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第2話 俺、三人のイケメンとのデートを、全部業務に変更してやる!

 目が覚めた瞬間、俺は絶望した。


 天蓋付きの豪華なベッド。肌触りのよい絹の寝間着。窓から差し込む爽やかな朝日。そして、胸元で丸くなって眠っている白い猫。


 昨日と何も変わっていない。


 いや、正確には一つだけ変わっていた。


 俺の枕元に、三通の招待状が置かれていたのだ。


「……夢じゃなかったのか」


 思わず呟くと、胸元の猫が面倒くさそうに片目を開けた。


「当然であろう。お前はもう、この世界の住人なのだからな」


「頼むから夢だと言ってくれ」


「夢ではないぞ」


「だったら、せめて男に戻してくれ」


「それも無理だな」


「使えねえ神様だな!」


「にゃあ!? 創造神に向かって何という暴言を!」


 白猫が抗議するように前脚を振り上げた。


 こいつの名前はミャルティア。


 この世界を創造したとされる、猫の姿をした主神である。


 ちなみに俺が元の世界で交通事故を起こした原因も、こいつだ。


 雨の夜、道路へ飛び出してきた白い猫を避けようとして、俺は車のハンドルを切り損ねた。そして死んだ。


 その猫が、実は異世界の創造神だったというわけだ。


 俺を助けた礼に転生させてくれたらしいが、頼んでもいないのに女の身体にされてしまった。


 しかも転生先は、来月発売予定だった十八禁乙女ゲームの世界である。


『聖猫神の花嫁と五つの誓い』


 俺が勤めていたゲーム会社の最新作だ。


 そして俺は今、そのゲームの主人公であるリリア・ベルフォードになっている。


 金髪碧眼の美少女。


 二十二歳。


 千年に一人の聖女。


 なお、中身は二十九歳の元サラリーマンだ。


「……なあ、ミャルティア」


「なんだ?」


「本当に俺の性別、変更できないの?」


「ゲームを終わらせれば、その可能性はあると言ったであろう」


「そのゲームを終わらせるために、男と恋愛しなきゃならないって、おかしくない?」


「誰とも結ばれずに終わる道もあるぞ」


「だったら、そっちを目指すしかないだろ」


 俺はベッドから起き上がり、枕元の招待状を手に取った。


 一通目は、王立騎士団長カイルからの早朝乗馬の誘い。


 二通目は、宮廷魔導師エリオットからの午後のお茶会。


 三通目は、第一王子レオンハルトからの晩餐会への招待状。


 全部、昨日出会ったばかりの男たちから届いたものである。


 しかも俺の知らないところで、すでに承諾したことになっている。


 これが乙女ゲームの恐ろしいところだ。


 通常のゲームなら、プレイヤーが選択肢を選ぶことで物語が進行する。


 ところが、この世界では違う。


 俺が逃げようとすると、世界そのものがシナリオを修正してくるのだ。


 避けても、避けても、なぜか恋愛イベントが発生する。


 そして、その原因の一つが、俺に与えられた転生特典だった。


 《ハズレスキル》。


 名前だけ聞くと役立たずの能力に思えるが、そうではない。


 正式名称が、そのまま《ハズレスキル》なのだ。


 運命によって定められた結果を、一度だけ外すことができる。


 ただし、外された運命は消滅せず、別の結果へと変換される。


 昨日はこの能力を使った結果、王子様との抱擁を回避する代わりに騎士団長に抱き留められ、魔導師の研究室への招待を断った結果、研究室に直接転移させられた。


 役に立つんだか、立たないんだか。


「……待てよ」


 俺は招待状を見下ろした。


 頭の中で、昨日の出来事を整理する。


 王子との抱擁を外した結果、騎士との抱擁が発生した。


 魔導師の招待を外した結果、魔法の暴走で研究室へ転移した。


 つまり、元のイベントは確かに回避できている。


 問題なのは、その代わりに発生するイベントだ。


「もしかして……」


 俺は猫神に視線を向けた。


「このスキル、代わりに起こる結果を指定できないのか?」


「指定はできぬぞ。外れた運命がどこへ流れるかは、そのときの因果によって決まる」


「じゃあ、流れる先を先に用意しておけば?」


「……む?」


 猫神が首を傾げた。


「例えば、王子とのデートを外したら、代わりに別の男とのデートが発生する。でも、そもそも周囲に男がいなければ?」


「ほう」


「恋愛イベント以外の出来事が発生しやすい状況を作っておけば、運命をそっちに誘導できるんじゃないか?」


 猫神はしばらく黙っていた。


 やがて、金色の瞳を細める。


「……なるほど。面白いことを考える」


「いけるのか?」


「理屈としては、あり得るな。ただし、望んだ結果になる保証はないぞ」


「十分だ」


 俺は拳を握った。


 前世の俺は、ゲーム会社の広報部で働いていた。


 新作発表会の段取り。


 イベント会場の運営。


 関係各所とのスケジュール調整。


 問題発生時の対応。


 面倒な仕事も多かったが、七年間の会社員生活で培った経験は伊達じゃない。


 そして、俺はある重要な事実に気づいた。


 デートというのは、要するにイベントなのだ。


 ならば、そのイベントの内容を変更すればいい。


 参加者を増やす。


 開催目的を変更する。


 進行表を作る。


 恋愛要素を徹底的に排除する。


 つまり。


「デートを全部、業務にしてやればいいんだ!」


「……何を言っておるのだ、お前は」


 猫神が呆れた顔をした。


 だが、俺は本気だった。


 こうして、異世界転生二日目。


 俺の貞操を守るための、壮大な業務改善計画が始まったのである。


     ◇


 午前六時四十分。


 俺は学院の厩舎へ向かっていた。


 服装は白いブラウスに紺色の乗馬用ジャケット、そして黒い乗馬ズボンだ。


 ちなみに、この服装を用意してもらうまでが一苦労だった。


 メイドは最初、丈の長い乗馬用ドレスを持ってきたのである。


 そんなものを着て馬に乗れるのかと尋ねたら、横乗り用の鞍があるから大丈夫だと言われた。


 いや、そういう問題じゃない。


 俺は男だった頃からズボン派だし、何より裾の長い服は動きづらい。


 結局、学院の訓練用に用意されていた女性騎士向けの乗馬服を借りることで決着した。


 鏡に映った自分の姿は、相変わらず美少女だった。


 しかし、昨日のドレス姿よりは落ち着く。


 少なくとも、これなら動きやすい。


「リリア様!」


 厩舎の前で、黒髪の青年が俺を待っていた。


 カイル・ヴァン・グレイフォード。


 二十七歳。


 王立騎士団長にして、このゲームの第二攻略対象である。


 鍛え上げられた身体に、精悍な顔立ち。鋭い灰色の瞳は冷たい印象を与えるが、笑うと意外に優しそうな雰囲気になる。


 女性プレイヤーには人気が出そうな男だ。


 実際、発売前の人気投票では二位だった。


「おはようございます。昨夜はよくお休みになれましたか?」


「はい、おかげさまで」


「それは何よりです。乗馬は初めてと伺いましたので、今日は私が直接ご指導いたします」


 カイルが爽やかに微笑んだ。


 その瞬間、目の前に青白い文字が浮かび上がった。


『恋愛イベント:騎士団長の特別指導』


『イベント概要:乗馬に不慣れな主人公へ、カイルが背後から手綱の扱いを教える』


『発生予定演出:密着、耳元での囁き、頬への接触』


 やっぱりな!


 予想通りだ!


 しかも耳元で囁くって何だよ!


 馬の乗り方くらい普通に教えろ!


