9/枯木の王とミノタウロスの畑
女王への挨拶を済ませてシルヴァリエルとふたりで乗合馬車の停留所へ向かうと、そこには見知った女鬼人の姿があった。
「おっせーよ、置いて行かれたかと思っちまったじゃねえか」
「……アースラ? なんでここに?」
コノハが問いかけると、アースラは頬を染めてばつが悪そうにそっぽを向いて言った。
「あー……、なんだ。おまえらからは金の匂いがするんだよ。あたしは傭兵だからな。金が稼げそうなところに流れて生活すんのさ」
「素直に『我が王の虜になってしまいました』と言ったらどうなのです」
「うるっせえな! と、虜になんかなってねえし!」
「ですが我が王にはずいぶんと可愛い声を聞かせたそうじゃありませんか」
「コノハてめえ! バラしたのか!?」
「鎌をかけてみただけです。我が王が睦言をペラペラとしゃべる御方なわけないでしょう」
「よぉしわかった。まずはおまえからぶった斬ってやる……!」
「はいはい、抜かないの」
朱色の肌をさらに真っ赤に染めたアースラが、背中の大剣を抜き放とうとするのを止める。
「さすが我が王。この下品な女にも我が王の偉大さが伝わったようで、臣下として喜ばしい限りです」
「誰が下品だ!」
「はいはい、シルヴァリエルも煽らない」
まるで二頭の大型犬に引きずられる飼い主の気分だ。
コノハは改めてアースラに向き直ると言った。
「アースラ、君が俺たちの旅についてきてくれるのは嬉しい。だが間違いなく危険な旅になる。それでもいいのか?」
「つまりぶった斬る相手には不自由しないってことだろ? 望むところだっつーの」
アースラは困難など斬り伏せてやると言わんばかりに不敵に笑った。
「――わかった。これからよろしく、アースラ」
「おう。思う存分あたしのことを頼りにしろ」
コノハとアースラは互いに微笑みあい、固い握手を交わした。
◆
「んで? あたしたちはどこに向かってるんだ?」
乗合馬車に揺られながらアースラが言った。
「ザール地方の奥地にある妖精の森だよ」
「ザールぅ? 魔界のド辺境じゃねえか……」
竜族の都ドラグノートから乗合馬車に乗って魔大陸を東回りに進み、街道の途中にある宿場町で下りる。その宿場町から北東へ進むとザール地方に入り、その最奥に妖精の森が存在する。
旅程が順調に進んだとしても三、四日はかかるはずだ。
「ドラグノートに来たときのように、転移魔術では移動できないのですか?」
シルヴァリエルがコノハへ質問する。それはもっともな問いだった。
「俺の転移魔術は一般的なものとは違って、楔となる植物を植えた地点に移動するタイプの術式なんだ。妖精の森近くにも植えてあったんだけど、その植物がここ何年かの間に枯れたか、伐採されたかしちゃったみたいで飛べなくなっちゃったんだよ」
「なるほど……。我が王の魔術といえども万能ではないのですね」
「俺は魔術師としてはかなり偏ってるからな~。万能とはほど遠いよ」
コノハはあくびをかみ殺しながら言った。
「……お疲れでいらっしゃいますか?」
「ああ、大丈夫。ちょっと寝足りないだけ」
コノハがちらりとアースラへ視線を向けると、彼女は恥ずかしそうに顔をしかめて手を払う仕草をした。
「それでしたら――どうぞこちらへ」
シルヴァリエルは自らの脚のほこりを払うと、その太腿を差し出した。
「そんなの悪いよ」
「私が我が王にして差し上げたいのです。他のお客様もいらっしゃいませんし、どうぞ私の膝でお休みください」
「……じゃあ、お言葉に甘えて」
「はい、たくさん甘えてください」
コノハは彼女の柔らかな太腿に自らの頭を預けると、そっと目を閉じる。
シルヴァリエルは彼が瞳を閉じるのを確認すると、勝ち誇ったような笑みをアースラに向けて浮かべた。
「……なに笑ってんだよ」
「いいでしょう。代わってあげませんよ」
「別にうらやましくねーし」
「あら、私は『代わってあげません』とだけ言ったのですが、もしかしてうらやましかったのですか?」
「……おまえ、マジで性格悪いよな」
シルヴァリエルは宿場町へ到着するまでの間ずっと、眠りについたコノハを慈しむように柔らかな笑顔で眺めていた。
◆
街道沿いの宿場町で一泊し、北東へ徒歩で移動し日が暮れたところで野宿。
翌朝になり再び妖精の森へと歩き出したコノハたちの目の前に広がっていたのは、広大な耕作地だった。
「……あれ。こんなところに畑なんてあったかな」
「以前いらっしゃったときはなかったのですか?」
「う~ん……、最後に来たのもだいぶ前だからな。……あっ、そうか。ボンデイル向けの農家か!」
魔大陸の東には豚鬼族の都、ボンデイルがある。
そこは『魔界の台所』とも呼ばれる美食の都であり、魔大陸全土から食料品が集まる巨大な市場でもある。
このあたりなら大陸街道を使えば二日ほどで作物を運べるだろう。
「なるほど、農家にとっても都市にとっても都合が良いのですね」
「そういうことだな。ということは……、あった」
コノハが指さした丘の上には農村があった。おそらくこのあたりの耕作地を管理している農家たちの集落なのだろう。
