5/枯木の王と冥竜王
その大木は、ティラ山とガルスリーグ山脈の谷間にそびえ立っていた。
――いや。シルヴァリエルが受けた印象から言えば、その大木は山と山の間を突き破って生えてきたのではないかと思えた。
城壁のような根が四方八方にうねり、その一部は山肌にまで食い込んでいる。
精霊樹から生まれ、森の中で生きるダークエルフ族のシルヴァリエルから見ても、その光景は信じがたいものだった。
「よし、到着だ」
コノハのその言葉を聞いて、シルヴァリエルは心底安堵した。
ドラグノートから乗合馬車に乗ってティラ山の麓で下り、裾野をぐるっと時計回りに迂回するように移動してガルスリーグ山脈との谷間に入る。
そこからは深い森の道なき道を歩き、目的地にたどり着いたときにはさすがのシルヴァリエルもくたくたになってしまった。
そこは巨大な根が伸びる隙間にできた風穴のような場所で、来ようと思って来られるような場所だとは到底思えなかった。
シルヴァリエルはなんの目印もない森の中をすいすいと迷うことなく進んでいくコノハの背中を見て、本当に目的地にたどり着けるのか不安で仕方なかった。
「かなりしんどかったろ。そこら辺に腰掛けて休んでな」
「は、はい……。ありがとうございます……」
コノハから差し出された水筒を受け取り、中の水をぐいとあおる。
呼吸こそ落ち着いたものの、全身に疲労感があった。
一方のコノハはと言えば、同じ道程を歩いていたはずなのに呼吸一つ乱さず、今は大木の幹の前にあぐらをかいて座り、持ってきた葡萄酒をふたつのコップに注いでいた。
コノハは葡萄酒を注いだコップのひとつを大木の前に置き、もうひとつを自らの手に持つと、軽く掲げてから中身を飲み干した。
シルヴァリエルは水筒を持って立ち上がり、コノハから少し離れた位置に改めて腰を下ろした。なんとなく、コノハの傍に座るのははばかられた。
「――すまん、ガル。リルが死んじまった」
ぽつり、ぽつりと、コノハの口から言の葉が落ちる。
「でも……死に目には、会えた。正直、それだけが救いだよ」
コノハは葡萄酒を自らのコップに注ぎ、もう一度中身を飲み干す。
「あと――“死界樹の種子”、あれも持ってかれちまった。せっかく手伝ってもらったのに、悪いな」
今度はコップに注がず、葡萄酒の瓶に口をつけてそのままあおる。
「まあ、なんとかするさ。俺は――“枯木の王”、だからな」
あれほど『王』と呼ばれることを嫌がったコノハが、自らその名を口にした。
「――!」
一瞬、周りを囲む木の根が枯れ果てた光景がシルヴァリエルの脳裏に映る。
白昼の悪夢は煙のように消え、背筋に走った寒気だけが残った。
「ここはガルの――冥竜王ガルヴァースの、墓なんだ」
葡萄酒の瓶をもう一度あおり、コノハは言った。
「ガルが死んだとき、俺はその遺骸を依代にして――この覇王樹を生やした」
――冥竜王ガルヴァース。
その名を、シルヴァリエルも知っていた。
六百年前の第二次人魔大戦で魔族を率い、人間族との戦争を終わらせた偉大なる王。
その後も長く魔界を治め、三百年ほど前にこの世を去った。
その王が、この天を衝く巨大な大樹の下に眠っているというのか。
「……我が王は、冥竜王のご友人でいらっしゃったのですか?」
「ああ。昔、一緒に旅をしたことがあってね」
「旅を……?」
「そう。俺と、ガルと、リルの三人でね」
コノハは懐かしむように目を細める。
シルヴァリエルには、その思い出の中に入り込む術はない。
当然のことだとわかってはいるが、少しだけ、胸が痛んだ。
「――コノハ?」
不意に投げかけられた言葉にシルヴァリエルが振り返ると、そこには上品なワンピースを身にまとった竜族の女性が、驚きに目を見開いて立ち尽くしていた。
地面には彼女が持ってきたであろう花束が落ちている。
呼びかけられたコノハも立ち上がり振り返ると、なにかを確かめるように目をこらした。
「……もしかして、フローレットか?」
「やっぱり! コノハなのね!?」
フローレット、と呼ばれた女性は嬉しそうに表情をほころばせると、コノハへと駆け出して、勢いそのままに抱きついた。
「おっと……! 本当にフローレットか!? 大きくなったなあ!」
「フローレットよ! 当たり前じゃない、もうとっくに成人したんだから!」
飛びついてきた彼女を抱きとめて、その勢いのままにくるくると回る。
そんなふたりの様子を見たシルヴァリエルは、腰の剣へと回していた手を下ろした。
「我が王、この方は……?」
「ああ、この子は――」
回転を止めて彼女を地面に下ろした途端、フローレットと呼ばれた女性はコノハからすっと距離を取ると姿勢を正した。
「――はしたないところをお見せしてしまい大変申し訳ございませんでした。私は竜族の王女、フローレット・ヴァナディースと申します」
彼女は整った笑顔を浮かべると、スカートの端を摘まみ上げ、軽く膝を折った。
「……顔赤くなってるぞ」
「もう! からかわないで!」
コノハが横から茶々を入れると、彼女は愛らしく頬を膨らませた。
