何らかの運命改変として扱われているのか?
だとしたら。
何か別の結果が、発生する可能性がある。
「……嫌な予感しかしないんだけど」
俺が呟くと、猫神は小さく笑った。
「まあ、今は様子を見るしかあるまい」
「……お前、本当に気楽だな」
「神だからな」
「それ、理由になってないから!」
俺は深いため息をついた。
……まったく。
ようやく平穏な生活が見えてきたと思ったのに。
また、新しい問題かよ。
◇
午後四時五十分。
俺は旧貴賓館の執務室で、今日最後の仕事を片づけていた。
猫神祭の運営計画。
騎士団の警備体制。
魔導師団の技術協力。
神殿の保護猫支援。
学院の施設管理。
それぞれの担当者から提出された資料を確認し、進行状況を整理していく。
……うん。
仕事は順調だ。
五人とも、それぞれの役割をきちんと果たしている。
俺が細かく指示しなくても、自分たちで考えて動いてくれる。
こういうチームなら、管理する側としても助かる。
「……よし」
俺は最後の書類を閉じた。
時計を見る。
午後四時五十五分。
あと五分で終業だ。
……素晴らしい。
定時退勤。
何て美しい響きなんだろう。
前世では、定時で帰れる日なんて珍しかった。
仕事が終わらない。
会議が長引く。
突然、新しい依頼が来る。
そんなことが日常茶飯事だった。
しかし、この世界では違う。
少なくとも、契約上は勤務時間が明確だ。
しかも、五人ともその条件を尊重してくれている。
……いい職場じゃないか。
俺は小さく笑った。
そのときだった。
『新着通知があります』
「……ん?」
目の前に青白い画面が浮かび上がった。
……おい。
また仕事か?
俺は少しだけ警戒した。
しかし、表示された文字は、いつもと違っていた。
『シナリオ管理機構からの通知』
「…………」
……ん?
シナリオ管理機構?
何だ、それ。
俺が首を傾げると、文字が続いた。
『主人公の存在情報に不整合が発生しています』
『登録情報:リリア・ベルフォード』
『肉体情報:女性』
『魂の履歴:異世界出身・男性』
『一時的な肉体変化の記録を確認しました』
……おい。
待てよ。
これ、俺のことじゃないか。
『男性の肉体情報が、世界の記録に残されています』
『該当する人物が存在しません』
……ん?
俺は眉を寄せた。
該当する人物が存在しない?
そりゃそうだろ。
昨日、一時的に男の姿へ戻っただけなんだから。
今はリリアの身体に戻ってるんだぞ。
しかし、画面はさらに続いた。
『世界の記録と現実の不一致を確認しました』
『修正処理を開始します』
……修正?
俺は嫌な予感がした。
「……おい、ミャルティア!」
机の下から白猫が顔を出した。
「なんだ?」
「何か、変な通知が来てる!」
猫神が画面を覗き込んだ。
そして、金色の瞳を細めた。
「……これは」
……おい。
その反応。
やっぱり、まずいんじゃないか?
『男性の肉体情報を独立した登場人物として登録します』
「…………」
……は?
俺は固まった。
独立した登場人物?
何だ、それ。
『新規登場人物の登録を開始』
『登録対象:昨日確認された男性』
『肉体情報:男性・二十九歳』
『外見情報:復元済み』
『魂の情報:主人公と同一』
…………。
……おい。
ちょっと待て。
これって。
もしかして。
俺の男の姿が、別のキャラクターとして登録されようとしてるのか?
そんな馬鹿な。
俺は一人しかいないぞ。
男の身体と女の身体を、行き来しただけだぞ。
それを別々のキャラクターとして扱うって、どういうことだよ!
「……ミャルティア!」
俺は叫んだ。
「これ、どういうこと!?」
猫神は、画面を見つめたまま黙っていた。
そして、ゆっくりと口を開いた。
「……世界が、矛盾を補正しようとしておる」
「……補正?」
「うむ。お前が男の姿で存在したという記録を、ひとつの独立した存在として成立させようとしているのだ」
……は?
俺は目を見開いた。
「……つまり?」
猫神は、少しだけ困ったような顔をした。
「……お前の男の姿をした人物が、この世界に現れる可能性がある」
…………。
……え?
俺は言葉を失った。
……待てよ。
それって。
どういうことだ?
俺が二人になるってこと?
いや、魂は同じなんだろ?
じゃあ、どっちが俺なんだ?
俺はリリアなのか?
それとも、男の俺なのか?
……いやいや。
ちょっと待て。
そもそも。
俺が男の姿へ戻りたいって願った結果、男の俺が別人として現れるって。
それ、意味ないじゃん!