「……リリア様?」


「あ、すみません。ちょっと考え事を」


「緊張なさっていますか?」


「ええ、まあ……」


 主にお前に対してな。


 俺は咳払いして、持参した紙束を取り出した。


「カイル様。本日の乗馬について、一つご提案があります」


「提案、ですか?」


「はい。せっかく騎士団長様から直々にご指導いただけるのですから、私一人が教わるのはもったいないと思いまして」


 俺は用意してきた書類を差し出した。


 表題には、大きな文字でこう書いてある。


『王立学院新入生向け・乗馬安全講習会開催企画書』


 カイルが目を瞬かせた。


「……講習会?」


「はい。新入生の中には、私のように乗馬の経験がない者もいるはずです。でしたら、騎士団長様から安全な乗馬の基礎を学ぶ機会を設ければ、学院全体にとって有益ではないでしょうか?」


「それは……確かに」


「しかも、王立騎士団の活動を学院生に知ってもらう機会にもなります。将来的な騎士団志望者の増加にもつながると思いますし、王立学院と騎士団の交流事業としても価値があるかと」


 我ながら見事な営業トークだ。


 前世では、新作ゲームの宣伝イベントを開催するために、似たような企画書を何十枚も書いてきた。


 商品はゲームから乗馬講習へ変わったが、やっていることは同じである。


 目的。


 対象者。


 期待される効果。


 実施内容。


 必要人員。


 全部、簡潔にまとめてある。


 カイルは真剣な表情で書類に目を通していた。


「……驚きました」


「何がでしょうか?」


「ここまで具体的な企画を、一晩で考えられたのですか?」


「ええ。まあ、慣れていますので」


「慣れている……?」


 しまった。


 聖女が企画書を作り慣れているというのも、妙な話だったか。


 俺は慌てて微笑んだ。


「神のお導きです」


 便利だな、聖女という肩書き。


 何かあったら神様のせいにできる。


 実際、神様が原因なんだから間違ってはいない。


 カイルは書類を閉じると、穏やかに頷いた。


「わかりました。せっかくのご提案ですし、実施してみましょう」


「本当ですか!」


「ええ。幸い、今日は訓練に参加する騎士たちもおります。学院側の許可が得られるなら、すぐにでも始められますよ」


「ありがとうございます!」


 よし!


 第一段階成功!


 俺は内心でガッツポーズを決めた。


 これで二人きりの乗馬イベントを回避できる。


 他の生徒や騎士たちがいれば、カイルだって背後から密着するような指導はしないだろう。


 完璧だ。


 完璧な作戦だ。


 しかし、そのときだった。


『シナリオ補正を開始します』


 目の前に文字が浮かんだ。


『本来の恋愛イベントから逸脱しました』


『補正対象:騎士団長の特別指導』


『イベントを強制進行します』


「……は?」


 嫌な予感がした。


 次の瞬間、厩舎の奥から馬が一頭、ゆっくりと歩いてきた。


 栗毛の立派な馬だ。


 なぜか手綱が外れている。


 馬は俺の目の前で立ち止まると、鼻を鳴らした。


「ぶるるっ」


「……ん?」


 馬の背中に、白い猫が乗っていた。


 ミャルティアである。


 お前、何やってんの!?


 俺が睨むと、猫神は得意げに尻尾を立てた。


「にゃあ」


 その瞬間、馬が大きく首を振った。


「うわっ!」


 驚いた俺は後ずさった。


 背後には木製の柵がある。


 足元には干し草。


 俺は靴底を滑らせ、身体を傾けた。


「リリア様!」


 カイルが素早く手を伸ばした。


 来た!


 強制イベントだ!


 このままでは、カイルに抱き留められる!


 いや、ただ助けてもらうだけなら別にいいんだけど!


 問題は、その後だ!


 昨日の経験から考えると、抱き留められた瞬間に好感度が上がり、そこから耳元で甘い言葉を囁かれる展開になるに決まっている。


 そんなのは御免だ!


「《ハズレスキル》!」


 俺は心の中で叫んだ。


 狙うのは、抱擁そのものではない。


 その前に発生する、二人きりの特別指導という結果だ。


 今なら周囲には騎士たちがいる。


 講習会の企画書も提出済み。


 そして何より、俺が望む別の結果が用意されている。


 頼む!


 そっちへ流れてくれ!


