27/枯木の王と屍竜の王
――その身体は、寄せ集めた屍肉を強引に繋ぎ合わせたような、ただのまがい物にすぎなかった。
動くたびに古びた骨が悲鳴のように軋み、表皮が腐り落ちて神経がむき出しとなった肌は、わずかな風が触れるだけで酸をかけたように痛んだ。
生きることそのものが罪であるかのような痛苦に苛まれながら、屍竜を率いる王となったマンドル・ドレイクは咆哮した。
「勇猛なる我が同胞たちよ! 我らは死すら超越した! もはや我々の道を阻む者などおらぬ! 今こそ思い上がった人間共を滅ぼし、我らが人界の覇者となるのだ!」
濁った瞳に映るのは、かつて同胞たちと駆けた戦場の光景。
強大な竜族が思うがままに力を振るい、果てていった最後の戦場。
「他の種族に遅れを取るな! 我ら竜族こそが此度の人魔大戦に終止符を打つ!」
――記憶の混濁。
濁っていたのは瞳だけではなかった。
だがそれは屍竜の王にとって枷とはならない。
彼が見ていたのは千二百年前のあの日からずっと、血と暴力にまみれた兵たちの戦場だけだったのだから。
◆
屍竜王の咆哮は、海辺の草原に立つコノハたちのもとにも届いていた。
「――見るのも、聞くのも耐えん。これが誇り高き竜族のなれの果てか」
ティアリスは眉をひそめ、吐き捨てるように言った。
「あれはもはや戦士ですらなく、妄執に狂った亡者にすぎん。葬ることにいささかのためらいも要らぬ」
それは竜族の女王としてではなく、かつて同じ戦場に立った戦士としての言葉だった。
その声に満ちていたのは、怒りでも悲しみでもなく、ひとりの誇り高き戦士を失った無常感だった。
「……眠らせてやろう」
コノハは次第に大きくなる空の影を見つめながら、静かに言った。
「俺たち生者にできることは、ただ弔ってやることだけだ」
そう決意するように言ったコノハの身体を、地中から伸びた木の根がゆっくりと覆っていく。
「――それで出るのか」
「ああ、手向けの花が必要だからな」
木の根が完全にコノハを覆い尽くすと、その姿は、まるで大地から生えた木の繭のようになった。
「陛下、我が王のこちらは――」
「そうか、おぬしらはまだ見たことがないのか」
怪訝そうに繭を見つめるシルヴァリエルたちにティアリスは説明した。
「これはこやつが“枯木の王”として戦うときの正装みたいなもんよ」
「“枯木の王”としての正装……」
――やはり彼にはまだ奥があるのか。
そう思いながら繭を眺めるシルヴァリエルの視線の先から、なにかを引き裂くような音が聞こえてくる。
「出てきたときに腰を抜かすなよ――」
繭となった木の根を引きちぎり、ゆっくりと異形が顕現する。
「――――ッ!」
――朽ちた大樹。
その異形を見てシルヴァリエルが真っ先に思い浮かべたのは、その言葉だった。
樹皮で覆われたいびつな身体は、木製の鎧というよりは樹木の城を身にまとっているように思えた。
異形が片足を大地につけたとき、シルヴァリエルは反射的に腰の剣に手を添えていた。
そしてそれは、アースラとコリーダも同じだった。
アースラは大剣を抜き放って構え、コリーダは戦斧を握る手の力を弱めることができなかった。
――それは生物としての本能。
命の危機を避けようとするような、根源的な恐怖だった。
「――大丈夫、俺だよ」
繭から抜け出し、完全に顕現した異形から聞き慣れた温かい声がする。
「――はっ」
その声がかけられるまで、シルヴァリエルは自分が呼吸すら忘れていたことに気づかなかった。
冷たい汗が背筋を流れ、思わず震えだしそうになる。
「やっぱり久しぶりだと魔力の調整がうまくいかねえわ」
「相変わらず気味の悪い見た目だのう」
そう言ってティアリスは槍の石突でその異形を軽く小突いた。
鈍い音が異形の中に引きずり込まれるように消える。
「そういう風に見えるように作ってるからな」
異形の中から響く声とその見た目の落差に、シルヴァリエルは未だに目の前の存在がコノハ本人だと信じられずにいた。
「驚かせてすまんね。こればっかりは慣れてもらうしかない」
立ちすくんだシルヴァリエルたちに視線を向けて、異形は言った。
「――いえ、こちらこそ礼節を欠いてしまい申し訳ございませんでした。我が王はいかなお姿であれ、我が王。そのように偉大なお姿になられるのであれば、赤絨毯を用意するべきでした」
柄にもなく軽口を叩いている。平常心が欠けている証拠だ。
シルヴァリエルは流れるように言葉を並べながら、自らの至らなさを恥じた。
「ほう。こやつのこの姿を見てそこまで言えるとはたいしたものよ」
ティアリスはそう言って微笑むと、シルヴァリエルの肩をぽんと叩いた。
