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第4話 俺、イケメン五人の専属マネージャーになったんだが?

 異世界に転生して四日目。


 俺は、人生で最も重要な決断を下そうとしていた。


 結婚ではない。


 就職でもない。


 ましてや、五人のイケメンから誰を恋人に選ぶか、なんて話でもない。


 もっと切実な問題だ。


「……絶対に、同居だけはしない」


 俺は机の上に置かれた書類を睨みつけた。


 そこには、やたらと立派な王家の紋章が押されている。


『聖女リリア・ベルフォード様の活動支援に関する特別計画』


 昨日の夕方、王宮から届いた書類だった。


 内容を簡単に説明すると、俺の活動を支援するために、王立学院の旧貴賓館を専用施設として提供するというものだ。


 建物には執務室だけでなく、居住区画まで用意されている。


 しかも、必要に応じて支援担当者が宿泊することもあるらしい。


 支援担当者というのは、例の攻略対象たちである。


 第一王子レオンハルト。


 騎士団長カイル。


 宮廷魔導師エリオット。


 この三人が、俺と同じ建物で仕事をすることになっている。


 それだけでも十分に危険なのに、昨日は大神官セシルと公爵令息ユリウスにも出会ってしまった。


 つまり、攻略対象五人が全員揃ったのだ。


 俺の現在の状況を、わかりやすく説明しよう。


 男だった俺が、十八禁乙女ゲームのヒロインに転生した。


 男五人に囲まれた。


 恋愛イベントを回避しようとした。


 なぜか仕事が増えた。


 さらに好感度が上がった。


 そして今、男たちとの共同生活を提案されている。


「……誰が許可したんだよ、この企画」


 俺は深いため息をついた。


 前世でゲーム会社の広報部に勤めていた頃、企画書の内容を確認するのも俺の仕事だった。


 だからわかる。


 この計画には、重大な問題がある。


 そもそも、本人の承諾を得ていない。


 それに、業務と私生活の区別が曖昧だ。


 支援担当者が必要に応じて宿泊するなんて、何をもって必要と判断するのか。


 夜中に王子様が訪ねてきて、『君のことが心配で眠れなかった』なんて言い出したらどうするんだ。


 騎士団長が『護衛のためだ』と言って部屋の前に立っていたら?


 魔導師が『夜間の魔力測定が必要です』とか言い始めたら?


 ……駄目だ。


 絶対に駄目だ。


 これでは恋愛イベントが発生し放題じゃないか。


「なあ、ミャルティア」


「なんだ?」


 机の上で丸くなっていた白猫が、面倒くさそうに顔を上げた。


 聖猫神ミャルティア。


 この世界を創造した主神にして、俺を乙女ゲームのヒロインへ転生させた張本人である。


「俺、今日こそはっきり断ろうと思う」


「何をだ?」


「共同生活だよ。男五人と暮らすなんて、絶対に無理だからな」


「三人ではないのか?」


「どうせ残り二人も追加されるんだろ!」


 俺が睨むと、猫神は目を逸らした。


 ……おい。


 本当に追加される予定だったのかよ。


「とにかく、仕事と私生活は分ける。これは絶対条件だ」


「ふむ」


「それから、勝手に俺の予定を決めないこと。勤務時間外に呼び出さないこと。あと、寝室への立ち入り禁止」


「まるで労働契約の交渉だな」


「そうだよ!」


 俺は机を叩いた。


「前世でも労働条件は大事だったんだ。異世界だからって、何でも許されるわけじゃない!」


 猫神はしばらく俺を見つめていたが、やがて楽しそうに尻尾を振った。


「なるほど。では、交渉を頑張るがよい」


「言われなくても頑張るさ」


「ちなみに、今日は五人全員がお前に会いたがっておるぞ」


「…………」


 俺は固まった。


「……五人全員?」


「うむ」


「何で?」


「今後の活動方針について、話し合いたいそうだ」


 ……なるほど。


 会議か。


 会議なら、まだいい。


 少なくとも、二人きりの恋愛イベントにはならない。


 むしろ、全員が揃っているなら好都合だ。


 今後の活動方針も、同居の問題も、まとめて話し合ってしまえばいい。


「よし。だったら、今日の会議で全部決める」


 俺は立ち上がった。


 そして、白紙を一枚取り出した。


 表題には、こう書いた。


『聖女活動支援計画に関する運営条件の確認事項』


 その下に、思いつく限りの条件を書き込んでいく。


 業務範囲の明確化。


 勤務時間の設定。


 居住区画の分離。


 依頼窓口の一本化。


 予算と責任者の確定。


 さらに、最後の一項目。


『恋愛目的での業務利用を禁止する』


 ……よし。


 完璧だ。


 俺は満足して頷いた。


 すると、目の前に青白い文字が浮かび上がった。


『新規イベントを確認しました』


『第五章:五人の騎士と聖女の約束』


『イベント概要:攻略対象五名が一堂に会し、主人公を支援するための誓いを立てる』


『特別演出:五人による忠誠の誓い、主人公を中心とした円卓会議』


「…………」


 ……おい。


 五人による忠誠の誓い?


 なんだ、それ。


 俺は別に国王になるわけじゃないんだぞ。


『イベント終了時、攻略対象全員の好感度が上昇する可能性があります』


「……ふざけんな」


 俺は画面を睨みつけた。


 もう、いい加減にしてくれ。


 会議くらい普通にやらせろよ。


 恋愛イベントじゃなくて、業務連絡なんだよ!


 俺は深呼吸すると、書類を鞄へ入れた。


「……上等だ」


 今日は、絶対に負けない。


 五人まとめて、仕事の話に引きずり込んでやる。


 そう決意して、俺は寮の部屋を出た。


     ◇


 午前九時五十分。


 俺は王立学院の旧貴賓館へ到着した。


 建物は想像以上に大きかった。


 白い石造りの三階建て。


 玄関には大きな柱が並び、広々とした庭園には噴水が設けられている。


 そして、屋根の上には巨大な猫の彫像が鎮座していた。


 ……本当に、どこへ行っても猫だな。


 この国の建築家は、猫の装飾を入れないと怒られる決まりでもあるんだろうか。


 そんなことを考えながら玄関をくぐると、執事らしい男性が出迎えてくれた。


「ようこそ、リリア・ベルフォード様。皆様はすでに会議室でお待ちでございます」


「……皆様?」


「はい。レオンハルト殿下、カイル騎士団長、エリオット宮廷魔導師、セシル大神官、ユリウス公爵令息の五名でございます」


 ……本当に全員いるのか。


 俺は思わず足を止めた。


 攻略対象五人が揃って待っている。


 普通の乙女ゲームなら、主人公にとって夢のような状況なのかもしれない。


 だが、今の俺にとっては、危険人物が五人揃っているのと同じだ。


 ……いや、危険人物は言いすぎか。


 昨日までに話した限り、全員それなりにまともだった。


 ただし、好感度の上がり方だけがおかしい。


 何をやっても、どんどん俺への関心が強くなる。


 それが問題なのだ。


「……よし」


 俺は気合を入れ直した。


 大丈夫。


 今回は会議だ。


 仕事の話をするだけだ。


 そう自分に言い聞かせ、会議室の扉を開けた。


「失礼します」


 部屋の中には、大きな円卓が置かれていた。


 そして、その周囲に五人の男たちが座っていた。


 金髪碧眼の第一王子レオンハルト。


 黒髪で精悍な顔立ちの騎士団長カイル。


 銀髪に片眼鏡をかけた宮廷魔導師エリオット。


 穏やかな緑色の瞳を持つ大神官セシル。


 琥珀色の瞳が印象的な公爵令息ユリウス。


 ……すごいな。


 顔面偏差値が高すぎる。


 前世のゲーム会社で、この五人を並べた宣伝画像を何度も見たが、実物の迫力は段違いだった。


 というか、何だろう。


 妙に空気が重い。


 誰も喋っていないのに、五人の間で何かがぶつかり合っている気がする。


「リリア!」


 最初に立ち上がったのはレオンハルトだった。


「来てくれて嬉しいよ。こちらへおいで」


 王子が隣の椅子を引いた。


 すると、カイルが静かに立ち上がった。


「殿下。リリア様はこちらの席のほうが、出入り口に近く安全です」


 ……ん?


