23/枯木の王と花のつぼみ
「――コノハが妖精族の村に居着くようになってから、三年後くらいだったかしら。ある日、樹人族が大挙して妖精の森まで避難してきたことがあったの」
フィールはシルヴァリエルと向き合うようにテーブルに腰を下ろすと、ゆっくりと語り始めた。
「樹人族はアタシたち妖精族と同じように、魔物というよりは精霊に近い存在で仲が良かったのよね。基本的に温厚で争いを好まないはずの彼らが、妖精の森に避難したときにはひどく怒ってて、今にも暴れ出しそうだった。彼らの様子をいぶかしんだ女王が長老に話を聞いたら、『人間族が攻めてきた』って言うのよ」
「人間族が魔界へ攻めてきたのですか……!?」
シルヴァリエルが驚きと共に尋ねると、リボンの妖精は首肯した。
「樹人族が住んでいた森は、人魔大戦で魔族側の拠点となった城塞のすぐそばにあったの。人間族は転移門から魔界に移動して、その城塞を自分たちの魔界侵攻の橋頭堡にしようとしたらしいのよね」
確かに転移門が使用できる以上、人間界から魔界への侵攻は可能ではある。
しかし魔族との過酷な戦争を経験した人間族が、そう軽々と再び戦争を起こそうとするものだろうか?
フィールは考え込んだシルヴァリエルの疑問を察したのか、その答えを述べた。
「――これも後からアイツに聞いた話なんだけど、どうやら侵攻してきたのは人魔大戦で戦った人間族とは違う連中だったみたい。人間界には人間族しかいないけど、アタシたち魔族がいろんな氏族にわかれているように、人間にもいろんな集まりがあるみたいなのよね」
「なるほど……。人魔大戦で魔族と戦った北部連合王国とは別の国家が、魔界に侵攻してきたということですね」
「そう、それ! こっか? っていうのがアタシにはよくわからなかったんだけど、アイツはそんなようなことを言ってたわ」
「要は人間族にもあくどい奴がいて、火事場泥棒しようとわざわざ魔界にまで乗り込んできやがったわけだ。ご苦労なこった」
アースラはため息交じりに言った。
だが彼女の気持ちもわからなくはない。
数多の犠牲の上に築き上げた束の間の平和を、わざわざ壊すような真似をするなど、正気の沙汰ではないとシルヴァリエルは思う。
「城塞を占拠した人間族は、城壁の修理や城塞の強化のために樹人族の森から木を切り倒して奪い、周囲にあった魔族の村から食料を略奪したわ。もちろん、抵抗しようとする魔族を殺しながらね」
かつてコノハが守った魔族の村で、今度は同じ人間族が略奪を行い、住人だった魔族を殺している。
これではなんのために彼が戦ったのか、わかったものではない。
「このこともアイツは――コノハは、予想してたみたいなの。というより、アイツは『俺はこのために魔界に来た』ってハッキリ言ってたわ。それまでの戦いは全部ついでだって」
「ついでで命を賭けて戦ってたのかあの馬鹿は……!」
アースラは心底呆れたように言った。
彼女は事実から目をそらすように、片手で自らの目を覆って天を仰いでいた。
「アイツのバカさ加減がようやく伝わってきたみたいで嬉しいわ。樹人族から事情を聞いたコノハは、すぐに人間族が占拠した城塞に向かおうとしたわ。でも避難してきた樹人族は、アイツがやろうとしていることを理解できなかった。まあ、当然の話よね。アイツも、樹人族を殺した人間族も、見た目はまったく変わらないもの」
樹人族の反応も無理はない。信じろというほうが無理な話だ。
ましてや人魔大戦からさほどの年月が経ったわけでもない。
魔界に生きる魔族たちの中に『人間族=敵』という図式ができあがっていても、それは全くおかしいことではないのだ。
「――でも、アタシは、妖精族は、知っていた。アイツが見ず知らずの魔族のために命を賭ける、筋金入りのバカだってことをね。それにアイツはたった三年で、妖精族の心を掴んでいた。なにか特別なことをしたわけじゃないの。ただ一緒に歌って、踊って、笑ってただけ。でも、妖精族って基本的にみんな楽しいことが大好きだから、たぶんそれで充分だったのよね」
フィールはどこか懐かしむように頬を緩めて言った。
「妖精族は、樹人族が驚くくらいの勢いで説得を始めたわ。最初はアイツのことを人間族の加勢に向かう敵だと思ってた樹人族も、最後には妖精族の説得を受け入れて、アイツのことを味方とまでは言わないけど、『人間族からはぐれた変な奴』くらいに思うようになったの」
「変な奴、ってのは間違いねえな」
「わたしには不思議な人、って感じだなぁ」
アースラとコリーダが、それぞれに微笑みながら口にする。
シルヴァリエルには、なぜか彼女たちの言葉が嬉しく思えた。
「アイツ自身はひとりで戦いたがったけど、人間族への怒りを抱えた若い樹人族は『自分たちも戦う』と息巻いて引き下がらなかった。でもそもそも樹人族は戦いに向いた種族じゃない。そこでアイツは、樹人族に“戦う力”を与えることにしたの」
「もしかして――」
ひとつの結論に思い至ったシルヴァリエルを、フィールは肯定した。
「――その通り。アイツの植物魔術で、樹人族を変質、強化したの」
確かに、植物魔術なら樹人族とは相性が良いだろうし、強化は可能だろう。
しかし『変質』とはどういうことだ?