『《ハズレスキル》発動』


『対象:騎士団長との二人きりの特別指導』


『確定結果を変更します』


 青白い文字が弾けた。


 その直後、厩舎の外から大勢の足音が聞こえてきた。


「団長!」


 若い騎士が駆け込んでくる。


「学院長より連絡です! 安全講習会の開催許可が下りました!」


「おお、もうか」


「それと、参加希望者が予想以上に多く……」


「何人だ?」


「三十二名です!」


「……三十二?」


 俺とカイルは同時に振り返った。


 厩舎の外には、学院の制服を着た生徒たちがずらりと並んでいた。


 男女合わせて三十二名。


 さらに騎士団の補助教官が六人。


 厩舎の職員が四人。


 合計四十二名である。


『イベント変換成功』


『騎士団長の特別指導』


『変更後:王立学院・合同乗馬安全講習会』


『二人きりの密着イベント:回避成功』


「よっしゃああああ!」


 思わず叫んでしまった。


 周囲の騎士たちが驚いてこちらを見る。


 俺は慌てて口元を押さえた。


「……失礼しました。講習会が開催できて、とても嬉しくて」


 カイルは一瞬驚いた顔をしたが、すぐに柔らかく微笑んだ。


「そこまで喜んでいただけるとは、私も嬉しいです」


 そう言って、俺の前に片膝をついた。


「では、リリア様。本日は私が責任を持って、乗馬の楽しさをお伝えしましょう」


 ちょっと待て。


 なんで膝をつくんだ。


 俺の前で。


 しかも周囲に四十二人もいるのに。


『カイル好感度+8』


「……なんで?」


 俺の呟きは、誰にも聞こえなかった。


     ◇


 乗馬講習会は大成功だった。


 俺は乗馬そのものをほとんど経験できなかったが、それでよかった。


 というのも、講習会の運営補助という役割を勝手に引き受けたからだ。


 参加者の受付。


 初心者と経験者の振り分け。


 安全装備の確認。


 講習内容の案内。


 そして最後には、参加者への感想聞き取りまで行った。


 いやあ、仕事って楽しいな。


 前世では残業に追われていたが、こういう企画運営は嫌いじゃなかった。


 特に、参加者が楽しそうにしている様子を見ると、苦労した甲斐がある。


「リリア様」


 講習会が終わったところで、カイルが俺に声をかけてきた。


「本日はありがとうございました。おかげで、非常に有意義な時間になりました」


「いえ、こちらこそ。騎士団の皆さんにもご協力いただき、感謝しております」


「それにしても、あなたは不思議な方ですね」


「……と、言いますと?」


「多くの貴族令嬢は、私との個人的な時間を望まれます。しかし、あなたは自分だけでなく、他の生徒たちにも学ぶ機会を与えようとした」


 カイルは穏やかに笑った。


「そういうところが、あなたの魅力なのでしょうね」


『カイル好感度+10』


 やめて。


 俺の行動を恋愛的に解釈しないで。


「……あの、カイル様」


「はい」


「別に、私はあなたに特別な感情を抱いているわけではありませんからね?」


 言ってやった。


 はっきりと言ってやった。


 これで勘違いも解消されるはずだ。


 ところが、カイルは一瞬だけ目を丸くしたあと、声を立てて笑った。


「ははっ! もちろんです。まだ出会って二日目ですからね」


「……え?」


「ですが、私はあなたのことを、もっと知りたいと思っています」


 その言葉に、俺は固まった。


「今日は本当に楽しかった。また、このような機会を設けましょう」


 カイルはそう言って、礼儀正しく頭を下げた。


 そして、騎士たちのもとへ戻っていった。


『カイル好感度+5』


『カイルとの関係が変化しました』


『関係:興味を持つ相手 → 特別な関心を持つ相手』


「…………」


 俺は空を見上げた。


 晴れていた。


 実にいい天気だった。


 だが、俺の心は曇り空である。


「なんで普通に仕事しただけで、好感度が二十三も上がるんだよ……」


 足元で、白猫が喉を鳴らした。


「にゃはは。お前、なかなかやるではないか」


「お前が余計なことしたんだろ!」


「我は馬に乗っていただけだぞ?」


「それが余計なんだよ!」


 猫神は尻尾を振りながら、得意げに言った。


「ともあれ、恋愛イベントそのものは回避できたであろう?」


「……確かに」


「ならば成功ではないか」


 俺は少し考えた。


 確かに、予定されていた密着指導は発生しなかった。


 代わりに大勢での乗馬講習会が開催され、参加した生徒たちも満足していた。


 これは間違いなく成功だ。


 好感度こそ上がってしまったが、恋愛イベントを直接進行させずに済んだのだから。


「……よし」


 俺は拳を握った。


 希望はある。


 この調子で残りの二件も業務に変更してやる。


 まずは午後二時のお茶会。


 相手は、宮廷魔導師エリオットだ。


 ……あいつの場合、業務に変更するのはむしろ簡単かもしれない。


 研究者だからな。


 仕事の話をすれば、いくらでも乗ってくるだろう。


 問題は、その仕事の内容だが。


     ◇


 午後一時五十分。


 俺は宮廷魔導師団の研究棟へ向かっていた。


 昨日、転移魔法の暴走で連れ込まれた場所である。


 あのときは本当に焦った。


 薄暗い研究室。


 魔法で施錠された扉。


 男と女が二人きり。


 そして、壁際に置かれたベッド。


 どう考えても十八禁乙女ゲームのイベント発生条件を満たしている。


 実際、ゲームの宣伝素材には、研究室でエリオットがヒロインに迫る場面があった。


 しかし、今回は違う。


 俺には秘策がある。


 研究棟の入り口で待っていたのは、銀髪の美青年だった。


「ようこそ、リリア様」


 エリオット・ヴェルナー。


 二十四歳。


 宮廷魔導師団所属の天才魔導師であり、第三攻略対象だ。


 片眼鏡の奥で、知的な青紫色の瞳が細められる。


「昨夜はよく眠れましたか?」


「ええ、おかげさまで」


「それは何よりです。今日はあなたに、ぜひお見せしたい研究成果がありまして」


「その前に、一つお願いがあります」


「お願い?」


 俺は鞄から書類を取り出した。


「本日のお茶会ですが、研究発表会に変更できませんか?」


「……研究発表会?」


「はい」


 俺はにっこり笑った。


「せっかく宮廷魔導師様のお話を伺えるのですから、私一人が独占するのはもったいないと思いまして」


 どこかで聞いたような台詞だな。


 まあ、気にしない。


「学院にも魔法研究を志す生徒が大勢いるでしょうし、エリオット様の研究成果を広く紹介することで、将来的な人材育成にもつながると思うんです」


 カイル相手に使った企画書の応用版である。


 俺は広報担当だった。


 専門家の仕事を一般向けに紹介するのは、得意分野だ。


 研究内容をわかりやすく説明する。


 成果を広報する。


 興味を持った人に参加してもらう。


 そういう活動は、どんな業界でも必要なはずだ。


 ところが、エリオットは困ったように微笑んだ。


「申し訳ありませんが、私の研究には機密事項も多く含まれています。一般公開は難しいですね」


「……そうですか」


 しまった。


 研究者相手の企画書なら、情報公開の範囲を先に確認すべきだった。


 広報担当として初歩的なミスだ。


「ですが、あなたの考え方には興味があります」


「……え?」


「研究成果を広く社会へ還元するという発想は、我々魔導師が忘れがちな視点ですから」


 エリオットは俺の書類を受け取り、真剣な表情で読み始めた。


 しばらくして、彼は小さく頷いた。


「なるほど。公開可能な研究を選べば、実現できそうですね」


「本当ですか?」


「ええ。ただし、それとは別に、今日はあなた個人にお聞きしたいことがあるのです」


 来た。


 本題だ。


 エリオットは俺の前に立ち、片眼鏡を押し上げた。


「あなたの持つ、特殊な魔力についてです」


「…………」


「昨日の転移事故以来、どうしても気になっていまして」


 やっぱりな。


 研究者としての興味と、恋愛感情が混ざっている男。


 厄介極まりない。


 俺は一度深呼吸した。


「……エリオット様。先に、一つ確認してもいいですか?」


「何でしょう?」


「私の身体に触れたり、魔法をかけたりする前には、必ず許可を取ってください。それと、研究への協力を断る場合もあります」


 エリオットは少し驚いた顔をした。


 しかし、すぐに真剣な表情へ戻った。


「もちろんです。あなたの意思を無視するつもりはありません」


「それなら、よかったです」


「昨日の件も、魔法が暴走したとはいえ、ご迷惑をおかけしました。改めてお詫びします」


 そう言って、彼は頭を下げた。


 意外だった。


 もっと強引な男だと思っていたのだ。


 このゲームのエリオットは、主人公の秘密を知りたがるあまり、恋愛面でも積極的な行動を取るキャラクターとして宣伝されていた。


 しかし、目の前の男は、こちらの言い分をきちんと聞いてくれている。


 ……まあ、考えてみれば当然か。


 ゲームの宣伝素材なんて、キャラクターの一部分を切り取ったものにすぎない。


 俺が知っているのは、彼らのすべてではないのだ。


「では、リリア様。場所を変えましょうか」


「……どちらへ?」


「研究棟の談話室です。あちらなら職員も出入りしていますし、落ち着いてお話ができるでしょう」


 よし。


 いいぞ。


 これなら大丈夫そうだ。


 俺は安堵して頷いた。


     ◇


 談話室には、大きな丸テーブルが置かれていた。


 窓からは明るい日差しが入り、数人の魔導師たちが書類を広げて議論している。


 ベッドはない。


 扉も施錠されていない。


 完璧だ。


 俺はようやく安心して椅子に腰を下ろした。


「紅茶はいかがですか?」


「いただきます」


 エリオットは自ら紅茶を注ぎ、俺の前へ差し出した。


 さらに、焼き菓子を盛りつけた皿まで用意してくれる。


 なんだ。


 普通にいい人じゃないか。


 ……まあ、ゲーム的にはここから恋愛イベントが始まるんだろうけど。


「さて、リリア様」


 エリオットが向かい側へ座った。


「あなたの魔力について、いくつか質問してもよろしいでしょうか?」


「答えられる範囲でしたら」


「ありがとうございます。では最初に、あなたは自分のスキルを把握していますか?」


 俺は一瞬、言葉に詰まった。


 スキル。


 《ハズレスキル》。


 こいつのことを説明してもいいのだろうか。


 昨日、猫神は特に秘密にしろとは言っていなかった。


 ならば、研究者に相談するのも悪くないかもしれない。


 うまくいけば、能力の詳細を解明できる。


「……実は、少し変わったスキルを持っているんです」


「ほう」


「《ハズレスキル》という名前なんですが」


 エリオットの表情が変わった。


「……ハズレスキル?」


「はい」


「初めて聞く名称ですね。どのような能力なのでしょう?」


「簡単に言えば、決まっている結果を別の結果へ変更できる能力です」


「……それは」


 エリオットは身を乗り出した。


「非常に興味深い!」


 まずい。


 研究者のスイッチが入った。


「つまり、事象の因果関係へ直接干渉する能力ということですか?」


「たぶん、そんな感じです」


「運命の確定結果を変更する……通常の魔法体系では説明がつきません。神聖魔法に近いのでしょうか?」


「それはわかりません」


「発動条件は? 消費魔力は? 変更可能な事象の範囲は?」


「いや、一度に聞かれても……」


 エリオットは興奮した様子で立ち上がった。


「素晴らしい! 実に素晴らしい能力です!」


「……そうですか?」


「ええ! これほど研究の価値がある能力は、そうありません!」


 そして、彼は満面の笑みを浮かべた。


「リリア様。ぜひ、私と共同研究をしませんか?」


 ……共同研究?


 それは悪くない。


 恋愛より、よほど健全だ。


 いや、そもそも俺の目的は、自分の能力を理解して恋愛イベントを回避することにある。


 研究者の協力が得られるなら、むしろ願ったり叶ったりじゃないか。


「共同研究ですか。具体的には、何をするんでしょう?」


「まずは能力の発動条件と、結果が変更される際の法則を調べたいですね」


「なるほど」


「もちろん、あなたの意思を尊重します。危険な実験は行いません」


「それなら、協力してもいいですよ」


 俺は頷いた。


 すると、エリオットが嬉しそうに笑った。


「ありがとうございます。あなたと一緒に研究できるとは、夢のようです」


『エリオット好感度+10』


 うん。


 まあ、そうなるよね。


 予想はしていた。


 だが、別にいい。


 今回は好感度が上がっても構わない。


 研究者として興味を持たれているだけなら、恋愛関係に発展しなければ問題ないはずだ。


「では、早速ですが……」


 エリオットは机の上へ、小さな銀色の箱を置いた。


「簡単な実験をしてみましょう」


「実験?」


「ええ。これは魔力によって動く、小型の自動人形です」


 箱の蓋が開き、中から小さな人形が出てきた。


 木製の身体に、丸い頭。


 身長は十センチほどだろうか。


 人形は机の上を歩き始めた。


「この人形は、あらかじめ設定された経路を歩くように作られています」


「へえ……」


「例えば、この先に障害物を置いてみましょう」


 エリオットが人形の前に小さな積み木を置いた。


 人形は障害物にぶつかり、転倒した。


「通常なら、この結果は変わりません。ですが、あなたの能力が使えるなら……」


「転ぶという結果を外せる?」


「そうです」


 なるほど。


 これはわかりやすい実験だ。


 しかも対象は人形。


 恋愛イベントとは無関係。


 安心して能力を試せる。


「やってみます」


 俺は人形へ手を向けた。


「《ハズレスキル》!」


『《ハズレスキル》発動』


『対象:自動人形が障害物に衝突して転倒する結果』


『確定結果を変更します』


 人形が歩き始めた。


 積み木へ近づく。


 そして。


 ひょいっ。


 障害物を飛び越えた。


「おおっ!」


 俺は思わず声を上げた。


 成功した!