 エリオットも口を開いた。


「いえ、魔力状態を確認する予定がありますので、私の近くに座っていただくほうが効率的でしょう」


 ……おい。


 セシルが穏やかに微笑んだ。


「リリア様は昨日、疲労が蓄積していると診断されています。窓際の明るい席で、落ち着いてお話しいただくのがよいかと思います」


 ……ちょっと待て。


 ユリウスが鼻で笑った。


「くだらんな。会議で重要なのは発言しやすい配置だ。中央の席に座ってもらえばいい」


 ……あのさ。


 俺は五人を見渡した。


 そして、はっきりと言った。


「どこでもいいです」


 沈黙。


 五人が一斉にこちらを見た。


「私、会議ができればどこでもいいので」


 俺は円卓の空いている椅子を適当に引き、腰を下ろした。


 すると。


『特殊イベント発生』


『五人の攻略対象による席の譲り合い』


『主人公の自主的な着席により、イベント演出が変更されました』


『攻略対象全員:好感度+2』


「…………」


 ……座っただけで!?


 俺は思わず天井を仰いだ。


 もう駄目だ。


 このゲーム、絶対に何かおかしい。


 しかし、今はそれどころではない。


 俺は鞄から書類を取り出し、円卓の上へ置いた。


「それでは、会議を始めましょう」


 五人の男たちが、同時に俺を見た。


 俺は構わず続けた。


「まず、本日の議題は三つです。活動拠点の利用条件、支援業務の役割分担、そして今後の予定についてです」


 レオンハルトが、少し驚いた顔をした。


「……リリア。君が進行するのかい?」


「はい」


「僕が会議を進めるつもりだったんだけど……」


「殿下。今回は私自身の生活と業務に関わる話ですので、まずは本人の希望を確認していただけますか?」


 俺がそう言うと、王子は一瞬だけ目を見開いた。


 そして、柔らかく微笑んだ。


「……もちろん。君の言う通りだね」


 よし。


 まずは主導権を確保した。


 俺は書類の一ページ目を開いた。


「それでは最初に、共同生活の件ですが」


 五人の視線が集まる。


 俺はきっぱりと言った。


「お断りします」


 会議室が静まり返った。


 そして。


「……断る?」


 ユリウスが眉を寄せた。


「はい。居住区画を含む共同生活案には同意できません」


 俺は用意してきた書類を差し出した。


「理由は三つあります。第一に、私生活の確保。第二に、業務と生活の区別。第三に、本人の同意なしに居住環境を変更することへの懸念です」


 レオンハルトが書類に目を通した。


 カイルも真剣な表情で読み始める。


 エリオットは興味深そうに片眼鏡を押し上げた。


 セシルは小さく頷き、ユリウスは腕を組んだ。


「……なるほど」


 最初に口を開いたのはユリウスだった。


「確かに、本人の承諾を得ずに居住区画を設定したのは問題だな」


 ……おお。


 話が通じた。


「ですが、リリア様の安全を考えると、ある程度の警護体制は必要です」


 カイルが口を挟んだ。


「聖女様は王国にとって重要な存在です。学院の一般寮では、警備に限界があります」


 ……なるほど。


 確かに、その問題はあるか。


「でしたら、現在の寮の警備体制を見直すことはできませんか?」


「可能ではありますが……」


 カイルは少し考えた。


「常時護衛を配置するとなれば、相応の人員が必要になります」


「それなら、寮全体の安全性を高める方法を検討してください。私一人のために騎士団の人員を大量に使うのは、非効率だと思います」


 カイルは目を見開いた。


「……寮全体の、安全性ですか」


「はい。私だけを特別扱いするより、学院全体の安全対策として整備したほうが合理的ではないでしょうか?」


 沈黙。


 そして、カイルがゆっくりと頷いた。


「……確かに、その通りです」


 よし。


 いいぞ。


 今のところ順調だ。


 エリオットが手を上げた。


「では、魔力研究についてはどうしましょう? 旧貴賓館に研究設備を設置する予定でしたが」


「研究設備を設置するのは構いません。ただし、私の居住区画は作らないでください」


「……なるほど」


「研究に協力する場合も、事前に予定を調整します。突然の呼び出しや、夜間の実験は原則としてお断りします」


 エリオットは少し残念そうな顔をした。


「……夜間の魔力測定もですか?」


「駄目です」


「……緊急の場合は?」


「生命に危険がある場合を除き、翌日にしてください」


 エリオットは考え込んだあと、頷いた。


「わかりました。研究計画を調整しましょう」


 ……よし。


 これで夜中に研究室へ連れ込まれる危険も減った。


 セシルが穏やかに口を開いた。


「私からも、一つ提案があります」


「何でしょう?」


「リリア様の健康管理について、定期的な診察を行いたいと考えています。ただし、毎回神殿へお越しいただくのは負担でしょうから、こちらへ私が伺う形にしてはいかがでしょうか?」


 ……なるほど。


 それは助かる。


 何より、セシルは俺の前世について知っている唯一の人間だ。


 魂と肉体の状態を調べてもらう必要もある。


「ありがとうございます。ただし、診察内容については、引き続き事前に説明してください」


「もちろんです」


 セシルは微笑んだ。


 そして、最後にユリウスが口を開いた。


「では、活動拠点そのものはどうする?」


「業務用として利用するのは構いません。会議室や執務室として使うなら、問題ないと思います」


「居住区画は?」


「不要です」


「宿泊設備は?」


「原則として使いません」


「来客用の寝室は?」


「……何でそんなに寝室を作りたがるんですか?」


 俺は思わず突っ込んだ。


 ユリウスが不思議そうに首を傾げた。


「貴賓館なのだから、客室があるのは当然だろう?」


 ……まあ、そうなんだけどさ。


 俺はため息をついた。


「では、客室はそのままで構いません。ただし、私の居住場所は現在の寮から変更しません」


 ユリウスは書類に目を通し、静かに頷いた。


「わかった。必要な変更を手配しよう」


 ……よし!


 俺は内心でガッツポーズを決めた。


 共同生活、回避成功!


 しかも、五人全員が納得している!


 今回は《ハズレスキル》すら使っていない。


 普通に話し合って、合意を得たのだ。


 これこそが、俺の求めていた解決方法である。


『恋愛イベント:五人の騎士と聖女の約束』


『共同生活条件が不成立となりました』


『イベント変更を確認しました』


『新規イベント:五人の紳士と聖女の仕事場』


『ハーレムルート進行度:38%』


「…………」


 ……増えた。


 何もしてないのに、また増えた。


 いや、仕事の話はしたけど。


 共同生活は回避しただろ。


 それなのに、なんでハーレムルートが進行するんだよ。


 俺は深呼吸した。


 大丈夫。


 まだ大丈夫だ。


 共同生活を回避できただけでも、大きな成果じゃないか。


 あとは、仕事の分担と予定を決めるだけだ。


 俺は書類をめくった。


「では、次の議題に移ります」


 そのときだった。


 五人が、ほとんど同時に書類を取り出した。


「実は、リリアに相談したいことがあってね」


 レオンハルトが微笑んだ。


「私からも、警備体制についてご意見を伺いたいと思っていました」


 カイルが頷く。


「こちらも、共同研究の計画をまとめてきました」


 エリオットが分厚い資料を置いた。


「神殿からも、聖女様にご協力いただきたい活動がございます」


 セシルが穏やかに告げる。


「学院の運営改善についても、話を進めたい」


 ユリウスが書類の束を差し出した。


「…………」


 俺は円卓の上を見つめた。


 五人分の書類が積み上がっている。


 全部、俺宛てだった。


 ……おい。


 何だよ、これ。


 俺は恐る恐る尋ねた。


「……皆さん、これ、全部私への依頼ですか?」


 五人が同時に頷いた。


「もちろんだよ」


「ええ」


「ぜひ、お願いします」


「無理のない範囲で結構ですが」


「君の能力が必要だ」


 俺は天井を仰いだ。


 そして、心の底から思った。


 ……俺、乙女ゲームのヒロインだよな?


 なんで、異世界でも仕事に追われてるんだよ。


     ◇


「……ちょっと、待ってください」


 俺は両手を上げた。


 五人がこちらを見る。


「一つずつ確認させてください。まず、皆さんの依頼は、それぞれ別の案件という認識でよろしいでしょうか?」


「そうだね。僕からは来月の猫神祭について相談したい」


 レオンハルトが答えた。


「騎士団としては、猫神祭の警備計画を検討しています」


 カイルが続ける。


「私は、猫神祭で使用する魔導具の調整についてですね」


 エリオットが頷いた。


「神殿では、猫神祭に合わせて保護猫の健康診断と譲渡希望者への説明会を予定しております」


 セシルが穏やかに告げた。


「私からは、その催しの予算と会場運営についてだ」


 ユリウスが書類を指さした。


「…………」


 俺は五人を見渡した。


 そして、もう一度確認した。


「……皆さん、猫神祭に関係する仕事なんですよね?」


 五人が頷いた。


「はい」


「そうです」


「ええ」


「その通りです」


「当然だろう」


 ……おい。


 だったら最初からそう言えよ!


