26/枯木の王と枯木の花嫁
レクセン島から最も近い海辺の草原にたどり着いたコノハたち一行を迎えたのは、見たこともない異様な光景だった。
無数の黒い影が空の青を塗りつぶし、海上には幾筋もの白波が真っ直ぐに伸びていた。
「おいおいおい……! 冗談きついぜ……!」
かつてドラグノートで飛竜退治を生業にしていたアースラが、眼前の光景を目にして吐き捨てるようにつぶやいた。
「空を飛んでいるのは飛竜でしょうか?」
目を細めて遠方の空に浮かぶ黒い影の数を数えながら、シルヴァリエルが言った。
「――いや、海中にいるやつらも含めてあれは全て古竜族だ」
魔力探知を全開にしたコノハが、忌々しそうに顔を歪めた。
この魔力の脈動を忘れるはずがない。
千二百年前の第一次人魔大戦で、魔界に突入したコノハたち勇者部隊の前に真っ先に立ちふさがった竜の軍団。
「誰がやったのかは知らないが、火竜将だけじゃなく、あの戦争で死んだ竜族を根こそぎ復活させやがったらしい」
――千二百年前の意趣返しだとでも言うのか。
コノハは固く握りしめた拳を、もう片方の手のひらに打ちつけた。
「――やってやろうじゃねえか。俺に喧嘩を売ったこと、必ず後悔させてやる」
そう口にした彼の表情は、シルヴァリエルが見たこともないほど昏く、冷たいものだった。
「我が王……」
シルヴァリエルがどう声をかけたものか悩んでいると、不意に気の抜けた声が響いた。
「――こりゃあ本当に復活しとるなあ」
白い戦装束に身を包み、黄金の槍を肩に担いだ竜族の女王は、海上に浮かぶ影を見つめながら言った。
「ティアリス、おまえも出るのか?」
「当たり前だろう。できることなら死人は出したくない」
コノハが驚きと共に声をかけると、ティアリスはさも当然という顔をした。
「それにこれは今の竜族の問題ではなく、私たち古い竜族の問題だ。若者たちに責任を押しつけるわけにもいくまいよ」
「ならお母さまはなぜ私をここに連れてきたのです?」
女王の影からフローレットが顔を出して言った。
彼女もいつものドレスとは違い、品のある白いローブを身にまとっていた。
「おぬしも一応、王族だからな。責任の取り方を見ておいても損はなかろう。それに初陣がまだだっただろう? ならちょうどいいではないか。初陣で功名を立てるのは武勇の誉れだぞ?」
「はぁ……、コノハさまを呼びにいけと言われたときから、なぜかお母さまがそわそわしてらしたので嫌な予感はしていたのですが……」
「ティアリス! フローレットまで連れてきたのか!?」
「おうよ。こやつは私より魔術の才があるからな。多少鍛えてある故、足手まといにはならんだろう」
コノハとフローレットはお互いに顔を見合わせると、同じようにため息をついた。
「すみません、こういう母でして……」
「そうだな、こういう女だったな……」
「なーに辛気くさい顔をしとるか。ほれ、はよう皆を集めて軍議を開かんか」
ティアリスは槍の石突でコノハの脇腹を何度か軽く小突いた。
「なんで遅れてきたのにそんなに偉そうなんだよ……」
「そりゃ女王だからな」
「それもそうでしたね……」
コノハはティアリスにせっつかれながら皆を集めると、ドラグノート防衛のための作戦会議を始めた。
◆
「――火竜将マンドル・ドレイクは第一次人魔大戦で戦死している。彼の武名を汚さないために、これ以降は復活したマンドルと思われる敵を『屍竜王』と呼ぶことにしようと思う」
会議の冒頭でコノハはまずそのことを口にした。
コノハがティアリスに目を向けると、彼女は短く答えた。
「枯木の王の配慮に感謝する」
ティアリスは竜族の女王としてそう述べると、軽く頭を下げた。
「海中から地上に侵攻してくるであろう軍勢にはシルヴァリエル、アースラ、コリーダで対処してもらう」
コノハの視線に三人がそれぞれに首肯する。
「ティアリスとフローレットは後詰めだ。前衛の三人が討ちもらした敵を排除してもらう」
「なんだ、つまらん」
「お母さま!」
隣に座るティアリスを肘でつつき、フローレットが頭を下げる。