 今度こそ、きちんと成功した!


 エリオットも驚いた様子で人形を見つめている。


「素晴らしい……!」


 ところが。


 人形は障害物を越えたあと、なぜか方向転換した。


 そして、ものすごい勢いで走り始めた。


「……ん?」


「おや?」


 人形は机の端へ向かって一直線に走った。


 そのまま飛び出す。


 空中で一回転。


 そして。


 ぽちゃん。


 エリオットの紅茶へ飛び込んだ。


「…………」


「…………」


 人形が紅茶の中で小さく手足を動かしている。


『転倒回避成功』


『代替結果:紅茶への落下』


「……あの」


 俺は恐る恐る尋ねた。


「これ、成功なんでしょうか?」


 エリオットは人形を紅茶から引き上げると、真剣な表情で観察した。


「興味深いですね。障害物への衝突という結果は回避できています。しかし、移動の勢いは別の結果に変換されたようです」


「……つまり?」


「あなたの能力は、結果を消滅させるものではないのでしょう。成立可能な別の結果へ、事象の流れを変更しているのだと思われます」


 エリオットは紙を取り出し、図を書き始めた。


「ここで重要なのは、変更後の結果が、発動時点の周辺条件に影響される可能性です」


「周辺条件……」


「ええ。もしも、この机に紅茶がなかったら、人形は別の場所へ落ちていたかもしれません」


 俺は目を見開いた。


 それだ。


 それこそ、俺が知りたかったことだ。


「ということは、あらかじめ別の結果が起こりやすい状況を用意しておけば……」


「望む方向へ誘導できる可能性はあります。ただし、必ず成功するとは限りません」


「なるほど……!」


 すごい。


 エリオット、すごいぞ。


 単なる恋愛要員だと思っていたが、ちゃんと天才魔導師だったんだな。


 俺は思わず身を乗り出した。


「エリオット様! それ、もっと詳しく教えてください!」


「もちろんです!」


 こうして俺たちは、しばらくの間、能力の仕組みについて真剣に議論した。


 途中からは他の魔導師たちも参加し、いつの間にか小規模な研究会になっていた。


 誰かが魔法陣を描き、誰かが仮説を立て、俺が実験の結果を記録する。


 実に有意義な時間だった。


 気がつけば、午後四時を過ぎていた。


「……そろそろ、お時間ですね」


 エリオットが時計を見上げた。


「すみません。長々とお付き合いいただいてしまいました」


「いえ、とても勉強になりました」


 俺は本心から答えた。


 研究者と議論するのは、思っていた以上に楽しかった。


 前世の会社でも、開発チームのスタッフとゲームの仕様について話すことがあった。


 広報担当としては、商品を深く理解する必要がある。


 知らないことを知るというのは、やっぱり面白い。


「また、研究に協力していただけますか?」


「はい。都合が合えば、ぜひ」


 エリオットは満足そうに微笑んだ。


「ありがとうございます。あなたと話していると、研究が本当に楽しい」


「それは何よりです」


「こんな気持ちになったのは、初めてかもしれません」


 ……ん?


 なんか、雲行きが怪しくなってきたぞ。


『エリオット好感度+15』


『エリオットとの関係が変化しました』


『関係:研究対象 → かけがえのない共同研究者』


 おい。


 ちょっと待て。


 共同研究者はいい。


 それはいいんだが。


 かけがえのない、という表現は必要か?


「リリア様」


「は、はい?」


 エリオットは俺の手を取った。


 そして、真剣な表情で告げた。


「私は、あなたと出会えて本当によかった」


 近い。


 顔が近い。


 この男、研究の話をしていたときよりも真剣な目をしている。


「これからも、私のそばにいていただけませんか?」


「……研究者として、ですよね?」


「もちろんです」


 エリオットは微笑んだ。


「今は、ですが」


 今は!?


 今はって何!?


『エリオット好感度+5』


『特別イベント解放条件を達成しました』


『イベント名:二人だけの秘密』


 俺は頭を抱えた。


 どうしてこうなるんだ。


 研究会に変更しただろ。


 他の魔導師もいたじゃないか。


 恋愛イベントを避けるための対策としては、完璧だったはずだ。


 なのに。


「……あの、エリオット様」


「はい?」


「私、恋愛とか、そういうことには興味がありませんので」


 はっきりと言った。


 遠回しにしても伝わらないなら、直接言うしかない。


 エリオットは一瞬だけ目を見開いたが、すぐに穏やかに頷いた。


「わかりました。あなたに無理を強いるつもりはありません」


「……よかった」


「ですが、研究については引き続きお付き合いいただけるのでしょう?」


「それはもちろん」


「では、今はそれで十分です」


 エリオットは、どこか嬉しそうだった。


 いや、待て。


 今はって、また言ったな。


 なんでこいつら、将来に希望を残そうとするんだよ。


 俺は恋愛に興味がないって言ってるだろ!