 俺は思わず机を叩きそうになった。


 五人がそれぞれ別の仕事を持ち込んだように見えたが、実際には一つの催しに関する話だったのだ。


 だったら、話は早い。


「……皆さん、確認しますが」


 俺は五人を見渡した。


「それぞれの計画について、他の方とは相談されていますか?」


 沈黙。


 五人の視線が、ゆっくりと動いた。


 レオンハルトがカイルを見る。


 カイルがエリオットを見る。


 エリオットがセシルを見る。


 セシルがユリウスを見る。


 そしてユリウスが、面倒くさそうにため息をついた。


「……必要な部署には連絡している」


「どの部署ですか?」


「公爵家の財務担当と、学院の施設管理課だ」


「王宮の催事担当とは?」


「まだだ」


「神殿とは?」


「これからだ」


「騎士団とは?」


「……未調整だな」


 俺は他の四人も見た。


 反応は、だいたい同じだった。


 ……なるほど。


 理解した。


 こいつら、全員仕事ができる。


 それぞれの分野では、間違いなく優秀な人間だ。


 しかし、全員が別々に動いている。


 情報共有ができていない。


 進行状況も統一されていない。


 しかも、自分の担当分野以外については、他の誰かが調整していると思っていたらしい。


 ……ああ。


 見たことあるぞ、この状況。


 前世の会社でも何度か経験した。


 開発チームは開発チームで仕事を進める。


 営業部は営業部で販促企画を考える。


 制作部は制作部で素材を用意する。


 それぞれが頑張っている。


 それぞれが有能だ。


 なのに、完成した企画書を持ち寄った瞬間、全員の予定が食い違っていることが判明する。


 そして、最終的に広報部が調整する羽目になる。


 ……あれ?


 これ、前世と同じじゃね?


「……皆さん」


 俺は静かに口を開いた。


「ひとまず、資料を全部見せてください」


 五人が書類を差し出した。


 俺はそれらを受け取り、円卓の上へ並べていった。


 そして、日程、実施場所、担当者、必要経費を確認する。


 ……うん。


 予想通りだ。


「まず、こちらをご覧ください」


 俺は一枚の紙を取り出した。


「レオンハルト殿下は、猫神祭の開会式を中央広場で開催する予定になっていますね?」


「そうだね」


「カイル様は、同じ時間帯に中央広場で騎士団の警備訓練を予定しています」


「……む」


「エリオット様は、その時間帯に中央広場で魔導具の動作試験を行う予定です」


「……ああ」


「セシル様の保護猫健康診断も、中央広場の一角ですね」


「はい」


「そしてユリウス様は、中央広場の一部を改修工事のために使用する計画になっています」


 俺は全員を見渡した。


「……これ、全部同じ時間、同じ場所です」


 沈黙。


 長い沈黙。


 やがて、レオンハルトが口を開いた。


「……なるほど」


 カイルが眉を寄せた。


「……確かに、問題ですね」


 エリオットは片眼鏡を押し上げた。


「魔導具の試験は、別の場所でも可能ですが……」


 セシルが困ったように微笑んだ。


「健康診断の会場も、変更したほうがよさそうですね」


 ユリウスは腕を組み、低い声で呟いた。


「……誰だ、この計画を調整したのは」


 俺は思わず突っ込んだ。


「誰も調整してないから、こうなってるんですよ!」


 五人が一斉にこちらを見た。


 ……しまった。


 ちょっと言い方がきつかったか。


 相手は王子に騎士団長、宮廷魔導師、大神官、公爵令息だ。


 前世なら、取引先の重役が五人並んでいるようなものだろう。


 もう少し丁寧に話したほうがよかったかもしれない。


 俺が反省していると、ユリウスが突然笑い出した。


「ははっ! いや、まったくその通りだ!」


「……え?」


「誰も全体を見ていなかった。実に単純な問題だな」


 ユリウスは楽しそうに笑っている。


 レオンハルトも苦笑した。


「確かに、僕たちの落ち度だね」


「申し訳ありません。警備計画ばかりに気を取られていました」


 カイルが頭を下げる。


「私も、研究設備のことしか考えていませんでした」


 エリオットが頷いた。


「神殿側の計画も、見直す必要がありそうです」


 セシルも素直に認めた。


 ……おお。


 すごい。


 全員、ちゃんと自分の問題を認められるんだな。


 偉い。


 いや、社会人としては当然なんだけど。


 それでも、こうやって話が通じるのはありがたい。


「では、まず全体の計画を整理しましょう」


 俺は立ち上がり、部屋の隅に置かれていた大きな黒板を引き寄せた。


 そして、猫神祭という文字を中央に書き込んだ。


 その下に、五つの項目を並べていく。


 催事運営。


 警備。


 魔導具。


 神殿行事。


 予算・施設管理。


「それぞれの役割を明確にします。殿下には王宮側の調整を、カイル様には安全管理を、エリオット様には技術面を、セシル様には神殿関連を、ユリウス様には予算と施設管理をお願いします」


 五人は真剣な表情で黒板を見ていた。


「そして、それぞれの予定を一か所にまとめて、変更があった場合は必ず共有するようにします」


「なるほど。誰か一人が全体を把握できる仕組みを作るわけだね」


 レオンハルトが頷いた。


「はい。各担当者がそれぞれ優秀でも、全体の進行状況がわからなければ、問題が起きますから」


「では、全体の進行を管理する者が必要だな」


 ユリウスが口を開いた。


「そうですね」


 俺は頷いた。


 そして、言った。


「そのための担当者を、別に決めましょう」


 ……よし。


 完璧だ。


 俺は、ここまでの説明に満足していた。


 何しろ、この仕事は俺が引き受ける必要がない。


 全体の運営管理を専門に担当する人間を一人置けばいいのだ。


 王宮にも学院にも、優秀な事務官は大勢いるだろう。


 その人に任せれば、俺の負担は増えない。


 しかも、五人の仕事も円滑に進む。


 誰も損をしない。


 完璧な解決策である。


 すると、レオンハルトが微笑んだ。


「……そうだね。では、リリアにお願いしようか」


「はい?」


 俺は思わず聞き返した。


 王子は、当然のように続けた。


「君なら、僕たち全員の仕事を把握できるだろう?」


「……え?」


 カイルが頷いた。


「確かに、リリア様なら適任でしょう」


 エリオットも微笑んだ。


「私たちの専門分野について、これほど柔軟に理解できる方は珍しいですからね」


 セシルが穏やかに告げた。


「無理のない範囲であれば、私も賛成です」


 ユリウスは腕を組み、満足そうに笑った。


「当然だ。これほどの人材を遊ばせておく手はない」


「…………」


 俺は五人を見渡した。


 そして、ゆっくりと口を開いた。


「……あの」


「何だい、リリア?」


「……私がやるんですか?」


「もちろんだよ」


 レオンハルトが爽やかに微笑んだ。


 ……いや。


 待て待て待て。


 違うだろ。


 俺は、俺以外の誰かに管理を任せるために説明したんだぞ。


 何で俺が管理することになってるんだよ!


 これじゃ、仕事を減らすどころか、五人分の仕事が集まってくるじゃないか!


「……ちょっと、考えさせてください」


 俺は椅子に座り直した。


 頭が痛い。


 なんだろう。


 前世でも、こんなことがあった気がする。


 業務改善案を提出したら、その改善業務を自分が担当することになった。


 作業手順を見直したら、新しい手順書の作成担当に任命された。


 問題点を指摘したら、改善責任者になっていた。


 ……懐かしいな。


 いや、懐かしんでる場合じゃない。


 俺は頭を抱えた。


 転生前もサラリーマン。


 転生後も管理職候補。


 ……神様。


 俺、何のために異世界へ来たんですか?