「ティアリスが後ろにいれば、誰もドラグノートにはたどり着けないからな。おまえが要だ、頼んだぞ」
「はん、上手いこと言いおって。任せておけ」
女王は口の端をつり上げて笑った。
「一番の問題である空中の敵には俺が当たる。魔術で戦闘高度まで飛べるのは俺だけだからな。仮に討ちもらしが出ても後ろには怖い女王がいる。俺が竜ならドラグノート観光なんてやめにして、すぐに家へ帰るね」
「アタシは?」
名前の挙がらなかったフィールが問いかけた。
「おまえは伝令役だ。今回は相手が相手だけに、戦闘中に指示を出せる余裕があるかどうかわからん。指向性を高めた魔術言語で、フィールとの間に魔術的な繋がりを作るから、おまえは俺の指示を他のみんなに伝えてくれ。声のでかいおまえが前線指揮官だ」
「いいわ。やってあげる」
フィールは腰に手を当てて胸を張った。
「他になにか質問はあるか?」
コノハが集まった面々を見渡すと、ティアリスがなんとなしにぽつりと言った。
「――なんか魔王軍みたいだのう」
「はぁ?」
予想外の言葉が飛び出したことで、ついコノハは間抜けな声を出してしまった。
「考えてもみんか。冥竜王の右腕を務めた“枯木の王”のもとに竜族の女王とダークエルフ族の女王がいる。おまけに腕の立つ戦士――将軍がふたりもついておる。側仕えには竜族の王女と妖精女王の血族。これを魔王軍と呼ばずしてなんと呼ぶか」
「勘弁してくれよ……」
コノハは力なく笑うと、その名を退けるように手を振った。
「――良い案かもしれませんね」
だがコノハが退けようとしたティアリスの言葉に、シルヴァリエルが納得したように頷いた。
「……シルヴァリエルさん?」
「いえ、我が王の意に反するわけではありません。ですがこの度の敵は、かつて我が王と戦った竜将の軍と聞きました。その竜将を『屍竜王』と呼ぶのであれば、我々にも相応しい名前があれば士気が上がるのでは、と」
「――うむ。戦意を維持するために帰属意識を高めるのは重要なことだ。我々は軍隊ではないが仲間ではある。繋がりを示す名があれば死線を越えることもできよう」
ティアリスがシルヴァリエルの提案を支持し、満足げに笑った。
コノハは下手に逆らって揉めるよりも、平和的に解決する方法を選んだ。
「……わかったよ。確かになにかしらの名前があったほうが気持ちが引き締まるのも事実だ。だけど『魔王軍』ってのは絶対になしだからな?」
「ありがとうございます、我が王」
「そうさなぁ――」
シルヴァリエルがコノハに向かって柔らかく微笑むと、ティアリスはその場の全員の顔を見回して、ぽつりと言った。
「――“枯木の花嫁”」
「花嫁ぇ!?」
「なんだ。まさかこれだけの美人を揃えておいて、花嫁という名に相応しくないとでも申すつもりじゃなかろうな?」
「いや、でもさあ……」
「私はとても良い案だと思います。我が王の“王”という称号を残せないことだけが気がかりですが」
「『魔王軍』などと呼ぶよりよほど華があっていいだろうに。おぬしらはどう思う?」
ティアリスはほかの面々に意見を求めた。
「あたしは別に、その、コノハがそうしたいならいいけどよ……」
アースラはその赤い肌をさらに朱に染めた。
「花嫁だってぇ! ちょっと照れちゃうねぇ!」
コリーダは嬉しそうに頬に両手をあてて笑った。
「アタシが花嫁に相応しくないなんて言ったら、屍竜王より先にアタシがアンタをぶっ飛ばすわ」
フィールはコノハを睨みながら拳を鳴らした。
「えっ、わ、私もですか? その、コノハさまのお嫁さんになれるのなら、とっても嬉しいですわ……」
フローレットは恥ずかしそうにそう言うと、自らの顔を両手で覆って真っ赤に染まった頬を隠した。
「――決まりだな!」
ティアリスは心底愉快そうに笑った。
「我らは“枯木の花嫁”! 屍竜王など恐るるに足りず!」
女王が黄金の槍を掲げて声を上げると、シルヴァリエルたちはそれに続くように拳を突き上げて声を揃えた。
「こりゃまいったね……」
コノハはその様子を苦笑いしながら眺め、“枯木の花嫁”という言葉が意味する責任の重さが、ほんの少しだけ、悪くはないと感じていた。