 そのとき、目の前に新しい画面が現れた。


『恋愛イベント:魔導師の秘密のお茶会』


『回避成功』


『代替イベント:魔導師団との共同研究』


『エリオット好感度合計+30』


『ハーレムルート進行度:18%』


「…………」


 俺は画面を見つめた。


 そして、静かに思った。


 成功って、何だろうな。


     ◇


 午後六時半。


 俺は自室の鏡の前で、絶望していた。


「……なんだよ、これ」


 鏡に映っているのは、薄い水色のドレスを着た美少女だった。


 金色の長い髪は美しく結い上げられ、首元には青い宝石の首飾り。


 耳には小さな真珠の飾り。


 足元には繊細な刺繍の入った靴。


 どう見ても、お姫様である。


 いや、実際には聖女なんだが。


 しかし、問題はそこじゃない。


「……胸、きつくない?」


 俺はドレスの胸元を見下ろした。


 前世の俺は男だった。


 当然ながら、こんな服を着たことはない。


 しかも今の身体は、乙女ゲームの主人公らしく、整った女性らしい体つきをしている。


 腰は細い。


 手足も細い。


 しかし、胸元にはしっかりと存在感がある。


 ドレスを着ると、その違和感が余計に強調される。


「リリア様、とてもお似合いでございます!」


 メイドが嬉しそうに微笑んだ。


「ありがとうございます……」


「レオンハルト殿下も、きっとお喜びになりますわ」


「……そうですか」


 喜ばなくていいんだけどな。


 俺はため息をついた。


 今夜の相手は、第一王子レオンハルト。


 二十五歳。


 金髪碧眼の美男子にして、王位継承順位第一位。


 そしてこのゲームのメイン攻略対象である。


 ちなみに、発売前の人気投票でも堂々の第一位だった。


 俺が広報担当として確認した限りでは、女性プレイヤーからの支持は圧倒的だった。


 優しい。


 紳士的。


 王子様らしい。


 しかも、主人公のためなら王位を捨てるほど一途。


 ……いや、王位は捨てるなよ。


 政治的に大問題だろ。


「リリア様、そろそろお時間でございます」


「……はい」


 俺は覚悟を決めた。


 午前中の乗馬は、合同講習会に変更できた。


 午後のお茶会は、共同研究に変更できた。


 ならば、夜の晩餐会も何とかなるはずだ。


 問題は、何に変更するかである。


 相手は王子様。


 一般の騎士や魔導師と違い、簡単に予定を変更できる人物ではない。


 しかも舞台は王宮。


 俺の判断だけで何かを企画するわけにもいかない。


 ……困ったな。


 どうしたものか。


 そんなことを考えながら王宮へ向かう馬車に乗っていると、窓の外から小さな声が聞こえてきた。


「にゃあ」


 白猫が窓枠へ飛び乗った。


「……お前、またついてきたのか」


「当然であろう。我の選んだ聖女の行く末を見守るのも、神の務めだからな」


「だったら、もう少し助けてくれよ」


「十分助けておるぞ?」


「どこが?」


「お前の人生は、実に面白くなっておるではないか」


「お前が面白がってるだけだろ!」


 猫神は楽しそうに笑った。


「それにしても、お前は妙な人間だな」


「何が?」


「普通、このような美男子たちに求愛されれば、少しは心を動かされるものであろう?」


「俺は男だからな」


「今は女であろう?」


「身体だけだよ」


 俺は窓の外へ目を向けた。


 夜の王都には、魔法の灯りが並んでいた。


 石畳の道。


 立派な建物。


 行き交う馬車。


 どこもかしこも、俺が知っていたゲームの背景そのものだった。


「……別に、男同士の恋愛を否定するつもりはないんだよ」


「ふむ」


「ただ、俺自身はそういう恋愛をしたいと思ってない。それに、昨日まで普通のサラリーマンだったんだぞ? いきなり知らない男たちに囲まれて、好きになれって言われても無理だろ」


「なるほどな」


「それに……」


 俺は少しだけ言葉を選んだ。


「今の身体にも、まだ慣れてないしな」


 猫神は何も言わなかった。


 珍しく、真面目な顔をしている。


「……まあ、よい」


 やがて猫神は、小さく頷いた。


「お前の望む道を探すとよい。我はそれを見届けよう」


「……ああ」


「ただし、面白いことがあれば笑うぞ」


「台無しだよ!」


 まったく。


 どこまでも気まぐれな神様である。


     ◇


 王宮の晩餐会場は、息を呑むほど豪華だった。


 巨大なシャンデリア。


 白い大理石の床。


 金色の装飾が施された柱。


 壁には歴代国王の肖像画が飾られ、中央には大きな猫の彫像が鎮座していた。


 いや、本当に猫が好きだな、この国。


 そんなことを考えていると、会場の奥から一人の青年が歩いてきた。


「リリア」


 レオンハルト王子だった。


 金色の髪を整え、白と青を基調とした礼装を身にまとっている。


 整った顔立ちには優しい微笑みが浮かび、周囲の貴族令嬢たちがうっとりと見つめていた。


 そりゃそうだよな。


 こいつ、本当に顔がいいもん。


「来てくれて嬉しいよ」


 王子は俺の前に立つと、手を差し出した。


「今夜は君と、ゆっくり話がしたかったんだ」


「……ありがとうございます」


 俺は差し出された手を見つめた。


 握るべきか。


 握らないべきか。


 このゲームでは、何気ない接触が恋愛イベントの発生条件になる。


 昨日の抱擁事件が、まさにそうだった。


 俺が迷っていると、王子は小さく笑った。


「無理に手を取らなくても構わないよ」


「……え?」


「昨日の様子を見る限り、君は少し人との距離に慎重なようだからね」


 王子は自然に手を下ろした。


「僕も、あまり急ぎすぎないようにするよ」


 ……なんだ。


 意外とまともな人じゃないか。


「ありがとうございます」


 俺が頭を下げると、王子は穏やかに微笑んだ。


「こちらこそ。では、食事にしようか」


 案内された席には、豪華な料理が並んでいた。


 焼き上げられた肉料理。


 色鮮やかな野菜。


 香草を使ったスープ。


 美しい盛りつけの前菜。


 そして、猫の形をした小さなパン。


 最後のやつだけ妙に可愛いな。


「君は、猫が好きなのかい?」


 王子が尋ねてきた。


「ええ、好きですよ」


「それは嬉しいな。我が国では猫を聖なる存在として大切にしているからね」


「そうですね」


「実は、王都では現在、野良猫の保護について議論が進められているんだ」


「……野良猫の保護?」


 俺は思わず顔を上げた。


「ええ。近年、王都の人口増加に伴って、捨て猫や飼い主のいない猫が増えている。神殿では保護活動を行っているんだけど、施設や人手が不足していてね」


 へえ。


 意外だ。


 こんな世界にも、そういう問題があるのか。


「猫を神聖視している国でも、飼育放棄は起きるんですね」


「残念ながらね。信仰と、実際の生活は別の問題だから」


 王子は少し寂しそうに微笑んだ。


「僕も、何かできないかと考えているところなんだ」


 なるほど。


 王子様にも、ちゃんと仕事があるんだな。


 ……いや、当たり前か。


 こいつは次期国王だ。


 国家運営について考える立場にある。


 俺が知っているゲームのレオンハルトは、主人公へ愛を囁く姿ばかりだった。


 しかし、実際には王族としての責任を背負っている。


 そう考えると、少しだけ見方が変わる。


「……あの、殿下」


「何だい?」


「その問題について、少し提案してもよろしいでしょうか?」


「もちろん」


 俺は考えをまとめながら、ゆっくり口を開いた。


「保護活動への協力者を増やすには、まず現状を知ってもらう必要があると思います」


「現状を?」


「はい。王都の人たちは、神殿が猫を保護していることは知っていても、施設が不足していることまでは知らないのではないでしょうか?」


 王子は少し考えた。


「……確かに、そうかもしれない」


「でしたら、まずは活動内容を広く知らせるべきです。そして、協力したいと思う人たちが、実際に参加できる仕組みを用意する」


「例えば?」


「募金活動や、保護施設への物資提供ですね。あとは、猫を飼いたい人と保護施設を結びつける機会を作るのもいいと思います」


 俺は話しながら、前世の仕事を思い出していた。


 ゲームの発売記念イベント。


 店舗との共同企画。


 ファン向けのキャンペーン。


 宣伝する対象がゲームであろうと、保護猫活動であろうと、基本的な考え方は同じだ。


 興味を持ってもらう。


 活動内容を知ってもらう。


 そして、実際に参加してもらう。


 そのための情報を整理し、発信する。


「例えば、王宮主催の慈善イベントなんてどうでしょう?」


「慈善イベント?」


「はい。王族の方が主催すれば、それだけで注目度が上がります。神殿や貴族の皆さんにも協力していただけるでしょうし、一般市民が参加できるようにすれば、活動の幅も広がります」


 王子は驚いた様子で俺を見つめた。


「……リリア。君は、こういうことを考えるのが得意なのかい?」


「ええ。まあ、少し」


「少し、というには随分と具体的だね」


 まずい。


 また余計なことを喋ったか。


 俺は慌てて微笑んだ。


「神のお導きです」


 便利だな、この言葉。


 もはや何でも説明できる。


 王子は楽しそうに笑った。


「なるほど。聖猫神ミャルティア様のお導きか」


「はい」


「それなら、なおさら実現しなければならないね」


 ……ん?


 ちょっと待て。


「実は、来月に王都で大きな猫神祭があるんだ」


「……猫神祭?」


「年に一度、聖猫神ミャルティア様へ感謝を捧げる祭典だよ」


 王子は嬉しそうに続けた。


「その祭典に合わせて、保護猫支援の催しを開催するのはどうだろう?」


「……いいと思います」


「ぜひ、君にも協力してほしい」


 俺は一瞬、返事に詰まった。


 王族主催の慈善イベント。


 しかも年に一度の大きな祭典。


 そんな企画に関わるとなれば、相当な仕事量になるはずだ。


 だが、悪くない。


 何より、恋愛イベントとは無関係だ。


 王子と二人きりで甘い時間を過ごすより、よほど健全である。


「私にできることがあれば、協力させていただきます」


「ありがとう、リリア」


 王子は心から嬉しそうに微笑んだ。


 その瞬間。


『レオンハルト好感度+20』


「…………」


 ……まあ、そうなるよね。


 もう驚かないぞ。


 俺は心を無にした。


 すると、王子は立ち上がり、俺の前に歩み寄ってきた。


「リリア」


「……はい?」


「君は、本当に素晴らしい女性だ」


 やめろ。


 その流れはやめろ。


「僕はこれまで、王子という立場のせいで、多くの人から特別扱いされてきた」


 王子は真剣な表情だった。


「だけど、君は違う。僕の立場に遠慮せず、自分の考えを率直に話してくれる」


「いえ、そんな……」


「君と話していると、僕自身が一人の人間として認められているような気がするんだ」


 ……いや。


 それは、わからなくもない。


 王族という立場は、俺には想像もつかないほど大変だろう。


 周囲から持ち上げられ、期待され、自由も限られる。


 そんな生活の中で、対等に話せる相手が少ないというのは、寂しいことなのかもしれない。


「……殿下も、大変なんですね」


 俺は思わず本音を漏らした。


 すると、王子は驚いたように目を見開いた。


 そして、柔らかく笑った。


「ありがとう、リリア」


 なぜか、ものすごく嬉しそうだった。


「君と出会えて、本当によかった」


『レオンハルト好感度+10』


 おい。


 また上がったぞ。


 俺は何もしてないだろ!