     ◇


「……一つ、確認してもいいですか?」


 俺は深呼吸して、五人に尋ねた。


「もし私が全体の進行を管理するなら、具体的にどこまでの権限をいただけるのでしょうか?」


 ユリウスが興味深そうに眉を上げた。


「……権限?」


「はい。仕事を任せていただく以上、必要な判断ができなければ困ります」


 俺は真剣だった。


 責任だけ与えられて、権限がない。


 前世では、そういう状況に何度も悩まされた。


 仕事を任される。


 問題が起きる。


 だが、決定権は上司にある。


 そして、上司の確認を待っている間に時間が過ぎる。


 結果として、現場の負担が増える。


 そんな仕事の進め方は、もう御免だ。


「例えば、各担当者の予定を変更する場合、私の判断で調整できるのでしょうか?」


「当然、可能にするべきだろうな」


 ユリウスが答えた。


「ただし、最終的な決裁が必要な案件については、担当者の承認を得てもらう」


「それなら問題ありません」


 俺は頷いた。


「次に、勤務時間です」


 五人の表情が少し変わった。


「勤務時間?」


 レオンハルトが首を傾げる。


「はい。原則として、午前九時から午後五時まで。それ以外の時間帯に仕事を依頼する場合は、事前に相談してください」


「……なるほど」


「それから、週に二日は休みをいただきます。緊急時を除いて、休日には仕事の連絡をしないでください」


 カイルが真剣な表情で頷いた。


「当然の条件ですね」


 ……おお。


 話が通じる。


「そして、報酬についてですが」


 俺が続けると、ユリウスが口元を緩めた。


「それなら、私に任せろ。相応の報酬を用意しよう」


「ありがとうございます。ただし、業務内容と報酬は書面で確認したいです」


「構わん」


「それから、最も重要なことがあります」


 俺は五人を見渡した。


 ここは、絶対に譲れない。


「仕事上の関係と、個人的な関係は区別してください」


 沈黙。


 五人が、俺の言葉を待っていた。


「私は、皆さんの仕事を支援することはできます。でも、それを理由に、私生活まで制限されたくありません」


 俺は一人ずつ顔を見た。


「業務時間外の食事への誘いや、個人的な付き合いについては、仕事とは別に考えてください」


 レオンハルトが、少しだけ残念そうに微笑んだ。


「……つまり、仕事を理由に君を誘うのは駄目ということだね」


「はい」


「では、個人的な誘いなら?」


「断ることもあります」


「……わかった。君の意思を尊重するよ」


 よし。


 王子、クリア。


 カイルは真剣な表情で頷いた。


「私も異論ありません。護衛についても、必要以上に私生活へ踏み込まないよう配慮します」


 よし。


 騎士団長、クリア。


 エリオットは少し考えたあと、微笑んだ。


「研究への協力も、あくまで双方の合意を前提にするということですね」


「その通りです」


 よし。


 魔導師、クリア。


 セシルは穏やかに頷いた。


「リリア様の意思が最も大切です。私も賛成します」


 よし。


 大神官、クリア。


 そして最後に、ユリウスが腕を組んだ。


「……なるほど。つまり、正式な業務契約を結び、その範囲で仕事をしてもらうということだな」


「はい」


「合理的だ。異論はない」


 ……よし!


 俺は内心で拳を握った。


 全員、納得してくれた!


 これなら、少なくとも仕事を口実に恋愛イベントへ引きずり込まれる危険は減るはずだ。


「では、契約書を作成してから、正式にお引き受けするかどうか判断させてください」


 俺はそう言って、書類を閉じた。


 すると、ユリウスが立ち上がった。


「わかった。早速、契約書の草案を用意させよう」


 彼が執事へ指示を出す。


 レオンハルトも満足そうに頷いた。


「これで、今後の活動が円滑に進みそうだね」


 カイルが微笑んだ。


「リリア様が全体を把握してくださるなら、我々も安心できます」


 エリオットは興味深そうに書類を見つめていた。


「このような管理体制は、魔導師団にも取り入れたいですね」


 セシルが穏やかに告げる。


「どうか、ご無理だけはなさらないでくださいね」


 ……うん。


 まあ、悪くない。


 最初はどうなることかと思ったが、ちゃんと話し合えば何とかなるものだ。


 俺は少しだけ安心していた。


 そのときだった。


『特殊イベント成立』


『五人の攻略対象との正式な協力関係を確認しました』


『新規職業を獲得しました』


 ……ん?


 新規職業?


 俺は目を瞬かせた。


『職業:聖女』


『追加職業:五人の専属マネージャー』


「…………」


 ……は?


 マネージャー?


 俺が?


 五人の?


『管理対象:レオンハルト、カイル、エリオット、セシル、ユリウス』


『管理対象の予定、業務、活動状況を確認できるようになりました』


『特殊能力:《スケジュール管理》を獲得しました』


 ……おい。


 ちょっと待て。


 俺は画面を見つめた。


 そして、震える声で呟いた。


「……何で、五人のマネージャーになってるんだよ」


 猫神が、机の下から顔を出した。


「にゃはは。見事ではないか」


「……お前、いつからいた?」


「最初からだぞ」


「見てたのかよ!」


「もちろんだ。なかなか面白い会議だったな」


 猫神は楽しそうに尻尾を振った。


「お前は、五人を管理する立場になったわけだ」


「違う! 俺は仕事の調整をするだけだ!」


「同じことであろう?」


「全然違う!」


 俺は頭を抱えた。


 なんだよ。


 乙女ゲームの主人公が、攻略対象のマネージャーになるって。


 普通は逆だろ。


 攻略対象が主人公を助けてくれるものじゃないのか。


 俺が五人の仕事を管理するって、どういうゲームだよ。


 そんなことを考えていると、エリオットが不思議そうに声をかけてきた。


「リリア様? どうかなさいましたか?」


「……いえ、何でもありません」


 俺は無理やり微笑んだ。


 そして、心の中で決意した。


 ……まあ、いい。


 マネージャーだろうが何だろうが、仕事は仕事だ。


 きちんと条件を決めて、必要な範囲だけ引き受ければいい。


 それに、新しい能力まで手に入った。


 《スケジュール管理》。


 名前からして、便利そうじゃないか。


 俺は試しに、能力を発動してみた。


「……《スケジュール管理》」


 目の前に、青白い画面が現れた。


『管理対象の予定を表示します』


 そして、五人の名前が並んだ。


 ……おお。


 これは便利だ。


 各自の予定が、一目でわかる。


 仕事の調整に使えそうだな。


 俺は少しだけ感心した。


 しかし。


 画面を詳しく見た瞬間、俺は固まった。


『レオンハルト:本日午後六時、リリアとの夕食を希望』


『カイル:本日午後五時、リリアの護衛を希望』


『エリオット:本日午後四時、リリアとの魔力研究を希望』


『セシル:本日午後三時、リリアの健康状態確認を希望』


『ユリウス:本日午後二時、リリアとの契約内容確認を希望』


「…………」


 俺は画面を見つめた。


 そして、ゆっくりと顔を上げた。


「……皆さん」


 五人がこちらを見る。


「……今日の午後、私に何か予定を入れようとしてません?」


 五人が、一瞬だけ目を見開いた。


 レオンハルトが微笑んだ。


「……実は、夕食に誘おうと思っていたんだ」


 カイルが頷く。


「護衛の件について、少し相談したいと思っていました」


 エリオットが片眼鏡を押し上げる。


「共同研究の続きを、ぜひ」


 セシルが穏やかに告げた。


「健康状態の確認だけでも、と思いまして」


 ユリウスが腕を組んだ。


「契約書の内容について、直接説明したほうが早いだろう?」


「…………」


 俺は深呼吸した。


 そして、きっぱりと言った。


「全部、別の日にしてください」


 五人が黙った。


「今日は、もう仕事の予定を入れません。契約書が完成するまでは、正式な業務も始めません」


 俺は書類を鞄へ戻した。


「それから、今後の予定は私の都合も確認してから決めてください」


 レオンハルトが苦笑した。


「……わかった。少し急ぎすぎたね」


 カイルも頷く。


「申し訳ありません」


 エリオットは残念そうだったが、納得したようだ。


「では、研究はまた後日に」


 セシルは安心したように微笑んだ。


「今日はゆっくりお休みください」


 ユリウスは小さく笑った。


「なかなか手厳しいな。まあ、契約前なら当然か」


 ……よし。


 今度こそ、完璧だ。


 俺は立ち上がった。


「それでは、本日の会議はこれで終了とします」


 その瞬間。


『五人の攻略対象が主人公の意思を尊重しました』


『全員の信頼度が上昇しました』


『ハーレムルート進行度:42%』


「…………」


 ……増えるなよ。


 頼むから。


 仕事の話をしただけだろ。


 なんでハーレムルートが進むんだよ!


     ◇


 午後零時三十分。


 俺は旧貴賓館の玄関で、ようやく解放された気分になっていた。


 長い会議だった。


 本当に長い会議だった。


 だが、成果はあった。


 共同生活は回避した。


 業務条件も整理した。


 勤務時間と休日についても、全員が納得してくれた。


 しかも、今後の依頼は事前に調整してもらえることになった。


 ……悪くない。


 むしろ、かなりいい結果じゃないか。


「……よし」


 俺は小さく拳を握った。


 これなら、異世界でも普通に働けるかもしれない。


 しかも、前世よりも労働条件がいい。


 週休二日。


 勤務時間は原則として午前九時から午後五時まで。


 業務範囲は明確。


 報酬も書面で確認する。


 ……あれ?


