24/枯木の王と妖精の夜
小さくしぼんでしまったリボンの妖精の姿を、燭台の明かりがぼんやりと照らす。
彼女の頭を飾る黄色いリボンが、シルヴァリエルにはどことなく花びらのように見えた。
「――アンタたちはどうせ、アタシの話を聞いてもアイツについて行くって言うんでしょうね」
フィールは抱え込んだ膝の中に顔を埋めたまま、言った。
「でも、必ずアンタたちもアタシと同じ目に遭う日が来るわ。アイツはなにか事が起きたら、きっと誰よりも先に立ち上がって――消えていってしまう」
シルヴァリエルが今まで見てきたコノハの姿と、フィールから聞いた千二百年前の彼の姿を重ね合わせてみても、その可能性が全くないとは、彼女にも思えなかった。
だが、だからこそ、シルヴァリエルにはフィールに言わねばならない言葉があった。
「――捕まえましょう」
リボンの妖精はゆっくりと顔を上げると、その声の主を見た。
シルヴァリエルは小さな彼女の視線に合わせるように、姿勢をかがめた。
「追いかけて、捕まえるのです。我が王がたとえ地の果てまで逃げようとも、私たちで、捕まえましょう。再び逃げられても諦めず、あの人が音をあげるまで、何度でも、何度でも」
アースラは口元を歪め、コリーダは柔らかな微笑みを浮かべて、ふたりを見守っていた。
「……な、なんでアタシまでアイツを追いかけなきゃいけないのよ」
「私たちの中で、我が王と一番付き合いが古いのはフィール殿です。貴女の知恵と、私たちの力を合わせれば、我が王といえど逃げ切ることは難しいはずです」
シルヴァリエルは手を伸ばし、小さな妖精の、小さな手を取った。
人差し指と親指の間に、確かな温もりを感じる。
シルヴァリエルには、彼女が抱えた千二百年ぶんの想いを、見捨てたままにすることなどできなかった。
同情でもなく、憐憫でもなく、ただ――同じ男を愛した、女として。
「どうか私たちにフィール殿のお力をお貸しください」
「――アンタも相当なお人好しっていうか……バカよね」
リボンの妖精はシルヴァリエルから顔を背けてそう言ったが、繋がれた手を振りほどくことはなかった。
「褒め言葉として受け取ってもよろしいでしょうか?」
シルヴァリエルは穏やかな笑みを浮かべて言った。
「……勝手にすれば? アイツもバカ、アンタもバカ、みーんなバカ」
フィールはシルヴァリエルに向き直ると、瞳を潤ませながら笑った。
「そしてアタシも――どうしようもない、バカだわ。アンタたちと一緒だったら、今度こそアイツを捕まえられるかも、って期待してる」
フィールの笑顔が小さな花のようにほころび、彼女の瞳の端から、一粒の涙がこぼれ落ちた。
「――ねえ。アタシのこと、『フィール』って呼んでもらえる?」
「もちろんです。私のことはどうか『シルヴァリエル』、とお呼びください」
ふたりがそう言葉を交わすと、アースラとコリーダからも声がかかる。
「あたしはアースラだ。よろしくな、チビ」
「わたしはコリーダだよぉ。よろしくねぇ」
リボンの妖精はふたりの顔を見比べると、小さな身体を大きく張って言った。
「この中ではアタシが最年長なんだから、先輩としてしっかり敬いなさい。……いいわね?」
フィールは不敵な笑みを浮かべると、シルヴァリエルたちにそう宣言した。
◆
部屋に案内してくれた妖精からもらった、『妖精の蜜飴』なるものを舐め終わる頃には、今晩の熱唱ですっかり枯れ果てたコノハの喉は、驚くほど回復していた。
「……さすが妖精の技術力。作り方教えてもらえねえかな」
ベッドから起き上がると、サイドテーブルに置いてあった水筒を手に取り、中身をあおった。
――水を飲み込んでも、喉に引っかかる感じがない。どうやら本当に喉の炎症が治まっているようだ。