 いや、仕事の話はしたけど!


 それだけだろ!


 すると、王子が右手を差し出した。


「リリア。よかったら、このあと一曲、踊ってくれないかな?」


 来た。


 ついに来た。


 このゲームの王子ルートでは、晩餐会のあとに舞踏イベントが発生する。


 王子がヒロインをダンスへ誘い、二人きりで踊る。


 そして、最後に王子がヒロインの手の甲へ口づけするのだ。


 俺は広報資料で見た。


 めちゃくちゃ見た。


 何なら、そのシーンを公式サイトのメインビジュアル候補に推薦したのも俺だ。


 だが。


 今の俺は、絶対にそのイベントへ進みたくない。


「……申し訳ありません、殿下」


「うん?」


「実は私、ダンスが苦手でして」


 嘘ではない。


 男だった頃、社交ダンスなんて一度も踊ったことがない。


 会社の忘年会で余興のダンスを踊らされたことならあるが、あれは社交ダンスとは呼べないだろう。


「それなら、僕が教えるよ」


 王子が優しく微笑んだ。


 来た!


 予想通りの台詞!


 ここで『ぜひお願いします』なんて答えたら、確実に恋愛イベントへ突入する。


 どうする。


 どうする、俺。


 そのときだった。


 会場の入り口から、白い影が飛び込んできた。


「にゃあ!」


 ミャルティアである。


 猫神は堂々と赤い絨毯の上を歩き、王子の足元で立ち止まった。


「……猫?」


 王子が驚いた顔をした。


 次の瞬間、周囲の貴族たちがざわめき始めた。


「白猫だ……!」


「なんと美しい……!」


「まるで聖猫神ミャルティア様の化身のようだ!」


 いや、化身じゃない。


 本人だ。


 俺がそう言おうとした瞬間、頭の中に猫神の声が響いた。


『余計なことを言うでないぞ』


 ……はいはい。


 わかってるよ。


 猫神は俺を見上げ、金色の瞳を細めた。


『せっかくの機会だ。少しばかり手を貸してやろう』


 お前が?


 珍しいな。


 猫神は王子の足元で、上品に座り直した。


 そして。


「にゃああああ!」


 会場全体に響き渡るほど、大きく鳴いた。


 その瞬間、王宮の外から猫の鳴き声が聞こえてきた。


 一匹。


 二匹。


 三匹。


 いや、もっと多い。


 窓の外を見ると、庭園に無数の猫が集まっていた。


 白猫。


 黒猫。


 三毛猫。


 茶トラ。


 灰色の猫。


 色とりどりの猫たちが、王宮の庭園を埋め尽くしていた。


「なっ……!」


 王子が驚愕する。


 貴族たちも窓際へ集まり、外の光景を見つめていた。


「こ、これは……!」


「聖猫神様の奇跡ではないか!?」


「王宮に、こんなにも多くの猫が集まるとは……!」


 会場が騒然となった。


 猫神は得意げに胸を張った。


『どうだ。見事であろう』


 いや、すごいけどさ。


 お前、これどうするつもりなんだよ。


 俺が呆れていると、王子がゆっくりとこちらを振り返った。


「……リリア」


「は、はい?」


「君が先ほど話していた、保護猫支援の催しだが……」


 王子は興奮した様子で続けた。


「今夜、ここで始めてみないか?」


「……はい?」


「これほど多くの猫が集まったんだ。聖猫神様のお導きとしか思えない!」


 王子の瞳が輝いていた。


「今夜の晩餐会を、保護猫支援のための慈善行事へ変更しよう!」


 ……え?


 ちょっと待て。


 いや。


 待てよ。


 これは。


 使えるんじゃないか?


 俺は目の前に浮かぶシナリオ画面を見た。


『恋愛イベント:王子との月夜の舞踏』


『発生条件達成』


『イベント開始まで:残り三分』


 よし。


 今ならいける。


 周囲には大勢の貴族。


 庭園には大量の猫。


 そして王子自身が、慈善行事の開催を提案している。


 運命を外すなら、今しかない!


「《ハズレスキル》!」


 俺は心の中で叫んだ。


 王子との舞踏イベントを外せ!


『《ハズレスキル》発動』


『対象:王子との月夜の舞踏』


『確定結果を変更します』


 青白い文字が弾けた。


 そして。


『代替イベントを検索しています』


『周辺条件を確認』


『王宮晩餐会』


『多数の参加者』


『聖猫神の加護』


『保護猫支援企画』


 文字が次々と表示される。


 俺は息を呑んだ。


 頼む。


 今度こそ。


 恋愛イベントじゃない結果にしてくれ!


『代替イベント確定』


『王子との月夜の舞踏』


『変更後:王宮主催・保護猫支援慈善晩餐会』


「……よっしゃ!」


 俺は小さく拳を握った。


 成功だ。


 今度こそ、完全に成功した!