 俺、転生前よりもホワイトな職場を手に入れたんじゃね?


 そう思った瞬間、少しだけ嬉しくなった。


 ところが。


「リリア様!」


 背後から声がした。


 振り返ると、若い騎士が走ってくるところだった。


「カイル団長より、至急のご連絡です!」


「……え?」


 俺は眉を寄せた。


 ……おい。


 会議、終わったばかりだぞ?


 何だよ、至急って。


 騎士は息を整えると、真剣な表情で告げた。


「旧貴賓館の庭園に、大量の猫が集まっております!」


「…………」


 ……は?


 猫?


「……何匹くらいですか?」


「正確な数は不明ですが、すでに五十匹以上が確認されています!」


 ……五十匹?


 俺は思わず庭園のほうを見た。


 すると。


「にゃあ」


「にゃー」


「みゃあ」


「にゃあああ!」


 聞こえる。


 大量の猫の鳴き声が。


 ……おい。


 ちょっと待て。


 嫌な予感しかしない。


 俺は騎士と一緒に庭園へ向かった。


 そして、その光景を見た瞬間、言葉を失った。


 猫。


 猫。


 猫。


 猫だらけだった。


 噴水の周囲に猫。


 花壇の中に猫。


 石畳の上に猫。


 木の枝にも猫。


 庭園の中央には、白猫が一匹、堂々と座っていた。


 ……ミャルティア。


 お前か。


 俺は無言で猫神を睨んだ。


 すると、猫神は得意げに尻尾を立てた。


「にゃあ」


 ……にゃあ、じゃねえよ。


 俺は猫神へ近づいた。


「……おい」


『なんだ?』


 頭の中に声が響く。


「これ、お前がやったの?」


『うむ』


「……何で?」


『新しい活動拠点ができたのであろう? ならば、猫たちにも見せてやろうと思ってな』


「……見せてやろう?」


『うむ。聖女の仕事場なのだから、猫たちにも親しんでもらうべきであろう?』


 ……いや。


 ちょっと待て。


 それで五十匹以上も集めたのかよ!


「……帰して」


『む?』


「猫たちを、元の場所へ帰して」


『嫌だ』


「何で!?」


『まだ遊び足りぬ』


 ……この神様!


 俺は頭を抱えた。


 そのとき、背後からカイルの声がした。


「リリア様!」


 振り返ると、カイルが数人の騎士を連れて駆けつけていた。


「こちらは危険です。猫たちが興奮している可能性がありますので、少し離れてください」


「……わかりました」


 俺は素直に後ろへ下がった。


 猫は可愛い。


 だが、大勢が一か所に集まれば、怪我や事故の危険もある。


 無理に追い払って、猫たちを驚かせるのもよくない。


「……困りましたね」


 カイルが庭園を見渡した。


「このままでは、貴賓館の利用にも支障が出ます」


 すると、エリオットが研究用の鞄を抱えて現れた。


「……なるほど。魔力反応がありますね」


「……魔力?」


 俺が尋ねると、エリオットは頷いた。


「庭園の中央に、非常に強い神聖魔力が集まっています。猫たちは、それに引き寄せられているようです」


 ……まあ、そうだろうな。


 原因が神様本人なんだから。


 しかし、それを説明するわけにもいかない。


 俺が困っていると、今度はセシルが現れた。


「猫たちの様子を確認しましょう。体調を崩している子がいるかもしれません」


 そして、ユリウスまでやってきた。


「……何だ、この騒ぎは」


 さらに、レオンハルトも庭園へ姿を見せた。


「ずいぶん賑やかだね。……これは、すごい数の猫だ」


 ……おい。


 また全員揃ったぞ。


 俺は五人を見渡した。


 そして、ふと思った。


 ……待てよ。


 これ、全員の仕事じゃないか?


 騎士団長は安全管理。


 魔導師は魔力の調査。


 大神官は猫の健康管理。


 公爵令息は施設管理。


 王子は王宮との調整。


 ……完璧だ。


 各担当者が、ちょうど揃っている。


「……皆さん」


 俺は静かに口を開いた。


 五人がこちらを見る。


「少し、お願いしてもいいですか?」


 レオンハルトが微笑んだ。


「もちろんだよ」


 俺は頷いた。


「では、まずカイル様。猫たちが道路へ飛び出さないよう、庭園の出入り口を確認していただけますか? ただし、無理に追い払わないようお願いします」


「承知しました」


「エリオット様は、魔力反応の原因を調べてください。もし危険な魔法が発動しているなら、解除できるか確認をお願いします」


「わかりました」


「セシル様は、猫たちの健康状態を確認してください。弱っている子がいたら、静かな場所へ移してあげたいです」


「はい。神殿の職員にも協力を求めましょう」


「ユリウス様は、必要な備品の手配をお願いします。水や猫用の食事、それから一時的に猫を保護できる場所があると助かります」


「任せろ。施設管理の担当者を呼ぼう」


「レオンハルト殿下は、王宮側へ状況を共有してください。必要なら、神殿とも連携していただけると助かります」


「わかった。僕からも指示を出そう」


 ……よし。


 全員、動いた。


 俺は小さく息を吐いた。


 こういうときは、役割分担が大事だ。


 全員が同じことをしても意味がない。


 それぞれの専門分野を活かして、協力してもらえばいい。


 俺は猫たちの様子を確認しながら、騎士や神殿職員たちへ必要な連絡を取っていった。


 やがて、庭園には水飲み場が設けられ、日陰には猫が休める場所も用意された。


 セシルと神殿職員たちは、猫たちの健康状態を確認している。


 カイルは騎士たちを指揮し、庭園の安全を確保していた。


 エリオットは魔力の流れを調査し、猫たちが集まった原因を探っている。


 ユリウスは使用する備品や費用を整理し、必要な人員を手配していた。


 レオンハルトは王宮と神殿の担当者へ状況を伝え、今後の保護活動について相談していた。


 ……おお。


 すごい。


 みんな、めちゃくちゃ仕事ができる。


 俺が細かく指示しなくても、それぞれが必要なことを考えて動いている。


 これなら、何とかなるかもしれない。


 そう思った、そのときだった。


『特殊イベント発生』


『五人の攻略対象が共同で主人公を支援しています』


『イベント名:五人の誓い』


 ……ん?


 俺は目を瞬かせた。


 すると、庭園の中央にいた猫神が、突然大きく鳴いた。


「にゃああああ!」


 その瞬間、猫たちが一斉にこちらを向いた。


 五十匹以上の猫が、俺を見つめている。


 ……何だ?


 何が起きる?


 俺が警戒していると、目の前に新しい文字が表示された。


『聖猫神の加護が発動しました』


『攻略対象五名が、主人公への忠誠を誓うイベントへ移行します』


「…………」


 ……は?


 忠誠?


 俺、別に王様じゃないぞ?


 その瞬間、五人が同時に俺のほうへ歩いてきた。


 レオンハルトが微笑んだ。


「リリア。君のおかげで、混乱を収められそうだ」


 カイルが頷く。


「素晴らしい判断でした」


 エリオットが楽しそうに笑った。


「あなたと仕事をするのは、実に刺激的ですね」


 セシルが穏やかに告げた。


「皆が安心して働けるのも、あなたのおかげです」


 ユリウスは腕を組み、小さく笑った。


「やはり、君に全体の管理を任せたのは正解だったな」


 ……おい。


 ちょっと待て。


 この流れ。


 嫌な予感がする。


 目の前に、新しい文字が浮かび上がった。


『五人の攻略対象が、主人公の前で誓いを立てます』


『イベント演出:五人が片膝をつき、主人公へ忠誠を誓う』


『イベント成立時、ハーレムルート進行度が大幅に上昇します』


「…………」


 ……馬鹿野郎!


 そんなイベント、発生させるか!


 俺は焦った。


 五人が俺の前に並んでいる。


 このままでは、全員が片膝をついて誓いを立てることになる。


 しかも、その誓いは恋愛的な意味を持つらしい。


 ……冗談じゃない。


 俺は、ただ仕事をしただけだぞ。


 猫たちの安全を守るために、役割分担をしただけだ。


 何で、それが恋愛イベントに変わるんだよ!


 俺は必死に考えた。


 そして、あることに気づいた。


 ……待てよ。


 五人の誓い。


 忠誠の誓い。


 つまり、何かを約束するイベントなんだよな?