リボンの妖精は言葉を続けた。
「『樹人族』って言われて想像する姿って、普通の樹木が根っこを足代わりに動かして移動する感じだと思うんだけど、それをアイツは根本から『変えた』。植物魔術によって強化された樹人族は、まるで木でできたゴーレムみたいになったの。身体が木になった小さめの巨人族を想像してもらってもいいわ。そしてアイツは戦闘用に強化した樹人族をたくさん引き連れて、人間族のいる城塞へ向かったの」
「まさか、“枯木の王”とは――」
シルヴァリエルがこぼした一言にはあえて答えず、リボンの妖精はいびつな笑みだけを返した。
「アイツは、自分が人間だとバレないように、植物魔術で生みだした木の枝や根っこで全身を覆い隠した。アイツを知らない人間たちには、まるで“枯木の怪物”みたいに見えたでしょうね――」
「枯木の、怪物――」
樹木の巨人たちを従えた、“枯木の怪物”。
かつて人間族の仲間と共に魔族と戦った戦士が、今度は魔族の仲間と共に人間族と戦う。
彼は一体なにを守り、なにを得るために戦ったのだろうか。
シルヴァリエルには、戦いに臨んだ彼の心境を想像することができなかった。
「樹人族を引き連れたアイツは、たった一日で、魔界に侵攻してきた人間族を殺し、追い返したわ。人魔大戦の決戦ですら耐え抜いた城塞は、“枯木の怪物”と樹人族によって跡形もなく破壊されて、瓦礫すら残らないほど粉々になったそうよ」
フィールが語る言葉に、シルヴァリエルたちは沈黙を返すことしかできなかった。
「その戦いの狂乱の中で、必死に逃げていく人間族の兵士のひとりが、『枯木の王がやってきた!』と叫んだらしいの。それを聞いた樹人族はたいそう気を良くしたみたいでね。ほら、彼らが戦いに向かないって話はしたでしょう? 実は当時の魔界じゃ人魔大戦にも参加しなかった樹人族は、他の魔族たちから『枯木』って言って嘲笑されてたのよ。それが人間族をあっという間に追い払っちゃったもんだから、樹人たちは舞い上がっちゃってね」
フィールは肩をすくめて言った。
「『俺たちは枯木の王と共に戦う戦士だ!』、『コノハこそ俺たち枯木の上に立つ王だ!』とかなんとか……。樹人族でも比較的若い、血気盛んな奴らが戦いに参加しちゃったもんだから大変よ。ホント、男ってどうしてこうバカなのかしらね」
まあ樹人族には性別ってないんだけどね、とリボンの妖精は付け加えた。
彼女の中にあるなんらかの基準で、戦いに参加した樹人族は男と判断されたのだろう。
その判断基準がどういったものなのかは、シルヴァリエルたちには知るよしもないが。
「そしてアイツは妖精族だけじゃなく樹人族の心まで掴んで、みんなから“枯木の王”と呼ばれるようになったの。アイツは恥ずかしそうに少しだけ困った顔をして――“枯木の王”を称える輪の中で笑っていたわ」
フィールはそこで一息つくと、悲しげに眉をひそめた。
「だけど――“枯木の王”は、突然姿を消した。妖精族も樹人族も、誰もアイツの行方を知らなかった」
「我が王は、なにも貴女に言い残さなかったのですか……?」
シルヴァリエルが驚きと共に問いかけると、彼女は諦めるように首を横に振った。
「なーんにも。それからしばらくして、『魔界各地にある転移門が植物魔術で封印されてる』って噂が流れたわ。妖精族も樹人族も、みんながアイツの仕業だって気づいた。アイツが、魔界と人間界を切り離そうとしてるんだ、って」
フィールはそう言って、再び自らの膝を抱え込んだ。
「アタシには――最後まで、アイツがなにを考えて、なにを見てるのかわからなかった。わかったのは、アタシがアイツにとって取るに足らない存在だった、ってことだけ」
彼女は自らの表情を隠すように、抱えた膝の中に顔を埋めた。
「アタシも、バカなの。いなくなったのなら、探しにいけばよかった。でも、できなかった。アタシが……アイツにとってどんな存在か、知るのが怖かった」
小さな妖精の、小さな声だけが、部屋の中に響く。
その声は細く、頼りなく、暗闇に怯える子供のようだった。
「――これが、アタシがアイツについて知ってる全て。つまらない、千二百年前の思い出よ」
テーブルの上で膝を抱え込んだ彼女の姿は、まるでしぼんでしまった花のつぼみのようだった。
シルヴァリエルは、その花を咲かせるために必要な言葉を、心の中から探し始めた。
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