「――こちらこそ申し遅れました。私はダークエルフ族の女王、シルヴァリエルと申します。お目にかかれて光栄です、姫様」
シルヴァリエルは右手を胸に当てると、軽く頭を下げた。
「こちらこそお目にかかれて光栄ですわ。でもダークエルフ族の女王陛下がどうして……?」
「フローレット、実はその件で君に頼みたいことがあるんだ」
「あら、なにかしら?」
「君のお母さま――女王陛下に報告したいことがあるんだ。面会を取り付けてもらえないだろうか?」
「もちろん構いませんわ。『コノハが来た』と言えばすぐにお会いしてくださるはずです」
「そうか……」
その言葉を聞いて、なぜかコノハは少しだけ顔をしかめた。
「お父さまのお墓にお花をお供えするので、少しだけお待ちになってくださる?」
そう言って彼女は地面に落とした花束を拾い上げると、大樹の前に置いて祈りを捧げた。
「――お待たせしました。それではお城に向かいましょうか」
「転移魔術が使えるようになったのか?」
「もちろん! 私、あの後たくさん勉強したんだから!」
フローレットは得意げに胸を張った。
シルヴァリエルは再度道なき道を歩かなくて済んだことに感謝しながら、何度目かの転移魔術に身を委ねた。
◆
「――面を上げよ」
それはまるで、天から水晶の雨が降ってきたような声だった。
陽光を透かしたような金色の髪に、すらりと伸びた白磁のような角。
女神すら足蹴にしそうな美貌を持った女王は、金色の刺繍が施された純白のドレスを身にまとい、天から舞い降りた支配者のように玉座に腰掛けていた。
「謁見のお許しを賜り、ありがとうございます。ダークエルフ族の女王、シルヴァリエル・スヴァルトアールヴにございます。本日は女王陛下にご報告申し上げたい儀があり、参上いたしました」
「うむ。ダークエルフ族の女王よ、遠路はるばるご苦労であった。貴殿の話に耳を傾けたいところではあるが、生憎と時間は有限だ。回り道はなしとしよう」
「は、はぁ……」
シルヴァリエルがその言葉の意を汲めずに困惑していると、女王は指を振るった。
「いつまで知らん顔しとるんだ、たわけ」
「あだっ!」
女王の指先から放たれた光弾が、シルヴァリエルの隣にいたコノハを吹き飛ばした。
予想外の出来事に唖然とするシルヴァリエルを、まるで置き去りにするように会話が進む。
「面を上げよ、と言っただろう。いつまで下向いとるんだ、アホウ」
「いってーな……、少しは手加減しろよ」
「しとるわ、バカたれ。他に言うべきことがあるだろう」
「え~……、女王陛下におかれましてはご機嫌――」
「舐めとんのか、バカたれ」
「ふぐっ!」
再び指先から放たれた光弾がコノハの腹部に命中し、その身体を宙に浮かす。
「数百年ぶりに顔を見せにきたと思ったら相変わらずふざけた真似しよって……。どうせ厄介ごとだろう。はよ言わんか」
「……“死界樹の種子”が奪われて、シルヴァスリルが死んだ。精霊樹の森が燃やされて、ダークエルフ族の大半も死んだ」
起き上がったコノハは跪くシルヴァリエルの隣まで戻ると、立ち止まった。
「魔界の各氏族に女王の名前で注意を促してほしい」
「すぐに使者を送ろう。“次”が起きる可能性は?」
「ない、とは言い切れない。だがそこまでの規模まで広がるには時間が必要だ」
「それまでに始末すると?」
「できることなら」
女王は不満げに顔を歪めると、諦めるようにため息をついた。
「……おぬしもガルヴァースもいつも厄介ごとしか持ってこん。たまには気の利いた手土産でも持ってこぬか」
「旧友の元気な姿を見せにきただろ」
「はったおすぞ」
「すんません」
女王はシルヴァリエルに向き直ると言った。
「ダークエルフ族の女王よ。そなたたちの氏族に起こったこと思えば、その心痛は察するに余りある。だがよくぞ生き延び、知らせに来てくれた。そなたの行動、決して無駄にはせぬ」
「もったいないお言葉です、陛下」
「聞けば冥竜王の墓参りもしてくれたそうではないか。今夜は城に部屋を用意するゆえ、ぜひ旅の疲れを癒やしていってほしい」
「陛下の温かいお心遣い、痛み入ります」
女王は側に控えていた王女を呼んで言った。
「フローレット、彼女を客室に案内してやっとくれ」
「はい、お母さま」
「衛兵、そこの男を地下牢に」
「ひどくない?」
「頭を冷やすには最適だろう」
「ケチ」
「アホ」
ふたりのやりとりを見ていたフローレットが、思わず笑みをこぼす。
シルヴァリエルは彼女に疑問をぶつけてみた。
「――姫様。女王陛下と、その――彼は、いつもあんな感じなのですか?」
自分とコノハの関係性をどう説明したらいいかわからず、つい持って回った言い方になってしまった。
「ええ。私が幼い頃はよく遊びにいらして、お父さまやお母さまとああやって楽しくお話されていましたわ」
「そうなのですか……」
季節が巡れば葉の色が変わるように、時が経つにつれてコノハへの印象も変わっていく。
シルヴァリエルは、移り変わるその葉から目を離せないでいた。
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