 だったら。


 その約束の内容を変えればいい。


「《ハズレスキル》!」


 俺は心の中で叫んだ。


 恋愛的な忠誠の誓いを外せ!


『《ハズレスキル》発動』


『対象:五人の攻略対象による恋愛的な忠誠の誓い』


『確定結果を変更します』


 青白い文字が弾けた。


 その瞬間、俺は五人へ向かって口を開いた。


「……皆さん!」


 五人がこちらを見る。


「今回の対応、とても助かりました。皆さんが協力してくださったおかげで、大きな混乱を防げたと思います」


 レオンハルトが微笑んだ。


「それは、君が適切に役割を分担してくれたからだよ」


「ありがとうございます。でも、まだ仕事は終わっていません」


 俺は真剣な表情で続けた。


「今後も、このような事態が起こる可能性があります。そのため、各担当者の役割を明確にしたうえで、継続的に協力できる体制を整えたいと思います」


 五人が頷いた。


「そこで、一つお願いがあります」


 俺は鞄から紙を取り出した。


 会議で使った、役割分担表だ。


「皆さん、それぞれの担当業務について、正式に責任を持っていただけますか?」


 レオンハルトが、少し驚いた顔をした。


「……担当業務?」


「はい。私一人では、すべてを管理できません。皆さんそれぞれの専門分野について、責任を持って対応していただきたいんです」


 俺は一人ずつ顔を見た。


「私は全体の進行を調整します。でも、実際の仕事は皆さんにお願いします。それでよろしいでしょうか?」


 沈黙。


 そして、レオンハルトが微笑んだ。


「もちろんだよ」


 カイルが頷いた。


「騎士団の責任者として、お約束します」


 エリオットも同意した。


「技術面については、私が責任を持ちましょう」


 セシルが穏やかに告げた。


「神殿側の対応は、私にお任せください」


 ユリウスが腕を組み、満足そうに笑った。


「予算と施設管理は、私が引き受けよう」


 ……よし!


 その瞬間。


『イベント変換成功』


『五人の誓い』


『変更後:五部門責任者による業務分担の正式合意』


『恋愛的な忠誠の誓い:回避成功』


「……やった!」


 俺は小さく拳を握った。


 今度こそ、完璧だ。


 恋愛イベントを、正式な業務契約に変更できた。


 しかも、五人がそれぞれの責任を引き受けてくれた。


 これなら、俺一人に仕事が集中することもない。


 まさに理想的な結果だ。


 ……そう思った、その直後だった。


『代替イベントの追加効果を確認しました』


『五人の攻略対象が、主人公を正式な統括責任者として認識しました』


『主人公の職業が更新されます』


 ……ん?


『追加職業:五人の専属マネージャー』


『変更後:五部門統括マネージャー』


「…………」


 ……おい。


 ちょっと待て。


 統括?


 統括って何だよ。


『各担当者からの業務報告が、主人公へ集約されるようになりました』


『報告頻度:随時』


「…………」


 俺は画面を見つめた。


 そして、静かに呟いた。


「……仕事、増えてない?」


 猫神が、足元で楽しそうに笑った。


『にゃはは。出世したではないか』


「……出世?」


『うむ。五人の仕事を管理する立場になったのだ』


「…………」


 俺はゆっくりと深呼吸した。


 そして、心の底から叫んだ。


「俺は管理職になりたいわけじゃねえんだよおおおお!」


 庭園に、俺の絶叫が響き渡った。


 猫たちが一斉に振り返る。


 そして。


「にゃあ」


「にゃー」


「みゃあ」


 五十匹以上の猫が、同時に鳴いた。


 ……やめろ。


 慰めてくれるのは嬉しいけど。


 今は、そっとしておいてくれ。


     ◇


 午後四時。


 ようやく、庭園の騒ぎは落ち着いた。


 猫神が集めた猫たちは、神殿職員の協力によって順次保護され、元の飼い主がいる猫については帰宅できるよう手配された。


 飼い主のいない猫たちは、神殿の保護施設で一時的に預かってもらうことになった。


 俺は庭園のベンチに座り、深いため息をついた。


「……疲れた」


 朝から会議。


 昼から猫の大騒動。


 そして、気がつけば五部門統括マネージャー。


 ……何だよ、この展開。


 乙女ゲームの主人公が、王宮と学院と騎士団と魔導師団と神殿の調整をするって。


 どんなゲームだよ。


 俺がいた会社なら、普通に企画運営シミュレーションとして売り出すぞ。


 いや、待てよ。


 案外、面白いかもしれないな。


 五人のイケメンを管理して、イベントを成功させるゲーム。


 各キャラクターの能力を活かしながら、仕事を分担する。


 予算管理。


 スケジュール調整。


 人員配置。


 問題発生時の対応。


 そして、攻略対象との関係も変化していく。


 ……うん。


 普通に売れそうだ。


 女性向けの仕事シミュレーションゲーム。


 タイトルは『イケメン五人の専属マネージャーになりました』。


 ……いや。


 違う違う。


 俺は何を考えてるんだ。


 もうゲーム会社の広報担当じゃないんだぞ。


 この世界では、俺自身がゲームの主人公なんだから。


「……職業病って、怖いな」


 俺は苦笑した。


 そのとき、隣に誰かが腰を下ろした。


「お疲れ様です、リリア様」


 セシルだった。


「……ああ、セシル様」


「少し、お顔が疲れていますね」


「……まあ、今日は色々ありましたから」


 俺は苦笑した。


 セシルは穏やかに微笑んだ。


「本当に、よく頑張られました」


「……ありがとうございます」


 俺は小さく頭を下げた。


 すると、セシルは少しだけ声を落とした。


「……ところで、昨日のお話ですが」


 ……昨日?


 俺は一瞬、何のことかわからなかった。


 しかし、すぐに思い出した。


 魂の検査。


 そして、俺が前世では男だったという秘密。


「……ああ」


 俺は周囲を見渡した。


 近くには誰もいない。


 セシルは静かに続けた。


「魂と肉体の不一致について、少し調べてみました」


「……本当ですか?」


「ええ。ただ、すぐに解決できる方法は見つかりませんでした」


 ……そうか。


 まあ、そう簡単にはいかないよな。


 俺は少しだけ肩を落とした。


 すると、セシルが優しく微笑んだ。


「ですが、希望はあります」


「……え?」


「古い神殿の記録に、魂の本来の姿を取り戻したという伝承が残されているのです」


 ……マジか。


 俺は思わず身を乗り出した。


「それ、詳しく教えてください!」


 セシルは頷いた。


「記録によれば、聖猫神ミャルティア様の加護によって、魂と肉体の姿を変えた者がいたそうです」


 ……おい。


 また猫神かよ。


 俺は思わず足元を見た。


 白猫は、ベンチの下で丸くなって寝ていた。


 ……お前、知らないふりしてるだろ。


 絶対に知ってるだろ。


 セシルは続けた。


「ただし、その記録には、重要な条件が書かれていました」


「……条件?」


「ええ。魂の本来の姿を取り戻すには、神によって与えられた役割から解放される必要がある、と」


 ……役割。


 俺は、昨夜の猫神の言葉を思い出した。


 運命から自由になること。


 《ハズレスキル》の本質。


 そして、謎の六人目の攻略対象。


 ……やっぱり。


 何か繋がっている。


「……ありがとうございます、セシル様」


 俺は真剣な表情で頭を下げた。


「少し、希望が見えてきました」


 セシルは穏やかに微笑んだ。


「それなら、よかったです」


 そして、静かに続けた。


「あなたがどのような姿を望まれても、私はその意思を尊重します」


 ……ああ。


 本当に、いい人だな。


 俺は少しだけ胸が温かくなった。


 すると。


『セシル好感度+10』


「…………」


 ……おい。


 またか。


 俺は画面を見つめた。


 そして、静かにため息をついた。


 ……もう、いいや。


 好感度のことは、いちいち気にしていたら身が持たない。


 恋愛関係にならなければ、それでいい。


 そう考えることにしよう。


     ◇


 午後五時。


 俺は旧貴賓館の会議室へ戻っていた。


 理由は簡単だ。


 ユリウスが、契約書の草案を完成させたからである。


「……早いですね」


 俺が驚くと、ユリウスは当然のように答えた。


「必要なことは、すぐに処理する主義だからな」


 ……すごいな。


 仕事が早い。


 こういう上司なら、案外働きやすいかもしれない。


 俺は書類を受け取り、内容を確認した。


 業務範囲。


 勤務時間。


 報酬。


 休日。


 責任と権限。


 どれも、俺が午前中に提示した条件が反映されていた。


 しかも、かなり丁寧にまとめられている。


「……これなら、問題なさそうですね」


 俺が頷くと、ユリウスは満足そうに笑った。


「当然だ。君の条件を尊重すると約束したからな」


「ありがとうございます」


 俺は素直に頭を下げた。


 そして、ふと気づいた。


「……あの」


「何だ?」


「これ、正式な契約を結ぶなら、私も何か準備したほうがいいんでしょうか?」


「いや。必要な手続きはこちらで行う」


「……そうですか」


「ただし、最後に一つだけ確認したい」


 ユリウスが真剣な表情になった。


「君は、本当にこの仕事を引き受けるつもりか?」


 ……え?