「――≪飛葉紋≫」
コノハの背中に淡い光を放つ葉のような紋様が浮かび上がる。
「予定通り俺は空、シルヴァリエルたちは海だ。ティアリスもよろしく頼む」
「かしこまりました」
「任せておけい」
シルヴァリエルとティアリスが力強く頷く。
ふたりの姿を見届けると枯木の王は飛び上がり、空を覆う影へと勢いよく向かっていった。
◆
「――よし」
飛び去った枯木の王の姿を見送ると、ティアリスはシルヴァリエルたちを追い越して海辺へと向かった。
フローレットはずんずんと進む母に小走りで追いつくと、声をかけた。
「……お母さま? コノハさまはお母さまと私に、後詰めをお任せになったはずですが……?」
「そうだな」
「……ではなぜ海辺へ向かってらっしゃるのです?」
「そりゃあもちろん、久しぶりの戦だからだ」
ティアリスは平然と言い放った。
すると彼女たち母娘の少し後ろを歩くシルヴァリエルたちにも届くほどの大きなため息が、フローレットから聞こえた。
「いけません! コノハさまはお母さまを信じてお任せになってくださったのですよ!」
「細かいことを言うな。どうせあやつも私が大人しく突っ立ってるとは思っとらんよ」
まるでわがままを言う娘を叱る母親のようだとシルヴァリエルは思った。
娘が母親を叱っているという事実から目をそらせばの話だが。
「可愛い娘に良いところを見せたいという、健気な母親の気持ちを少しは察したらどうだ」
「誰が健気ですか! お母さまはさっきご自身で『久しぶりの戦だからだ』って仰ってたじゃありませんか!」
「はっはっは、バレたか」
女王はまるで悪びれもせずに笑った。
フローレットは立ち止まって振り返ると、シルヴァリエルたちに向かって深々と頭を下げた。
「母がご迷惑をおかけして本当に申し訳ございません……!」
「……い、いえ。私たちも陛下とご一緒できるならとても心強いです」
流石のシルヴァリエルもこれには面食らってしまった。
「女王の姉御、自由だなー」
「女王さまはかっこいいねぇ」
アースラとコリーダはそれぞれにのんきな感想を口にして、女王の後に続いた。
「アタシはアンタのお母さん、好きよ。仲良くなれそう」
フィールはフローレットの肩を軽く叩いて言った。
「……が、がんばりましょうね!」
がっくりと肩を落としたフローレットに、シルヴァリエルは慌てて声をかけた。
「ありがとうございます……」
頭痛をこらえるようにこめかみに手を添えた彼女をいたわるように、シルヴァリエルはそっと両肩を支えた。
「――第一陣、くるぞ!」
海辺からティアリスの威勢のいい声が響き、ドラグノート防衛戦の幕が上がった。
◆
枯木の王は高速で飛行し、すれ違いざまに竜たちを鋭い木の爪で次々に引き裂いていく。
自らの翼を羽ばたかせて飛ぶ屍竜たちの動きは鈍重で、彼らは枯木の王の影を捕まえることすらできなかった。
(――竜種とはいえ屍竜、やはり脆い。だがいかんせん数が多いな)
蘇った屍竜たちは千二百年前に対峙した竜族の戦士たちの姿とはほど遠く、その身体は巨大な骨格にわずかばかりの腐肉がへばりついたような状態だった。
屍竜たちの動きには統率といったものがなく、それぞれが視界に入った敵に襲いかかろうとするばかりで、牙をむいた屍竜同士がぶつかってそのまま海に落下することさえあった。
(これはティアリスに見せられんな……)
枯木の王は空中を飛び回りながら屍竜たちを切り裂き、空を覆う無数の竜たちを少しずつ一カ所に追い込んでいく。
「――≪爆枝の球根≫」
球状に絡まり合った根の塊が爆ぜ、そこから飛び出した何本もの枝が、空を飛ぶ屍竜たちを貫いていく。
さらにもう一撃を加えるべく枯木の王が魔力を集中させると、直上から轟炎が降り注いだ。
「――来たな」
降り注ぐ炎を間一髪で躱した枯木の王の眼前に、天から一頭の竜が舞い降りる。
黒い王冠のような角を持ったその竜が、千二百年ぶりに彼の前に姿を現した。
「――我が同胞を軽々と打ち破るその武勇。見事なり」
かつての火竜将マンドル・ドレイクの声が、あの日と変わらぬ重々しさで響いた。
「何故同じ魔族が我らの邪魔をする。恐れをなして人間族にでも下ったか」
「……誇り高き竜族の戦士、マンドル・ドレイクよ。もう貴殿の戦は終わったのだ。これ以上戦う必要はない」
枯木の王はあえて感情を込めず、冷徹に言った。
「戦いはまだ終わってなどおらん! 我々が人間族を滅ぼし、我々がこの大戦を終わらせるのだ! 戦いに臆したのなら引っ込んでいるがいい!」
その身を引き裂かんと飛来した屍竜を蹴散らした枯木の王を、再び轟炎が襲った。