 王子との舞踏イベントを、慈善行事に変更できたのだ。


 しかも参加者は大勢いる。


 これなら恋愛イベントに発展する余地はない。


 王子は俺の手を取り、嬉しそうに告げた。


「リリア。君のおかげだよ」


「いえ、そんなことは……」


「今夜は、きっと素晴らしい夜になる」


 王子は微笑んだ。


「ありがとう。僕の大切な聖女様」


『レオンハルト好感度+15』


「…………」


 まあ、いい。


 もう気にしない。


 恋愛イベントを回避できたのだから。


 好感度くらい、多少上がっても構わない。


 そう自分に言い聞かせながら、俺は会場の準備を手伝い始めた。


     ◇


 結果から言おう。


 慈善晩餐会は、大成功だった。


 王子が自ら保護猫支援への協力を呼びかけたことで、貴族たちは次々と寄付を申し出た。


 さらに、神殿の関係者や王宮の職員も協力し、急遽、保護施設への支援活動が始まったのである。


 俺は会場の進行を手伝いながら、できる限りの仕事をこなした。


 寄付の受付。


 物資提供の申し込み。


 参加者への説明。


 今後の活動予定の整理。


 やっぱり、こういう仕事は楽しい。


 何より、猫たちが助かるのなら悪いことではない。


 前世でも猫が好きだった俺としては、純粋に嬉しかった。


 そして午後十時。


 慈善晩餐会は、盛況のうちに終了した。


「……疲れた」


 俺は王宮の控え室で、ようやく椅子に腰を下ろした。


 朝から乗馬講習会。


 午後は魔法研究会。


 夜は慈善晩餐会。


 なんだ、このスケジュール。


 普通にサラリーマンだった頃より忙しいじゃないか。


 しかも全部、恋愛イベントを回避するために始めた仕事だ。


 自分でも何をやっているのかわからなくなってきた。


 とはいえ、成果はあった。


 三つのデートを、すべて別のイベントに変更できたのだ。


 乗馬講習会。


 共同研究。


 慈善晩餐会。


 どれも、恋愛とは無関係の活動だった。


「……俺、天才じゃね?」


 思わず呟いた。


 すると、テーブルの上に白猫が飛び乗ってきた。


「ふむ。なかなか見事な手際だったな」


「だろ?」


「まさか恋愛イベントを業務に変えてしまうとは、我も予想しておらなんだ」


「これが社会人の経験ってやつだよ」


 俺は得意げに胸を張った。


 そうだ。


 俺はただのゲーム会社員だった。


 勇者でもなければ、魔法使いでもない。


 戦闘能力だって、普通の人間と変わらない。


 だが、俺には七年間の社会人経験がある。


 企画書を作り、関係者を調整し、問題を解決してきた経験がある。


 異世界に転生したからといって、その経験が消えるわけではないのだ。


「これなら、案外簡単にノーマルエンドへ行けるかもしれないな」


「……そうか?」


「そうだよ。今日一日で、三つも恋愛イベントを回避できたんだぞ?」


「ふむ」


「この調子で全部回避してやる!」


 俺は立ち上がった。


 すると、目の前に青白い画面が現れた。


『一日の活動結果を集計します』


「……お?」


 結果発表か。


 いいじゃないか。


 ゲームらしい演出だ。


 俺は期待しながら画面を見つめた。


『本日のイベント結果』


『騎士団長との特別指導:回避成功』


『宮廷魔導師との秘密のお茶会:回避成功』


『第一王子との月夜の舞踏:回避成功』


 よし。


 全部成功だ。


 俺は満足して頷いた。


『本日の獲得称号』


『《騎士団の協力者》』


『《魔導師団の共同研究者》』


『《聖猫神の慈善活動家》』


「……称号が増えてる」


 まあ、悪くない。


 どれも健全な称号だ。


 少なくとも《逃げる花嫁》よりはずっといい。


 すると、画面が切り替わった。


『攻略対象の好感度を更新します』

レオンハルト


77 / 100




カイル


64 / 100




エリオット


88 / 100




セシル


0 / 100



ユリウス


0 / 100




「…………」


 俺は画面を見つめた。


 そして、静かに呟いた。


「……おかしくない?」


 猫神が首を傾げる。


「何がだ?」


「いや、全部回避したよな?」


「うむ」


「恋愛イベント、全部回避したよな?」


「うむ」


「なのに、なんで好感度がこんなに上がってんの?」


 猫神は画面を覗き込んだ。


「……ほう」


「ほう、じゃねえよ!」


「エリオットは八十八か。なかなかのものだな」


「もうすぐカンストじゃねえか!」


「レオンハルトも七十七。カイルも六十四。三人とも、お前への関心を強めておるようだ」


「だから、なんでだよ!」


 猫神は不思議そうに首を傾げた。


「当然ではないか?」


「何が?」


「お前は今日、三人それぞれの望みに応えたのだぞ?」


 ……え?


「カイルは、自分の仕事を理解し、協力してくれるお前に感心した。エリオットは、自分の研究に真剣に付き合ってくれるお前を気に入った。レオンハルトは、自分の悩みを理解し、解決策を示してくれたお前に感謝しておる」


 猫神は、当然のことのように続けた。


「それで好感を持たぬほうが不自然であろう?」


「…………」


 俺は言葉を失った。


 確かに。


 確かに、そうだ。


 俺は恋愛イベントを避けるために、仕事をした。


 だが、その仕事は三人にとって有益なものだった。


 結果として、三人からの評価が上がった。


 ……そういうことか。


「……つまり」


 俺は震える声で尋ねた。


「俺が有能に働くほど、攻略対象から好かれるってこと?」


「まあ、そうなるな」


「なんでだよおおおおお!」


 俺は頭を抱えた。


 仕事すらできないのか!


 恋愛を避けるために仕事をしたら、仕事ぶりを評価されて好感度が上がるって、どんな罠だよ!


 じゃあ、どうすればいいんだ!


 無能を演じればいいのか!?


 仕事をサボればいいのか!?


 いや、待て。


 それは駄目だ。


 困っている人がいたら助けたいし、仕事を任されたらきちんとやりたい。


 それは前世から変わらない、俺自身の性分だ。


 それを捨ててまで恋愛イベントを回避するのは、何か違う気がする。


 くそっ。


 難しすぎるだろ、このゲーム!


 すると、画面がもう一度切り替わった。


『特殊条件を達成しました』


『三人の攻略対象との関係が、同時に進展しています』


『隠しイベント解放』


『イベント名:聖女をめぐる三者会談』


「……は?」


 俺は固まった。


 三者会談?