「……おい!」
俺は画面を睨んだ。
「勝手に別人にするなよ!」
しかし、通知は止まらなかった。
『新規登場人物の登録が完了しました』
『登録名:未設定』
『性別:男性』
『年齢:二十九歳』
『外見:主人公の前世の姿』
……おい。
ちょっと。
本当に登録しやがった。
俺は頭を抱えた。
すると、さらに新しい文字が浮かび上がった。
『登場人物の役割を判定しています』
『主人公との関係:同一の魂を持つ存在』
『主人公との親密度:測定不能』
『適用可能な役割を検索しています』
……役割?
俺は嫌な予感がした。
この世界は乙女ゲームだ。
主人公は聖女。
そして、主人公の周囲に登場する男性キャラクターには、特別な役割が与えられることがある。
……まさか。
いや。
待てよ。
そんな馬鹿なこと、あるわけないだろ。
俺は必死に祈った。
頼む。
普通の住人にしてくれ。
通行人でもいい。
モブキャラでもいい。
何なら、どこかの村の農夫でも構わない。
だから。
絶対に。
攻略対象にだけは、するな!
『役割判定が完了しました』
『新規男性キャラクターの役割候補』
『攻略対象』
「…………」
……おい。
『攻略対象としての適合率を確認しています』
『主人公との関係性に特殊な条件が存在します』
『隠しルートの生成を開始します』
「…………」
……待て。
待て待て待て待て!
俺は画面を睨みつけた。
何だよ。
何なんだよ、それ!
俺の男の姿をしたキャラクターが、攻略対象になる?
つまり。
俺が。
俺自身を。
攻略するってこと!?
「ふざけんなああああああ!」
俺の絶叫が、旧貴賓館に響き渡った。
猫神が、机の上から飛び降りた。
「にゃあ!? 急に叫ぶでない!」
「叫ぶだろ! こんなの!」
俺は頭を抱えた。
何だよ。
このゲーム!
攻略対象が五人いるだけでも大変なのに。
六人目の隠し攻略対象まで現れて。
さらに、俺の男の姿まで攻略対象にされるって。
どんな仕様だよ!
開発スタッフ、何を考えてるんだ!
……いや。
待て。
開発スタッフって。
俺の前世の同僚じゃねえか!
「お前らああああ! どんなゲーム作ってんだよおおおお!」
俺の叫び声が、再び部屋に響いた。
そのときだった。
扉がノックされた。
「……リリア様?」
聞き慣れた声だった。
エリオットである。
「どうかなさいましたか? 大きな声が聞こえましたが……」
……おい。
待て。
今、こいつが来るのかよ。
俺は慌てて深呼吸した。
「……だ、大丈夫です!」
「本当ですか?」
「はい! ちょっと、仕事のことで!」
……嘘ではない。
広い意味では、仕事の問題だ。
ゲーム会社の広報担当として、商品仕様に文句を言いたいだけなんだから。
俺がそんなことを考えていると、目の前に最後の通知が浮かび上がった。
『新規イベントを解放しました』
『イベント名:聖女と、もう一人の自分』
『イベント発生予定:明日』
『注意:本イベントは通常のゲームシナリオに存在しません』
…………。
俺は、ゆっくりと息を吐いた。
そして、机に突っ伏した。
「……もう嫌だ」
猫神が、楽しそうに尻尾を振った。
「にゃはは。なかなか面白いことになってきたな」
「……お前」
「なんだ?」
「……本当に、神様なんだよな?」
「当然であろう」
「……だったら」
俺は顔を上げた。
そして、心の底から叫んだ。
「せめて、自分自身との恋愛イベントくらい阻止してくれよおおおお!」
俺の叫び声が、王立学院の空へ響き渡った。
ちなみに。
このときの俺は、まだ知らなかった。
翌朝、王立学院の正門に、一人の男性が現れることを。
短い黒髪。
少し疲れた顔。
どこにでもいそうな、普通の二十九歳の男。
その姿は、昨日の俺とまったく同じだった。
そして、その男がこう名乗ることを。
『俺は、リリア・ベルフォードの前世の知り合いです』
……いや。
知り合いどころじゃねえだろ。
本人だよ!
本人!
俺の異世界生活は、ついに自分自身まで攻略対象に加えられるという、意味不明な領域へ突入しようとしていた。
まったく。
もう、乙女ゲームなのか何なのか、わからなくなってきたぞ。
次回・第7話「俺、前世の俺と対面することになったんだが?」
前世の俺とまったく同じ姿をした男が、王立学院に現れた。どうやら世界のシナリオ補正によって、存在しないはずの男性キャラクターが生み出されてしまったらしい。
しかも、そいつは俺の記憶を一部持っているという。
一方、六人目の攻略対象ノアは、男の俺が現れたことを知り、何やら行動を始める。
そして、王子たちは突然現れた俺そっくりの男を、聖女リリアの特別な関係者として迎えようとしていた。
……おい。
待てよ。
それ、俺なんだけど。
俺、今度は自分自身の身元保証人になるの?