 俺は少し驚いた。


 ここまで話が進んでから、改めて確認されるとは思わなかった。


 ユリウスは静かに続けた。


「今回の仕事は、王宮、騎士団、魔導師団、神殿、学院という五つの組織に関わる。簡単なものではない」


「……そうですね」


「君には、それぞれの組織の間に立って調整してもらうことになる。場合によっては、意見が対立することもあるだろう」


 俺は頷いた。


 それは、よくわかる。


 前世でも、部署間の調整は簡単ではなかった。


 それぞれの事情があり、優先順位があり、考え方も違う。


 全員が納得する答えを見つけるのは、決して楽な仕事ではない。


「……だからこそ、無理に引き受ける必要はない」


 ユリウスは静かに言った。


「君が望まないなら、別の人材を探そう」


 ……あれ?


 俺は思わず顔を上げた。


 意外だった。


 てっきり、俺様系らしく強引に契約を迫ってくると思っていたのに。


 ……いや。


 そうか。


 こいつは、仕事に関しては真面目なんだ。


 だからこそ、俺の意思を確認している。


 俺は少し考えた。


 正直に言えば、面倒な仕事だと思う。


 できれば、もっと気楽に暮らしたい。


 猫を飼って、昼寝して、好きな本を読んで。


 そんな生活が理想だ。


 しかし。


 今日、庭園で五人が協力して働いている姿を見た。


 全員、優秀だった。


 それぞれが自分の仕事に責任を持っていた。


 そして、俺が全体を調整することで、仕事が円滑に進んだ。


 ……悪くなかった。


 むしろ、少し楽しかった。


「……条件を守っていただけるなら、引き受けてもいいと思っています」


 俺は答えた。


 ユリウスが頷いた。


「そうか」


「ただし、無理な仕事は断ります。それから、業務範囲を超える依頼については、改めて相談してください」


「当然だ」


「それと、仕事と恋愛は別ですからね」


 俺は念を押した。


 ユリウスは一瞬だけ目を見開いた。


 そして、楽しそうに笑った。


「ははっ! わかっているさ」


 ……本当だろうな。


 俺は少しだけ疑いながらも、契約書に署名した。


 リリア・ベルフォード。


 今の俺の名前。


 書き慣れない文字だったが、不思議と自然に手が動いた。


 転生した身体が覚えているのだろうか。


 最後に署名を終えると、ユリウスが書類を受け取った。


「これで、正式な契約が成立した」


「……はい」


「今後とも、よろしく頼む」


 ユリウスが右手を差し出した。


 俺は、その手を握った。


「こちらこそ、よろしくお願いします」


 ……よし。


 仕事の契約、成立。


 これで、少なくとも労働条件については安心できる。


 そう思った瞬間。


『正式契約を確認しました』


『五部門統括マネージャーとして登録されました』


『新たなスキルを獲得しました』


 ……ん?


 またスキル?


『獲得スキル:《業務効率化》』


『効果:管理対象の作業効率を向上させる』


『追加効果:管理対象からの信頼度が上昇しやすくなる』


「…………」


 ……待て。


 最後。


 最後の追加効果は何だ。


 信頼度が上がりやすくなる?


 ……それって。


 俺は嫌な予感がした。


『信頼度の上昇は、好感度の上昇に影響する場合があります』


「…………」


 ……やっぱり!


 俺は頭を抱えた。


 何だよ。


 仕事を効率化したら、男たちから好かれるって。


 普通、仕事ができる人間として評価されるだけだろ!


 なんで恋愛に繋がるんだよ!


 俺は深いため息をついた。


 すると、ユリウスが心配そうに声をかけてきた。


「……どうした?」


「……いえ、何でもありません」


「疲れているのか?」


「……少し」


 ユリウスは時計を見た。


「……もう午後五時か」


 そして、あっさりと言った。


「では、今日はここまでにしよう」


「……え?」


「契約した勤務時間は、午後五時までだろう?」


 ……あ。


 そうだった。


「続きは明日でいい。今日はゆっくり休め」


 ユリウスは書類をまとめ始めた。


 俺は、思わず目を見開いた。


 ……すごい。


 本当に、勤務時間を守ってくれるんだ。


 前世では、定時になっても仕事が終わらないことが多かった。


 むしろ、定時を過ぎてから新しい仕事を頼まれることさえあった。


 なのに、この世界では。


 契約した通りに、仕事を終わらせてくれる。


 ……なんだよ。


 いい職場じゃないか。


「……ありがとうございます」


 俺は心から礼を言った。


 すると、ユリウスが少しだけ笑った。


「礼を言われるようなことではない。契約を守るのは当然だろう?」


 ……ああ。


 そうだよな。


 本来、そうあるべきなんだよな。


 俺は小さく頷いた。


 そして、会議室を出た。


 ……よし。


 帰ろう。


 今日は、もう仕事をしない。


 寮に戻って、夕食を食べて、風呂に入って、ゆっくり寝よう。


 そうだ。


 それがいい。


 異世界に来て四日目。


 ようやく、普通の生活が送れそうな気がしてきた。


     ◇


 午後五時十五分。


 俺は王立学院の寮へ戻っていた。


 部屋に入ると、白猫がベッドの上で丸くなっていた。


「……お前、先に帰ってたのか」


「うむ」


 猫神が顔を上げた。


「今日も、なかなか愉快だったな」


「……お前は楽しかっただろうよ」


 俺は鞄を机に置いた。


 そして、ベッドへ腰を下ろした。


「……疲れた」


「ふむ。だが、成果はあったであろう?」


「……まあな」


 俺は頷いた。


 共同生活は回避できた。


 正式な労働契約も結べた。


 五人の役割分担も決まった。


 そして、猫神祭に向けた活動も、少しずつ形になってきた。


 ……悪くない。


 むしろ、かなりいい結果だったと思う。


「……なあ、ミャルティア」


「なんだ?」


「俺、この世界でも、何とかやっていけるかもしれない」


 猫神は少しだけ目を細めた。


「……そうか」


「ああ。仕事は面倒だけど、ちゃんと条件を決めれば、そこまで悪くない」


 俺は小さく笑った。


「それに、五人とも思ったよりまともだしな」


 猫神は楽しそうに尻尾を振った。


「ふむ。では、恋愛する気になったか?」


「それは別!」


 俺は即答した。


 猫神が声を立てて笑った。


「にゃははは! 相変わらず頑固な人間よ」


「当たり前だろ。俺は男なんだから」


 俺は枕を抱き寄せた。


 ……そうだ。


 今の身体は女だ。


 見た目は美少女。


 しかも、千年に一人の聖女。


 だが、中身は変わらない。


 俺は俺だ。


 男として生きてきた記憶も、考え方も、好きなものも、嫌いなものも、全部そのままだ。


 だからこそ、自分の望む生き方を探したい。


 恋愛を強要されるのは嫌だ。


 仕事に追われるのも嫌だ。


 だけど、誰かの役に立つことまで嫌いなわけじゃない。


 ……難しいな。


 人生って。


 異世界に来ても、結局は同じなのかもしれない。


「……よし」


 俺は立ち上がった。


「今日は、もう寝よう」


「まだ夕方だぞ?」


「いいんだよ。疲れたんだから」


 俺は寝間着に着替え、ベッドへ潜り込んだ。


 猫神も、当然のように布団の上へ乗ってくる。


「……重い」


「神を重いとは何事だ」


「物理的に重いんだよ」


 俺は苦笑した。


 そして、目を閉じた。


 ……ああ。


 ようやく、平和な時間だ。


 誰にも邪魔されない。


 仕事も終わった。


 攻略対象たちとの予定もない。


 今日は、もう何も起きない。


 そう思った、その瞬間だった。


『新着通知があります』


「…………」


 ……おい。


 俺は目を開けた。


 目の前に、青白い画面が浮かんでいた。


『五部門統括マネージャー宛ての業務報告が届いています』


「…………」


 ……は?