「たぶんあの村を作るときか、畑を広げるかしたときに、俺の植物が伐採されちゃったんだろうな。どおりで飛べないわけだ」
コノハがひとりで得心いった顔で頷いていると、アースラが道の先に人影を見つけた。
「おっ、ミノタウロスじゃねえか。なるほどな、ミノタウロスだったらこんなバカでかい畑も余裕で耕せるってわけか」
アースラが見つけたミノタウロス族は、どうやら畑の周囲を囲う柵を修理しているようだった。
コノハたちが近づいてきたことに気づくと、そのミノタウロスは作業を止めて驚きの声を上げた。
「あんれまぁ! 旅人さんかい? 珍しいこともあるもんだなぁ!」
木の柵を打ち込んでいた巨大な木槌を軽々と肩に担ぐと、彼女は人懐っこい笑顔を浮かべた。
肩口まで伸びた茶褐色の髪の間から伸びた柔らかそうな耳が、嬉しそうにぴこぴこと跳ねる。
「……でけぇな」
アースラが思わずそうこぼすのも無理はない。
屈強で大柄な身体が特徴である鬼人族のアースラよりも、彼女は頭一つぶん以上大きかった。頭部から生えた角がその印象を強めている部分もあるだろう。
「どこからきたのぉ? ドラグノート? あれぇ! まぁた遠いところからよう来たねぇ! ここらへん畑しかなくてびっくりしたでしょぉ?」
朗らかに笑う彼女から背後に広がる畑へと視線を移したコノハは思わず眉根を寄せた。
あちこち掘り返された畝に、食い散らかされた緑の山。
土の上には蹄の跡が無数に残されていた。
「魔獣……いや、魔猪ですか?」
その指摘に彼女は驚いたようにびくりと震えると、担いでいた木槌を下ろして力なくうなだれた。先ほどまでの笑顔が嘘のように、両の眉が八の字に下がっている。
「お兄さんようわかったねぇ。そぉなの、イノシシ。こぉーんなでっかいのが何匹も来てねぇ、柵は壊すわ畑は荒らすわでもう大変なんだぁ」
「ミ、ミノタウロス族の貴方よりも大きいのですか?」
「そぉだよぉ! わたしもねぇ、もぉ~、びっくりしたんだからぁ! 村の女衆もねぇ、力持ちばっかりなんだけど、追っ払おうとして何人も怪我人が出ちゃったんだよぉ」
彼女が身振り手振りを加えて説明するたびに、振るわれる腕から風を切る音が響く。
「もったいねえなあ……。ここらへんの畑だと……コロ芋かな? そろそろ収穫でしょう?」
コノハはしゃがみ込んで畑の土を手に取った。
黒々として嫌な臭いもしない、手触りは羽毛のように軽く、指先で握ると柔らかく崩れる。
「良い土だ――あっ?」
背後から両肩を掴まれて一気に持ち上げられる。
ぐるりと向きを変えられた先には、大きな瞳に涙をいっぱいにためたミノタウロスの顔があった。
「ぐすっ……! すごいねぇ! お、お兄さんはわかってくれるんだねぇ……! そぉなの、ここらはねぇ、ぜーんぶコロ芋畑! ひぐっ……村のみんなでねぇ、がんばってねぇ……ふぐっ、なのにねぇ……ぐすっ!」
「お、俺も土いじりが趣味だからね、わかるよ……。でも、ちょっと、力を入れすぎじゃないかな……? あだっ、あだだだだ」
自分よりも遥かに高身長のミノタウロスに両肩を掴まれて持ち上げられ、コノハの両脚は宙に浮いたままだ。
彼女に掴まれた両肩の骨が軋みをあげるが、その両手から逃れることもできない。
手も足も出ないとはこういうことか。
「ひっく……! わ、わたしたちは……えぐっ! どうしたらいいんだろうねぇ……? イノシシにコロ芋ぜぇーんぶ食べられてぇ……ぐじゅっ! お、お腹ぺこぺこになって、死んじゃうのかねぇ……? うっ、うううううう……!」
ミノタウロスの大きな瞳からぼろぼろと涙がこぼれ落ちる。
正直に言って、あまりの痛みにコノハも泣きたかったが、力を振り絞って彼女へやさしく声をかけた。
「……わかった。俺たちが畑を荒らす悪い魔猪をぜーんぶ退治するよ。そんで、村の人たちみーんな集めてイノシシのお肉でパーティーしよう。お鍋に、焼き肉、あと……なんだ、とにかく、美味しく食べてやろう。今度はこっちが食べちゃう番だ」
コノハの言葉にミノタウロスが顔を上げる。
「――ほんとに?」
「約束する。畑と花壇を荒らすやつは絶対許さないって決めてるんだ」
「う――ううううう……っ!」
だめか、頼む、なんとかなってくれ……!
コノハはとめどなく涙がこぼれ落ちる彼女の瞳を真っ直ぐに見つめながら、心の中で必死で叫んだ。
「う……っ、わああああああ!」
「――うぐっ」
世界の重力が狂ったような感覚を経て、柔らかい暗闇の中に閉じ込められる。
「お兄さんありがとおおおおおお! 村のみんなも喜ぶよおおおおおお! ふぇっ、ふぇええええええああああああ!」
「おい、やばいぞ! コノハのやつ窒息するんじゃねえか!?」
「わ、我が王! ご無事ですか! 我が王!」
「んむぅ」
あぁ、なるほど。
俺は抱きしめられて彼女の乳に身体ごと挟まれているのか。
うむ、男なら一度は憧れるシチュエーションだ。
命の危機が迫ってなかったら、もっと安心して楽しめたんだろうな。
コノハは自らを呼ぶシルヴァリエルの声が、だんだんと遠くなっていくのを感じた。
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