コノハが咳払いをしたり、小さく声を出して喉の調子を確認していると、部屋の扉を光の球体がするりとすり抜けてきた。
「――入るわよ」
「それ、部屋に入る前に言うべきじゃない?」
光の球体が泡のように弾け、見慣れたリボンの妖精が姿を現す。
「うっさいわね。あんまり細かいこと気にしてるとハゲるわよ」
「やめろよ。前世も今世もハゲの血筋なの気にしてるんだから」
「アンタがハゲても、アタシはアンタのことがずっと好きよ」
「へいへい、ありがとさ…………ん?」
思いがけない言葉にコノハが驚きと共に振り返る。
そこには両の手のひらをぎゅっと結び、こちらを真っ直ぐに見据えるフィールの姿があった。
「――好き。大好きなの。ずっと……ずっと、さみしかった。アンタがいないと、つまんないのよ」
「フィール……」
小さな妖精は瞳にいっぱいの涙をためて、震えながら言った。
「――なんでアタシを連れて行ってくれなかったのよ。アンタがいるなら、アタシはどこまでもついていったのに。アタシは、アンタの邪魔だったの……?」
「違う……違うんだ、フィール。そんなことない。ただ、あのときは――それが最善なんだって、思ってた。思い込んでたんだ」
コノハの頭の中で、時計の針が勢いよく過去へ向けて回り出す。
言えなかった言葉、忘れられない景色が、ありありと蘇ってくる。
「俺は――怖かったんだ。自分が大切にしてるものを守り切れなくなるときが、怖かった。俺は、俺自身を信じられなかった」
魔族を殺して勇者になった。
人間を殺して英雄になった。
だがコノハの心には、達成感も、罪悪感も、なかった。
ただ、こんなものか、という諦観だけがあった。
異世界から転生し、人魔の垣根を越えて戦い、救った。
――だからどうしたというのだ。
大河の流れに小石をひとつ落としたところで、その流れは止まらない。
それでもなにかが変わると、信じることもできた。
だがそのときのコノハには、そこまで思い上がる強さもなかった。
「正直に言えば――今も、怖い。だけど俺は、いろんな人たちのおかげで、少しだけ強くなれた。だから、今はあのときの選択が、間違ってたって思える」
コノハは自らの姿勢を正し、改めてフィールと向き合うと、ゆっくりと頭を下げた。
「――ごめん、フィール。俺はあのとき、おまえに助けを求めるべきだった。俺の傍にいて、俺を支えててほしいって、言うべきだった。だけど、言えなかった。……だから、ごめん」
フィールには、今もコノハのことがわからない。
彼の心の奥底に、なにか重たいものがあるというのはわかる。
だが、それを軽くする方法も、一緒に背負う方法もわからない。
だから、フィールはコノハに尋ねる。
「――コノハ。アタシは、アンタにとって……なんなの?」
コノハは頭を上げると、フィールの瞳の奥にある恐れを射抜くように言った。
「それは、千二百年前からずっと変わらない。フィールは、俺にとって大切なひとだ。俺も――フィールがいなくて、ずっとさみしかったよ」
どこか頼りなさげに微笑むコノハの姿を見て、フィールはこらえきれずに彼の胸の中へ飛び込んだ。
コノハが浮かべた笑顔は、千二百年前にフィールがずっと眺めていた彼の笑顔と、なにひとつ変わらないものだった。
「……アタシはアンタの役に立てないけど、アンタが死ぬまでずっとそばにいるから」
「フィールがそばにいてくれるなら、それだけでいいよ」
フィールは彼の胸から顔を上げると、ふわりとコノハの目の前に浮かんだ。
「……間抜けな顔は千二百年経っても変わらないのね」
「変わらなさで言えばフィールも相当だからね?」
ふたりは気が抜けたように微笑み合うと、お互いの唇をそっと重ねた。
あの日の続きを、また始めるために。
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