『レオンハルトより:猫神祭の開催計画について』


『カイルより:警備体制の見直しについて』


『エリオットより:魔導具の調整について』


『セシルより:保護猫の健康管理について』


『ユリウスより:予算案の確認について』


 ……おいおいおい。


 待て待て待て。


 俺は時計を見た。


 午後五時二十分。


 勤務時間は終わっている。


 契約でも、午後五時までと決めたはずだ。


「……ミャルティア」


「なんだ?」


「これ、仕事の通知だよな?」


「そうだな」


「勤務時間外だよな?」


「うむ」


「……無視していいよな?」


 猫神は、少しだけ考えた。


「まあ、契約上は問題ないであろう」


 ……よし。


 俺は画面を閉じた。


 そして、布団を被った。


「……明日、確認する」


 そうだ。


 仕事は明日だ。


 今は、休む時間だ。


 ようやく、普通の生活を手に入れたんだから。


 俺は満足して目を閉じた。


 すると。


『新着通知があります』


「…………」


 ……またか。


『レオンハルトより:リリア、今日はありがとう。ゆっくり休んでね』


 ……おお。


 王子、優しいじゃないか。


 俺は少しだけ微笑んだ。


 そして、画面を閉じた。


『新着通知があります』


『カイルより:本日はお疲れ様でした。明日もよろしくお願いいたします』


 ……うん。


 騎士団長も、ちゃんとしてるな。


 俺は画面を閉じた。


『新着通知があります』


『エリオットより:本日の魔力反応について、興味深い発見がありました。明日、お話しします』


 ……ああ。


 研究の話か。


 それなら明日でいい。


 俺は画面を閉じた。


『新着通知があります』


『セシルより:無理をなさらず、今夜は十分にお休みください』


 ……ありがたい。


 大神官、本当に優しいな。


 俺は画面を閉じた。


『新着通知があります』


『ユリウスより:契約書の写しを送付した。内容を確認しておけ。なお、返信は明日で構わない』


 ……うん。


 仕事が早い。


 しかも、返信は明日でいいって言ってる。


 素晴らしいな。


 俺は画面を閉じた。


 そして、深く息を吐いた。


「……よし」


 今度こそ、終わりだ。


 五人全員からの連絡を確認した。


 もう通知は来ないだろう。


 俺は目を閉じた。


 すると。


『特殊イベントが発生しました』


「…………」


 ……おい。


 今度は何だ。


『攻略対象五名から、同日に個人的な連絡を受け取りました』


『特殊条件達成』


『イベント名:五人の紳士と夜の語らい』


「…………」


 ……は?


『攻略対象全員が、主人公との親密な関係を望んでいます』


『ハーレムルート進行度:48%』


「…………」


 ……おい。


 ちょっと待て。


 何でだよ。


 何で仕事の連絡を受け取っただけで、ハーレムルートが進むんだよ。


 しかも、みんな普通の内容だっただろ。


 お疲れ様とか。


 ゆっくり休んでとか。


 明日よろしくとか。


 そんなの、普通の業務連絡じゃないか。


 俺は頭を抱えた。


 すると、猫神が楽しそうに笑った。


「にゃははは! なかなか順調ではないか」


「何が順調なんだよ!」


「五人とも、お前との関係を大切にしておるようだぞ」


「仕事仲間としてだろ!」


「……それだけかのう?」


「それだけだよ!」


 俺は枕を抱きしめた。


 もう嫌だ。


 本当に嫌だ。


 俺は恋愛イベントを回避するために、仕事をしているだけなんだぞ。


 それなのに、何で仕事をするほど好感度が上がるんだ。


 しかも、五人の専属マネージャーにまでなってしまった。


 ……まったく。


 異世界転生って、もっと気楽なものだと思ってた。


 勇者になったり。


 魔王を倒したり。


 美少女に囲まれたり。


 のんびりスローライフを楽しんだり。


 そういうものじゃないのか。


 なのに俺は。


 男五人に囲まれながら、仕事の管理をしている。


 ……何なんだよ。


 この人生。


 俺は深いため息をついた。


 そして、静かに呟いた。


「……せめて、休日くらいは欲しい」


 その瞬間だった。


『新規イベント条件を検出しました』


「……ん?」


 俺は目を開けた。


 目の前に、新しい画面が浮かんでいる。


『主人公が休暇を希望しました』


『特殊条件を達成しました』


『未登録シナリオが進行します』


 ……未登録?


 俺は眉を寄せた。


 その言葉には覚えがある。


 昨夜、現れた謎の六人目の攻略対象。


 通常のゲームシナリオには存在しない男。


 ……まさか。


『隠し攻略対象:第六の男』


『イベント名:運命の外側にある休日』


 俺は息を呑んだ。


 そして、次の文字を見た瞬間、固まった。


『メッセージを受信しました』


『差出人:???』


『内容:君に、休暇をあげよう』


「…………」


 ……は?


 俺は画面を見つめた。


 すると、さらに文字が続いた。


『ただし、その休暇には少しだけ条件がある』


『誰にも知られず、誰にも邪魔されず、君自身の望む姿で過ごせる一日』


『そんな休日が欲しくはないか?』


 ……おい。


 ちょっと待て。


 俺自身の望む姿?


 それって。


 まさか。


 男に戻れるってことか?


 俺は思わず身を起こした。


「……ミャルティア!」


 猫神が顔を上げた。


「なんだ?」


「これ、見てくれ!」


 俺は画面を指さした。


 猫神は金色の瞳を細めた。


 そして、表情を変えた。


「……これは」


「何なんだよ、これ!」


 俺は必死に尋ねた。


「こいつ、俺が男だったことを知ってるのか?」


 猫神は黙っていた。


 長い沈黙。


 そして、静かに告げた。


「……お前の運命に干渉している者が、ついに直接動き始めたようだな」


 ……何だよ。


 その言い方。


 また、変なことが起きるのか?


 俺は不安になった。


 しかし。


 次に表示された文字を見て、その不安は少しだけ消えた。


『明日、王立学院の北門へ来てほしい』


『午前十時』


『君に、本当の自由を見せてあげる』


 ……明日?


 午前十時?


 俺は時計を見た。


 午後五時半。


 そして、明日は平日。


 つまり、仕事がある。


「…………」


 俺はしばらく考えた。


 そして、静かに呟いた。


「……いや、無理だろ」


 猫神が首を傾げる。


「……む?」


「明日、仕事なんだよ」


 俺は真剣な表情で続けた。


「しかも、五人の予定を調整しなきゃならないんだぞ。勝手に休めるわけないだろ」


 猫神は、ぽかんとした顔をしていた。


 そして、しばらくしてから声を立てて笑い始めた。


「にゃはははは! お前、本当に面白い人間だな!」


「何がだよ!」


「せっかく運命の外側から誘いが来たというのに、仕事を理由に断るとは!」


「当たり前だろ!」


 俺は言い返した。


「仕事を引き受けた以上、責任があるんだよ!」


 ……いや。


 待てよ。


 俺は、ふと気づいた。


 これ、何かおかしくないか。


 俺は恋愛イベントを回避するために仕事を始めた。


 そして、仕事をするために管理職になった。


 さらに、管理職になったせいで、自由な時間がなくなった。


 ……あれ?


 俺、何のために仕事してるんだ?


「…………」


 俺はゆっくりと天井を仰いだ。


 そして、心の底から叫んだ。


「俺、異世界に転生してまで社畜になってるじゃねえかあああああ!」


 その叫び声が、夜の寮に響き渡った。


 ちなみに。


 このときの俺は、まだ知らなかった。


 翌日、俺が仕事を休むかどうかに関係なく、北門ではすでに一人の男が待ち始めていることを。


 そして、その男が俺に差し出そうとしているものが、単なる休日などではないことを。


 俺の平穏な異世界生活は、またしても遠ざかろうとしていた。


 ……いや。


 そもそも。


 最初から平穏だった日なんて、一日もないんだけどな。

次回・第5話「俺、休日を取ろうとしただけなのに隠し攻略対象に誘拐されそうなんだが?」


仕事と恋愛から逃れるため、ついに休暇を検討し始めた俺。そんなところへ現れた、正体不明の第六攻略対象。そいつは、俺が元の世界から転生してきたことも、前世では男だったことも、そして《ハズレスキル》の秘密まで知っているらしい。


しかも、五人の攻略対象とは違い、俺を恋愛対象として見ていないという。


……やっと普通に話せる男が現れたのか?


 そう思った俺だったが、そいつの目的は想像以上に厄介なものだった。

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