襲いかかった屍竜ごと枯木の王を滅せんと放たれた炎は、屍竜を焼き尽くしただけだった。
「我が炎の直撃を喰らって無傷とは……。小癪な奴よ」
「――なぜ同胞を巻き添えにした」
枯木の王は屍竜王の炎など問題ではないとばかりに問い詰めた。
「我らは死すら超越した真の戦士だ。我ら竜族こそが戦場における死と恐怖の先駆けであり、戦場に生き、戦場に死するのが我らが誉れ。そこに死への恐怖など――ない!」
屍竜王の炎が三度枯木の王を襲う。
枯木の王は放たれた灼熱の中に自ら飛び込むと、そのまま突き抜け、屍竜王を両手で叩き落とした。
海面に叩きつけられた竜が大きな水柱を上げる。
屍竜の王は自らを見下ろすその男を忌々しげに見上げた。
「【我が名は枯木の王、万物を枯らし土に還す死枝の担い手なり】」
地の底から這い出した暗闇のような声が響く。
「【屍竜の王よ、汝の命運は枯れ果てたとしれ】」
海上に浮かぶ竜を見下ろしながら、枯木の王はただ淡々と宣言した。
「ほざけ小僧! 枯木など我が牙で噛み砕いてくれるわ!」
屍竜の王は翼を大きく広げて飛び上がると、枯木の王へと牙を向けた。
◆
「――≪四海絶凍≫」
フローレットの放った魔術が、海中から飛び出そうとした骨竜たちの足を凍らせ、海に繋ぎ止める。
「合わせろコリーダ!」
「はいよぉ!」
大剣と戦斧を振りかぶったふたりが、その腕力に物を言わせた一撃で身動きの取れなくなった骨竜たちを粉々に打ち砕いた。
「よくやった姉御の娘!」
「アースラさん! 私の名前はフローレットです!」
後方で援護するフローレットに振り返ったアースラの死角から、彼女を噛み砕かんと別の骨竜たちが海中から飛び出す。
しかしその竜たちは飛び出した勢いのまま、ばらばらに斬り刻まれて宙を舞い、そのまま海中に没した。
「――貴女は大雑把すぎます」
「それは姉御に言ってくれ」
シルヴァリエルは剣についた海水を振り払いながら小言を口にした。
アースラが顎で示した先ではティアリスが大暴れしていた。
魔術でもなんでもないただの魔力の塊を、思い切り海面にぶつけて海水ごと骨竜を吹き飛ばし、宙に浮いた竜を一瞬のうちに斬り捨て、打ち砕き、叩き潰す。
シルヴァリエルたちが一匹倒す間に五匹倒し、十匹を倒し終えたころには百匹倒しているのではないかと思えるような異常な速度で、ティアリスは骨の山を築き上げていた。
「……陛下は大雑把というより規格外ですね」
「似たようなもんだろ?」
「貴女に陛下と同じ事ができますか?」
「ありゃ真似できねえな」
「ならそういうことです」
海中から侵攻してきたのは骨だけになって蘇った古竜族だった。
シルヴァリエルたちはどういう原理で動いているかもわからぬ竜たちを次々に迎え撃ち、ドラグノートの城壁はおろか、草原の土すら踏ませなかった。
「アースラ、アンタ頬切ってるわね。治癒魔術かけてあげるからこっちに来なさい」
砂浜で戦況を見守っていたフィールがアースラを呼びつけた。
「これくらい唾つけときゃ治るって」
「不死者は毒や呪いを持ってることが多いのよ。いいから黙って来なさい」
「へいへい」
フィールは驚くほど戦場をよく観察し、その洞察力でシルヴァリエルたちが気づかない傷を見つけると、すぐに治癒魔術で万全の状態に回復させた。
一目でフローレットが氷結魔術に長けていることに気づき、海面を凍らせることで身動きを封じる作戦を提案したのも彼女だった。
シルヴァリエルたちは戦いの中でごく自然に、彼女を中心として円を描くように陣形を整えていた。
(まったく、我が王には一体どこまで見えていたのか――)
シルヴァリエルが改めてコノハの見識に感心していると、一帯を強力な魔力の波動が襲った。
海水が激しく白波を立て、積み上がった骨の山が崩れ落ちる。
大気が怯えたように震え、海風が狂ったように吹き荒れる。
「――なによ、あれ」
呆然としたフィールの声につられ、シルヴァリエルは彼女の視線を追った。
空を塗りつぶすように覆っていた影はそのほとんどが消え、残ったのはひとつの大きな竜の影。
その影と相対するは魔界に降臨した枯木の王。
屍竜王の復活に端を発したこの戦いが、今まさに、佳境を迎えようとしていた。
最後までお読みいただきありがとうございます。
本作を「おもしろい」「続きが読みたい」と感じていただけましたら、ページ最下部のよりブックマークや【☆☆☆☆☆】での評価をお願いします。
星一つや星三つといった率直な評価も大歓迎です。
みなさまからのご評価が今後の執筆の励みになります。
お手数かとは思いますが何卒よろしくお願いいたします。