 何だ、それは。


『レオンハルト、カイル、エリオットの三名が、主人公との今後の関係について話し合います』


「…………」


『イベント発生予定:明日午前十時』


「…………」


『会談場所:王宮会議室』


「…………」


 俺はゆっくりと猫神を見た。


「……なあ」


「なんだ?」


「これ、俺が出席しなくてもいいやつ?」


「そうだな。お前抜きで話し合うようだぞ」


「……何を?」


「お前を誰が最初に誘うか、といったところではないか?」


 俺は天井を仰いだ。


 何だよ、それ。


 なんで俺の知らないところで、男三人が俺について会議するんだよ。


 しかも王宮会議室で。


 もっと他に話し合うことあるだろ。


 国家予算とか。


 外交問題とか。


 猫の保護施設の建設とか。


『追加情報』


『三者会談の議題には、主人公との今後の交際方針が含まれます』


「交際方針って何だよ!」


 もう嫌だ。


 本当に嫌だ。


 俺は椅子に座り直し、頭を抱えた。


「……俺、明日から仕事しない」


「ほう?」


「もう、何もしない。誰とも会わない。部屋から出ない」


「よいのか?」


「いいんだよ!」


 猫神は、にやりと笑った。


「では、明日の予定を確認してみるか?」


「……は?」


 嫌な予感がした。


 猫神が前脚を振る。


 すると、新しい画面が現れた。


『第三章:聖女様は休暇を取りたい』


『発生予定イベント』


『午前九時:大神官セシルによる聖女の健康診断』


『午後一時:公爵令息ユリウスによる学院視察』


『午後四時:三者会談の結果通知』


『午後七時:聖猫神の特別神託』


「…………」


 俺は画面を見つめた。


 ゆっくりと、一番上から読み直す。


 大神官セシル。


 第四攻略対象。


 公爵令息ユリウス。


 第五攻略対象。


 そして、三者会談。


 さらに特別神託。


「…………」


 俺は猫神を見た。


 猫神は楽しそうに尻尾を振っていた。


「……なあ」


「なんだ?」


「俺、まだ三人しか攻略対象に会ってないよな?」


「うむ」


「残り二人、明日来るの?」


「そのようだな」


「……しかも、健康診断?」


「うむ」


「……身体、診られるの?」


「健康診断だからな」


「…………」


 俺は静かに立ち上がった。


 そして、窓へ向かった。


 窓を開ける。


 夜風が気持ちいい。


 王宮の庭園が、月明かりに照らされている。


 なんて綺麗な夜なんだろう。


「……リリア?」


 猫神が不思議そうに呼びかけた。


 俺は振り返った。


 そして、満面の笑みを浮かべた。


「ちょっと、旅に出てくる」


「……どこへ?」


「誰も俺を知らない場所へ」


「ほう」


「王子も騎士団長も魔導師も大神官も公爵令息も、誰もいない場所へ!」


 そうだ。


 逃げよう。


 この王都から。


 この学院から。


 このゲームのシナリオから。


 誰もいない田舎へ行って、猫でも飼いながら静かに暮らそう。


 それがいい。


 それが最高だ。


「……ただし」


 猫神が、ぼそりと呟いた。


「なんだ?」


「この世界では、聖女が姿を消すと、国家規模の捜索が始まるぞ」


「…………」


「王国軍も動くであろうな」


「…………」


「王立騎士団長が、直々に捜索を指揮するかもしれぬ」


「…………」


「第一王子も、心配して探しに来るであろう」


「…………」


「宮廷魔導師は、追跡魔法の研究を始めるかもしれぬな」


「…………」


 俺はそっと窓を閉めた。


 そして、椅子に戻った。


「……明日も、頑張って仕事するか」


「にゃはははは!」


「笑うなあああああ!」


 俺の絶叫が、夜の王宮に響き渡った。


     ◇


 その夜。


 俺が寮へ戻った頃、王宮の一室では三人の男たちが顔を合わせていた。


 第一王子レオンハルト。


 王立騎士団長カイル。


 宮廷魔導師エリオット。


 三人は円卓を囲み、それぞれ異なる表情を浮かべていた。


「……さて」


 最初に口を開いたのは、レオンハルトだった。


「二人とも、今日はリリアと会ったそうだね」


 カイルが頷く。


「ええ。乗馬の講習会を開催しました」


「私は共同研究を始めました」


 エリオットも続けた。


 王子は穏やかに微笑んだ。


「そうか。僕も今夜、彼女と有意義な時間を過ごしたよ」


「……有意義な時間?」


 カイルの眉がわずかに動いた。


「ええ。王宮での慈善活動について、彼女から素晴らしい提案をもらったんだ」


「ほう」


 エリオットが興味深そうに身を乗り出した。


「それは面白いですね。彼女は非常に聡明な方です。今日の研究でも、驚くほど柔軟な発想を見せてくれました」


「……研究?」


 今度は王子の眉が動いた。


「ええ。今後も継続して共同研究を行う予定です」


「……そうか」


 王子は微笑んだ。


 ただし、目は笑っていなかった。


 カイルが静かに口を開いた。


「私も、彼女とは今後の乗馬講習会について相談する予定です」


「……乗馬講習会?」


「ええ。彼女は安全管理にも長けているようですから」


「なるほど」


 三人は、しばらく黙っていた。


 やがて、レオンハルトが口を開いた。


「……ところで、二人とも」


「何でしょう、殿下」


「君たちは、リリアのことをどう思っている?」


 カイルとエリオットが、同時に顔を上げた。


「……どう、とは?」


「そのままの意味だよ」


 王子は、柔らかく微笑んだ。


「僕は、彼女に強く惹かれている」


 沈黙。


 カイルが腕を組んだ。


「……私も、彼女には特別な関心を抱いています」


 エリオットは片眼鏡を押し上げた。


「私にとっても、彼女はかけがえのない存在になりつつありますね」


 三人の視線が交差した。


 やがて、王子が小さく笑った。


「……困ったね」


 カイルも苦笑する。


「まったくです」


 エリオットは、どこか楽しそうに微笑んだ。


「ですが、彼女自身の意思が何より大切でしょう」


「もちろんだ」


 王子が頷いた。


「彼女は、今のところ恋愛を望んでいないようだからね」


「ええ。私にも、そう伝えてくれました」


 エリオットが答える。


 カイルも静かに頷いた。


「私も、彼女から特別な感情はないと告げられています」


 三人は再び沈黙した。


 そして。


「……では」


 王子が口を開いた。


「まずは、友人として彼女との関係を深めることから始めようか」


「賛成です」


「異論ありません」


 三人は穏やかに頷き合った。


 表面上は、実に平和な会談だった。


 しかし、その瞬間。


 三人の背後に、誰にも見えない青白い文字が浮かび上がった。


『特殊イベント成立』


『攻略対象三名が、主人公との長期的な関係構築を決意しました』


『友好関係維持ルート解放』


『ハーレムルートとの複合進行を開始します』


『ハーレムルート進行度:25%』


 その文字を見た者は、誰もいなかった。


     ◇


 一方、その頃。


 俺は寮のベッドで、ようやく眠りにつこうとしていた。


 長い一日だった。


 本当に長い一日だった。


 明日は大神官と公爵令息に会わなければならない。


 また、新しい恋愛イベントが発生するのだろう。


 だが、今日の経験で少しだけ希望が見えた。


 《ハズレスキル》は、使い方次第で運命を誘導できる。


 そして何より、攻略対象たちは、ゲームの宣伝素材で見たような男たちではなかった。


 仕事熱心な騎士団長。


 研究に情熱を注ぐ魔導師。


 国のことを真剣に考える王子。


 どいつも、それなりにまともな人間だった。


 だったら、恋愛しなくても、普通に友人として付き合っていけるんじゃないだろうか。


「……そうだよな」


 俺は小さく呟いた。


 別に、男たちを嫌いになりたいわけじゃない。


 ただ、恋愛したくないだけだ。


 ならば、友人として接すればいい。


 お互いの仕事を尊重して、必要なときには協力し合う。


 そういう関係なら、俺にもできるはずだ。


「……よし」


 俺は布団を引き寄せた。


「明日も、友達作りだと思って頑張るか」


 窓辺で丸くなっていた猫神が、片目を開けた。


「……友達、か」


「なんだよ」


「いや、何でもない」


 猫神は、小さく笑った。


「お前は、なかなか面白い人間だな」


「……ほっとけ」


 俺は目を閉じた。


 そして、眠りに落ちる直前。


 頭の中に、奇妙な声が響いた。


『……見つけた』


「……ん?」


 俺は薄く目を開けた。


 誰かが呼んだ気がした。


 男の声だった。


 低く、静かで、どこか懐かしい響きのある声。


『ようやく、運命の外へ出ようとする者が現れた』


「……誰だ?」


 俺は上体を起こした。


 部屋には誰もいない。


 いるのは、白い猫だけだ。


「……ミャルティア?」


「……む?」


 猫神が顔を上げた。


「今、誰か喋らなかった?」


「……何?」


 猫神の表情が変わった。


 金色の瞳が鋭く細められる。


「……どんな声だった?」


「男の声。何か、運命の外へ出ようとする者がどうとか……」


 その瞬間、猫神が勢いよく立ち上がった。


「……まさか」


「……え?」


 俺が尋ねようとしたとき、目の前に青白い画面が現れた。


『特殊条件を検出しました』


『《ハズレスキル》による運命改変回数が規定値に到達しました』


『未登録シナリオが解放されます』


「……未登録?」


 俺は目を瞬かせた。


 未登録シナリオ。


 そんなものがあったのか?


 少なくとも、広報担当だった俺は知らない。


 すると、画面に新しい文字が表示された。


『隠し攻略対象:第六の男』


『識別名:???』


『所属:不明』


『年齢:不明』


『好感度:測定不能』


『攻略条件:運命から外れること』


「…………」


 俺は画面を見つめた。


 そして、ゆっくりと猫神を振り返った。


「……なあ」


「……なんだ?」


「このゲーム、攻略対象は五人だったよな?」


 猫神は、黙っていた。


「なあ、ミャルティア」


「…………」


「六人目って、何?」


 猫神は、しばらく何も言わなかった。


 やがて、非常に小さな声で呟いた。


「……あやつが、目覚めたのか」


「……あやつ?」


 俺は眉を寄せた。


「誰だよ、それ」


 猫神は答えなかった。


 ただ、窓の外に広がる夜空を見つめていた。


 そして、ぽつりと呟いた。


「……お前、本当にとんでもない運命を外し始めたのかもしれぬな」


「……は?」


 俺は呆然とした。


 何だよ。


 どういう意味だよ。


 そんな深刻な顔をされても困るんだけど。


 俺はただ、恋愛イベントを回避したいだけなんだぞ?


 すると。


『新規イベント解放』


『イベント名:六人目は、最初から君を知っている』


『イベント発生予定:未定』


『注意:このイベントは通常のゲームシナリオに存在しません』


 ……おい。


 ちょっと待て。


 通常のゲームシナリオに存在しない?


 つまり、何だ?


 俺が知っているゲームとは違う何かが、始まろうとしているのか?


「…………」


 俺は静かに布団を被った。


「……寝よう」


「……よいのか?」


「もう知らん」


 そうだ。


 もう知らん。


 今日は十分頑張った。


 明日のことは、明日考えよう。


 俺は布団の中で丸くなり、目を閉じた。


 だが、その直前。


 もう一度、青白い画面が浮かび上がった。


『新たな称号を獲得しました』


『《運命に愛されすぎた聖女》』


『効果:攻略対象との偶然の遭遇率が上昇する』


「…………」


 俺は無言で画面を見つめた。


 そして、ゆっくりと息を吸い込んだ。


「……ミャルティア」


「なんだ?」


「俺、明日から引きこもる」


「それは無理であろう」


「なんでだよ!」


「お前、明日は大神官の健康診断があるからな」


「…………」


 俺は枕に顔を埋めた。


 そして、心の底から叫んだ。


「俺は男なんだよおおおおおお!」


 その声は、夜の静かな寮に響き渡った。


 翌朝、隣室の女子生徒から心配されることになるのだが、それはまた別の話である。


 ちなみに。


 このときの俺は、まだ知らなかった。


 翌日の健康診断で、大神官セシルが俺の身体に宿る異常な神聖魔力を発見することを。


 そして、その原因を調べるために、とんでもない提案をしてくることを。


 俺の貞操をめぐる戦いは、まだ始まったばかりだった。

次回・第3話「俺、聖女なのに健康診断で男だとバレそうなんだが?」


大神官セシルの健康診断を受けることになった俺。しかし、身体を調べられれば、転生者であることがバレるかもしれない。さらに、第五攻略対象の公爵令息ユリウスまで現れて、事態はますますややこしくなる。果たして《ハズレスキル》は、俺の秘密と貞操を守ってくれるのか?

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